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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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13.ぼくの名前は

「すこし……休ませてください」


 ぐったりした様子でルシアンは言った。


「もちろん。ちゃんと休んで」

「その……体はそんなにつらいわけじゃないんです。ただ、ちょっと混乱してしまってて」

「ええ」

「だからアルヴィラさんは、自分の用事をしていてください」

「わたしの用事って」

「ここに来たのって、何か調べごとのためでしたよね」

「え、ええ。そうだけど……」

「だったらそれを」

「でも」

「大丈夫です。すこし休めば平気になるはずだから、きっと」


 自分の調査のことなんて忘れかけていた。けれどルシアンが調べごとをするようにと念を押すので、わたしは石碑に刻まれている文様を調べ始める。

 ああだめだ。作業に集中しないと。提出期限が迫っている。無駄にできる時間なんてもうないのに。

 そう自分自身に言い聞かせても、どうしても気持ちはルシアンのことに戻っていく。


 ルシアン――いいえ、ギルサリオン。


 その名で呼ぶと、彼は竜に姿を変えた。

 竜と関わりのある存在なのだろうと思っていた。でもいざ彼が竜に変化するのを目の当たりにすると、驚かずにはいられなかった。金色の竜は大きくて、力強くて、美しくて――そして、あまりにもよく似ていたのだ。十九年前、この同じ場所で、たった一瞬だけわたしの目の前に姿を現した、あの黄金の竜と。

 もちろん同じ竜だとは限らない。わたしが以前に竜を見たのは十九年も前のことだ。鮮明に覚えているつもりでも、記憶に歪みがないとは言い切れない。それに第一、竜の違いを見分けられるほど、わたしは竜を見慣れているわけでもない。

 けれども、ただの偶然と言い切るにはあまりにもできすぎている。


 彼はなぜ、戻ることを望まなかったんだろう。

 まだ帰れない。帰りたくない。彼はそう言っていた。

 そう言えたのは、記憶が戻ったからなのか。

 そもそも彼は誰で、ここで何をしようとしているのか。


 どうしてわたしは彼を呼び戻したのだろう。

 問うまでもない。他でもない彼本人が、戻ることを望まなかったからだ。

 だけど、あの男は言っていた。彼はもとの世界に戻るべきだと。

 それに、わたしだって思ったはずだ。むこうの世界の存在が、正規の方法で召喚されたわけでもないのにこちら側にいるのは、望ましいことではないと。


 わたしは顔をあげて、彼の様子をそっと窺い見た。

 彼はわたしのいる場所からはすこし離れたところに立つ石柱に背を預けて、ぼんやりと座り込んでいる。

 その横顔は隙なく整っていて、まるで名工の手による彫像のようだ。木漏れ日を受けて輝く金の髪も、ほどよく筋肉のついた青年らしい体躯も、どこを取ってみても驚くほどに美しい。

 さっきの男もそうだった。昔、〈塔〉で知っていた竜も。みんな信じられないほど美しくて――人間離れした印象を受ける。

 そりゃそうよね。だって人間じゃないんだから。

 そう思うと、無性にさびしくなった。

 でもどうして。彼が普通の人間じゃないことなんて、最初からわかっていた。むしろ何者であるかがはっきりしたおかげで、対処もずっと楽になったはずなのに。

 いけない。よけいなことを考えてないで、作業を進めてしまわないと。調べるべきことをさっさと調べて、家に戻って、今後のことを考える。それが、今一番必要なことだ。

 わたしは彼から視線を逸らすと、石碑の文様を写し取る作業を再開した。


 わたしが調べものを終えても、彼はまだぼんやりとしていた。

 声をかけると表情を動かすことなくこちらを見上げて、戻ろうと言うわたしにただうなずき返す。

 彼の服は破れて飛び散ってしまっていたから、昨日と同様、またわたしが姿隠しの魔法をかけた。

 家に帰りついて術を解くと、彼は黙って服を取りに行った。わたしはと言えば、持っていった道具類を片づけて、とりあえずお茶の用意を整えることにした。


 湯を沸かし、薬草茶を淹れて、彼に声をかける。

 彼は言葉少なに礼を述べて、二人分のカップが用意されている食卓に着いた。

 そのまま黙って、向かい合って薬草茶を飲む。飲み終わりかけたところで、わたしは思い切って声をかけた。


「訊いてもいいかしら」


 彼はびくりとして一瞬動作を止め、ゆっくりとこちらに目を向けた。


「記憶……戻ったの?」

「……そうですね。すべてではないですが、ある程度は」

「そう」


 どう続けよう。切り出してみたものの、ちょうどいい言葉がなかなか見つからない。


「あなたは……竜だったのね」

「ええ。といっても、完全な竜ではないのですが」

「そうなの?」

「母が人間との〈混ざりもの〉だったんです。だからぼくも〈混ざりもの〉として扱われてきました」


 彼は淡々と答えている。

 けれども、〈混ざりもの〉という言葉を口にしたとき、彼の表情がわずかに歪んだように見えた。


「帰りたくないって言ってたけど、どうしてなの」

「やらなくてはいけないことがあるんです」

「それが何なのか、訊いてもかまわない?」

「さっき会ったひとのこと、覚えてますか?」

「ええ、もちろん」

「ぼくは彼を探して、こちらに来たんです」

「探して?」

「彼――エゼルウィンは、ある日いきなり消息を絶ちました。探してもどこにも見つからない。その気配すら感じられない。なのでもしかしたら、こちら側に召喚されたんじゃないかっていうことになったんです。ただ、普通は召喚されても、わりと自由にあちらとこちらを行き来できますよね。行きっぱなしになるにしても、身内になにか伝言を残すだろうし。でも、エゼルにはそういったことが一切なかった。それでみんなすごく心配したんです。だけどみんなは境界を越えることができない。だからぼくが来ました」

「どうしてあなたが?」

「ぼくはまっとうな竜じゃない。こちらの人間との〈混ざりもの〉です。でも、だからこそできることがあった。ぼくは竜としての名前と力を封じて、人間になりきった。そうやって、女神さまの定めた掟をあざむいて、こちらの世界へ渡ってきたんです」


 とんでもないことを、彼はさらりと言ってのけた。

 〈混ざりもの〉とは言っても、おそらく彼はずっとあちらの世界で育ってきたのだろう。しかも、混ざったのは母の代だという。ほとんど竜、と言ってもいいような存在なのではないか。それなのに、世界の掟をあざむけるほど、人間になりきったわけだ。

 どうやったらそんなことが可能なんだろう。ただ、ものすごく無茶なことをしたらしいというのは推測がついた。


「そんなこと、できるものなの?」

「ええ。ただ、実際にやってみたものはほとんどいないとか。そもそも〈混ざりもの〉以外には無理な方法ですから。賭けみたいなものでした」

「聞く限り、確実性も安全性もまったく保証できない方法のように思えるんだけど」

「それでも、やってみる価値はあったんです」

「こちら側に召喚されている竜に捜索を頼むのは? それではだめなの?」

「だって、そんな竜、すごく少ないでしょう。第一、みんな、自分の用事で忙しいし。それじゃ間に合わない。そう思ったんです。エゼルは大切な友達です。〈混ざりもの〉であるぼくに分け隔てなく接してくれたのは、エゼルと彼の妹くらいだった」

「エゼルウィン……だっけ。彼は、あなたに戻れって言ったわ。来るべきじゃなかったとも」

「無茶をするなってことでしょうね。でも、ぼくは戻りたくない。エゼルを連れ戻すか、少なくとも、こちら側に来たいきさつを聞き出すまでは、帰るつもりはありません」

「竜としての名前と力を封じてこちら側に来た……記憶がなかったのはそのせいなのかしら?」

「そうです」

「でも今は、記憶を取り戻したのに、こちら側にいるのよね」

「実際のところ、完全に記憶を取り戻したわけじゃないんです。思い出せていないこともたくさんあります。それに、今は竜の姿をとることも、まともに魔力を使うこともできません。というか、うかつに力を使えば、たぶんあちら側に引き戻されるでしょう。さっきみたいに」

「あ……」

「あのとき、あなたがぼくをルシアンと呼んだ。だからぼくはこちら側に踏みとどまれた。あの名前は、人間としてのぼくに与えられたものだから」


 わたしはすこしばかり驚いていた。

 ルシアン――その名前はたった一日前、わたしがかりそめにつけたものにすぎない。なのに、彼を『人間』として世界の掟に認識させるほどの力を発揮したというのか。

 でも、そうなのかもしれない。

 竜は言霊の影響を強く受け、名前によって規定される。そういう存在なのだと聞き及んでいる。だからこそ、ギルサリオンという名前は彼を竜の姿に引き戻したのだし、ルシアンという名前で呼び直すことによって、彼は人間としてこちら側に留まることができたのだろう。

 実に興味深い話だ。真竜の研究を行っている〈塔〉の賢者に持ち掛ければ、当分の間、飽かず議論を繰り返すに違いない。

 けれども今は、賢者としての興味を前面に打ち出すべき時ではない。もっと実際的なことを知っておかないと。


「でもね、だとしたら、今のあなたはとても不安定な状態なのではないかしら。竜としての自分を完全に忘れているならともかく、幾分かは記憶も戻っていて……つまり、自分は竜であることを自覚しているのでしょう」

「そうですね……」

「それにそもそも、記憶のない状態でどうやって人探しをするつもりだったの?」

「それは……とにかく世界を渡ってしまわないと、どうしようもないから」

「計画性がなさすぎるわ。エゼルウィンが帰れって言うのももっともね」

「それでもやるしかなかったんです。だってぼくにできることは、それくらいしかなかった」

「だからって無茶しすぎよ」


 呆れると同時に、わたしはなんともやりきれないものを感じていた。

 彼の言葉の端々には、〈混ざりもの〉であることに対する引け目のようなものが見え隠れしているように思えてならない。

 真竜の世界において〈混ざりもの〉であることは、それほどまでに生きにくいものなのだろうか。


「アルヴィラさん、すみません」

「どうして謝るの?」

「だって、面倒ごとにあなたを巻き込んでしまってます。ぼくはあなたのおかげで助かっている。あなたはたまたあの場に居合わせた、赤の他人に過ぎないのに」


 赤の他人。

 たしかにそのとおりだ。でもそんなふうに言われるのは、どうにも気に食わなかった。

 

「情けないことを言わないで。たしかにわたしは赤の他人だけど……迷子の子猫に宿を貸して、ミルクを与える程度の情は持ち合わせている。それにわたしは〈塔〉の賢者。与えられた知識で人々を助けてこそ、その本分を果たすことができるの」

「迷子の子猫……ですか」

「子猫じゃなくて竜だけど、でもまあ似たようなものでしょう?」

「そう……ですね」


 目をしばたたかせながら、彼はうなずいた。ちょっとばかり間の抜けた表情にも見える。

 ああ、このほうがいい。ずっといい。

 うん、彼には柔らかい表情が似合う。深刻で悲愴な顔をされると――なんだか胸が痛んでしかたない。


「ルシアン」


 わずかに魔力を乗せ、はっきりとした口調で、わたしはその名前を口にした。

 彼――ルシアンは表情を改め、わたしの顔を見つめる。


「あなたのことはルシアンと呼ぶ。それでいいのね」


 ――できる限り、あなたのことは人間として扱うわね。本当は竜の姿に戻ってあちら側に帰ったほうがいいのかもしれないけれど。


 口にはしなかった。けれどもわたしの言いたいことは、おそらくルシアンに伝わっているはずだ。


「ええ、ぼくの名前はルシアン。そう呼んでください」


 静かな、けれども揺るぎない表情を浮かべて、ルシアンはそう答えた。


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