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黄金竜の約束  作者: 霧原真
第1章 来たれ、愛しき竜よ!
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9.衣食の次は寝る場所を

 どうしよう。ルシアンはすっかり酔っ払っているらしい。

 寝かせるとか、楽な姿勢を取らせるとかしたほうがいいんだろうか。

 あ……肝心なことに気づいてしまった。

 寝かせるとしても、どこに寝かせたらいいんだろう。


 繰り返すようだけど、わたしはひとり暮らしだ。つまり、この家にはわたしの寝台しかない。

 あ、うん。今はいい。わたしはまだ寝ないから。でも、夜になってわたしも寝る時間になったとき、どうしたらいいんだろう。

 そりゃ、わたしの寝台だって、ちょっと詰めれば人間ふたりが並んで寝られるくらいの広さはある。でも、たとえ普通の人間ではないにしても、ルシアンは若い男性だ。少なくとも見た目は間違いなく。だからその、なんというか、同じ寝台で寝るのは、かなり差し障りがある。


 困った。寝る場所のことなんて考えてなかった。

 寝具として使えそうなもの――たとえば敷布とか毛皮とかなら、寄せ集めればそれなりに用意できるから、片方が布を敷いて床で寝れば――うんまあ、寝られないことはないだろうけど。

 ああ、拾ってきて連れ込んだはいいけれど、こんなに問題が山積みだったなんて。衣服を身に着け、食事をして、快適な睡眠をとる。そういうごく普通のことって、実はけっこう複雑なものだったんだ。


 それに。

 もし、さっきわたしがでっち上げた設定のとおり、ルシアンが本当に〈塔〉からの賓客だったとしたら、たぶんうちに泊めたりしない。

 ここは宿屋なんてない村だから、外部からの客人はたいてい村長の館――つまりは兄さんのところ――に泊まっていく。実際、十九年前に〈塔〉の調査団が来たときはそうしていたし。

 インガが意味深に微笑むわけよね。どう考えたって怪しすぎるもの、ルシアンの存在。

 だからと言って、ルシアンをひとりで兄の館に泊まらせるってわけにもいかないだろう。ごく当たり前の人間としてふるまえるとは到底思えないし。

 いい案が思いつけそうもない。アンベルが戻ってきたら、ちょっと相談してみないと。

 とりあえず、今は食事の後片づけを済ませて、報告を書き始めよう。

 ほんと、早く〈塔〉に責任を投げてしまったほうがいいみたい。これ、最初に思ったよりもずっとずっと面倒な事態に巻き込まれているのかもしれない。



 わたしは食器を片づけると、書物机に向かった。そして蝋引きした書字板を用意して、報告書に記すべき内容を、ひとつひとつ思い浮かべていく。


 まず、見つけた場所とそのときの状況。

 それに加えて、使い魔とわたしが得た印象を。

 姿隠しの魔法を受けつけない、こちらの魔法をかき消してしまう特殊な体質。

 言語の認識のあり方。そして、食べ物の好みと、たやすく酒に酔ってしまったという事実。

 ……うーん、こうして並べてみると、いろいろと妙な点があることがはっきりしてくる。

 たぶんルシアンは異界の、おそらくは真竜の眷属だろう。けれどもそれだけでは説明のつかない部分がある。

 なぜ人間の姿で現れたのか。どうして記憶がないのか。

 それにアンベルは言っていた。


《こいつはおそらくはわれらの領域のものだ。けれども同時に、人の領域のものの気配もある》


 ……あ、そうか。

 ふいに、さまざまな要素がうまく噛み合ったような気がした。


 ひらめきをもとに、わたしは自分の推論を固めようとする。

 と、そこに。


《戻ったぞ》


 空中から茶色い猫が姿を現した。


《お帰りなさい。買物はどうだった?》

《まずまずといったところか。あまり上物ではないが、とりあえず主の衣服をまとっているよりはましなものは揃えられたぞ》


 そう言い終えると、アンベルの前に折りたたまれた衣服の山が、ふわりと現れ出た。


《ところで、あれはどういうことだ》


 食卓の上に突っ伏しているルシアンに顔を向けて、アンベルが問いかけてきた。


《ああ、葡萄酒を出したんだけどね。酔い潰れちゃったの》

《なんと》

《あ、そんなにたくさん飲ませたわけじゃないのよ。ゴブレット一杯分だけ。すごく気に入ったみたいでうれしそうに飲んでたんだけど、飲み終わったらああなっちゃって》

《むう……》

《ねえ、どう思う》

《うん?》

《わたし、彼はあちら側の竜……そう、真竜に連なるものだと思ったんだけど、真竜ってこっちのお酒で酔いつぶれたりする?》

《いや……われらの側のものがこちらの食物で『酔う』というのは、あまり考えられぬな》

《そうよね》

《われらが食物から摂るのはその精髄そのもの。われらを酔わせるほどに精の凝り固まった食物など、そうあるものではない》

《やっぱりね……でね、思ったんだけど》

《なんだ?》

《アンベル、あなた最初に言ってたわよね。ルシアンには、あちら側の気配とこちら側――人間の領域の気配、両方が感じられるって》

《ふむ、言ったな》

《彼、もしかしたら、〈混ざりもの〉なんじゃないかって。それもたぶん、人と真竜の。だったら人の姿をとっているのも、お酒に酔っぱらうのもわからなくはないし》


 〈混ざりもの〉――要するに、混血児のことである。

 あちら側とこちら側では生命のありようが違う。血を交える――混血という表現はあまり実情にそぐったものではないため、〈混ざりもの〉と呼ばれることが多い。

 あちら側とこちら側の存在の間に子供ができることは、そう多くはない。けれども昔から、時々そういった例があったことは間違いない。


《その可能性はたしかにある。しかし、人と竜――ましてや真竜との〈混ざりもの〉など、めったに生まれてくるものではない》

《でもね、ほら、ケルサス建国神話とか。〈建国王〉は竜の御子だったっていう》


 ケルサス王国は現在、大陸の東で最も栄えている国家だ。このヴィルゲン島も、〈塔〉のあるシフェラーンの街も、ケルサス王国の一部だ。魔法言語を使っていたとされるいにしえのケルサスとはまったくの別物だけど、その後継たらんとして、魔法の研究にも力を入れている。

 そのケルサス王国の建国神話には、こう記されている。

 ケルサスを興した初代の王、英雄ギルナリスは、真竜の乙女と人間の男の間に生まれた子供――〈竜の御子〉であった。その生まれゆえに、ギルナリスは大いなる魔力と武勇を誇り、勇者と呼ばれた。彼は人の心を惹きつけ、多くの戦いに勝利し、新たに国を興すに至ったのだ――と。

 子供でもよく知っている、半ばおとぎ話のような伝承だ。けれども、〈建国王〉という言葉を耳にするや否や、アンベルは不満そうに耳を伏せた。


《主よ。あやつが〈混ざりもの〉である可能性はたしかにある。だが、〈建国王〉の逸話を持ち出すのはいささか軽率に過ぎまいか。少なくとも、〈塔〉の報告書には入れぬが賢明というもの》

《でも》

《ほかならぬ主が〈健国王〉の逸話を持ち出せば、よけいなことを連想する輩がいるであろうな。主とフェリアス殿下(・・)との繋がりを思い出して》


 『殿下』という部分にいやに力をこめて、アンベルは言った。


 フェリアス――その名前を聞くのは本当に久しぶりだ。

 もう忘れたつもりだった。けれど、その名前を耳にするだけで、今でも胸がざわつく。

 〈塔〉を出てからというもの、彼に関する情報にはなるべく触れまいとしてきたのに。

 かつては大切な人だった。でも、もう縁のない人だ。いや、今となってはわたしが下手に関わってはいけない相手だ。

 その名前をわざわざ出してきたアンベルの意図は痛いほどわかった。けれどもわたしは、素知らぬふりを装って言い返す。


《フェリアス? そんな、全然関係ないじゃない》

《主にとってはそうであろうよ。だが、そうではない受け止め方も存在する。五年前に嫌というほど経験したであろう?》

《だけど……》

《報告書には事実だけを連ね、危うさを含んだ推論は示さない。その態度を守ればよいだけのこと。あやつが何者であるかとか、そういった判断は〈塔〉の専門家どもに委ねればよい》

《……そうね》


 アンベルの言うとおりだ。

 わたしはただ、事実をそのまま伝えることに徹していればいい。謎の存在が突如ヴィルゲン島の遺跡に姿を現したことを報告して、〈塔〉が対応に出るまでの間、この存在の面倒を見る。それだけで充分なはずだ。


《あ、それと、こっちはもうちょっと実際的な相談なんだけど、今夜、彼をどこに寝かせたらいいかしら? 同じ寝台を分け合うのはさすがにちょっと》

《む?》

《まあ、どちらかが床に寝ればいいんだけど。でも、インガに彼を見られちゃってるのがちょっと……》

《ふむう……》


 鼻を鳴らして、アンベルは考え込んだ。


《……まあ、あやつはこの家に留め置くのが無難であろうな。インガ殿とて、義理の妹にして友人が男を連れ込んでいたなど、体裁のよろしくないことをそうそう言いふらすとも思わぬが》

『まあそうなんだけど。でも、インガ、おしゃべりだから、ひょんなことから洩れないとも限らないし》

《気に病んでも仕方あるまいよ。知られてしまったなら〈塔〉の権威をうまく利用し、適当な説明で煙に巻くとか、まあそのあたりは臨機応変にな》

《そうできたらいいんだけど》

《できたら、ではなく、やるのだ。そうそう、寝台に関しては、藁か何かで適当なものをこしらえておこう》

《ありがとう。任せるわ》

《うむ。とりあえず、主は〈塔〉へ送る文書を仕上げよ。酔っぱらいの面倒と寝台の準備はわれが何とかしておこう》


 そう言うと、アンベルはくるりと一回りして――今度は人間の男に姿を変えた。


 中年と呼ぶには若いが、青年と呼ぶには少し枯れた感じの漂う男だ。薄茶の髪に琥珀色の瞳は、山猫の姿でいるときの色合いを連想させる。服装は島の住人たちと変わらない、ごく質素なものだ。総じて、印象に残りにくい、ごく平凡な男に見える。


《いつもながらみごとなものね》

《どちらかと言えば猫の姿が好みだが、こちらのほうがこういった作業はしやすいのでな》

《うんうん。じゃあお願いするわね》


 人間に変身した使い魔に礼を述べると、わたしは再び書物机に向かい、〈塔〉への報告書を用意する作業に戻った。


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