騎士と猫のような妖精4
殿下に剣の手解きをし初めて分かったことだが、殿下の中に占めるアンリエット嬢の存在はかなり大きかった。
普段は王子らしく、幼いながらも適切な行動を心がけているようだが、アンリエット嬢の話題が出るだけで年相応……いや、それよりも幼くなるように見えた。
例えば剣の稽古をする際、まだ幼い体に鞭打つように鍛練を科すが、その際にアンリエット嬢の話をするとかなりやる気を出す。集中力はやはり欠けるが、小さな体を奮い立たせる、己の限界を超えさせるにはかなり有効な手だ。
「殿下、あと一周だ」
「は、はひぃ……っ」
人もまばらな訓練場。場所の確保のために青雲の騎士達が使う訓練場の使用許可をセザール様に申請した。その際に「扱き過ぎるなよ」と苦笑されたが、俺に師事させる以上、手は抜かないとこの任に着いたとき宣言していたので何も言わず、笑って流しておいた。
他の騎士に混じって殿下が走っているのを見守っていると、普段は殺伐とした騎士達の様子が少しだけ和やかなものだと気づく。
「殿下、頑張れ~」
「ヴァーノンの鬼修行終わったらお菓子やるぞ」
「殿下、ほら、愛しのお姉さまのために頑張りましょうね」
「お、ねえ、さま!」
息を切らして走る速度を落としていた殿下の足に力が籠るが、そろそろ限界か。殿下の足にそろえて並走していた騎士達の叱咤で誤魔化すのもここまで。
俺はちらと自分の目の前の奴を見た。青雲騎士の新人の一人だ。稽古をつけてくれと頼まれたので、殿下を走らせていた間軽く相手をしていた。
「はぁぁぁっ!」
気合いのもと、訓練用の木剣を振り落としてくる。腕の力だけでそれを打ち払うと相手は体勢を崩す。ぶんっと振って相手の目の前に突きつけた。
「腕で踏み込むな。力技で来るなら体重をかけろ。ただし青雲は対人が専門になる故、力技でやる必要もないがな」
「う……」
「打ち込む位置の目測が甘い。硬直状態は避けろ。動けずに横から狙われたらたまらん」
「はい!」
相手はさっと立ち上がると、一礼する。
「ありがとうございました!」
元気に挨拶をした新人にこちらも軽く礼をして、殿下の方へと寄る。
「休憩だ。足は止めるな。あと一周、歩いて呼吸を整える」
「ふぁ、ふぁい……」
ふらふらと歩く殿下を見て、回りを囲っていた騎士達が口々に訴えてくる。
「ヴァーノンせんぱーい、やりすぎじゃないですかー?」
「殿下にこの量の走り込みはキツいって」
「お前たちはたるみすぎだ」
本気で鍛練をしている風に見えない同僚達に眉をしかめる。無駄口を叩く前に鍛練をするべきだろう。
忠告しようにも、殿下に付きまとっているこの同僚たちはたぶん聞かないだろうが……
青雲騎士団は王族や貴賓客などの護衛や、王城や神殿などの警護が基本的な任務になる。腕が立つのはもちろん、ほぼ貴族から構成されるため上品な者達が多く、鍛練も白陽騎士団ほどの死に物狂いのレベルでは決して行われない。俺が殿下に科しているこの鍛練メニューは、彼らにとって好ましくないのだろう。
「も……っ、むり、です……っ」
指示通り一周歩いたところでぺたりと殿下が座り込む。いつの間にか殿下のそばから離れていた同僚の一人が、水とタオルを持ってきて殿下に差し出した。
「ゆっくりどうぞ」
丁寧な物腰で殿下に水を飲ませる同僚の横で、カルヴィンがこちらへと視線を向けてくる。
「まだ殿下は十歳だ。さすがにこのメニューはキツすぎないか?」
「お前達が剣を持っている殿下にアンリエット嬢の話をしないでくれるなら考える」
「どういうことだ?」
「……素振りをしていた殿下にアンリエット嬢の話を振ったとき、集中力が欠けていたからかは知らないが、腕から木剣が抜けた」
「そりゃ危ねぇな」
事件が起きたのはたった数日前だ。先日偶然アンリエット嬢と会った話をしたら、素振りをしていた殿下の手から木剣が飛んでいった。アンリエット嬢の話を辞めればいいが、場所の確保のためにここに訓練場に通っている以上、他の騎士たちも話題に出してしまう。それらを聞き流せるくらいになるまでは、走り込みや基礎トレーニングをしていただくことにしたのだ。
「危ないですが、まだ十歳だと握力もそんなに無いでしょう。仕方ないのでは?」
「剣を握り込めないなら、持たせられない」
殿下に水を飲ませているジルダの言葉には苦笑で返しておく。
「殿下、足失礼しますね~」
殿下を囲っていた最後の一人、比較的殿下と年の近いマテューがへたりこんだ殿下の足をマッサージし始める。
「お前達……殿下を甘やかすな。鍛練にならないだろう」
「ヴァーノンの鬼畜訓練に耐えられるよう世話してやってんだろ? パトリックから聞いたぞ、お前、あいつをしごいていたとき相当無茶ぶりを押し付けていたらしいな?」
「殿下は前線で戦うわけじゃないから、あんまり厳しくする必要はないと思いますよ? それに、王族ですから我らに守られる側じゃないですか」
カルヴィンとジルダの言葉には一理ある。それは分かっているが……
「セザール様の指示だ」
今の俺にはそれしか言えない。
セザール様は回りくどいが、俺に出世をさせるために今の役職を与えたと言っているので無視することはできない。
本来なら今頃、白陽で魔獣退治をしていたはずだが……セザール様による抜擢のために青雲への異動となった。
なぜかといえば、俺とセザール様が白陽騎士団にいたとき、あまり強い魔獣が出没することはなく大きな手柄は立てられなかったからだ。近年魔獣狩りが進み、危険な魔獣が減っているのもあってか、大きな手柄にはなりにくいとセザール様は見切りをつけた。
セザール様はどうしても俺を懐にいれるべく、それなりの地位を確立させようとしてくる。この第三王子の護衛兼指南役というのは、王太子であるセザール様が俺を目にかけているというアピール、能力的な面の実力を偉い方々に示す場、それと第三王子自身の能力向上を見込んでの一石で二鳥どころか三鳥を狙うつもりのセザール様の案だった。
別に俺は出世さたい訳ではないが、仮にも王太子の命令だ。逆らえるわけもない。
「セザール様に期待されてるな」
「変わってほしいなら変わるぞ」
「俺が変わったら、お前みたいな回り道は必要なくなるな」
「むしろ俺を取り立てるよりも有意義な時間が与えられるんじゃないか? 出世すれば執務時間も増えるだろう。鍛練の足りてない体にはちょうど良いのでは?」
「書類仕事は嫌いだから万が一にも遠慮する」
カルヴィンにちらと視線を向けると、彼は大仰に肩をすくめて見せた。
俺がこんな回りくどいことをさせられているのは家が没落したために爵位を失ったからだ。カルヴィンの家柄なら俺みたいなことをしなくともとんとん拍子に出世できるだろう。軽口を言い合えるのは、互いに気のおけない友人だからだ。
「殿下、もう痛いところは無いですかー?」
「はい! だいじょうぶです!」
間延びしたマテューの声に、殿下が元気よく返事を返している。汗も引いたな。
「殿下、休憩が終わったら組手の型を教える」
「はい!」
一人前の返事。
アンリエット嬢のことさえなければ、殿下は齢十歳に見合わないほど大人びてさえいるのに……殿下が彼女に対してだけは年相応になるのを喜ぶべきか、嘆くべきか分からない。
「そうだ、ヴァーノン!」
「なんだ」
場所を移動すべく歩き出すと、殿下が俺の後ろを着いてきながら声をかけてくる。
「四日後、ほかの先生たちのじゅぎょうがお休みです。お姉さまとお会いしたいので、その日の鍛練、お休みでもいいですか?」
四日後?
また急な話だな。他の教師達が休みをとっているという話は聞いていないが……
にこにこと無邪気に笑う殿下。俺の記憶と食い違いがあるようだから、予定を確認してからじゃないと返事はできない。
答えにたっぷり三拍ほど要すると、まだまとわりついていたカルヴィンが囃し立ててくる。
「殿下もすみにおけねぇな。アンリエット嬢との逢瀬ぐらい都合つけてやれよ」
「俺の受け持っている剣術指南の時間はともかく、他の教師には確認をせねばならない。警備も動かさないとならんからな」
アンリエット嬢を招くなら、警備を来客用の体制に変えねばならない。動員する人数が増えるので、四日前に知らされると連絡を回すのも難しい。前回のアンリエット嬢の来訪でそれがよく分かったからな。
今までは専任の護衛がいなかったと聞く。今回、俺が抜擢されたことによってその辺りの指示もまた、俺の能力として見られるから手を抜けられない。……ちっ、セザール様には文句を幾つ言っても足りないな。
「殿下頑張ってらっしゃるじゃねぇか。たまの我が儘くらい、聞いてやれ」
「分かっている。だが、こう唐突だとできるはずの準備もできない」
「それをやるのがお前の仕事だろ」
他人事だと思っているな?
目を細めて睨み付けてやる。カルヴィンはにやにやと笑い続けるので不快だ。暇なときにでも訓練に誘って叩きのめしてやろう。
いや、待て。
「……カルヴィン、確かお前、三日後に飲みに行こうと昨日誘ってきたな」
「おう。久々に潰れるまで飲もうかと思ってるから、是非とも介護してくれる奴がほしい」
カルヴィンの趣味は町に降りて酒を飲むことだ。貴族という立場を伏せて、時々豪快に酒を煽りたくなるらしい。
その飲み会の誘いを、昨日の今頃の時間に受けたことを思い出した。
最初から泥酔する気で飲む奴の気がしれんが……だがしかし潰れるまで飲むつもりなら、こいつは翌日非番だということだな?
カルヴィンが酒に誘うときは大概翌日が彼の非番日だ。今回もそうだろう。
俺は口の端を不敵に釣り上げてやった。
「……その日の飲みは、翌日に響かない程度にしておけ」
喜べ、休日出勤を命じてやろう。
殿下の我が儘に、お前も付き合え。




