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天窓  作者: 野村 礼瑚
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一章 誘拐




 一章 誘拐




 緑が流れるグリーンロード。


 緩やかな振動と走行音を乗せ、リムジンは林道を走る。


 車窓の向こうで過ぎ行く森林を眺めながら、あたしはお父様の横暴さにため息を付く。


 進路について揉めている。一人っ子の嫌な宿命と言うやつだ。


 お父様はあたしに進学校に進んでもらい、大学では経済学を学び、自分の跡をついでもらいたいらしい。


 それはわからないでもない。


 うちは何十と言う会社を束ねる財閥で、それを他人に委ねるなど考えられないことなのだろう。


 けれど、あたしにだって夢はある。


 重役達に囲まれた女社長になんかなりたくはない。


 あたしは詩を書いたり絵を描いたりするのが好き。だから、高校は美術に力を入れている場所。大学は絶対芸大に行く。


 この日あたしは、その思いの強さを伝えるべく家出を決行した。


 運転手の田上は、バックミラー越しに後部座席のあたしをちらちら見ている。


 小心者だから、この家出に加担した責めを受けるのを恐れているのかも知れない。


 鬱陶しいヤツ。


 でも、安全な運転手はコイツしかいなかったので仕方がない。


 あたしはまた、ぼんやりと緑が流れるのを眺めることにした。


 紅葉にはまだ遠く、すぐ飽きてしまうような景色を。


 でもあたしは、この景色をどこかで見た気がする。ほら、今通り過ぎた古い地蔵も見覚えがある。


 この感覚はなんだろう? デジャブ? それともこの辺りって、まさか心霊スポットとか?


 一抹の不安と共に、リムジンはひた走る。






 萎びたような自然の中、ぽつんと佇む邸。


 不動産王とか呼ばれるお父様が、何十と所有する別荘のひとつ。


 小さいころに訪れた記憶しかないので、すごく大きく広い邸だと思っていたけど、意外と貧相でヘボい。


 もう何年も利用していないから、古臭さも否めない。


 お化け屋敷と言っても不自然ではないたたずまいだ。


 中は管理会社の手がいき届いていて綺麗ではあるが、やはり調度品などは古くてダサダサ。


 発見され難い場所として自分で選んだ家出場所だけれど、想像を越えるくらいうんざりする場所。


 行きつけの洋菓子店で、ショコラティエに特注したチョコをパクつくあたしの後ろ、田上はおろおろしている。


 多分侵入方法の驚きが冷めきっていないのだろう。


 田上は、あたしがここの鍵を持っていると思っていたようだが、あたしはそんなものどこに保管されているかも知らない。


 あたしが知っているのは、この別荘の窓の何ヵ所かには、警備会社への警報装置がついていないと言う事実だけ。


 故に、あたしは窓をぶち破り邸に侵入した。


 小心者の田上には、少しデンジャラスな出来事だったのかも知れないが、あたしの知ったことではない。


 邸の奥は窓の光が届かず薄暗い。


 そして、秋に近い山添は少し肌寒い。


 電気のスイッチを押すが、どこにも明かりは生まれない。


 接触が悪いのかと、幾つかスイッチをいじってみるも反応なし。


 どうやらブレーカーが落としてあるようだ。


 水道の元栓とかも閉まっているかも知れない。


 めんどくさ。全部田上にやらせよう。


 あたしがそんな素敵な名案を思いついた時、背後で田上が叫ぶ。


「お嬢様ッ!!」


 びっくりして振り返ると、そこには暗い廊下が伸びるだけで田上の姿がない。


 ちっこいヤツだけど、一瞬で消える訳はない。視線を落とすと、ゴキブリみたいな田上が床に額を擦り付け土下座をしていた。


 キショイんですけど。


 眉間に眉根を寄せ、冷えた声音で詰問。


「そのふざけた体勢はなんのまね?」


 コイツ! まさかここまで来て怖じ気付いたんじゃ。


 あたしの心配をよそに、田上は意外なことを口走り出す。


「お嬢様! どうかお願いです! 私に誘拐されてください!」


 一度顔を上げ、もう一度頭を下げた時、ゴンっと田上の頭はいい音を鳴らした。


 相当な覚悟なのだろうけど、イタイやつ。頭だけではなくね。


 田上が借金とか連帯保証人とか、訳のわからない身の上話をしている時、あたしはべつのことを考えていた。


 ただの家出より、誘拐された方がお父様は心配するのではないか? と。


 ふざけたことを言っているコイツを、自慢の合気道でしばき倒しても、車と言う足を失うし、ブレーカーや元栓探しはめんどくさいしで、デメリットばかり、それなら、誘拐されるのも悪くはない。


「いいわ。正し主導権は当然あたしよ。わかったわね?」


 お代官様にひれ伏す平民みたいな田上に、面倒事を頼んであたしは邸を探検することに。


 お父様の言葉の受け売りだけれど、人は平等ではない。


 あたし達は君臨する者であり、田上みたいなゴミムシは奴隷である。


 それが世の中の摂理。決してくつがえらない生まれの差と言っても良いだろう。


 イメージ色がセピアな邸の中は、言葉の宝石箱をひっくり返しても形容し難い。ようは、つまらないと言うこと。


 家具に掛かるホコリ避けの白い布を次から次へとめくってみても、ぱっとしないデザインのものしか出て来ない。


 幾つか部屋を覗き込んでいた時、人影を見てびくりとするが、姿見に映った自分の姿だった。


 映っているのは自分のはずなのに、何か嫌な感じがして、足早にその部屋を後にした。


 なんだろうこの感じ、胸がざわざわする。


 本当にお化け屋敷だったりして?


 次の部屋では、お母様の肖像画が飾られていた。


 モナリザみたいなポーズで椅子に腰掛けているお母様の絵。


 着ているドレスはお母様のお気に入りだ。


 あのドレスを着ている写真を何枚か見たことがある。


 そういえば、お母様と最後に来た別荘はここだった気がする。


 全てが輝いていて、幸せしか知らなかったあの頃が懐かしい。




 歩くのに飽きて来たころ、真っ暗な廊下の先、扉の下から僅かに光がもれているのが見えて来た。


 羽虫のごとくその明かりに誘われ、あたしがその扉を開けると、溢れる眩しさに視界は白く染まる。


 闇に慣れていた目が光を受け入れたころ、四方の壁に窓ひとつない寝室が見えた。


 部屋にある一際大きなベッドには、天窓から光が降り注ぎ、まるで天蓋のように射している。


 この邸に来て、初めて息を呑むほどに美しいものを見た。


 あたしの家出期間中、基、誘拐されている間の寝所はここしかない。




 ほどなく、廊下にも明かりが生まれる。


 田上がブレーカーを見付けたのだろう。


 古びた廊下の木目がありありと映し出され、やっぱりダサい邸だとげんなりする。


 水も出るようになったのを確認していた時、なんか草とか葉っぱをくっ付けた田上が顔を出した。


 水道の元栓、外にでもあったのかしら? はひはひ息も上がっていたりする。


 ウケる。


 相手が人間であれば、人道上休憩も必要だろうが、あいにく田上は奴隷で家畜以下。残念な身の上だ。


 あたしはさっさと脅迫電話をかけるよう田上に指示を出す。


 すると、頭の中に綿菓子でも入っているのか? 邸の電話から掛けようとする。


 分相応とは良く言ったもので、どうやら王にはそれに見合った知性が。虫けらには蟻並の脳が与えられるらしい。


 この蟻さんは、番号見たらどこから掛けているか一目瞭然と言うことがわからないのだろうか?


 よしんば非通知で掛けたとしても、警察が電話会社に問い合わせればまるわかり。


 イタズラ電話レベルじゃない。ことは大財閥令嬢誘拐事件。


 警察は最大レベルの捜査をするだろう。警視庁にはお父様の知人もいるのだから。


 脅迫電話は、あたしのケータイからかけなさいと指示をすると、ここでもアホ行動。この場所から掛けようとする。


 ケータイの電波は基地局が受信し発信すると言うシステムを知らないのかしら? どの基地局が受信したかも、調べればすぐわかること。


 ここから掛ければ、この邸はすぐ捜査対象に浮上することだろう。


 街中から掛けようねと優しく諭すと、ここでもバカ行動と言うか先走り行動。すぐ出発しようとする。


 あのね田上さん、あたしのケータイからと言うだけで信じる程、うちのお父様はお人が良くないのよ?


 という訳で、誘拐写真の撮影会を開催することにした。


 場所はあの天窓の寝室。


 何か丈夫そうなロープを見つけて来なさいと命じて用意させた荒縄。


 ガレージに落ちていたそうで、汚れていたから良く洗わせた。


 恐れ多いとか出来ませんとか嫌がる田上に、あたしの手足をその荒縄で縛らせ、ベッドに拘束された姿を撮影させる。


 響くケータイのシャッター音。


 照らすフラッシュの光。


 その光に、何か幻影のようなまどろみを感じる。


 なんだろうこの不思議な感覚は?


 言葉に出来ないけれど、なにか嫌な感じ。


 撮影が終わり、すぐ縄を解こうとする田上に、あたしはこのままでいいと伝えた。


 誘拐気分などなかなか味わえない。脅迫電話を掛けに、田上が市街地まで行って帰って来るのなどほんの二時間ほどのこと。


 あたしはベッドの上から心配する田上を見送った。




 しーん、と静まる邸に、僅かなエンジン音が聞こえ、それも緩やかに遠ざかり聞こえなくなる。


 真の静寂が訪れた部屋の中には、コチッコチッコチッと、置き時計の音が僅かに響く。


 時刻は、あたしの頭の向こうなので見えないが、十三回ボ~ンと言う音が響いた。


 午後一時。


 あたしはくすくす笑い、荒縄から片手を引き抜く。


 護身術として教えられたことを実戦してみたら、片手を引き抜けそうだったから縛られたまま田上を追い出した。


 あたしはさらに笑い、テレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れる。


 単純ないたずら。帰って来た田上が驚くのを見たくてのこと。


 リモコンを手探りで元の場所に戻し、引き抜いた手を荒縄の隙間に戻すつもりだったが、なかなか入らない。頭の上で見えないせいだけではない気がする。


 引き抜く時か戻そうとした時に、さらにきつく締まったのかも知れない。


 これはまずい。


 せっかくのいたずらが台無しになる。とか思った時にするっと入った。


 良かったけれど、もう抜けないかも知れない。


 まあ、抜けるかどうか試す気にもならなかったので、あたしはただ、目の前に広がる天窓越しの空に目を向けた。


 青い空には、小さな雲が時折横切る。


 あー、詩人の血が騒ぐ。


 頭の中に、美しくも悲しい言葉が浮かび列を成して行く。


 良い眺め。


 美的センスも激しく刺激される。


 古い邸の窓枠は錆び付き、まるで一級品の額縁のような味わい。


 空模様は一瞬一瞬が絵画。


 観ていて飽きることがない。


 あたしはやっぱり美術が好き。この道以外で生きることなんて考えられない。


 言葉と美にまどろむあたしの意識は、緩やかに落ちて行く。眠りの中へ。


 その時ふと思った。


 あたしはいつ、田上に説明した知識を知り得たのだろう? 最近読んだ推理小説にでも書いてあったのだろうか? 答えを考える意識も、静寂へと落ちて行く。




 深く……。




 深く……。






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