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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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4.姿隠しの魔法

 この裸の青年、どうやって庵まで連れ帰ったものか。


《悩むまでもあるまい。適当に目くらましなり、姿隠しの魔法なりをかけてごまかしておけばよいではないか》


 こともなげにアンベルが言う。

 ああうん。そうよね。そのとおりなんだけど。

 そういう幻惑系の魔法、わたし、あんまり得意じゃなくて。

 というか、わたしの魔法は、心話とか異界との交信とか、そういったものに特化している。あとはせいぜい軽い癒しの技が使える程度。大地を揺るがす、とか、劫火を呼び起こす、とか、そういったわかりやすくて派手な魔法はちょっと無理だし、目くらましの腕前もかなり微妙だ。


《主が心話以外はどうにも苦手なのは承知しているが、まあ、こんな田舎だ。そうそう人に出くわすものでもない。遠めに見て違和感のない程度にごまかせれば、問題なかろうよ》

《……どうせなら、あなたに頼んだほうがいいのかしら。アンベル》


 アンベルはわたしと違って幻惑の魔法が得意だ。だからこそ、わたしにとってはいい相棒だと言える。

 だけどアンベルは軽く鼻を鳴らすと、たしなめるような口調で言った。


《苦手意識が先立ってさぼっておっては、いつまで経っても上達なぞ望めん。失敗してもたいして問題にならないような場で修練を積んでおくべきではないかね。日頃、教室の子供たちにはそう言い聞かせているだろうに》

《ええ、ええ、そのとおりね。いちいちもっともなお言葉、ありがとう》


 ほんとうにもう、こいつは。

 いちいち正論なだけに、こちらが主人とはいえ、無理に黙らせるのは気が引ける。けれど、あんな、聞き分けのない子供を諭すような物言いをしなくたっていいのに。もうちょっと手控えた言い方を選んでは……くれないのがこいつだったっけ。

 とは言え、アンベルの言うとおりではある。その言葉には素直に従おう。


「ねえ、あなた」


 わたしはすぐ横に立っている青年に声をかける。

 ああ、呼びかける名前がないのって、不便だ。すこし落ち着いたら、名前を聞き出すなり、何か呼び名をつけるなりしないと。


「こんな場所では落ち着いて話もできないし、とりあえずわたしの庵に移動したいのだけど。そのね、その格好ではちょっと……」

「この格好って?」


 きょとんとした顔で、青年は応える。


「ええと、その。あなた、何も身に着けていないでしょう。そういうのはちょっと、何と言うか、困るの」

「困る?」


 意味がわからない、といった様子で、青年は目をしばたたかせる。

 首をかしげながらわたしの姿をしげしげと眺めて、それから自分の体を見下ろす。そうやって何度かわたしと自分自身の姿を見比べた後、ようやく青年は「ああ」と頷いた。


「そうか、体を覆わないといけないんでしたっけ。そういえばそうでした」

「そうなの、裸のままではちょっと……びっくりしてしまうから」

「そういうものなんですね!」


 ……うーん。これ、どう考えるべきなんだろう。

 人前では服を着なければならないという意識は、たぶん彼にはないのだろう。けれども、人間は体を覆わなければいけないと、知らないわけでもないらしい。

 どうもよくわからない。何がどうなっているのやら。

 けれどもこんなところで立ち止まっていても仕方ない。続きは後でゆっくり考えるとして、とりあえずは庵に戻りたい。


「そうなの。だからね、しばらくの間……そう、わたしの住んでいる場所に着くまで、あなたの姿がほかの人たちには見えないようにしておきたいのだけど、いいかしら」

「あ、はい。わかりました」


 青年はにっこり笑って大きく頷いた。

 なんだろう……素直というか、子供みたいというか。どうにも調子が狂う。

 気を取り直して、わたしは姿隠しの魔法を青年にかけようとする。


 目を軽く閉じて意識を集中させ、世界に満ちる魔力(マナ)をわたしの中に取り込む。

 そして寄り集まった魔力に心象(イメージ)による形を与えて、外へと送り出す。


《魔力よ 集え

 集いて (おお)

 霧のごとく (もや)のごとく

 この者の姿 覆い隠すべし》


 集まった魔力は目には見えない。けれども青年の体を包み込み、次第にその姿を覆い隠して……あれ?

 覆い隠して、見えなくしてしまう……はず、なんだけど。

 いつまで経っても青年の姿は消えない。くっきりはっきり、目に見えたままなのだ。


《主よ……》


 アンベルがあきれたようにつぶやく。


《えええ、ちゃんとやってるわよ。

 ただ、なんだか魔力が……散ってしまうの》


 そうなのだ。

 たしかにわたしは幻惑の魔法は得意じゃないけれど、姿隠しの魔法くらいなら、落ち着いて手順を踏みさえすればきちんと使える。今だって、途中まではちゃんと手ごたえがあったのだ。なのに、この青年を魔力で作り上げた霧で覆い隠そうとすると、とたんに魔力が『散って』しまう。

 油と水を混ぜようとしてもうまくなじまない、あんな感じに近いだろうか。

 そう、どういうわけだか、この青年は魔法の霧をまるで受けつけてくれないのだ。


《ふむ?》


 うさんくさそうに問いかけてくるアンベルに、わたしは告げた。


《疑うなら、あなたがやってみたらいい》


 そう促すと、さもしぶしぶといった調子で、アンベルは瞑想をはじめる。そしてかっと目を見開いて……でも、なにも起こらなかった。


《ふむう》

《ね、うまくいかないでしょ?》

《そのように得意げに同意を求められても困るのだが、たしかにこれは……むう》


 内心、ほっとしていた。

 幻惑の魔法が得意なアンベルでもうまくいかないのだ。わたしの失敗は、別に恥ずべきものではない。そう保証されたような気がして。


《ちと、思いついたことがある。試してみてくれまいか》

《……あなたではなく、わたしが?》

《何事も練習、さっきも言ったであろう? まあ、主がうまくできないようであれば、われ自身が行うが》

《はいはい。わかったわよ……で、どうすればいいの?》

《そうだな。おそらく、直接(・・)この者に触れてしまうから魔力が霧散してしまうのだろう。だから、じかに触れないように気をつけて、この者を周りの空気ごと囲い込むような心象を築き上げれば……》

《あー……》


 なるほどね。

 魔力に対して強い抵抗力を有する存在への対処法の応用だ。そういえば、古語で書かれた戦闘用魔術の教則本を訳したときに、似たような方法を見かけた気がする。

 おそらくこの青年には、なにか魔力をかき消してしまうような力が具わっているのだろう。だったら、直接青年に魔法をかけようとするのではなく、周りを囲い込むように幻術を編み上げていけばいい。

 とまあ、理屈はそういうことなんだけど、実際のところ、意外と難しいのね、これ。焦点と範囲を絞るのがどうにもやりにくくて。


 それでもなんとか魔法をかけ終えて、わたしは改めて青年のいるであろう辺りを眺める。

 うん、われながらなかなかのできばえだ。青年の姿はきれいさっぱり見当たらなくなっていた。

 ……魔法が成功したのよね? かき消えてしまったとか、そんなのではなく。


「どうかしら? あなた、どんな感じがしてる?」


 不安に駆られながら、わたしはそっと声をかけてみる。


「えっと……特に変わったような感じはしないのですが」


 当惑したような声が返ってきた。

 よかった。魔法が成功しただけだった。彼が消えてしまったわけではないのだ。


「ああ、ちょっと処置させてもらったの。あなたの姿がよそから見えないように。で、どう? 気分が悪いとか、そんなことは」

「ない……です」

「大丈夫そうね。じゃあ、わたしの後からついて来てくれる? でね、ひとつお願いしておきたいのは、途中でわたしとアンベル以外のものに出会ったら、なるべく黙ってて。あなたの姿、今、よそからは見えなくなってるけど、ちょっとしたことで魔法が剥がれちゃうかもしれないし」

「あ、はい」

「でも、困ったことがあったら言ってね? それと、ちゃんと歩けそう?」


 うっかり忘れかけていたけれど、この青年はさっきまで意識のない状態で倒れこんでいたのだ。元気よく立ち上がったことだし、どこかを傷めているとはあまり思えないけれど、万が一ということもある。


「問題なさそうです。たぶん」

「そう、じゃあ、ついてきてね。そんなに遠くはないから。それからアンベル、あなたも」


 目立たない格好でついてきて、と言いかけて、わたしは口をつぐむ。

 巨大な有翼猫の姿はすでになく、今まで使い魔がいたまさにその同じ場所に、ごく普通の茶色い家猫がちょこんと座っていた。


《わかっておるぞ、主よ》


 猫は巨大な猛獣だったときと同じ口調で話しかけてくる。

 見た目がかわいらしいだけに、こちらのほうがより生意気さが際立っている。


「言うまでもなかったみたいね」


 ふう、と息をつくわたしに、猫はさもおかしそうにくっくっと忍び笑いを漏らした。


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