5.憧れのいたずら
花の乙女にフラれた腹いせに特殊性癖者として噂を広めるとか、これ、普通に怒ってもいいわよね?
「私がイレール殿下と婚約するという取り決めが成されたのは、殿下がお生まれになってすぐです。婚約の発表は去年の私の社交界デビューと共に公表されました。子供は確かに好きだけれど、あどけない子供にきつく当たるのが常識とでも思うのかしら?」
思わず愚痴愚痴と本音がこぼれる。
まったく……私を小児性愛者に仕立てるなんて、たちが悪いにもほどがあるわ。
コツコツコツと日傘の尖端で床を叩く。腹が立つわ。
ほんと、この馬鹿の顔に落書きしてやりたいくらいに。私の手にペンがあれば、パトリックの絵画に髭でも描いてやったのに!
そんな私の内心など露知らず、ヴァーノンが言う。
「安心した。これでも一応、殿下の護衛をしているからな。婚約者とはいえ、無体を働くような奴だったらどう対処するべきか、頭を悩ませていた」
「まぁ、鵜呑みするなんて。私をなんだと思ったのよ。これでも貴族なんだから、常識はきちんとあります」
ヴァーノンに添えていた手をパッと離す。失礼しちゃうわ。
「もし私に恋愛が許されるなら、優しくて頼もしい、少しだけ年上の男性を選ぶわ。イレール殿下は年が離れすぎて恋愛対象にはなり得ません。弟のようなものと、先日申し上げたじゃない」
「知っている。だから、噂とはあてにならないと言ったんだ」
歩き出した私の横に並び、ヴァーノンが言う。
「機嫌を損ねてしまったのなら申し訳ない。時間があるなら是非埋め合わせをさせてくれ」
「あら、ひどく傷ついた乙女の心はそう簡単には癒せないわよ」
「何でも言うことを一つ聞こう。俺にできることなら何でも良い」
「そんなこと簡単に言って大丈夫?」
「主の婚約者だろう。禍根は残したくない」
言い切ったヴァーノンに、心の中で小さく拍手。
男前というか、こころがひろいというか。
まぁ、私も禍根は残したくないし……そうねぇ、それで手を打ってあげましょう。
ついでなので、これもイレール殿下へのお話の種にさせてもらいましょう。
「そうねぇ、私も暇だし……お茶を一緒にいかが? 美味しいお菓子のお店を教えてくださる?」
「喜んで」
ヴァーノンがすっと手を差し出した。
私はもう一度その手を取った。
女性の扱い方が上手いわね、ヴァーノンは。
回廊を出ると、とりあえず私の馬車の御者に少しお茶をしていくと伝える。ヴァーノンの話によると、歩いて行ける距離に美味しいカフェがあるらしい。
日傘を差して、二人で連れだって歩く。
うふふ、こうして歩くだけでもちょこっとだけ楽しい。
男性と一緒に街を歩くなんて、初めてだもの。胸がときめくわ。
ヴァーノンの案内で、煉瓦の道を歩く。
公園から少し歩いた所に、大通りに面したカフェがあった。
若い女性客がお店から出てくる。お店をのぞけば、内装は明るく、ドールハウスを思わせるような可愛らしい小物や置物、ぬいぐるみで飾られていた。
「ここは?」
「女性に人気のカフェらしい」
確かに女性客が多いわねぇ。
ヴァーノンにエスコートされて店内に入る。
席に案内されて、メニューを見た。うーん、ありきたり。パッと目を引くメニューはないわねぇ。
「おすすめは?」
「ふむ……ローズ嬢はよくクリームのケーキを選ぶ」
「あら、ローズちゃんと一緒によく来るの?」
「休みの時に兄の様子を見に行くと、よくローズ嬢の子守を頼まれるんだ」
ローズちゃんはクラヴェリ家最年少のご令嬢。さっきの回廊で、人物画の一番最初に出てきた少女。たまのお茶会に、ひょっこりとやって来ては私の膝に乗ってくる。可愛いお人形さんみたいな子なのよね。
久しぶりに会いに行こうかしら。パトリックの馬鹿をこらしめるついでに。
それからふと思う。
「ローズちゃんと二人だけで?」
「そうだが。護衛を連れてくるだけ無駄だからな」
「……」
おーっと、これは。
一言、一言だけ言わせてほしい。
「あなたも十分、ロリコンに見えるわよ」
「は?」
「私が殿下を連れてお話しするだけでショタコン扱いされるなら、ローズちゃんと二人だけでデートしているあなたはロリコンよ」
「……先程の仕返しか」
「いいえー、気づいたことを言ったまでです」
頬杖をついて、にっこりと微笑んでやる。
じとっとヴァーノンが見てきた。私はニコニコ。
ヴァーノンははぁ……と深くため息をつくと手を上げてウェイターを呼ぶ。
「さっさと頼め」
「そうね。それじゃローズちゃんがよく頼む奴をお願い」
ヴァーノンがさくっと注文を済ます。
クリームのケーキと、アールグレイの紅茶を二杯。
注文したメニューが来るまで暇ねぇ。
ふと窓の外を見れば、いろんな人が歩いている。
男の人は一人で歩いている人が多いけど、女の人はやたらとパートナーと一緒ねぇ。夫婦なのか恋人なのか……羨ましいかぎりだわ。
私はきっとああやって恋人と連れだって歩くことは無いのでしょうね。大人になった殿下と一緒に歩いても、恋人としては見らるのも五分五分かしら……見た目がかなり違うから、姉と弟には見られるのも微妙ねぇ……。
それこそ今歩いていれば、親子に間違われる可能性の方が高いわねぇ。
そんなことをつらつらと思っていると、ヴァーノンが話しかけてきた。
「何を見ている?」
「外。恋人同士が多いなぁって」
つられたようにヴァーノンが外を見た。
「……そう、だな」
「もし私が恋愛するなら、どんな人を好きになるのかしらとちょっと物色してるの」
「物色とは。もう少し言葉を選べ」
「ふふ、どうせ恋愛なんてすることないからそれでいいのよ」
それくらいいじゃない。道行く人を頭の中で私の隣に立たせたって。
「……殿下が大人になる頃は、私はとっくに適齢期を過ぎてる。子供は産めるでしょうけど、甘ったるい恋人ごっこはできないのでしょうねぇ」
「あぁ……」
私の言いたいことが分かったのか、ヴァーノンが目を細めた。
それからふと思い付いたように、意地悪そうな笑みを浮かべる。え、何。何その悪い顔。
「恋人ごっこか。それを言うならこの状況そのものも恋人らしく見えるのではないか?」
えっ?
恋人っ?
慌てて周りを見てみる。
回りは女性客だらけ。時折男性客もいるけれど、そういう人は決まって同じテーブルに女性が一人だけ……。
私は自分のテーブルを見てみる。私とヴァーノン。ヴァーノンが何歳かは知らないけれど、そんなに年は離れていないと思う。
「ローズ嬢の子守をデートというのなら、俺とのこれもデートだろう?」
「なっ、なっ」
年頃の男女が二人で同じテーブルに。
私がさっきヴァーノンを冷やかした言葉で、今度は私が追い詰められてるっ。
ちょ、待って、待って、ほっぺに血が集まってきてる、熱いっ。
ウェイターがちょうどメニューを運んできた。クリームケーキ。
ヴァーノンはにやりと笑って、プレートについていたフォークを取り上げた。
それからそっと一口サイズにケーキを切り分ける。
「そら、あーん」
へ?
あーん?
あーん、って!?
「なっ、なっ」
「猫か」
ケーキを口に放り込まれる。反射的に口を閉じる。
白いクリームの甘いミルクの味がふんわりと口に広がる。
私の口からフォークを抜き取ると、ヴァーノンが残ったクリームを口に含んだ。もちろん、フォークの。
「~っ!!?」
「はは、冗談だ。からかっただけだ。そう怒るな」
「じょ、冗談にしてもたちが悪いわよ!?」
「ローズ嬢のように膝にのせて食わせた方が良かったか?」
だ、誰を膝の上にのせるの!? あっ、私!?
「ご、ご遠慮しますっ」
くくっとヴァーノンが喉をならす。
私は真っ赤になってフォークを取り上げた。
「もう、こんなこと女性にするなんて……勘違いされても知らないわよ」
「大丈夫だ。今までローズ嬢にしかやったことがない」
それもどうかと思うけれど! というか私の扱いローズちゃんと一緒!?
フォークは置いて紅茶を一口。
落ち着け、落ち着くのです私。
これはたちの悪いヴァーノンの冗談、私の嫌味に対するやり返しなのです。あぁもう、これじゃきりがないじゃない。
というかこんなに心臓に悪いやり返しをされるのはごめんだわ! いくつ心臓があっても足りやしない! ドキドキで弾けそうよ!
「……ヴァーノンって、意地悪なのね」
「意地が悪いのはそちらではないのか」
うぐっ……こっちがやるからやり返すタイプなのね。分かった、分かったわ。
私ははぁ……とため息をついた。ケーキのかけらをぱくんと食べる。甘くて美味しい。スポンジにシロップにつけたフルーツがはさんであるのね。酸味もあって、くどくない。
でもなんか、私の胸はお砂糖を煮詰めたくらいに甘ったるい。なんか、胸焼けしそう。
もう一口、お紅茶。アールグレイの、すっきりとした味がすっと甘ったるいお砂糖を流してくれた。
あー、もー、ヴァーノンがおかしな事言って、おかしな事するから……
私に恋人ができるとか、悪い冗談でしかありえないでしょう。
でも……
ちらりとケーキから視線をあげる。愉快そうにこちらを見ている金の瞳とかち合う。私は慌てて視線を下ろす。
でもちょっと、恋人気分を味わえたのは、ヴァーノンに感謝してもいいかも。