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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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7.言葉と文字と

「ふう……」


 溜息をつくわたしの足もとで、アンベルが長々と伸びをしてぼやいた。


《まったく、ひどい目にあった》

《あら、そう? けっこう気持ちよさそうだったけど》

《……まるきり否定するわけではないが、主よ。やはりわれは子供は苦手だ》


 そう言いながらも、アンベルはどこか楽しそうに見える。

 子供相手だと威厳を保てず、ただの猫みたいにふるまってしまうのが嫌だとか、そんなところなんだろうか。気にせず楽しめばいいのに。


《ところで主よ、ひと段落ついたことだし、言いつかっていた買い物に出かけようと思うのだが》

《お願いするわ。下着一式と庶民の普段着っぽいのと、あれば〈塔〉のローブに見えそうなやつ。それくらいを揃えられたらいいんじゃないかって思ってるんだけど》

《妥当なところだな。ところで正直、盗んできたほうが仕事は早く終わるが》

《それはやめて。犯罪に魔法を使ったことがばれたら、わたしが〈塔〉からお咎めを受けちゃう》

《古着であっても、まともに買い物するとなると、けっこう貯えが減るぞ》

《……仕方ないわよ。あ、でも、必要経費として〈塔〉に請求しようかなって》

《なるほどなるほど。ならばしっかりと書類を書きあげることだ。面倒がらずにな》


 う……痛いところを突いてくるなあ。

 わたしはどうも、こういった事務処理のための書類作成が苦手で、ついつい後回しにしてしまう。よくない癖だとは思っている。文章を書くこと自体は嫌いではないのだから、ちょっと頑張ればすぐに片づけられそうなものなのに。


《われが出かけている間、さらなる聞き取りを行うのだろうが、この件に関しては、報告書をさっさと仕上げることに注力すべきであろうな。あやつの件はなるべく早く〈塔〉に委ねてしまったほうがよかろう》

《そうね……》


 アンベルの言うとおりだ。ルシアンには謎が多い。わたしがあれこれ推測するよりも、〈塔〉でこういった事柄を専門的に取り扱っている者の手に委ねてしまったほうがいい。


 わたしは部屋の奥に向かい、寝台の脇にある長持を開ける。さっき、ローブを取り出したのと同じ長持だ。大切なものはだいたいこの中にしまってある。そう、金貨を蓄えた袋もこの中に入れてあるのだ。

 金貨の袋を開けて、中から五枚ばかり金貨を取り出す。気づくとわたしの真横に、いつの間にかアンベルがちょこんと座りこんでいた。


《これでいいかしら?》


 金貨を示すと、猫は人がましい動作を見せて、前足で受け取った。猫の前足に乗せられた金貨は、まるで存在していなかったかのように、ふっと空中にかき消える。


《……いつ見ても、なんか不安になるわね。その受け取り方》

《なんの。ちょっと『しまい込んだ』だけよ。望むときにいつでも取り出せることは、もうよく知っているだろうに》

《わかってはいるんだけど》

《ならばあまり気にするでない。金はしかと預かった。われは出かけるとしよう》


 そう言い残すと、猫の姿もまた、一瞬にして空中に消え失せた。

 空間転移を行ったのだ。人ならぬ身である使い魔は、ああいった魔法を実に巧みに使いこなす。


 金貨の袋をふたたび長持にしまうと、わたしは部屋の中央に視線を向けた。

 ルシアンは相変わらず食卓の前に腰をおろしている。


「ごめんなさいね。インガのこと。びっくりしたんじゃない?」


 わたしは食卓に歩み寄ると、ルシアンと向かい合う形で椅子に腰かけた。


「そうですね。たしかにびっくりしましたが……でも、楽しかったです」

「そう?」

「ええ。何というか、気持のよい方でしたね」


 そう言ってもらえて、なんだかとてもほっとした。

 インガは思ったことをわりとそのまま口にする。致命的に気まずくなるようなことを言ったりはまずしないけれど、初対面ならびっくりする人だって少なくないはずだ。


「だったらよかった。わたしはちょっとどきどきしてしまったのだけど。それと、ごめんなさい。何の打ち合わせもなく、いろいろ嘘をつくというか、ごまかすというか、そんなことをしてしまって」

「いいえ、それって普通のことでしょう。ぼくのような変なものが突然現れて、困ってるだろうし」

「ええ、それはそうなんだけど」


 ああ、この人、ほんとうに記憶がないだけなんだ。

 自分自身のことや、こちら側の世界の常識、そういった事柄をまるで知らないから、もしかしたらこの世に生まれ出たばかりの力ある存在なのかとも疑っていた。

 けれども、それはたぶん違う。

 彼はわたしのでまかせに合わせて、目の前で起きている事態をごまかすことができた。それは彼が他者とのつき合いというものを心得ているからなのではないか。


「それと、あなたは、えっと、アルヴィラさんとおっしゃるんですね」


 ルシアンはそう言って、ふんわりとやわらかく笑いかけてきた。


「あ……」


 言われてみて気づいた。

 そうか。わたし、今まで彼にきちんと名乗っていなかった。

 思わず顔が赤らむ。

 相手のことをさんざん探り出そうとしておきながら、自分は名前を明かさない。なんて失礼な真似をしてしまったんだろう。


「ごめんなさい。わたし、ちゃんと名乗ってなかった」

「ええ、でも、仕方ないです。そういう雰囲気でもなかったですし」

「いいえ、ほんとうにごめんなさい。改めて名乗らせてもらうわ。わたしはアルヴィラ、ヴィルゲン島のエイリークの娘で、シフェラーンの〈塔〉の賢者です」


 わたしの名乗りに、ルシアンはにこりと笑みを返した。


「これでようやく、ぼくもあなたに名前で呼びかけることができます。あなたの肩書の意味もわかるといいのですが」

「あ……」


 そうか。

 彼はこちら側の事情に通じていない。土地の名前や人の役職、そういったものは彼にとってはよくわからないものなのだろう。


「あのね、ちょっといろいろと、お話、聞いてもいい?」

「なんでしょう?」

「あなたが何を知っていて、何を知らないか。それを探ってみたいの。あなたが何者で、これからどうしたらいいかを知るための手掛かりになるかもしれないから」

「あ、なるほど」

「さっきあなたは、わたしの肩書がわからないと言った。でもたとえば、そうね、『ヴィルゲン島のエイリークの娘』、この言葉の意味はわかりそう?」

「えっと……」


 ルシアンは真剣な表情で考え込む。


「ヴィルゲン島は――土地の名前、でしょうか。島は――、ああうん、わかります。海に浮かんでる土地のこと、ですね。ヴィルゲンは、その島の名前――でいいのかな」

「ええ、そのとおり」

「エイリークの娘……アルヴィラさんの親にあたるひとがエイリークという名前だということ。……えっと、こんな感じでいいんでしょうか」

「ええ、ありがとう。望んでいたとおりの答え方よ。あなたは、島、とか、娘、とか、そういった言葉の意味はわかる。そう考えていいのね」

「あ……はい。そうです」

「変なことを尋ねてしまってごめんなさい。ただ、あなたにとってあたり前なことと、わたしにとってあたり前なことが、どの程度まで同じなのかわからないから」


 ふと、ひらめいたことがあった。


「そういえば、わたしたちはどの言葉(・・・・)でやりとりをしているのかしら? つまり何語で、ということなのだけど」

「えっと、どういうことでしょう?」

「人間は、住んでいる地域なんかによって、いろいろ違う言葉をしゃべっていたりするものなの。あなたとわたし、こうやってやりとりできているわけだけど、あなたのしゃべっている言葉はどの言葉なのだろうって。わたしの耳にはあなたの言葉は大陸共通語として聞こえている。けれどもそれはそう『聞こえている』と感じているだけで、ほんとうはあなたは違う言葉でしゃべっているのかもしれない」


 あちら側のものと『言葉』を交わすとき、わたしは思念でその『言葉』を理解して、こちらからも思念を送り返している。彼との『会話』もまた、実はそういった思念のやりとりである可能性がある。

 言葉と言葉で会話しているように感じているのは錯覚に過ぎない。実際に行われているのは、思念のやりとりなのだが、互いに自分の言語として認識し、処理している。

 あちら側の知恵ある存在は無意識に近い形でこういった魔法を使うことがあると言われているが、今わたしが遭遇しているのは、まさにそういった現象なのではないだろうか。


「ええと?」


 ルシアンは困ったような表情を浮かべ、首をかしげた。


「ごめんなさい。ややこしいことを言っちゃったわね」


 わからなくても無理はない。自分でも面倒な話をしていることはよく自覚している。

 賢者の悪い癖かもしれない。実際に役立つか否かを差し置いて、物事の原理が知りたくなってしまうのは。

 そもそも、実際問題としては、言葉が通じる――正確には、意思の疎通が可能である――状態であれば、特に問題視する必要はないのだ。ただ問題があるとすれば――


 問題があるとすれば、こういった日常会話ではなく、文字で書かれた文章に接する場合だ。

 書かれた文章を目にしたときに、それが自動的に翻訳されて、意味あるものとして理解できる。それはちょっと無理だろう。文章として書かれたものは、用いられている言語を知らなければ理解できないもののはずだ。

 いや、書かれたものを勝手に翻訳して理解する、そんな魔法がかつて存在していたという説もある。けれども実際には、そういった魔法は現存していないはずだ。少なくとも今の時代において、まともに運用できる形では存在していない。

 そう、存在は示唆されているものの、今のわたしたちには意図して使うことのできない技術なのだ。


「あなた、文字は読めるのかしら?」

「文字――ですか?」

「ええ」

「文字は――うーん、たぶん、読めるんじゃないでしょうか。ものを読むのはわりと好きだったような気がします」

「なるほど。なら、試してみたいことがあるの。ちょっと待っててもらえる?」


 わたしは書物机の隣にある書棚へと向かい、目当ての巻物を探す。そして棚から三巻の巻物を選び出して、ルシアンのところに戻った。


「ちょっとこれを見てもらいたいの」


 そう言って、わたしは巻物をルシアンの前に差し出した。


「この中に、あなたの読めるものはあるかしら?」


 巻物はそれぞれ違う言葉で書かれている。

 広く一般に用いられている大陸共通語、魔法の詠唱や記述に使用され、魔法言語とも呼ばれている古ケルサス語、そして、この地方の古語であり、例の遺跡の碑文にも使われていた、古代北方語。

 通説では、あちら側の存在が使用している言葉は古ケルサス語だとされている。だからこそ、古ケルサス語は魔法言語として用いられているのだと。


「えっと、そうですね。これは読めます。見慣れた言葉、だと思います」


 そう言ってルシアンが指差したのは、古ケルサス語の巻物だった。


「そう。では他のは?」

「そうですね……こっちは、文字自体はどこかで見かけたことがあるような気がします。ただ、読み方がぜんぜんわかりません」


 古代北方語の巻物を指して、ルシアンは言った。


「まったく見たことがない……わけではないのです。見たことがあるけれど、ちゃんと勉強したことがない。そんな感じでしょうか」


「じゃあこれは?」


 最後の一つ、大陸共通語で書かれた巻物を指して、わたしは問いかけた。


「これは……うーん、文字自体はわかる、いいえ、わかるような気がするんです。文章も……そうですね。わかるようなわからないような。無理やり読もうとしたら読めそうなんですけど、それだとちゃんと意味が通る文章にならないような。うーん、やっぱり知らない言葉なのかな……」

「なるほどね、ありがとう」


 興味深い結果だ。

 彼は古ケルサス語ならば理解できるらしい。異界のものたちは古ケルサス語を用いているという通説は、どうやら正しいようだ。

 大陸共通語は古ケルサス語から派生した言語だと言われている。たしかに音韻をたどれば原型を推測できるし、文法も大筋では似た点が多く、文字そのものにも共通要素が多い。「わかるようでわからない」とは、そういうことなのかもしれない。

 そして古代北方語。これは前の二つとは、いささか系譜の異なる言語で、文字も独自のものを使用している。古ケルサス語との共通性が感じられる単語も存在しているが、そういった単語は古ケルサス語が流入したものなのではないかと推測されている。


 つまり。

 今、ルシアンとわたしが普通に言葉を交わしていると感じているのは、やはり錯覚だと考えたほうがいいようだ。

 わたしは現代語を話しているが、彼は古ケルサス語で――ううん、もしかしたら古ケルサス語とも違う言語を用いているのかもしれないけれども――現代の大陸共通語ではない言語で、話しているらしい。なのに無意識のうちに相手の言葉を自分の言葉に翻訳して、意思を通わせている。それがわたしたちの会話の実像のようだ。


 そしてもうひとつ。

 彼は大陸共通語を自由に読むことができない。だが、古ケルサス語ならば読める。

 こちら側の世界でのあれこれを伝達するのに、書物が使えたら便利だろうと思ったのだけど、それはちょっと難しいかもしれない。古典文学や魔法書を読んだところで、現代の常識は身につかないだろう。

 困った。

 身の回りの常識程度ならば、問題に突き当たったときにその都度説明していけばいいかもしれない。けれども、ほんとうは現代語の読み書きができたほうがずっと楽なんだけど。


「ルシアン、あのね」


 大陸共通語で書かれた巻物を手にとって、わたしは話しかける。


「今、わたしたち――このあたりの人間が使っているのは、この言葉なの。そして、あなたがわかるって言ってたものは、大昔には使われていたけれども、今は魔法を使うときくらいしか使わない、そんな言葉。あなたは古語なら読めるのに、今現在普通に使われている言葉は読み書きできない、そういう状況みたい」

「そうなんですか」

「ええ。だから、あなたは、わたしたちの言葉がわかるけれどわからない。聞くだけなら大丈夫。聞いて、話すだけなら。でも読み書きは……そうね、読める文章もないわけじゃない。けれど、それは昔の人が書き残した古い書物とか、祈祷書とか、そんなものに限られてしまう」


 説明するわたしを、ルシアンはじっと見つめていた。

 その表情になぜかわたしは息苦しさを覚える。

 静かな表情だ。

 笑ったり、とまどったりと、とかく表情が表に出る、素直でわかりやすい人だと思っていた。でも、今、彼が何を感じているのかは、ちょっと見当がつかない。


「アルヴィラさん、あなたはすごく頭がいいんだ」

「え?」

「たぶんあなたの言うとおりなんだろう。この言葉ならぼくも読める。というか、この言葉でぼくはしゃべっているつもりだったし、あなたもこの言葉でしゃべっているものだと思っていた。けれど、あなたが使っている言葉はまた別なもの――ぼくには読めなくてわからないこっちの言葉なのだと言う。そんなの、ぼくはぜんぜん気づかなかった。なのに、あなたは気づけるんだ」

「それは、わたしには基礎となる知識があるからよ。それと、そういうものの考え方をするよう、訓練を受けてきたから。頭がいい、というのとは、ちょっと違うように思うの」

「そうなのかな」

「ええ、そうよ」


 観察を行い、仮説を立て、実際に試す。そうしてもたらされた結果から推論を導き出す。

 こんなのは知識と訓練の問題だ。方法を知っていて材料が揃っていれば、誰だって同じような推測を働かせることができるはずだ。

 だからこそわたしは、村に帰ってきてからずっと、よき教師でありたいと思ってきた。無知ゆえの愚行に傷つき苦しむ人など、もう見たくないから。


「どうなんだろう。ぼくはやっぱり、あなたが賢いのだと思う。でもそれはともかくとして、アルヴィラさん、あなたにはほんとうに感謝しています」

「え?」

「ぼくはたぶん、すごく面倒をかけてしまってるでしょう? 正体不明のよそ者なんて、なんてやっかいなんだろうって自分でも思います。けれどあなたは、そんなぼくに親身になって、きちんと扱おうとしてくれている。それってすごく稀で、すごくありがたいことだ。ぼくにはちゃんとした記憶はないけれど、でも、ぼくは知っている。そういうひとは、そんなに多いわけじゃない」

「でも……」


 言葉を発しかけて、わたしは言いよどんだ。

 でもそれは、わたしにも思惑があってのことだ。感謝にあたるようなことではない。

 あなたに親切にしているというより、わたしは、わたしの住むこの島で正体不明の存在を野放しにしておきたくないだけ。あなたを自分の目の届くところに置いて、悪事を働かないよう、監視しておきたいだけなのに。


 それがわたしの本音だ。

 けれども、わたしは黙っていた。

 この無垢な青年から向けられる信頼に満ちた視線は、なんて心地よいのだろう。わざわざ落胆させるような言葉を投げかることはない。

 それに、これはひとときの縁に過ぎない。もうすぐわたしは〈塔〉に連絡を出すつもりでいる。彼はやがてここを去り、〈塔〉に引き取られるなり、故郷に戻るなりするはずだから。


「ありがとうございます。アルヴィラさん」


 わたしの名を呼び、感謝の言葉を述べる青年に、わたしはあいまいな笑みを返した。


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