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二週間が経つ頃には、子供達は落ち着いてきた。
マルコは、まだアウトローな空気のあるゾルド達に興味を持っているが、鍛錬で見る事のできるホスエの強さには尊敬を覚えた。
男の子である以上、強さに興味を惹かれるのだ。
ホスエは、マルコの自分を見る目が変わった事に気付いた。
お陰でハリキリ過ぎたホスエが、テオドール達に厳しい立ち合いをするので治療薬の消費が増えた。
ホスエの悩みが解決した代わりに、増えた出費でゾルドが頭を悩ませる。
ミランダはテレサと刺繍をしたり、本を読んでもらったりし始めた。
彼女も今の生活に馴染もうと少しずつではあるが、色々と試し始めたのだ。
その中の一つ。
ゾルドと一緒に行う花壇の手入れは日課となっていた。
「ミランダ、そろそろ水やりに行くか」
「うん、アダムスお兄さん」
マルコはいまだに”おやっさん”呼ばわりだが、ミランダはお兄さんと呼ぶようになった。
ここに至るまでに、アダムスおじさん呼ばわりもされた。
実年齢で言えば、ゾルドは三十台後半になっている。
しかし、魔神という種族のお陰か年を取った感じはしない。
ゲームを起動した時と同じままだ。
そもそも、ゾルドは十年ほど海底にいた。
その間の記憶は忘れてしまっているので、ゾルドにしてみれば異世界に来て二年程度の感覚しかない。
まだ”おじさん”と呼ばれたくない複雑なお年頃なのだ。
だから、お兄さんと呼ばせるようにしていた。
マルコは男の子だ。
だから、特殊な育ちだったとはいえ、ホスエもなんとなく扱いがわかる。
だが、女の子のミランダの扱いには困り、オロオロするばかりだった。
それに対し、ゾルドは根気よくミランダと話をした。
ホスエのためにというのもあるが、レジーナのためでもある。
今まで仲間内で女はレジーナだけだった。
使用人では立場が違い過ぎて、気楽に話せる同性の相手がいなかったのだ。
大人の会話はテレサと。
そして、花などの会話はミランダとさせようと思っていた。
ゾルドは植物に興味が無い。
子供相手だったとしても、植物に関する話ならレジーナもしたいはずだ。
ゾルドと一緒に花壇の世話をしていたと聞けば、悪い印象も持たないだろうと思っていた。
心の中では子供の相手をする事にうんざりしていたゾルドだったが、表向きは人の良いお兄さんを演じている。
”レジーナのため”という理由があったとしても、ミランダは”優しい大人の人”と受け取って懐き始めていた。
そのせいか、ゾルドに対するミランダの言葉使いも少しずつ子供らしくなってきた。
この日もゾルド達は、いつものように庭へと出て行った。
その時、ちょうど門から屋敷の中間くらいの場所に見慣れた姿が見える。
――レジーナだ。
しかも、こちらを見て涙を流している。
(なんだ、たった二週間なのに感動の涙か)
”あそこまで惚れさせるとは、自分も罪作りな男だ”
そんな勘違いをしていたが、レジーナの様子がおかしい事に気付く。
ミランダに待っているように伝えると、レジーナのもとへと向かった。
「お帰り、久しぶりの故郷はどうだった?」
レジーナの返事は、力一杯の平手打ちだった。
「なんなんだ、一体!?」
「それはこっちのセリフよ! まだ隠し子がいたなんて」
レジーナは、ミランダをジャックのような隠し子だと思い込んでいた。
ミランダがゾルドに懐いている事が、その考えを事実だと思い込ませるのに一役買っていた。
「ちょっと待て」
「酷いわ、こんなのって……、こんなのって酷過ぎる……」
レジーナはその場に崩れ落ち、声を上げて泣きだす。
ゾルドが女にだらしないという事はわかっていた。
だからジャックの話をされた時も、ゾルドの隠し子という事ではなく、ニーズヘッグが魔物の王に据えるほどの強い力を持っているという事に驚いた。
しかし、今は違う。
ゾルドへの愛を再確認したところだ。
ダークエルフの愛は深い。
愛が深いという事は、相手の浮気などの全てを受け入れるという意味ではない。
独占欲が強いという事だ。
今、ここで隠し子が発覚するというのは、レジーナにとって非常に辛い事だった。
しかも、子供がいるという事は母親も屋敷の中にいるかもしれない。
そう思うと、レジーナの心は張り裂けそうだった。
心の奥から湧き出る感情を抑える事ができなかったのだ。
「おい、なんなんだよ」
突然泣き出したレジーナに、ゾルドは困惑するだけだ。
助けを求めようと周囲を見回すが、ミランダしかいない。
そのミランダも、両手を腹の前で組んでモジモジして視線を逸らしている。
娼館で起きる痴情のもつれは、見て見ぬふりをするのが出くわした者の義務だった。
ミランダもそれに倣い、ゾルドとレジーナの事に関わろうとしなかった。
教育が行き届いている弊害だ。
ホスエ達は裏庭で、テレサは屋敷の中。
助けを求められる者はいない。
ホスエの事を”子供相手にオロオロしていて情けない”と心の中で笑っていたが、今度はゾルドがオロオロとする番だった。
ゾルドは泣き崩れたレジーナを抱き上げ、まずはリビングまで運んだ。
そこにはテレサが居る事を知っているからだ。
同じ女として、何か意見を聞きたかったからだったが、それが不味かった。
レジーナは、これから同居する女の紹介をされると思い、さらに強く泣き叫び始めてしまった。
これにはゾルドだけではなく、テレサも狼狽えた。
泣き喚く女を連れて来られたと思えば、自分の顔を見てさらに大きな声で泣き出されたのだ。
エルフだったので、前もって聞いていたレジーナだとはわかっていたが、自分を見て泣かれる理由がわからなかった。
「落ち着け、あいつはジョシュアの女だ。あいつが前に話していただろ、幼馴染で義理の妹だよ」
「……テレサ?」
幸いなことにレジーナはテレサの話を覚えていた。
以前、ホスエがゾルドとの出会いをレジーナと話していた時に、テレサの事も話題に出ていたからだ。
「そうだ、テレサだ。見つかったんだよ。その子はテレサの娘で、俺の子じゃない」
獣人の女がゾルドの愛人ではなく、ホスエの幼馴染だと知り、レジーナは少し落ち着いた。
「本当に?」
レジーナはテレサに問いかけた。
「アダムスさんの言う通りです。それに助けられるまで、私はアダムスさんとは会った事もありません」
「本当に?」
念を押すように、レジーナはもう一度聞く。
「私が愛しているのはジョシュアだけです」
少し照れながらではあるが、テレサはハッキリと断言した。
それでレジーナは気付いた。
「それじゃ、全部私の勘違い?」
「そうだ」
全て自分の勘違いだと気付いて、レジーナは気が抜ける。
そして、ゾルドに抱き付き、また泣き出す。
「なんで、また泣くんだよ」
「叩いてごめんなさい、疑ってごめんなさい……」
レジーナが泣くのは、ゾルドに悪い事をしてしまった後悔からだ。
顔を引っ叩いた事もそうだが、ゾルドを疑ってしまった。
――愛しているのに、信じてあげられなかった。
その事が何よりも悔しい。
自分の愚かさに、レジーナは涙が止まらなかった。
本来のゾルドなら”人を疑った上に叩くとはどういうつもりだ”と、やり返すところだ。
しかし、今回ばかりは違った。
レジーナを裏切ろうとしていたのは事実だ。
里帰りしている間に娼館に遊びに行こうとしていた。
その後ろめたさが、レジーナを責め立てる事をできなくしていた。
ゾルドは後ろめたさを、抱き締めてやる事で誤魔化す。
そこへ、ホスエ達がリビングに現れた。
女性の泣き声に気付き、様子を見に来たのだ。
「イブ姉さん、お帰りなさい……、それでこれはどうなってるの?」
泣き喚くレジーナに、狼狽えるテレサ。
なぜかモジモジして視線を逸らしているミランダもいる。
ホスエ達には状況が理解できなかった。
ゾルドはため息まじりに説明を始める。
そして、レジーナにもテレサ達が屋敷に来る事になった経緯を説明してやった。
「――そういう事だったの。あなた、ごめんなさい。テレサとミランダもごめんなさいね。驚いたでしょ」
レジーナはミランダをギュッと抱き締める。
テレサは大人だが、ミランダはまだ幼い子供だ。
目の前で取り乱して驚かせてしまった。
申し訳ないという気持ちを含めて、抱きしめてやる。
「けれど、なんで娼館に行く事になったかは、後で聞かせて貰うわね」
ダークエルフの愛は深い。
その辺りの事も、しっかりとゾルドに聞いておかねば気が済まないのだ。
「……すんません、姐さん。俺が誘ったんです」
ここで意外な人物が口を開いた。
テオドールだ。
ゾルドとは色々あったが、彼にとってゾルドがボスだ。
ボスである以上、庇う必要があると思っての行動だ。
「あなたが?」
てっきりゾルドが言い出したと思っていたレジーナは、テオドールに驚きの視線を向ける。
「姐さんが居なくなったんで、たまには男同士の付き合いでどうかと誘っちまったんです。おやっさんには断られましたけどね」
「そうなの?」
レジーナはホスエに聞いた。
下半身に関する事では、ゾルドよりもホスエの方が信じられるからだ。
ホスエ自身、テオドールの行動に驚いている。
それでも、テオドールの意図する事がわかったので、それに乗ってやる事にした。
「兄さんは行かなかったよ。興味はありそうだったけどね」
ホスエがそう言った事で、レジーナは安心する。
ゾルドが女に興味を持つのは、よくある事だ。
だとしても、レジーナが嫉妬を覚える程度には不快感を感じたが。
だが、一線は超えていない。
その事が何よりも嬉しかった。
「あなた、疑ってごめんなさい」
「いや、今までが今までだったしな。気にする事は無い」
ゾルドは難関を乗り越えた事に安堵していた。
これもテオドールのナイスアシストのお陰だ。
後で特別ボーナスをくれてやらねばならない。
「色々と話したい事もあるだろうが、今日はゆっくりと休め。疲れただろう」
ゾルドはレジーナに優しい言葉をかけた。
レジーナを部屋で休ませなければ、テオドールにボーナスを渡すところを見られる危険性があるからだ。
「そうね。手紙とかもあるけれど、少し部屋で休むことにするわ。泣き腫らした目じゃ、恥ずかしいもの。あなた達もまた後でね」
レジーナはテレサ達に声をかけると、寝室へと向かっていった。
「彼女の事はまた後で話そう。心配かけてすまなかったな」
ゾルドが声をかけて、これで話は終わりだと解散を促す。
その後、ゾルドはテオドールに声をかける。
「マジで助かった。さっきの援護は最高だった。特別ボーナスやるよ」
「おやっさんが困りそうだったから言ったんで、金が欲しいからやったわけじゃねぇんですが……」
テオドールの意外な忠誠心に、ゾルドは驚いた。
金での繋がりしかないと思っていたのでなおさらだ。
”自分にも人が付いてくるんだ”と思うと、ゾルドは嬉しくなった。
「色を付けといてやる。その金で、今度は別の店にラウルを連れて行ってやれ」
「あー、そういえば女を買ってないですからね。あの年でお預けは辛いですからね。そう言う事なら、ありがたく頂きやす」
ゾルドは懐から財布を取り出し、それなりの金額を渡す。
財布は何か問題があった時のために、携帯するようにしている。
以前、屋敷に衛兵が居た時に金が無かったので、テオドールに渡した金を返してもらった。
そんな事がないように、常に金を渡せるように用意していたのだ。
お陰で今回役に立った。
「面倒のついでで悪いが、ミランダと一緒に花壇に水をやっておいてくれないか? 俺はイブの様子を見に行く」
「わかりやした」
ゾルドはテオドールに仕事を頼むと、寝室へと向かう。
慰めはともかく、手紙を見せてもらわなければならない。
特にニーズヘッグの返事があれば、かなり重要な物のはずだ。
早めに確認しておきたい。
「レジーナ、今は大丈夫か」
ベッドに横になっているレジーナに声をかける。
今は二人っきりで人の聞かれる心配はない。
レジーナに本名で呼びかけた。
「ダメよ。まだこんな顔を見せたくない」
泣いている時は気にならないが、落ち着いてくると泣き腫らしたみっともない顔を愛する人に見せたくない。
そう思ったレジーナは布団を被り、顔を隠してしまった。
「なら、手紙はどこだ? 早めに読んでおきたい」
「そこの袋の中よ」
レジーナは布団の中から、ナイトテーブルの上を指差す。
ゾルドはベッドに腰を掛け、袋を手に取ると中を覗く。
「……なんだこの鎧は?」
袋の中には、三セットの鱗の防具が揃っている。
「ホスエ達へのお土産よ。彼等もよくやってくれているもの。ニーズヘッグに貰って来たの」
ゾルドが鎧を持つと、軽くて丈夫そうな感じがする。
それなりに良い品なのだろう。
ゾルドと違い、怪我をすればそのまま戦闘力の低下を招く。
命を守るという事を考えれば、良い装備は持たせておいた方が良い。
「なるほどな、良い防具は必要だしな。俺には無いのか?」
「もちろん、あるわよ」
レジーナは布団から抜け出すと、ゾルドの背後に座る。
泣き顔を見られないためだ。
ナイトテーブルに置かれたもう一つの袋を手に取ると、中から一冊の大学ノートを取り出した。
中にはレシートなどが貼られて膨らんでいる。
「これは……」
両親がゾルドに向けて書いた請求書兼日記だ。
「実はね。部屋に入れないか試してみたらドアが開いたの。一度、中に入ったからかしら。部屋の中で目立っていたそれを持ってきちゃった。ごめんね、少し中身を読んじゃったわ」
「いいさ、最高のお土産だ」
ゾルドは大学ノートを抱きしめる。
ニーズヘッグに突然追い出されたので、部屋からは何一つ持ち出す事ができなかった。
もう二度と読む事は無いと思っていた両親の文字。
それをまた読めるのであれば、多少読まれた事くらい気にならない。
ゾルドは本当にありがたいと思っていた。
「中の紙に書いている事はよくわからないけど、ご両親は良い人そうな感じね」
「あぁ、俺には良い親だよ。レジーナは里帰りしてどうだった?」
レジーナはゾルドに背後から抱き付く。
少し体が震えているのを感じ、ゾルドはレジーナが口を開くのを待った。
「謝られたわ。メアリーがケビンと結婚しちゃった事をね」
「そうか」
レジーナの震えが少し大きくなっていく。
そして涙声で話始めた。
「子供も生まれてたわ。それに、カーミラも男を生んでたわ。アルカードですって」
ゾルドが追い出される頃には、カーミラのお腹も目立つくらい大きかった。
一年近く経った今なら、生まれていてもおかしくない。
「以前は圧倒的強者として、ものすごく怖かったわ。けれど、今では母親の顔になってるの」
そこでレジーナの腕に力が籠る。
「ジャックには”パパの婚約者なら、僕のママになるんだね”って懐かれたわ。嬉しかったけれど……、私の生んだ子供じゃないわ。カズオも、ジローも、ミツコも私の子供じゃない!」
ゾルドは震えるレジーナの手に、手を重ねる。
「そうか、だから様子がおかしかったんだな」
ここまで言われればゾルドでも気付く。
レジーナは確固たる証が欲しいのだと。
恋人だとか婚約者ではない。
ゾルドの女だとハッキリと形に残る物が欲しいのだと。
レジーナはミランダを見て、自分の立場が脅かされる恐怖を感じていた。
だから、あんなに取り乱していたのだ。
ゾルドは、自分との間に子供が居ない事をレジーナが焦っていたのだと気付いた。
「私はあなたの一番だと信じていいの?」
「もちろんだ。他の女とは違う、お前が俺の一番だ。……子供はまぁ、あれだ。神様の授かり物っていうしな」
ゾルドは避妊に気を付けた事はない。
欲望の赴くままに女を抱いて来た。
だからこそ、ハーレムの女達は子供を孕んだ。
レジーナも、いつ妊娠してもおかしくはない。
ただ、巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。
「神様はあなたじゃない。なんとかしてよ」
あまりにも無茶な要求。
しかし、ゾルドはその望みを叶えてやる事にした。
「わかった、なんとかしてやるよ」
「きゃっ」
背後から抱き付いていたレジーナの腕を振り払い、そのままベッドに押し倒した。
まだ日は高いが、この二週間ずっと我慢していた分を、レジーナの望む通りに使ってやるつもりだ。
ついでに、レジーナを抱く事によって、子供の名前を適当に付けた事も忘れたかったのかもしれない。