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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
13/16

12.再び、遺跡で(後)

「ルシアン、大丈夫?」


 蒼白な顔色で呆然としているルシアンに、わたしはそっと声をかける。


「アルヴィラさん……」


 ルシアンは震える声でわたしの名を呼んだ。


「さっきのひと、あなたを知ってたみたい」

「ええ……」

「どう? 何か思い出した?」

「いえ……でも、ぼくは彼を知っている。とてもよく。それは間違いない」

「彼はあなたに帰るようにと言っていたわ」

「はい、でも」

「わたしに、あなたをもとの世界へ帰すようにとも」

「ええ」

「ギルサリオン」


 わたしはそっとその名を口の端にのぼらせた。

 ルシアンはぴくりと体を震わせ、表情をこわばらせる。


「これがあなたの本当の名前。そうなんでしょう?」

「わかりません……」


 そうなのだろうか。ルシアンは明らかにこの名前に反応しているように見える。

 あの男は言っていた。魔力を込めて、彼の名を呼べ、と。

 さっきは、ただ普通にこの名前を口にしただけだ。けれど、もし、魔法を働かせるときのように〈力〉を込めていたならば。

 ぼんやりとではあるけれど、何が起こるのか、見当はついている。

 あちら側の力ある存在は、名前によってその存在を規定される。真の名を呼ばわるのは、その本質に呼びかけるのと同じ。失っていた名前を与え直すことにより、彼はおそらく、自分自身の本質を取り戻すはずだ。


《ギルサリオン》


 魔力をこめて、わたしはその名を呼ばわった。


「アルヴィラさん?」


 ルシアンは表情を歪めてわたしを見つめ返し、そして――変化が訪れた。


 光が湧きあがる。

 ルシアンの内側から光が滲み出て、後光のように彼を包み込む。

 ルシアンの表情がさらに歪む。苦しそうな、いや、泣き出しそうな表情にも見える。


「アルヴィラさん、離れて!」


 鋭い声でルシアンはそう叫ぶと、自らも後ずさった。


「え?」

「ぼくから離れて。お願いだから!」


 意味のわからないまま、わたしはルシアンの言葉に従う。

 その間にも、ルシアンの内側から発する光は、その量を増していった。

 どんどん光は強くなり、同時にルシアンの輪郭はどんどんぼやけていき――ついに、光の中に溶け込んでしまう。

 光はふわりと宙へと浮かびあがってゆく。

 空に浮かんだ光の塊はなおも膨れ上り、ひときわ強く輝いた。

 思わずわたしは目をつむる。

 この感覚には覚えがある。

 そう、同じなのだ。

 昨日、ルシアンがわたしの前に姿を現したあの時。そして十九年前、わたしの目の前に、金色の竜が姿を現したあの時と。

 目をつむっていても、瞼を突き抜けて、なおも明るい光が感じられる。

 光は頂点を極め、やがて、薄らぎ始めてゆく。

 わたしはおずおずと目を開いた。

 目の前すぐの中空に、巨大な光の球がふわりと浮かんでいる。

 光はさらにやわらいでゆき、やがて、薄らいでゆく光の中から、次第にそれ(・・)の輪郭がはっきりと見えるようになってくる。


 ああ。

 わたしは思わず感嘆の声を漏らしていた。


 目の前に浮かんでいるのは、金色に輝く巨大な竜。

 竜はその背の羽を羽ばたかせならが、じっとこちらを見下ろしている。


「ルシアン……なの?」


 予想しなかったわけではない。ルシアンはおそらく異界の存在、それも真竜にゆかりのあるもの。だから彼が真の姿を取ったなら、それはきっと竜なのだろうと。


《アルヴィラさん》


 返ってきた〈声〉は、たしかにルシアンのものだった。

 でも、人間の姿だった時とは違う。直接頭の中に響いてくる、幻獣たちと会話するときと同じ、思念の〈声〉だ。


《あなたなのね》

《アルヴィラさん、どうして、あの名前を》

《だって、あのひとは言ったわ。あなたの名前を呼べって》

《でもぼくは、まだ帰れない。帰りたくない。帰ってはだめなのに》


 悲痛な、そして切羽詰まった〈声〉で、竜は叫んだ。


《だめだ。戻されてしまう。お願い、アルヴィラさん。ぼくの名前を呼んで》

《え?》

《あなたがつけた名前で、ぼくを》

《わたしがつけた名前って……》

《ルシアン。その名前なら、ぼくは……》


 わたしは躊躇していた。

 このまま放っておけば、おそらく竜はあちら側へ引き戻されていくはずだ。

 さっきの男は言っていた。もしルシアンがおのれ自身を取り戻せば、自然とこの世界から拒絶され、もとの世界へ戻るだろうと。

 そして、こうも言った。もしわたしが善意の存在なら、ルシアンをもとの世界に戻してほしいと。

 これまで培ってきたわたし自身の賢者としての見識も、異界のものは異界にあるべきだと告げている。

 けれども目の前の竜はとても必死で、とてもつらそうで。

 駄目だ。彼の願いを無視するなんて、わたしにはできそうもない。


《……ルシアン》


 〈声〉に魔力を込めて、ためらいながらも、わたしはその名を呼んだ。


 たちどころに変化があらわれた。

 竜は再び光に包まれる。

 光の中で竜の輪郭は次第に薄れてゆき――同時に光自体も小さく収束してゆく。

 小さくまとまった光はふわりと地面の上に降りてゆき、やがて光の中から、裸の人間の男の姿が徐々に現れ始める。


「ルシアン」


 わたしは彼のそばに駆け寄った。

 ルシアンは最初、目を閉じていた。けれどもわたしの呼びかけとともに目を開き、じっとわたしを見つめる。


「アルヴィラさん」


 ひどくかすれた声だった。


「大丈夫?」


 思わずそう問いかけたわたしに、弱々しく微笑み返してルシアンは応えた。


「大丈夫……です」

「ごめんなさい……わたし」


 何について謝ったのか、自分でもよくわからなかった。


「いえ」


 そう応えると同時に、ルシアンはがくりと膝をつく。


「ルシアン!」


 彼のすぐ横にしゃがみ込み、思わずその背に手を伸ばす。


「すこし……変化がきつかったみたいで……でも大丈夫。ちょっと休めば、きっと」


 大丈夫とは思えない。ルシアンの声はとても弱々しくて、とても苦しそうで。

 なのに、苦笑を浮かべながら、ルシアンは言った。


「すみません。どうやら、いただいた服、だいなしにしてしまったみたいです」


 そう。今、ルシアンは素っ裸だった。どうやら竜に変化したときに、身につけていた服は破れてしまったようだ。


「そんなこと!」


 服のことなんか気にしないで。今は、あなたのことが心配なのに。

 そう言い募るわたしに、ルシアンは首を振る。


「もらったばかりだったのに、もったいないことをしてしまいました」

「ルシアン……」


 わたしは言葉を失う。

 聞きたいことならいっぱいある。

 記憶はもう戻ったのか。さっき出会ったあの男は何者なのか。そして――これで本当によかったのか。

 けれどもそういった問いはすべて、言葉にならずにどこかへ消えていって。


「あなたが無事なら、それでいい。だから……」


 わたしが口にしたのは、ただ、彼の安否を尋ねる言葉だけだった。


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