第006話 対象不備03
浜辺で転生者を拾ってから6年の月日が流れたが彼の記憶が戻る兆候は一切ない。彼に関してわかったことは転生特典をなにひとつ得ていないということくらいだった。
いつ記憶が戻るかわからなかったので行く宛てのなかった彼にアルと名を与えて監視目的で屋敷に住まわせることにしたが、それに関してユールがなにかと絡んできた。どうやら彼は、あの日見せた泣き崩れる演技から私が彼に惚れていながら身を引いたのだと自分本位な勘違いしたらしい。こんなことになるなら泣いて見せるんじゃなかったと後悔したが、完全に後の祭りだった。
それがどうにか終息したのは、彼が婚約者のエリナに押し切られて婚前交渉したことで子をなしたからだった。それからは私に合わせる顔がなくなったとばかりに私を避けるようになった。
その代わりに最近になって溌剌とした育ち盛りな彼の娘ユウナが私の屋敷の庭先にちょこちょこと顔を見せるようになり、今日も彼女は私たちの元を訪れていた。
「エルちゃん、こんにちわ」
「こんにちは、ユウナ」
「アルくんもこんにちわ」
「こんにちは」
転生特典で言語を習得していなかった彼も今では不自由なく共通言語使いこなせるようになっていた。
「ねぇ、エルちゃん。きいてきいて」
「なぁに?」
「えっとね。ユウナね。もうすぐエルちゃんとおんなじになるんだよ」
「そうなの?」
「うん。エルちゃんのアルくんがうまれるの」
「そう、ユウナもお姉ちゃんになるのね」
「うん。それでね。ユウナもエルちゃんになれるかな?」
「なれるよ、きっと」
「やったぁ。ユウナがんばるね」
「がんばってね」
「うん。じゃあ、バイバイ」
「もう帰るの?」
「うん。ママにいつうまれるかききにいくの」
「そっか。じゃあ、バイバイ」
「うん」
言いたいことを言い終えたユウナは駆け出して行く。
「相変わらず嵐みたいな子ですね」
「そうね」
「エルさんもちいさい頃は、あんな感じだったんですか?」
「気になる?」
「他称、弟としてはそうですね」
「不満?」
「あ、そういうことじゃないです。むしろ光栄ですよ。命の恩人である貴女の弟なんですから」
「そう畏まられると家族としては距離を感じちゃうよ」
「すいません」
「ごめん。ね?」
「あ、はい。ごめん、エルさん」
口元に手を当て、くすりと笑う。
「きっと本当に弟がいたらアルみたいな子だったんだろうね」
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「なにかな?」
「なんでアルだったんでしょうか?」
「話したことなかったけ?」
と言って私は改めて笑う。すると彼は戸惑ったように尋ねる。
「何か変なことを聞きましたか?」
「ううん、そうじゃないの。昔ね、私も似たようなことをパパに聞いたことがあったんだ。そのときパパがね、言ったの。もし、私が男の子だったらアルって名付けてたんだって」
別に笑うような内容じゃなかっただけにアルは少し複雑そうな顔をしてしていた。
「だからね。弟がいたらきっとアルって名前だったと思うんだ。なんだかごめんね、勝手に弟にしちゃって」
「いえ、ありがとうございます」
「変な答えね」
そう言ってふたりで顔を見合わせて笑った。
そんないつもと変わらない穏やかな日の夕刻、5年程前に屋敷の裏手につくった菜園の世話を終えて日課に出かける。時折吹き付ける潮風の匂いに導かれるように岬へと至ったときには、すっかり日が暮れてしまっていた。
「ごめんね、パパ、ママ。今日は少し遅刻しちゃったかな?」
両親の眠る墓標へと花を供える。
「なんだかさ、私だけずるいよね」
そこまでひとりごちてやめる。これ以上感傷に浸ったら本来の私に戻れなくなってしまいそうだった。
今ではここと屋敷との行き帰りだけが数少ないひとりの時間となってしまったからかどうしても両親の墓前では弱気になってしまう。そんな気持ちを追い払うように大きく首を左右に振ってから立ち上がり、しばらく立ち尽くして水平線を眺めていた。
夜を映して暗く淀んだ海面へと視線を落とし、吸い込まれそうな眩暈を覚えて海へと惹きつけられるようにして岬の縁へと足を踏み出す。さらに一歩踏み出したところで強く後ろへと引き寄せられた。
「どうしたの?」
背後を振り向くことなく尋ねる。
「どうしたのじゃないですよ」
「怒ってる?」
「怒ってます」
アルは後ろからぎゅっと強く私を抱きしめる。
「大丈夫だよ」
「大丈夫だとは思えません」
「アルが生きているうちは私はどこにも行ったりしないから大丈夫だよ」
「なぜそんな言い方をするんです」
「私は、いつだってこうだったでしょ?」
「否定はしません。否定はしませんが」
「納得は出来ない?」
「はい。エルさんはボクの命の恩人なんです。だからボクの分も幸せになってもらいたいんです」
「充分幸せだよ」
「もっとですよ」
「それは欲張りだよ」
「どうしたら欲張ってもらえるんですか」
感情的な彼の声には涙が滲んでいた。
「泣かないで」
「泣きたくもなります」
「正直だね、アルは」
「ボクではエルさんの家族にはなれませんか?」
「もうずっと前から家族だと思ってるよ」
「ずるいですよ」
「ごめんね。でも、これ以上はアルにあげられるものないから」
「もう充分貰ってます。だから、これからはボクが」
「ねぇ、アル」
「はい」
「アルがここで暮らすようになって、もう6年だよね。それならさ、噂くらい聞いたことあるんじゃない? 私のこと」
「はい」
「誤魔化さないんだね」
「必要ありませんから」
「そっか」
「ボクを家族にしてもらえませんか?」
「アルに新しい家族はつくってあげられないよ?」
「構いません」
「そっか。うん、そっか」
しばし言葉をなくして呼吸が乱れたのを整えてから彼の腕の中から抜け出て、くるりと彼の方を向き直る。
「わかった。いいよ」
答えてから一拍置き、二の句を継ごうと口を開きかけていると彼は私の口をふさぐように唇を重ねてきた。私はされるがままそれを受け入れ、長い口付けを交わした。
唇を離されてから無言のまま見つめ合っているとなんだかくすぐったくなってしまって、くすくすと笑ってしまった。
「ごめんね」
「なにか間違ってましたか?」
「まさか両親の墓前でこんなことしてくるとは思ってなくて」
私の言葉を聞いて彼は「あっ」と今更のようにここがどこであるかを思い出して平謝りしてきた。
「謝るようなことしたの?」
「それは……」
判断に困ってしまったらしい。
「私、怒ってる?」
「いえ」
「じゃ、わかるよね」
「はい」
「ダメなら始めからこんなことさせないよ。アルは私のこともっとわかってると思ってたんだけど、そうでもなかったのかな」
「うっ」
「意地悪だったね。それじゃ、帰ろっか」
右手を差し出すと彼は迷うことなく、手を繋いでくれた。