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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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3.ここはどこ、ぼくは誰

(いったい……)


 横たわっている人間を、わたしはあっけに取られて見つめる。


(どこから湧いたのよ、これ)


 さっきまで、ここには人影も人の気配もなかった。

 まばゆい光を避けて目を閉じたら、その間にいきなり人間らしきものが現われていたのだ。湧いた、としか説明がつかないような形で。


(しかも、なんで裸……)


 そう。見事に素っ裸、一糸まとわぬ状態なのである。

 横たわっているのは男性、しかもまだ若い青年に見えた。うつぶせになっているからはっきりとは見えていない部分もあるが、筋肉の張りや骨格からして、おそらく間違いないだろう。


(声、かけるべき、なんだろうか……)


 意識を失っているのだろう。男は倒れ伏したまま、動く気配がない。


(こんなわけのわからないものにかかわるのは危険かもしれないけれど)


 意識を失っているように装っているだけかもしれない。

 尋常ではない現われ方をしたのだ。人界の――こちら側の世界の存在ではなく、異界の住人かもしれない。こちら側のものであったとしても、妖術使いや妖魔の類といった、悪意を抱いた危険な存在ということもある。うっかり近づいたら襲われた、なんてことになったらやっかいだ。

 とはいえ、不運な事故にあっただけの、無害で罪のない存在だという可能性もあるわけで。


 危険な存在であれ、無害な存在であれ、これがこの島の人々にとって『見知らぬもの』であることには変わらない。島の賢者としては、見ぬふりをして放置するわけにはいかない。


 左手をすっと手前に上げ、指にはまっている指輪を確認する。いつもどおり、中指と薬指に1つずつ、暗紅色の石をあしらった地味な指輪が嵌められている。

 左手を額の前にかざし、中指にはまった指輪の宝石を額に中央に押し当てながら、わたしはつぶやくような声ですばやく詠唱する。


《来たれ わが僕

 この世の果てより 世界を隔てる垣をも超え

 ()く 汝の主のもとへ

 翼持つ獣 アンベルリーフィズ!》


《応!》


 わたしの言葉に同意する思念が、心の奥底をかすめる。

 そして一陣の風が吹き抜けて、わたしの眼前に忽然とそれ(・・)が姿を現した。


《久方ぶりだな、わが(あるじ)よ》


 背に翼を持つ巨大な山猫だ。

 毛並や姿かたちは普通の山猫とよく似ている。薄茶の地色の上にいかにも獣じみた黒い斑点が散らばる毛皮に、琥珀色の瞳。ぴんと立った耳の先には、房状の黒い毛がぴょこんとついている。

 だが、その大きさは尋常ではない。頭までの高さはゆうにわたしの背丈の二倍はあるだろう。

 大きいだけではない。背には一対の翼がある。大きくて柔らかな羽は、梟のそれとよく似ている。

 異界の力ある存在――有翼猫である。

 有翼猫アンベルリーフィズは飼い猫のように前足をちょこんと揃えて座り、もったいぶったような調子で『言った』。

 山猫の『声』は音声として耳に聞こえるものではない。直接頭の中に響いてくる声ならざる『声』だ。


《そろそろ喚ばれるのではないかとは思っていた。報告書の時期だからな》


 ああもう。

 報告書――いきなり、聞きたくもない言葉を持ち出してくるなんて。

 久々の対面の、しょっぱなの挨拶からしてこれである。

 あいかわらずな奴だ。慇懃無礼で、でも言うことはいちいち的確。

 お小言につき合うのが面倒だから、適当に故郷で遊んでくるようにって言い渡してあったんだよね……


《ああうん。それはそうなんだけど、今はそういう用事じゃなくて。ねえアンベル、ちょっとあれを見てくれない?》


 そう言ってわたしは倒れている男を指差す。


《ほう?》

《さっきここに、いきなり湧いたの。ねえ、どう思う?》

《どう思う、とは?》

《普通じゃないわよね。なんというか――あなたのご同類?》

《山猫には見えんが》

《そういう意味じゃなくて。出自というか本質というか――ずばり聞くけど、これってあっちの世界のもの?》


 こちら側――人界にも、妖精や幻獣、精霊の類は存在している。けれどもあちら側――異界のものたちは、こちら側のものとは在り方が異なっている。

 異界のものたちは桁違いの力を秘めているが、世界を分かつ垣根を越えてこちら側に顕現することはほぼ不可能なはずだ。

 そう、こちら側の存在に『喚ばれ』ない限りは。


《そうだな――ふむ……》


 そう答えると、アンベルリーフィズ――ええい長ったらしいな――アンベルは、倒れている男にそろりと歩み寄り、前足で軽くその背をつつく。


《ちょっと。いきなり触るなんて》


 驚くわたしに構うことなく、アンベルはさらに男をつんつんとつついている。


《これはまた――なかなかにやっかいなもののようだ》


 アンベルは軽く唸り声を上げてそうつぶやいた。


《どういうことなの?》

《こいつはおそらくはわれらの領域のものだ。けれども同時に、人の領域のものの気配もある》

《ええ?》

《矛盾のかたまりと言うべきか。とりあえず起こしてみるかね、主よ》

《……危険は、ないのかしら》

《さてな。不安ならわれに『命じて』おけばよかろう。持てる力を尽くしておのが主を守れと》


 いちいち生意気な使い魔だ。これではどっちが主人だかわかったもんじゃない。

 けれどもアンベルの言うことはもっともだ。

 アンベルは強大な力を持っている。だが人界では、召喚者であるわたしの許しがなければ、その力を振るうことができない。


《そうね》


 そう応えると、わたしは命令を下す。


《わが僕アンベルリーフィズ、その真の名のもとにわれは告ぐ

 われを守るにあたり、持てる力を余さず振るうことを許す》


 わたしの『言葉』が終わるのを待って、アンベルは横たわる男を前足で揺り動かした。

 わたしもまた、使い魔の横に寄り添うように立ち、目の前の男に視線を注ぐ。


 男はなかなか目を覚まさない。

 アンベルはつつく場所を少しずつ変えていく。

 背、肩、腰、尻……

 左のわき腹のあたりに触れたとき、男は指先をぴくりと動かして、軽いうめき声をあげた。


「うーん……」


 男は頭を起こすと、ゆっくりとまぶたを開いた。


(わあ……)


 思わず声が漏れそうになった。

 うつぶせになっていたからわからなかった。まともに正面から見た男の顔は――とんでもなく美しかったのだ。


 光り輝く金の髪。さらりと額を覆う前髪の隙間から見える眉は、きりりと引き締まっている。瞳は緑柱石のような透明感のある緑。

 全体としては男らしく引き締まった印象なのだけど、頬の線はどことなくふっくらと柔らかい。

 わずかに幼さを残しつつも、もはや少年とは言えない、そんな年頃の青年。


 青年はがばりと身を起こし、そばに立っているわたしとアンベルに気づくと、驚いたように目を見張った。


「気がついた?」


 そうわたしが問いかけると、青年はびくりと身をこわばらせ、緊張した面持ちでわたしを見上げた。


「あの……」

「言葉、わかる?」

「えっと……あ、はい」

「あなたはどなた? どうしてここに?」


 そんな格好で、とは聞かなかった。ものすごく気になるところではあったのだけど。


「えっと……あれ?」


 青年は首をかしげる。

 そしてそのまま身動きもせずに考え込んでから、当惑したような声でぽつりと言った。


「……わかりません」

「あら、えっと……じゃあ、とりあえずお名前、教えてもらえる?」


 賢者のわたしが異界の存在に対して名前を質すのは、場合によってはとても重い意味を持つ。

 『力あるもの』たちにとっては、名前は存在を規定するものだ。相手を支配するためにその真の名を暴くのは魔法使いの常套手段となっている。

 でも、これはそういった力あるもの同士のかけひきではない。

 わたしは声に魔力をこめたりはしていない。通り名やでたらめな名でごまかすことだってできる、ごく普通の質問なのに。


「名前……ぼくの……」


 青年は眉をしかめて真剣に考え込んでいたが、やがて顔を上げて、困りきった表情で答えた。


「どうしよう……ぜんぜん思い出せない」

「じゃあ、どこから来たかは?」

「ええ……そうですね。それもさっぱり。どうしてそんなことになってるのか、よくわからないんですが」


 うわあ……

 これってあれなの。記憶喪失ってやつ?

 書物や歌物語では時々お目にかかるけど、実物に遭遇するのは初めてだ。


 本当なんだろうか。疑う気持ちもないわけではない。

 けれども目の前の青年の様子を見る限り、とても嘘をついているようには思えなくて。


《ねえ、アンベル》


 わたしはこっそりと山猫に心話で問いかける。


《嘘、ついてなさそうよね? これ》

《その気配はないな》

《よね……どうなってるのかしら》


 突然、青年が表情を改め、怒ったような声できっぱりと言った。


「あの……嘘なんてついてません」

「え?」

「嘘、ついてないです。そっちの……大きな方と話してましたよね。ぼくが嘘をついてるんじゃないかって」


 あ……わあ……

 心話、もしかして筒抜けだった?


《なんと。珍しいこともあるものだ》


 そう。普通ではちょっと考えられないことだ。

 他者が交わしている心の声の会話を――しかも、使い魔とその主の会話を――横から盗み聞きする。いや、盗み聞きじゃないか、勝手に聞こえてしまう。たとえ『力のあるもの』であっても、それはもう、ありえないと言ってもいいほどの、すごくすごく稀なことなのだけど。


「ごめんなさい。疑ったり内緒話したりして。でも、わかってほしいの。わたしも戸惑っている。どうしてこんなことになってるんだろうって」

「あ、いえ……うん、そうですよね。こんなの……すごく変なことだってのは、ぼくもわかるので」

「えっとじゃあその……ここがどこかはわかる? 行くあてとかはあるの?」

「いえ……それもさっぱり……」


 うんまあ、そうよね。

 どこから来たのか、自分が誰なのかすらわからないんだから、ここがどこで、どこへ行けばいいかなんて、わかるはずもないか。


 ……困った。

 なんというか、こういうの、ちょっと放っておけない。

 いや、どっちみち放っておくわけにはいかないか。こんな小さな島に、こんな正体不明な存在を野放しにしてしまうのはまずいだろう。わたしかアンベルの目の届くところに留め置いて、見張っておいたほうがいいはずだ。

 うん、だから。


「あのね、いつまでもここにいても仕方ないし……とりあえず、わたしのところに来る?」


 わたしがそう申し出ると、青年はぽかんとして、じっとこっちを見つめた。


「いいんですか?」

「え、あ、うん。だって、どうしようもないでしょ。なんか放っておくわけにもいかなさそうだし」

「……ほんとうに?」

「あ、無理にとは、言わないけど……」

「いえ、助かります。ありがとう」


 そう言うと同時に、青年は飛び跳ねるように立ち上がった。


 あ……わあ……

 一瞬の驚きの後、わたしはそっと目を背けた。


 ……そのね。一瞬だけど、青年の全身が目に入ってしまって……うん、なんというか……見てはいけない場所までが、えっと……

 そう、今までは座っていたから、そこが露骨に見えてしまうってことはなかったのだ。けどその……ええと、素っ裸なんだから、前は隠してくれたらありがたいなって……うん……


 わたしの動揺に気づいたのだろう。アンベルが同情したような心話を送ってきた。


《主よ、いまだ乙女である身にはいささか刺激が強いか。衣服の調達が急務であるようだな》


 ああもう、うるさい。

 二十七歳にしていまだ処女とか、そういうどうでもいいことは強調しなくていいのに。ほんとうにこいつはもう……

 とはいえ、実際、着せる服は必要だ。このままじゃ目のやり場に困るし、そもそもどうやってここからわたしの庵まで連れていったものか。

 素っ裸のよそ者と女賢者。なんというかもう、怪しすぎることこの上ないよね……


 思わず頭を抱え込んだわたしを、正体不明の美青年は不思議そうに首をかしげ、無邪気な表情で見つめていた。


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