8.お手紙の返事
お茶会の数日後、パトリックから手紙が届いた。
内容は「俺の勘違いだった。マリーからきつくお叱りを受けた。噂の払拭をするためにも、是非今度行われる王宮の懇親会で一緒にダンスを踊ってほしい」というもの。あはは、なんて滑稽な。
私は手紙を読むと、一笑してローテーブルの上に適当に放った。
インクとペン、便箋を用意してローテーブルに置き、椅子に座る。こんな手紙、さっさと返信して忘れるに限るわ。
そうね……なんて書こうかしら。最初はまぁ、淑女らしく季節の言葉を添えて……他愛ない言葉を続けて……当然「謝罪は受け入れますが、ダンスはお断りします」と綴ってやる。許してはあげるけど、ダンスまでは踊ってはあげない!
同じ年頃の男性と踊るのは確かに噂の払拭にはちょうど良いかも知れないけれど、場所が場所よ。王宮の懇親会って。第一王子殿下主催の奴じゃないの。流石に見聞が悪いわ。
でもどうにかして身内以外と踊ってはおきたいのよねぇ。誰がいいかしら。
私、男性の知り合いなんてあんまりいないし。
うーん、どうしましょう。
悶々と悩んでいると、ノックの音。
「どうぞ」
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「そう、ありがとう」
マリエルがお茶を持ってきてくれた。私は手早く手紙を片付けて、筆記用具も隅に追いやる。マリエルはローテブルにティーセットを置いてくれた。
「お手紙ですか。そういえばパトリック様から届いておりましたね」
「ええ、そう」
私はパトリックから送られてきた手紙をもう一度読む。まったく、馬鹿も休み休み言いなさい、と言いたいけれど……一理あるのよねぇ。身内以外とダンスするのが、噂の払拭には手っ取り早い。
でもねぇ、相手がねぇ……
「何かお悩みのようですが、お手伝いすることはありますか?」
「マリエルにはお見通しねぇ」
「お嬢様とは長い付き合いですから」
くすりとマリエルが笑う。
私もつられて笑った。
そうよね、マリエルとは長い付き合いだもの。私の考えていることとか、分かっちゃうかもしれないわね。
悶々としているだけでは、良い考えは出てこないし。ここは一つ、相談してみようかしら。
「ねぇ、マリエル。お父様には内緒なのだけれど、私、社交界で幼児性愛者って噂されているみたいなの」
「まぁ、お嬢様が?」
マリエルは驚きながらも、ティーポットからお茶をとくとくと注ぐ。ふんわりと香る香りは甘酸っぱい。色も珍しい澄んだ赤色。
「それで、その噂をなくすために、誰か後腐れなく踊ってくれる、身内じゃない男性を探そうと思ったのだけれど……私、男性の知り合いなんていないでしょう? 困ってしまって」
「パトリック様はどうです? ご年齢には申し分ないでしょう? お手紙を頂くくらい、仲がよろしいようですし」
「あの馬鹿だけは絶対嫌。それにこれ私に対する謝罪文よ?」
当事者だからね。勘違いしないでもらいたい。
「まぁ……そうなるとフリーの殿方なんてあんまりいませんよ?」
「そうなのよねぇ」
お父様の言いつけで、男性との交流はほとんどなかったし、社交界でビューしてすぐこの噂のせいで遠巻きにされちゃったから、親しい友人もあんまりいないのよねぇ。
精神的にはイレール殿下の婚約者だからという理由で敬遠されていた方が断然よかった。悲しい、悲しすぎる。
注がれた紅茶を受けとる。透明度の高い赤色のお茶。一口飲めば、香りに相応しい甘酸っぱい味わいが広がる。ローズヒップティーだっけ。確か今、美容にいいと流行ってた気がする。
ほっと一息つくと、マリエルがティーポットを持ったままこんなことを言う。
「もう後五年もすれば、殿下も社交界デビューができる御年になります。放っておいても、良いとは思いますよ」
「そう?」
「お嬢様のような立場ですと、くちさがないお言葉を言われることもあるかもしれません。それでもお嬢様がご自分を見失われない限りは、時間が解決してくれますよ」
そうかなぁ……今無理をして解決しなくても良いのかしら……。
ちょっともやもやする。だって五年後の事を考えても、どうしたって私とイレール殿下の年齢差は縮まないじゃない? 結局年下の殿下と婚約している限り、そういった偏見は付きまとう気がするわ。
何か良い手は無いかしら。
男性……男性ね……
ちらっと、ヴァーノンの姿が思い浮かぶ。
可能性としてはとても低いけど……もし懇親会に彼が参加していたら。
黒い髪をきっちりと固めて、タキシードを着て。私に手を差しのべて、獣のように細いあの金の瞳に私を映す。
誘われたら、きっと私、踊ってしまうわね。
ヴァーノンとのダンスを想像する。あぁ、駄目だわ。あの瞳に見つめられてしまうと、ステップが疎かになってしまうかもしれない。うっかりヒールで彼の足を踏んでしまっては申し訳がたたないわ。
あの黒い髪と金の瞳に釣り合うようなドレスはいったいどんなドレスかしら。黒を基調に金を差し色にしても素敵だし、淡いイエローのドレスでも素敵でしょうね。
「お嬢様」
一度くらい、踊れる機会があるといいのだけれど……あんまりパーティーには出られていない様子だし、懇親会になんてたぶんあり得ないでしょうね。騎士とはいえ身分が低いようだし……
「お嬢様」
あ、でも殿下の護衛役兼指南役として取り立てていただいたということだから、もしかしたら懇親会にも来るかもしれない?
淡い期待かなぁ……期待するだけ損かしら。でも、もし踊るなら、ヴァーノンがいいなぁ……
「……お嬢様!」
「はいっ」
え、何? 私何かした?
「上の空でしたが、何か他に心配事でも?」
「い、いいえ? 特には」
「そうですか。それなら良いのですけど」
私はティーカップを傾ける。
危ない、危ない。もし思考が駄々漏れしてたらかなり恥ずかしいわ。
すました顔でお茶を頂いた。甘酸っぱい。胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
「そういえばお嬢様。旦那様から言伝てを預かっておりました」
「お父様から?」
なんだろう? もしかして噂が知られてしまった? 一年も何も言わなかったのに、このタイミングで?
「三日後、王宮にお茶をしに行きなさいとのことです。イレール殿下からのお誘いとのことですよ」
「まぁ、殿下の?」
あら、珍しい。
まだ前のお茶会から半月しか経っていないのに。それに殿下からのお誘いなんて、いつぶりかしら。いつもは私からアポイントを取りに行くのに。
「何かあったのかしら」
「さぁ……それはお会いしてみないことには」
そうよね。
でも殿下とお話しできるのは嬉しいから、問題ないわ。
あ、殿下と言えば……
「マリエル、クラヴェリ家のパーティーに着たドレスがあるでしょう? 殿下が見たがっていたから、お手入れしておいてくれる?」
「あら、そういうことは早めにおっしゃってくださいな」
「ごめんなさい。……できる?」
「ムーリエ公爵家の使用人として、これしきのことできなくてどうします」
くすりとマリエルが笑う。わー、頼もしいー。
ドレスはマリエルに任せて大丈夫ね。それと……
私はティーカップを置くと、先程書いたばかりの手紙を折り畳んで封筒にしまった。
ええっと、蜜蝋は……
「はい、お嬢様」
「ありがとう」
もー、マリエルったら優秀! 私が引き出しから出し忘れてた蜜蝋を取ってきてくれたのね!
ついでに燭台に灯をともしてくれたので、遠慮なく蜜蝋を溶かさせてもらった。
これで、封をして……っと。
「マリエル、これもお願いしていい?」
「かしこまりました。パトリック様宛でよろしかったですか?」
「ええ。お願い」
「かしこまりました」
マリエルは一礼すると、部屋を出ていった。たぶん、誰かに手紙を届けるように伝えてくるんでしょうね。
私はペンからインクを拭き取ると、インクの瓶に蓋をして、余った便箋と一緒に、デスクの引き出しにしまった。
落ち着くと、またソファに座って、また一口お茶を飲む。
甘酸っぱい味が染み渡った。