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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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15.薬草園にて

 翌日は、朝早くから村のあちこちに挨拶してまわった。

 いくら〈回廊〉を利用できるとは言え、〈塔〉は遠い。ひと月ふた月はこの島を離れることになるだろうし、下手をすれば戻ってくるまで半年くらいかかることになるかもしれない。


 まずは至聖所で祭司さまと話をして、その次には村長の――兄ヘルギの館に立ち寄った。

 戻ってきて軽く昼食を取った後は、庵のすぐ横にある薬草園に向かった。薬草の手入れを任せている使い魔のキキィにも、旅に出ることを伝えておかないといけない。


 今は夏至が過ぎたばかり。薬草園は花で満たされていた。

 薬草園が一番美しいのは春だ。野ばら、杏、さんざし、にわとこといった木々が次々に花を咲かせ、甘い香りで辺りを満たす。

 今、夏のこの時期に花をつけているのは、薄荷やセージ、ラベンダー、鹿子草に姫茴香といったところ。春の花々のような際立った華やかさはないけれど、群れて咲く姿はなかなかに可憐だ。

 本当はそろそろ収穫すべきものも多い。だけど今、そんな余裕はない。今年は収穫は見合わせて、ただ枯らしてしまわないことだけに目的を絞ったほうがよさそうだ。


《キキィ、おいで》


 わたしは左手の薬指に嵌めてある指輪にそっと口付けして、使い魔に呼びかけた。


《はい、あるじさま》


 すぐに使い魔キキィがわたしの目の前に姿を現した。

 キキィはいわゆる家妖精だ。見た目は、そう、ハリネズミに似ているだろうか。ただし、本物のハリネズミよりもずっと大きい。だいたい三歳の人間の子供くらいの大きさで、二本足で立って歩き、指先がとても器用だ。


《あのね、わたし、しばらくの間、留守にしなくてはならなくなったの。その間、ここの草木が枯れないように、いつものように水やりと虫取りと、それから、そうね――草抜きをしておいてほしいの》

《はい》


 キキィは真ん丸な黒い瞳で、わたしの顔をじっと見上げている。


《今年は収穫はしなくていいわ。そのまま置いといて。ただ、草木が完全に死んでしまわないように、水やりだけは忘れないでね》

《しんでしまわないように、みずやりをわすれない。はい、わかりました》


 キキィはアンベルとは違って、あちら側から召喚した力ある幻獣ではない。こちら側の世界に属する、ささやかな力しか持っていない妖精だ。気質は素直で忠実、だけど複雑な用事をこなせるほどの知恵はない。

 庭仕事の腕前は一流で、そこらの庭師に引けを取るものではない。特に、害虫を見つけ出して駆除するのはとても得意な上に、本人にとっても楽しめる仕事なのだという。見つけた虫は……たぶん、食べてるんじゃないかな。現場を見たことはないけれど。


《なにか手に負えないようなことが起こったら、わたしに〈呼びかけ〉てね。わたし自身はすぐにこっちに来られないと思うけど、アンベルをよこすから》

《はい》


 言っておくべきことはこれくらいだろうか。こんな平和な島だ。なにか変わったことがあるとは思えないけれど、いざ離れてしまうとなるとなんだかいろいろ心配になってしまう。


《わたしの用事はこれくらい。じゃあ、もう好きにしてていいわ》

《はい、あるじさま》


 ちょこんと一礼すると、キキィはラベンダーの茂みの中にすっと姿を隠した。


「アルヴィラさん」


 いきなり背後から呼びかけられて、わたしは驚いて振り向いた。

 振り向くとそこにはルシアンがいた。


「ルシアン、どうしたの?」

「いえ、用事というほどのことではないのですが、少しお話ししたくて」

「なにか困ったことでもあった?」

「いえ、そうではないのですが」


 ルシアンはすこし考え込むような表情を浮かべて口ごもる。

 実のところ、おととい、その正体を知ってからというもの、ルシアンとはあまり話せていない。

 一緒に〈塔〉に行かなくてはならないことは昨日伝えた。けれど正直、丁寧な説明ではなかった。わたしが〈塔〉から呼び出されていること、それにはルシアンも同行しなくてはならないことを、端的に伝えただけだ。他の場所で謎の竜が目撃されただとか、そういった、本当ならルシアンが知りたいであろう情報は話さないままになっている。


「ごめんなさいね。あまり、あなたとお話しできてなくて。旅立つ前にやらなくちゃいけないことが多くて」

「いえ、お話ししてほしいとか、そういうのではないんです。ただ、お昼ご飯のとき、アルヴィラさん、なんだかとても……疲れてたみたいだったから」

「ああ」


 心当たりはあった。

 午前中、わたしは兄ヘルギのところへ挨拶に行っている。兄さんとの会話は、決して心弾むものではなかった。心身ともにぐったりして家に帰ってきたものだから、食事の間も、かなり無愛想だったのだろう。


「その……すみません。ぼくがいろいと面倒をかけてしまっているから」

「ううん、そうじゃない。朝ね、出かけてきて、ちょっと疲れることがあったの」

「そうなんですか?」

「ええ。だから別にあなたのせいじゃないわ」


 おおもとをたどれば、ルシアンのせいかもしれないけれど。そもそもルシアンが突然現れたりしなければ、今回の面倒ごとは起こっていないのだから。


「えっとね、わたしには兄がいるの。兄はこの村の長を務めていて、で、旅に出るって、今朝、挨拶に行ってたんだけど……なんというか、あまり楽しい話にはならなくて」

「はい……」

「あ、旅に出るのがだめだとか、そういうことじゃないの。ただ、もとからそんなに仲良くできてなくて、それで今日も……」


 話していると、兄の言葉がこだまのようによみがえってくる。


 ――勝手なものだな。五年前、ふらりと戻ってきて村の秩序を乱したあげく、今度は旅に出るから留守にする、か。結局、お前は気ままで、自分のやりたいことだけしかやろうとしない。


 〈塔〉から要請があったから、とか、またすぐに戻ってくるから、といった言葉は、兄さんにはちゃんと届かなかったのだろうか。

 兄さんは決して頑迷な人ではない。少なくとも、村の人たちの前では、人の話に耳を傾けて、みんなを平等に扱うことのできる度量の広い村長としてふるまっている。けれども、わたしに対しては、どうしようもなく意固地になることがある。

 昔からそういうところがあった。特に、わたしが妖精とか精霊とかを見かけたことを話すと、兄さんは思いっきり馬鹿にしたものだった。

 わたしが〈塔〉に迎え入れられることが決まったとき、兄さんから出たのは祝いの言葉ではなく、あざけりとしか思えないような言葉だった。


 ――女が知恵をつけて何になる。古臭い本に読みふけって頭でっかちになるよりも、炉端で糸を紡いでいるほうが、ずっと役に立つじゃないか。


 今思えば、あれは亡くなった祖父の受け売りだったのだろう。

 島には、兄さんのような考え方をする者も少なくない。だから、〈塔〉から戻ったわたしが教室を開いて子供たちに勉強を教えたいと言い出したときも、決して歓迎されたわけじゃなかった。至聖所の祭司さまが賛成して助けてくださったおかげで、どうにか今までやってくることができたのだけど。


「アルヴィラさん?」


 会話の途中で黙りこんでしまったわたしを不審に思ったのだろう。ルシアンは心配そうに呼びかけてきた。


「あ、ごめんなさい。あまり気にしないで。たいしたことじゃないから」

「はい……」

「きょうだいって難しいわね。兄は別にひどい人じゃない。それはわかってるの。けれど、身内のこととなると、お互い、いろいろ割り切れない気持ちになるみたい」

「そうですね……肉親だからこそ割り切れない。そういうものかもしれません。あ、ぼくにはきょうだいはいないので、そういうの、ちゃんとわかっていないかもしれませんが」

「そうなの?」

「母はぼくしか遺せなかったんです。〈混ざりもの〉が竜の子を産むのは、負担の大きいものだから」


 ルシアンの声には、どこか張りつめたような響きがあった。

 彼は自分の生まれについて語るとき、たいてい淡々と話す。けれどもその淡々とした口調の中には、いつもやり場のないかなしみのようなものが漂っているように思われてならない。


「あの、アルヴィラさん。聞いてもいいですか」

「なにかしら」

「アンベルさんが言ってたんです。安定した状態でこちらに居続けたいなら、賢者の使い魔になってしまえばいいんだって。その……アルヴィラさんは、ぼくを使い魔にするのは嫌ですか」


 ああ、アンベルめ。ルシアンにその方法を教えていたのか。昨日、わたしは気乗りしないって言っておいたのに。


「嫌……かと聞かれると、困ってしまうのだけど」


 そう。嫌かと問われると本当に困る。

 本音を言えば、うれしいのだ。できればそうしたいと望んでいることを、わたしは自覚している。

 けれども同時に後ろめたくて、そして恐ろしい。自分に背負いきれるものではないと、尻ごみしてしまう。なによりも、それが彼にとって最善の方法だとは、わたしには思えない。だって……


「わたしは強い力を持つ術者ではない。だから、あなたをちゃんと助けてあげられるとは思えないの。あなたの目的はお友達を探すことでしょう? あなたのお友達は、その、なんというか、かなり厄介な状況に陥っているおそれがある。そういったものに立ち向かうのに、わたしでは力不足なんじゃないかって」

「でも」

「十日もすれば〈塔〉に着く。〈塔〉には、わたしよりもずっと優秀な賢者がいる。そのひとたちのほうが、たぶん、もっとあなたの力になれる。だから……」

「だけど、そのひとたちがぼくを使い魔にしたがるとは限らないでしょう?」

「そんなことないわ。真竜を使い魔にしたいと思わない術者なんていないもの。あなたは選り取りみどり、好きな相手を自分の意志で選ぶことができるはずよ」

「でも、ぼくは〈混ざりもの〉だから」

「たとえ〈混ざりもの〉であっても、あなたはわたしたちから見れば、とても強くて、とても魅力的な存在だわ。だから、ここでわたしがあなたと契約を結んでしまうのは、公平とは言えない。ほんの数日我慢すれば、もっと条件のいい相手に巡り合えるのに。だから、ちょっと待ってみて」

「でもその数日の間に、また向こう側に引き戻されそうになったら。ぼくはそれが怖い」

「じゃあ、そのときは、またわたしが呼び戻すわ。わたしはあなたの名前を知っているもの。たぶん――いいえ、きっと、呼び戻せると思う」

「アルヴィラさん、でも」

「わたしは、わたしにできる範囲で最善を尽くす。それは約束するから」

「……はい」


 しぶしぶといった様子でルシアンはうなずいた。


 本当は、何が最善なのかなんてわからない。

 もしかしたら、ここでわたしが彼と使い魔の契約を交わすほうがいいのかもしれない。今の彼は不安定で、いつ向こう側に戻されてしまうともしれない状態にあるのだから。それに、彼を使い魔にと望む者が、彼の望みや幸福を優先してくれるとは限らない。たとえ力及ばずとも、わたしのほうがましな場合だってあるかもしれないのだけど。


 すう、と風が通り抜ける。

 風はわたしたちの足元にひろがっているラベンダーの茂みを揺らして、夏の午後の気だるい空気に、刹那、爽やかな芳香をもたらした。


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