Prologue【白狼】
Prologue【白狼】
秋の終わりを感じさせるような、冷たい雨が降っていた。あたりを霧のように覆いつくす細やかな雨水は、その絶え間ない静寂の中にすべてを隠そうとしている。時刻は午前5時を回ったところ。分厚い雨雲で遮られた朝日の仄明るさの中で、息を潜めるように静かに刻を待つ影が三つ。それは大雑把に人の形をしており、しかしそのしゃがんだようなシルエットは隣に建つ廃ビルの二階を簡単に覗けるその姿は明らかに有機的なものではない。
厚手のシートを被せられ、雨に打たれ続けるその肌は分厚い合金製の装甲で覆われていた。鋼の肢体を繋ぐ神経は無数の集積回路と電子機器の集まりであった。
装甲強化外骨格。一般にARFと呼称されるそれは、数十年ほど前から爆発的に普及した陸戦兵器である。カタログスペック上の費用対効果は戦車や戦闘機に劣るが、ARFが広く受け入れられた理由にはその特徴的な制御システムにあった。
もともと義手義足に用いられた技術の発展形であるARF、そしてARFのコアモジュールとして機能する強化パワードスーツにはその操作系統に体内のナノマシンによって脳波を増幅、感知することによって動作する仕組みが採用されている。これによって既存兵器と同等の戦闘力を個人行使することが可能かつ、基本操作の習熟までの期間がごく短期間で済むことが、慢性的な人材不足という問題を抱える各所に必要とされた所以である。
雨中で作戦決行の刻を待つ三機も、そういった事情から配備の進んだうちの1つであった。ARFに共通する、はらわたをさらけ出すように開閉するコックピット部を基本に、シンプルかつ堅牢な造りをした肢体とバイザー型カメラアイの頭部を持つそれは、正式なロールアウトから20年が経とうとしているハナブサの95年式。もはや旧式の烙印を押されて久しいが、内部に相応の手を加えたことにより未だ戦場の主役を張っている名機である。暗緑の迷彩色に塗装され、右肩に地球の正距方位図を基にしたエンブレムが描かれたそれは世界統治機構が採用した旧標準機。大型のシールドに描かれた白狼の部隊章は、彼らが白狼の名で知られる統治軍第6特殊機動小隊の所属であることを示していた。
「3番機のバルブ交換は!」
「終わってます!」
「ジェネレーター内圧247%で安定、各センサ―類もチェックOKです!」
冷たい雨の中の三機の周りでは整備技師たちの声が響いている。
戦闘に次ぐ戦闘で休む間も与えられない彼らにとってほぼ唯一といえる休息が、いま終わろうとしていた。
「エディ、待たせてごめんなさい。もう行けるはずよ」
「助かるよ、ミッシェル」
一番機のコックピットの中で煙草をふかしていたエドモンドに、ミッシェルと呼ばれたその女性技師は彼がわきに置いていたヘッドギアを投げてよこす。その代わりにエドモンドがもう半分ほど吸い終ろうとしていた3本目の煙草を、ひょいと口から奪い取って自分の唇に挟み込んだ。
「お前、煙草は止めたんじゃなかったのか」
「5年も我慢してたからもういいでしょ。それに……」
ミッシェルは雨に淀んだ雲を見上げ、大きく煙を吐き出す。
「それに、やめようと思った理由も、必要も、もうないから」
「そうか。そうだったな」
重く、長い沈黙。それを破るようにミッシェルは大きな息をつくと、咥えていた煙草を足元の水たまりに投げ捨てる。
「それより、あの子たちに言ってくれないかしら。マシンの使い方が粗すぎるって。このままじゃ、死ぬわよ」
くいと親指で指した方には装甲の傷みを隠しきれていない二番機と三番機。応急処置による注意を受ける若いパイロットたちがいる。
「まぁ、私が診るときは万一にもマシントラブルで死なせるなんてことさせないけど。それでも、絶対はないんだから」
わかった、と呆れたような笑みを浮かべたエドモンドはヘッドギアを装着し、出撃準備に入る。
《メインシステム起動。スタンドアローン解除。パイロットとの接続、完了》
機体に内蔵されたサポートAIが脳裏へと直接信号を送ってくる。身につけたパワードスーツを介し、ARFのメインカメラが、機体各所に置かれたセンサーが、パイロットの五感と同期していく。
コックピットを閉じ、被せられていたシートを取り払い、その8メートルもある巨体を持ち上げる。
「白狼が出る!私たちは撤収の準備を急いで!」
整備兵が最後の仕事といわんばかりに手早く機材を退け、進路を開ける。もともと急設の整備拠点であるこの場所に正式な進路があるわけではないが、北に向かう旧く荒んだ幹線道路に3機が並ぶ。
「エリ、マット、行けるな?」
「二番機、エリ。問題ありません」
「三番機も、大丈夫です」
もう戦場に長く居続けることに慣れ過ぎてしまったエドモンドに対し、若輩の二人には若干の疲れが見える。本来であれば十分に休息を取るべきではあるが、彼らにはそれを求めることも許されていなかった。
「……すまないな。君たちの働きに期待する」
この一戦が終われば休める。そんな一言は、間違っても口に出せなかった。
東の地平線では光が溢れ出し、雨脚はゆっくりと遠のこうとしている。まだ仄暗い北西方向、主戦場となっている旧市街エリアの北端では、一時止んでいた銃火が再びその音を響かせ始めている。
作戦目標はそこで統治軍の本隊が戦闘中のテロリスト達。その後方から接近する敵の援軍を撃破し、本隊と共に敵部隊を殲滅すること。それが終われば、また体よくどこかの戦闘の補充に使われるのだろう。
一瞬頭をよぎった感傷を振り払い、エドモンドはその意識を切り替える。徐々に醒めていく思考と反比例するように、コックピット下に配置されたジェネレーターが奏でる鼓動は大きくなっていく。
「神なき世界よ、永遠なれ」
彼が口の中で留めるように言ったその一言は、全身に配置されたブースターが放った轟音にかき消され、誰の耳にも、彼自身にでさえも届くことはなかった。
*
旧市街地は、10年前に終結した最後の国家間戦争によって消滅した都市である。爆撃によってできたクレーターはこの地域に振り続く長雨によって雨水をため込み、クレーター湖を形作るとともにかつて栄華を誇った都市の名残は周囲の広大な湿地帯に呑み込まれようとしていた。
過去にあった別の各都市に繋がる道路は流れる歳月の中で既に荒れ果て、まともに車両が通れるような状態ではない。故にこのエリアへの大量輸送は空路が主となり、彼らも敵が空からくることを予測していた。
《所属不明機が接近しています。大型の輸送ヘリ、及びARF一機を確認。作戦目標です》
「予定通り、ですかね」
「今のところはな、マット」
高速巡行中のARFが感知した情報は、パイロットの五感へと直接的に反映される。彼らのARFが高速巡行を続けている間にも、彼ら自身は電磁波や監視衛星を用いた広域レーダーの情報が刻一刻と変化していく戦場の姿を文字通りその身に感じていた。
「エリ、視えるか?」
「すでに捉えています。始めますか?」
エリの問いに、エドモンドは短くYESを返す。その返答にエリは機体の速度を上げながら自機の背中に携えた大型のライフル砲を引きずり出し、それを両の手で抱えて少し針路から少し外れた位置にある高架の上へと飛び乗った。
脚部に装備されたアンカーが接地面へと突き刺さり、エリのARFは発射体勢を取る。ナノマシンを介して神経系と直結させたFCSが感覚的に捉えていた敵影をその視覚の中に描き始める。
「……見えた」
照準を絞り、エリはそのライフルに掛かった人差し指をはじいた。瞬間、パァンッと軽快な音とベイパーコーンを生じさせ、大口径の徹甲弾は大気を切り裂いていく。
エリの放った弾丸は安定した弾道を描き、まっすぐに敵機体へと。
《敵戦闘ヘリの撃墜を確認。敵ARF、起動シーケンスを完了しています》
「すいません、外しました」
彼女の一撃は目測よりも少し上方にずれ、ARFをその機体下部に留めていた戦闘ヘリを大破させるに留まった。
「続けて狙えるか?」
「やってみます」
一度切りかけた集中をもう一度意識する。通常の視野角に戻りかけた視界が再び狭まり、敵の姿をもう一度捉える。
エリは一呼吸おいてライフル砲を構え、頭の中で先ほどのずれを再計算する。
整備後の慣らしもロクに行っていない状態での戦闘。本来ならば避けるべき事態だが、彼女らにとってはそんなことは日常茶飯事であり、それを修正する術は既に彼女の中にあった。
視界の中には、たった一機で湿地へと降りた敵のARF。他に敵の姿はなく、撥ねた泥水が排熱で乾いて霧散していく。
次は外さない。そう思いながら力を込めた瞬間、エリの身体を激しい悪寒が襲った。
狙いを付けた敵機。その暗褐色に塗られた機体の赤い単眼が、エリをまっすぐに見ている。
敵機体の種別は不明。だが右手に確認できるショットガンから見るに、近距離戦型、それもごく至近距離での戦闘に特化されているのは明らかだった。つまりエリ機のような狙撃、砲撃用に専用のFCSと視覚強化を施された機体ではその兵装を使用するのに不適合であり、その目は劣っていると考えられる。さらに言えば、エリは狙撃を行う際にわざわざFCSの自動ロックオン機能を切っている。これはエコー方式のロックオンシステムによって相手に攻撃を気取られるのを防ぎ、初弾を不可視の攻撃とするための技術。そのため、これを受けた側が相手の正確な位置を把握するのは不可能に近い。ましてや一射しかしていない場合は二点測量も不可能であり、ARFの性能として見えるはずもない相手から視線を合わされたという事実は、彼女に恐怖を覚えさせるに十分だった。
撃ってはいけない。そんな感覚が彼女を襲う。だがもう間に合わない。いくらレスポンスが早いARFとは言えそれはパイロットとARF間の話であり、平均0,18秒といわれる人間の反応速度ですでに引き始めた引き金を止めるのは不可能だった。
二射目がその銃口から放たれる。その威力を表すように水傘を開き、真っ直ぐに超音速の弾丸が敵機体に飛来する。
こうなってはもう遅い。着地のタイミングでは回避もままならず、この悪寒の正体を確かめる前に、それは相手のはらわたを引き裂いていく。そのはずだった。
次の瞬間、エリは保っていた平静を失うことになる。放った弾丸は寸分の狂いもなく敵に向かっていた。その弾丸は分厚い装甲板を貫くものであり、傾斜装甲を採用しているとはいえ装甲に劣るARFが防ぎきれるものではない。
事実、相手のARFは回避行動を取らなかった。その代わりに上体を捻り、左腕に装備された何かを突き出し、次の瞬間にはその切っ先が爆ぜた。
散った火花をエリは見ていた。遅れて聞こえた耳障りな金属音が、彼女の動揺を大きくした。
最大望遠越しに見たそいつは己が左腕をじっと見ている。それがどう言う感情を孕んでいるか、それはエリには推し量りようもない。ただその半壊した単純かつ大げさな機構によって、防がれたという事実だけが突きつけられる。
「そのパイルバンカーで……、撃ち落としたというの?」
困惑するエリ。その微かに震える声と、己が視界に映った敵機の姿を見て、今度はエドモンドがその身を戦慄させた。
「撤退しろ! 今すぐに!」
接敵を間近に巡航から戦闘モードへと切り替えて加速を入れていた機体を急停止させる。
彼の口から出た言葉は、彼自身が意図したものではなかった。それは本能が発した危険信号。そのARFに乗る誰かを、廃れた格闘兵装なんてものを使いこなす、馬鹿げた誰かを思い浮かべてしまった彼だからこそ、その身が鳴らした警鐘だった。
「た、隊長! どうしたんですか急に?」
「マット、それ以上行くな! あの機体は……、あの人は……!」
エドモンドはくっと唇をかみしめ、装備したライフルを構える。
先ほどまでエリを見ていた赤い目は、幽鬼のように揺らめきながらエドモンドに視線を移した。その揺らめきはどこかもの悲しく、愁いを帯びていて。
「大佐……。何故、あなたが……」
二人の若輩には、エドモンドが何を言っているのかが分からなかった。ただ彼の内にさざめいているいろいろなものが綯交ぜになったような感情だけは留めることはできず、それが緊張という形となって二人には届いていた。
「エリ、マット。聞いているな」
エドモンドは片時も気を逸らさず、二人に指示を発する。
「マットはエリのところまで後退しろ。エリはその場で大佐……敵のデータを取れ。次のためにな」
「わ、分かりました。解析、入ります」
「了解です。隊長は……?」
「俺は時間を稼ぐ」
その言葉が意味するところに、二人は思わず息を呑んだ。
「俺も戦います!」
「だめだ。かえって足手まといになる。さぁ、早く行け!」
くっと身を乗り出したマットは寸でのところで留まる。
「御武運を」
反転。全速力で後退すべく、ブースターに再度火を入れる。それが合図だった。
一瞬で背部にアセンブルされていたミサイルランチャーを展開した敵機は、機体を翻したマットに向かって照準を合わせ、大量の弾頭を解き放つ。
気付いたマットは機体を捻って背面滑空させ、装備した速射マシンガンで迎撃を試みた。だがそれよりも早くエドモンド機の腕部に取り付けられた小型のフレシェットガンがそのミサイルのすべてを撃ち落としていく。まるで、そうなることを分かっていたかのように。
「急げ!」
「はい!」
マットは再度機体を捻り、その場を離脱する。対してエドモンドは敵機に対してサークルを描くような旋回戦に移行していく。
エドモンドが駆るARFには、95式の基本兵装となる連装式ロケットポッドと背部武器ラッチにマウントされたロケットランチャーの他に、新兵時代から愛用してきた単発型の大型ライフルが装備されている。これは彼が得意とするところの自分の間合いを取り続ける戦法を取るためのものであり、互いにくるくると相手の周りを周回しながらの旋回戦もそのためのものである。これに対して敵機の装備するのは至近距離での破壊力に優れたショットガンと、廃れて久しい格闘兵装、両背部のマイクロミサイルポッド。明確に近接戦での殺意をちらつかせるそのアセンブリに加えて、前方に偏重させたスラスターの推力は時折エドモンドの描く円を崩し、その一撃必殺の攻撃を充てる隙を伺っている。
「確かに、私じゃあそこに入れない……」
エリは歯噛みしながら、言われた通りに目の前で起こっている戦闘記録を取っていた。一応自慢の長距離砲を構えてはいるが、そのトリガーに指は掛けても引くことは叶わなかった。
「エリ、そっから狙えないのかよ!」
「ダメ。あの機体、位置の取り方が恐ろしく上手い。撃てるタイミングはあるんだけど、隊長に当たっちゃう」
「嘘だろ……。さっき見た時はあの隊長と互角だったぞ。何か、何とかできねぇのかよ」
互角、それならばどれだけよかったか。あの相手は、名実ともに百戦錬磨と恐れられるエドモンドと互角に戦っているように見せながら、常にエリに対してけん制を行っている。つまり、奴はエドモンドと互角に戦っているのではなく、エリの方へ注意をはらわせておいてやっと彼が互角に戦える相手だということ。さらにはなぜかはっきりと感じられる、見られているという感覚が二人の肌を粟立たせた。
廻り、踊り、時には空に舞いながら二機のARFはその戦闘を静かに激化させていく。
その位置は次第に移動していき、それは既に丘陵地帯から一部残った高速道路のジャンクションへと移動していく。その立体構造は相手の攻撃を防ぐ盾となり、増えた足場は二機の機動をさらに複雑なものへと変えていく。
「くっ……」
旧ジャックションへと引き込まれたエドモンドは、思わず苦悩の呻きを上げていた。
平面から立体機動へと変わり、瞬発力に優れる敵機はさらにその速さを増す。
いや、戦闘中に勝手に速度が上がるなどありえない。ただ瞬間的な加速と減速、壁を蹴った跳躍を組み合わせた機動が、エドモンドのARFによって強化された動体視力をもってしてもそれを捉えることを拒む。加えて四方から降り注ぐ散弾が徐々に彼を追い詰め、いつ飛んでくるかわからない左腕の一撃は確実に精神を削り取っていく。
「負荷……上昇。反応強化、300……いや、400%…………」
チリチリと脳が灼る音が鳴った。足りない神経細胞を体内のナノマシンが補い、その能力をキャパシティの限界を超えた領域へと放り込んで行く。
「嘘……でしょ……」
「おいおいおい!あの人、何やったんだよ!負荷上昇って聞こえたぞ!?なぁ、エリ。何が見えてんだよお前には!」
機体特性により通常よりも強化されたエリの視界に映る二機に大きな変化はない。ただ明らかに、エドモンドの動きが変わっていた。
翻弄され続け、防戦を強いられていた状況から一変。赤褐色の影を追うライフルの銃口が、その旋回に入るまでの時間が、速く、早く。
「隊長が……押し始めてる。でも……」
彼はずっと苦悶の嗚咽をもらしている。そのARFのはらわた。そこにいる彼の閉じた瞳は既に赤く染まり、涙のように溜まった血はほほを伝う。流れた血涙は鼻血とともに喉元を染める。
彼が放った起死回生の方法は、己が受ける負荷の上昇。
そもそもARFに搭乗するパイロットは体内に存在するナノマシンの補助を受けて感覚器官、及び脳の処理能力を引き上げ、機体を己が肉体のように動かす。しかし体内で利用されるナノマシンは全体量からいえばその多くを利用していない。だが、もし。それをすべて使用することが出来るのならば。理論的には、ARF搭乗時のパイロットは体内のナノマシンによってほぼ際限なくその身体能力を強化できる。
できて、しまうのだ。
通常のARFパイロットが受ける負荷は平均プラス60%程度。どれだけ適性が高くとも100%が限界とされる。それをエドモンドは400%、つまり5倍までに引き上げ、戦闘を続行している。それは徐々に彼の脳髄を焼き、確実にその命は削り取られていく。
いつ尽きるかもしれぬ命の灯を糧に、持てる力のすべてを出す彼の目には、一体何が映っているというのか。その思いの深さを、二人の若輩が推し量るすべはない。ただ教えを乞うた恩師を失いたくないがために、彼らの身は動いていた。
「あたっ……た!?」
それは、彼女らの思いが起こした奇跡の一発だったのかもしれない。
思わずエリが引いた引き金は、ただただ自分への、不甲斐なさへの怒りに任せたものだった。狙いもつけず、撃ち放っただけのその弾丸は、崩れかけたジャンクションの高架の隙間を縫い、エドモンドの機体を掠めて敵機の頭部を吹き飛ばす。
「隊長、今行きます!エリ、残弾は!」
「あと3発!先に行って!」
構えたままの砲をそのまま放つ。一つ、二つ、三つ。当たる予感はなかった。
超音速で飛んでいく弾丸の下をマットは最大速力で駆け抜ける。
「チィッ、思ったよりも機体が重い!」
マットは自分の意識よりも早くマシンガンを除く全ての武装をパージする。同刻、エリもその残弾を撃ち尽くした大砲を投げ捨て、射したアンカーを引き抜くのも忘れて前へと飛翔した。
互いに弾切れの近い敵とエドモンドは、その肢体を駆使した格闘戦にまでもつれ込む。左腕の鉄杭に最大限注意しながら散弾を躱す。蹴りを入れる。ライフルを接射する。蹴り、回避、タックル、回避、発砲、回避、回避、回避……。
《搭乗者の神経系へ深刻なダメージが発生しています。戦闘の中止を提案》
無視する。
散弾を喰らう。頭部が削れた。
弾切れのライフルで殴りつける。敵の右腕をへし折った。
蹴りを喰らう。左手が吹き飛んだ。
「隊長―ッッ!」
マットがマシンガンをその銃身が焼き付くまでに乱射しながら肉薄する。
敵はそれを分かっていたかのようにエドモンドに一発蹴りを入れると、そのまま回避運動を取った。高速連射される弾丸は機体を掠め、瓦礫の中へと埋まっていく。
「お前ら……、逃げろと、行ったはずだ……」
「生憎と。命令不服従で貴方の下に飛ばされたのをお忘れですか?」
「そう、だったな。お前たちは……うっ」
《負荷限界を突破。パイロットの保護を優先します》
途端にエドモンドの動きが鈍る。ARFのAIが、強制的に彼の体内のナノマシン活動による能力強化を停止し、その体の保護へと舵を切った。つまりそれは彼の実質的な戦闘不能を意味する。
敵機も頭を失い、右腕とショットガンを失い、背中のミサイルを撃ち尽くした。それでもなお尽きぬ戦意はそれと直接対峙したマットの身体を竦ませる。
「マット!」
エリの声が響く。おかげでその瞬間が、敵機の身体の起こりが、マットには見えた。
急加速。ほんのわずかな距離。だがその少しの前進が、彼を救った。
気体が接触する。傾斜を持たされた胸部装甲板は互いの上を滑り、離れる。必殺を狙った相手の左腕の一撃は、少し距離をずらされ、マットの脇を滑り、大きな破裂音を残して空振りに終わる。すでにエリの一発を防ぎ、半壊していたそれは自らの放つエネルギーに耐えられず、ばらばらと音を立てて瓦解していく。だが。
腕を引かれた。中空で機体が重なった。くるりと、天地がひっくり返るのをマットは感じていた。
「がッ!」
背面から地面に叩きつけられる。見上げた天には、投げた勢いで飛翔していく敵機が影を落とす。
すでに武装を失ったそれは撤退したのだとエリは思った。いざとなればジャンクションごと生き埋めにしようと拾っておいたマットの落とし物の構えを解く。
自分の行動を、彼女は深く後悔した。
敵機は真っ直ぐに上へと昇る。撤退の兆しはない。いつかそれは十分な高度を取り、身を翻し、真っ直ぐに、直下へ。
その高さは落下速度を稼ぐため。十分な速度を持った60tを超える質量は、十分な凶器と化す。
その機体は、武装を失ってなどいなかったのだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――」
その叫びをあげたのは、果たして二人の若輩のどちらだったのか。
否、どちらもだったのかもしれない。
唯一無事だったエリは、呆然とその場に立ち尽くしていた。AIが発する無情な言葉を、そのすべて受け止めてしまいながら。
《三番機、ロスト。一番機、及び敵ARFの停止を確認。本隊と合流し、作戦を続行しますか?――――――――――――搭乗者の応答なし。作戦続行不可能と判断し、帰還シークエンスを開始します》
Prologue【白狼】 了