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 最後に会議室を訪れたのは、ベネルクス連合王国の教会を任されている司教ダミアンだった。

 突然呼び出されて不愉快だった。

 だが、そんな気分も部屋の中を見れば吹き飛ぶ。


 国王であるレオポルドを筆頭に、フィリップ王子とアルベール王子。

 王族の中でも、もっとも重要な者達だ。


 そして、王子達の後見人ともいえる二人の男。

 ハストン宰相とマウリッツ将軍までいる。


 さらには、アルヴェス商会を築いたアルヴェスと、ベルシュタイン商会のヨハン。

 経済界の顔が新旧揃っている。


 ベネルクス連合王国に駐留する、神教騎士団小隊のポール隊長までも出席しているようだ。

 この部屋には、他に護衛らしき者が二人だけ。

 ベネルクス連合の重要人物が集まっているには、少なく思えた。


 部屋の入口で立ち止まっているダミアンに対し、ポールの横に座っている男が手招きをしている。


「司教。こちらへどうぞ」


 手招きをしているのはゾルドだ。

 自分の隣にダミアンを座らせようとしている。

 ベネルクス教区を任される司教であるダミアンと、神教騎士団団員のポールの間に座る形だ。


 当然、ダミアンもその見慣れぬ男の横に座って良いのか迷ったが、他の者達が止める様子もない。

 どのような話かわからないが、この男が話の中心なのだろうと思い、大人しく座る。


「お頼みした物は持って来てくださいましたか?」

「もちろんだ」


 ダミアンは神への誓約書を取り出す。

 念のためにと20枚も持って来させられていた。

 それを見て、ゾルドは満足したようにうなずく。


「ありがとうございます。この話が終わった後、皆さんには他言しないと書いていただく事になります。当然、ダミアン司教にもです」

「私もかね!」


 神に仕える身の自分に、さらに神に誓えと言われたのだ。

 まさかそこまでという思いがある。


「これから話す内容を聞いてからで結構です。もちろん、自分から進んで書いてくれると思っています」


 ゾルドは確信を持っていた。

 そのために、ポールやダミアンを呼び出したのだ。

 ハッタリをかますにも、説得力という物が必要になる。

 その説得力に、教会関係者を利用する。

 魔神に良いように教会関係者が使われるのだと思うと、ゾルドは愉快な気持ちになった。


「さて、必要な人間が集まったので話を進めましょう」


 この場をゾルドがリードする。

 もちろん、ゾルドが話を進めないと進みようが無いという事もある。


「初対面の人もいるので、まずは自己紹介を。私はアダムス・ヒルター、まぁ偽名ですがね。幻術による変装もポール隊長と、フィリップ王子の護衛であるステファンに見破られました」


 実はポールと出会った時にも、幻術による変装を見破られた。

 どうやら幻術を使うと、高レベルの魔法を使える者に違和感を与えるようだ。

 今まではスラムと商人連中と会っていたので、気付かれなかっただけ。

 今後は、一定以上の力を持つ魔法使いと出会うようなるかもしれない。

 そうなれば、変装も有効ではなくなるのだろう。


 今は切り札の指輪が使えている。

 だが、いつかはそれも使えなくなるだろう。

 その時にバレていれば、平和的な解決もできなくなる。

 ゾルドは、比較的安全な今の内に気付けて良かったと思っていた。


「さて、私の正体ですが……。誓約書を書いてもらうとはいえ、全てをお話するわけにはいきません。ですが、教える事のできる範囲で全てをお話致しましょう」


 ステファンに返してもらった小袋を取り出し、中身を指に付ける。

 ゾルドが魔力を流すように意識すると、十字と円が組み合わさった、ケルト十字のような物が浮かび上がった。

 一同から言葉にならない驚きの声が漏れる。

 驚かないのは部屋の隅で立っている、ホスエとステファンの二人だけだ。


(魔法の練習をしておいて良かった)


”自分で神教騎士団の指輪を使いたい”


 そのために、魔力を流して使うタイプの安い魔道具を数多く破壊していた。

 魔力を流し過ぎると、魔道具が破壊されるらしい。

 貴重な指輪で練習せず、安価な魔道具で練習したのはそのためだ。


 一般的に肉体能力は高いが、魔力が低いとされている獣人のホスエでも使えるくらい、指輪は少ない魔力で発動する。

 ゾルドにしてみれば、指から毛を一本生やすような感覚に思えた。

 それも、レジーナに頼んで魔力を流してもらい、体で魔力の流れをなんとなく覚えたくらいだ。

 ある日突然、魔法の才能に目覚めるような都合の良い事は起きなかった。

 魔法なのに体で覚えるという矛盾した馬鹿げた行為は無駄ではなかった。


 皆が驚いているのを見て、ゾルドはダミアンに話を振る。

 驚いて思考が止まっている間に、決定的な事を脳に刻み付けるためだ。

 まともな思考ができるようになる前に、自分に有利な事を既成事実であるかのように思わせる必要がある。


「ダミアン司教、あなたならご存じのはずです。この国が第二次天魔戦争に備えて、どの程度の寄付金を納めているのか。皆に教えてやってくれますか」


 ゾルドは知っている。

 ジョゼフではなく、ラインハルトの情報なので100%かどうかまではわからない。

 だが、この国の軍事費と同額とだけは聞いていた。


「えっ、あぁ……。確か天魔戦争に備えて増額されたのは100億エーロだったかな」

「そうです、少ないと思いませんか?」


 宰相のハストンが、ゾルドの”少ない”という言葉に反応した。


「そんな事は無い。我が国の常備軍の維持費と同額だ。これは他国も同じような基準で支払っているので、相場通りだ」


 彼の言い分では、他の国も軍の維持費と同額の寄付金を捻出しているらしい。

 これはゾルドも知らない情報だった。

 さっそく、この情報を使って嫌がらせをする。


「寄付金に相場なんてねぇんだよ」


 あえてハストンには粗い言葉で吐き捨てるように言った。

 これは”アダムス・ヒルターが神教庁側の人間で、ダミアンやポールには礼儀を持って接する。そして、神の意思に反する者達には厳しく接する”と、信じ込ませるための演技だ。

 ゾルドはダミアンに顔を向け、言葉を続ける。


「ベネルクス連合王国は、神によって唯一魔族との取引が認められています。そのお陰で、ベネルクス連合王国は世界一の商業国家になりました。そこから得られる税金は莫大な物です。富を独占しておきながら『軍の維持費と同額を払っているから義務を果たしている』そんな事を認められますか? 小国だから、軍の維持費は安いというのに。国の経済規模にまったく見合っていないと思いませんか?」

「それはそう思うが……、それが君の正体に関係あるのかね?」

「あります」


 ゾルドは自信満々に言った。

 まったくの嘘なのに。


「神が、ある時心配なされました。”魔神との闘いで負けるわけにはいかない”と。しかし、天魔戦争が起きる気配が無いのを良いことに”天神側陣営同士で戦争を起こす””献金が少ない”と、各国首脳部に危機感がありません」


 その言葉に、ベネルクス王家側の人間が顔を曇らせる。

 商業国家のベネルクス連合王国が支払う額にしては少ないという事を、心のどこかで感じていたからだ。


「とはいえ、ベネルクス側だけを責めるわけにはいきません」


 ゾルドはダミアンの方を顔を向ける。

 ダミアンは”えっ”という顔をした。

 ここで、自分に矛先が向くとは思わなかったからだ。


「本来なら、ベネルクス教区を任されるダミアン司教が解決しなければならない問題です。軍の維持費と同額を払っていると丸め込まれるのではなく、それとなく追加で献金を求めるべきでした」

「いや、それは――」

「いえ、言い訳は結構。私はそれを聞いても、どうこうできる立場ではありません」

「わかった……」


 ここまで言われれば、ゾルドの正体について想像もつく。

 

「私は金を稼ぐため、この国に来ました。偽名を使ったり変装をしていたのは、私の正体を探らせないためです」

「なぜ正体を隠すのかね?」


 その質問は、この場にいる者全ての思いを代弁していた。

 この集まりのもっとも重要な部分だ。


「それは、神が皆様を気遣っての配慮です。誰だって”お前は金払いが渋い”や”やるべき仕事をしていない”と言われるのは辛いでしょう? とてもお優しいお方なのですよ。それと私の親族や友人が人質に取られたりしないためですね」


”天神に気を使わせてしまった”


 それがこの場にいた者、全員の共通の認識だ。

 ゾルドとホスエは除いてだが。

 ゾルドは()としか言っていない。

 天神だと勘違いしているのは、皆の勝手だ。

 魔神だって神様なのだという事を忘れてもらっては困る。


「しかし、なぜ指輪を持っている? 失礼ながら、君は騎士団員のように訓練された者といった感じがしない」


 今、この場で責められていないポールがゾルドに聞いた。

 各国の駐留騎士団の職務は、魔神や魔族の捜索をし、捕えたり殺したりする事だ。

 金に関してはノータッチとなっている。

 今の話題では、気楽に口を開く事ができる唯一の人物だった。


「こういう時のためですよ。現に指輪を持っていて、ステファンに見せなければ、そこの馬鹿王子に殺されるところでした」


 皆がステファンを見て、そして視線はフィリップへと移った。

 フィリップは顔を青ざめさせている。

 教会の――それも天神直々の秘密任務に就いていた――者を、後援者を得るために殺そうとしたのだ。

 いくらなんでも、それがどれだけやらかしたかは理解できている。


「ポール隊長。私の護衛のジョシュアと戦うつもりで向かい合って頂けませんか? さすがに王族のいる場所なので、拳でお願いします」

「わかった」


 ポールは立ち上がる。

 ホスエも”出番が来た”と拳を構え、ポールと向かい合う。

 しばらく睨み合った後、構えを解いたポールが口を開いた。


「ジョシュアだったか。彼は神教騎士団で訓練を受けた様子があるな。実戦経験もかなり多いはずだ。それも魔物相手だけではない、人間相手もだ」


(良かった。そこまでわかってくれたか)


 以前、酒の席でホスエが”ある程度強くなると、相手の強さがわかるようになる”と言っていた。

 それを利用し、ポールにホスエが強いとわかってくれれば良かった。

 神教騎士団の団員特有のクセかなにかまで感じ取ってくれるとは嬉しい誤算だ。


「彼は私の護衛です。わかっておられると思いますが、彼も変装しています。理由は私と同じです」

「なるほどな」


 ゾルドが神教騎士団の指輪を持っている事の信憑性を高めるためにホスエを使った。

 本物の騎士団員が護衛に付いているとなれば、疑いようがない。

 騎士団員ではないが、神によって授けられたのだと皆が信じた。

 ポールが席に着いたのを見て、ゾルドは話を続ける。


「私が選ばれたのは、神が金稼ぎの才能があると思われたからです。ダミアン司教やポール隊長が5兆エーロを稼ぎ出せますか?」

「私にはできない」

「無理だな」


 二人には専門外の事だ。

 任されても、どうすればいいのか途方に暮れるだろう。


「だから、私なのです。適任者として選ばれました」


 そこで言葉を切り、ヨハンの方に視線を向ける。

 ヨハンはビクリと体を震わせた。

 自分が命を狩る側だと思っていたのに、狩られる側に回ったのだ。

 まだ心の覚悟は出来ていない。


「ヨハン、なんで120億エーロもの借金を肩代わりできたとおもう?」

「教会の……、ローマの支援があったからか……」


 ゾルドはうなずく。

 だが、言葉には出さない。

 別に”そうだ”と言っても良かったのだが、これには理由がない。

 それとなく匂わせるだけで、言質を取らせないのがクセになっているだけだ。


「そうか、そうだったのか……。会長にだってなれたのに、副会長なんて微妙な地位を望んだのは目立たないためだったのか……」

「そうだ。残念だよ、ヨハン」


 真実を知ったと思い込み、ヨハンは頭を抱える。

 今は金を独り占めしようとして、深く後悔しているところだろう。

 ゾルドはそこに優しい言葉をかける。


「まぁ、そう落ち込むな。お前に対しては、感謝の気持ちであふれている。罪に問う事はしないよ」

「感謝?」


 ヨハンは”罪に問わない”というところよりも”感謝”という言葉が気になった。

 恨まれこそすれど、感謝されるような覚えはない。

 ゾルドは懐から、一枚の紙を取り出す。


「ほら。”稼いだ5兆エーロを全額アダムス・ヒルター氏に寄付します”って書いてくれたじゃないか」

「なんだって!」


 ヨハンが紙を掴もうとするが、ゾルドはそれを避ける。

 奪われて、破られたりしたらもったいないからだ。

 ゾルドは隣に座るダミアンに紙を見せる。


「確かに、ヨハン・ベルシュタインの署名付きですな」


 これはヨハンが忙しい時に署名だけしてもらっておいた用紙だ。

 顧客との契約のために使うのではなく、この時のために用意していた。


「そんな全額だなんて! 山分けの約束だったじゃないか!」


 もちろん、これにはヨハンが苦情を入れる。


「そうだよ。約束だった(・・・)んだ。それをお前が破ったんだぞ」

「それは……」


 もし、ヨハンに動く気配が無かったのなら、ゾルドから動いて金を奪い去っていたので”お前が言うな”と言うべきだ。

 しかし、今回はヨハンが先に動いてしまった。

 こればかりは、独り占めしようと先に動いた方が悪い。

 ゾルドに独占の大義名分を与えてしまった。


「だが、そんな紙を用意していたんなら、お前も最初から独り占めしようとしていたんじゃないか! 裏切ろうとしたのはお互い様だ! だから、山分けで良いだろう!」


 見苦しいにも程がある。

 だが、ヨハンの言い分にも理解できる部分がある。

 皆の視線がゾルドに集まり、どう反論するのかを待っていた。


「独り占め? 何の事だかわからんな」


 ゾルドはこんな事もあろうかと用意していた紙を取り出す。

 そちらは皆に見えるよう見せてやった。


「こっちは半額、こちらは二割。色々と用意していたのか……」

「もし、稼いだ金の一部を教会に寄付すると言われたら、その分を引いて請求するつもりだったんだ」

「あぁ……。そんな、嘘だろ……」


 これはまったくの嘘だ。

 全額寄越せという書類しか用意していなければ”最初から裏切る気だったんだな”と逆恨みされる。

 だが、状況に合わせて請求するつもりだったんだと言えば、ヨハンは自分の行動の愚かさを悔いる事になる。

 恨みの矛先を自分自身に向けさせる。

 後で仕返しをされる危険性が下がるはずだ。


「全額寄付してもらう。これはもう決定事項だ。お前がそこの馬鹿と結託した時点でな」


 ゾルドはフィリップ王子を見る。

 次は彼の番だ。


「”王太子フィリップが、ベルシュタイン商会の副会長アダムス・ヒルターを解任するのに協力した”これは動かし難い事実。ここで問題になるのが、稼いだ金を全て私が持っていく事です。さて、陛下に答えてもらいましょう。どう思われますか?」


 いきなり話を振られたレオポルドは困惑する。


「どう思うと聞かれても……、ベルシュタイン商会は潰れるという事ではないのか?」


 当たり障りのない無難な答え。

 だが、今回はそれでは不十分だった。


「そうですね。ただ、それだけではありません。王家が恨まれるという事です」

「なぜだ」

「そこの馬鹿が関わったせいで、儲かるどころか元金すら戻って来なくなるからですよ。3,000億エーロ使って、5兆エーロを稼いだ。そして、その5兆エーロが無くなれば、3,000億エーロは有利子負債となって焦げ付く。さて、誰が悪いんでしょうね。もちろん、ヨハンだけではありませんよ」


 稼いだ金を全て持っていくという事は、金を返すべき相手に返せなくなるという事だ。

 その元凶であるヨハンとフィリップは、アルヴェス並みに恨まれるかもしれない。


「しかも、ベネルクスの者だけではない。世界各国から金を集めています。王太子が介入したせいで、儲けるどころか損をしたとなると……。面目が潰れるだけ済めばいいですね」

「なんという事だ。我らがベルシュタイン商会の尻を拭かねばならんのか」


 さすがに3,000億エーロは、商業国家のベネルクス連合王国でも用意するのは大変だ。

 国内を後回しにし、国外を優先すればなんとかなるかもしれないと、レオポルドは考えた。

 だが、それも間違いだった。


「これは親切心で言うのですが、国内を後回しにするのはお勧めしません。平民からも投資を募っていますので、ガリアのように革命が起きるかもしれませんよ」

「あぁっ――」


 レオポルドは机に突っ伏した。


 ――なんでこんな事になったのだ。


 フィリップを王太子にしたのが間違いだったのか?

 しかし、フィリップは正妃の息子で嫡男だ。

 側妃の子であるアルベールを、王太子に選ぶわけにはいかなかった。


 そこでレオポルドの頭にひらめきが起きる。

 ガバッと顔を上げる


「フィリップを廃嫡し、アルベールを王太子にする。どうだろう、それで和解できんか?」

「そんな、父上!」


 こんな厄介事を持ち込むような息子などいらない。

 フィリップを切り捨てる事で和解し、3,000億エーロを支払ってもらえばいい。

 利子くらいは支払う事ができる。

 そのような申し出をしたレオポルドに、ゾルドは深刻な面持ちで答えた。


「ダミアン司教。教会は国家の事に介入しないのが原則ではありませんでしたか?」


 これは以前ウィーンに居た時に皇后のマリアが言っていた事だ。

 その事を覚えていたゾルドは、ここで教会の原則を持ち出した。


「その通り、後継者問題など以ての外だ」

「つまり、後継者問題に口を出させて、私を神教庁に排除させようと画策したと受け取れますね」


 ゾルドの言葉にレオポルドは慌てた。


「違う、そうじゃない。そんな事は考えていない。純粋に和解の方法が無いか考えただけだ」


 そんな事はわかっている

 これ以上、ゾルドの心証を悪くさせるのはよろしくないと思っての言葉だ。

 問題は受ける側にある。


 ゾルドの目的は金を独占するのと、ヨハン達への意趣返しでしかない。

 謝罪を受け入れず、場をかき回して楽しんでいるだけだ。

 それに、取り乱せば取り乱すほどゾルドが有利になる。

 落ち着かせてやる理由など無かった。


「後継者問題はご自分でお考え下さい。それとベルシュタイン商会をどうするかもお任せします。まぁ、ベネルクス王家が投資者に支払うというのが無難でしょうね。私は解任されて無関係ですのであしからず」


 ゾルドが話をまとめに入ったように思われた。

 他の者達も、ようやく辛い話が終わるとホッとする。

 この場に呼び出された者で平静を保っているのは、まったく責任の無いポールくらいだ。

 ホスエの実力を確認するためだけに呼び出されただけなのだから。


 そんな空気を、ゾルドがぶち壊す。

 まだ、終わってはいないのだ。


「それと、陛下にはそこの馬鹿を王太子に任命した責任を取って頂きたい」

「責任だと?」

「そうです。本来ならベルシュタイン商会の副会長として、もっと稼ぐ事が出来た。それを台無しにしたんですよ。これは神に損させたとも言える行為です。父親として、王として、そこの馬鹿を王太子に任命した責任を取るべきでしょう」


 もしも、フィリップが王太子で無かったら、後援者を得るためにゾルドを殺そうとしなかったはずだ。

 王太子という地位を、与えるべきではない者に与えてしまった。

 その責任はレオポルドが負うべきだと、ゾルドは言っている。


「私はベネルクス全土で、孤児院の設立を要求します」


 今のところ、話は上手く行っている。

 ゾルドは欲を出した。

 ここでさらなる要求を通す事にする。


「孤児院なら教会にもあるはずだ」

「いいえ、数が足りません。教会は寄付金で運営しないといけない以上、子供を引き受けられる限度があります。街中を御覧になりましたか? 少なくとも、ロッテルダムには浮浪児達が様々なところにいましたよ」


 浮浪児は確かに様々なところにいた。

 商業地区のベルシュタイン商会の前にも居たくらいだ。

 これも嘘ではない。


「私の要求は、彼等を人間として扱う事。それだけです。豪華な食事を与えろとは言いません。働けるようになるまで生きていけて、できるのならば最低限の教育を受けられる。そんな環境が良いですね」


 ゾルドの言葉に、ダミアン達は感銘を受ける。


”ただの金の亡者では無かった。浮浪児に対する、この気遣い。やはり、神の使命を受けるほどの男なのだ”と。


「しかし、ベルシュタイン商会の事を考えると予算が……」


 予算の事になるとハストンが口を出してきた。

 今日は彼にとって厄日だ。

 後見人となっていたフィリップが馬鹿な事をやらかし、宰相としても予算に頭を悩ませなければいけない。

 どちらか片方だけでも、頭がパンクしそうだった。


「それはそちらでなんとかしてください。ただ、要求を押し付けるだけでは受け入れにくいでしょう。孤児院の設立をしてくだされば、今回の件に関してローマには何も報告はしません。金稼ぎに関してはまた何か考えますので」

「そうか、それならば引き受けよう。すぐに行動する」


 レオポルドが安請け合いをする。

 ハストンが嫌な顔をするが、断れる状況ではないので、感情を心の内へ抑えた。


(よし、孤児院分丸儲け!)


 ゾルドはラインハルトの力を欲しいと思っている。

 しかし、孤児院の運営には及び腰だった。

 設立だけならまだいい。

 建物を建ててやればいいのだ。


 だが、運営となると別。

 人を雇う必要があるし、子供達の食料や衣服も用意しなければならない。

 しかも、いつまで続くのかわからない出費。

 ゾルドにはそんな出費を考えるだけでも耐えられなかった。


 高級住宅地に屋敷を借りようが、レジーナに宝石を買ってやろうがそれは自分に必要な出費だ。

 見ず知らずのガキのために使う金は、一銭たりとも持ち合わせていない。

 ラインハルトを部下にするための支度金だと思い、払える覚悟がなんとか出来ていたところだった。


 それを全部ベネルクス王家におっかぶせた。

 ゾルドは清々しい気分になり、仏像のような笑みを浮かべる。


 ダミアンとポールは、それを孤児院設立にこぎ着けた事への笑みだと受け取った。

 誰もが目を背け、いない者として扱われる浮浪児達。

 彼等を救う事ができた、慈愛の笑みだと。


「さて”アダムス・ヒルター及びその部下を今後も罪に問わない””5兆エーロはアダムス・ヒルターが得る””ベルシュタイン商会の今後に関して、アダムス・ヒルターは無関係である”という事でよろしいですか?」


 よろしくは無い。

 せめて顧客の元金分くらいは置いて行って欲しいところだ。

 だが、それを否定するのは難しい流れだった。


「そうだ、ハストン。5兆エーロからの税金で、十分補えるのではないか?」


 名案が浮かんだと、レオポルドは嬉々として宰相に話しかける。

 一割でも取れれば、元金だけではなく利子付きで返す事ができる。

 しかし、それは否定された。


「確かに金額的には問題ありません。ですが、ヒルター氏が教会関係者だとわかった以上、ヒルター氏から税を取る事は神教庁から取る事と同義となります。なんとか国庫から捻出するしかありません」


 教会は税金が免除されている。

 無理に取ろうとすれば、ゾルドだけではなく、ダミアン達も即座に敵になるだろう。

 それは悪手だ。

 ハストンは例え王家の私財を売る事になろうとも、自分達でなんとかするべきだと考えた。


「わかった。ヒルター氏の言った事を全面的に認めよう」


”もうお手上げだ”


 そう言わんばかりに、レオポルドは椅子に深く腰をかけ、背もたれにもたれかかる。

 今回ばかりは相手が悪かったと諦めたのだ。


 フィリップが王太子としてふさわしくない行動を取っているのは以前から知っていた。

 だが、年を取るにつれて、いつかは落ち着いてくれるとも思っていた。

 落ち着く前にこれだ。

 自分の愚かさに、レオポルドは悔恨の念にかられていた。


「では、皆さん。誓約書にサインをお願い致します」


 ゾルドはダミアンに持って来て貰っていた誓約書に、今回の条件を書き込み始める。


”アダムス・ヒルター及び、その部下を今後も罪に問わない”

”5兆エーロはアダムス・ヒルターの物だと認める”

”ベルシュタイン商会の今後に関して、アダムス・ヒルターは無関係である”

”アダムス・ヒルター及び、その部下の正体を推測を含めて一切口外しない”


 皆がその誓約書にサインし始めた。

 それを見て、ゾルドはほくそ笑む。


(馬鹿共が! 今回の件の事だと勘違いしているようだが、そんな事は書いてないんだぞ)


 第一の条件である”今後も罪に問わない”の部分だ。

 彼等は”フィリップの言い掛かりの罪状”に関してだと思い込んでいる。

 だが”今回の件を今後も罪に問わない”とは書いていない。

 今は何をするか考えていないが、この国ではなんでもやり放題になったという事だ。


 契約書にサインする前に、条件を確認するのは基本的な事。

 冷静な状態では無いからと言って、見逃したでは許されないのだ。


 ゾルドとホスエ以外がサインすると”ようやく終わった”と場の空気が弛緩した。

 ベネルクス王家にとっては最悪の日だった。

 おそらく、レオポルドは自主的にフィリップを廃嫡し、アルベールを王太子に据えるだろう。


 ヨハンはアルヴェスと同じように萎れていた。

 ほんの数時間前までは勝利を確信していたのだ。

 それが、全てを失ってしまった。

 これからは、フィリップを巻き込んだ主犯として、王家からロクな扱いを受けないだろう。


 ダミアンは自分の職務を思い出した。

 ベルシュタイン商会の尻ぬぐいで、当分は寄付が無理なベネルクス王家に頼るのではない。

 地元の商会へ働きかけて寄付金を募ろうと考えていた。

 戦費調達は、決して無駄にはならない。


 ポールは単純に感心していた。

 魔神信奉者の恰好をして、魔神を探している者がいるという噂は聞いていた。

 それだけではなく、経済面でも暗躍している者がいるのだと驚いている。

 天神は神教庁の奥に居て、動きが見えない。

 それでも、やるべき事はやっているのだと感心していた。


「それでは失礼致します。皆さま、ごきげんよう」


 そう言ってゾルドが席を立つと、ベネルクス王家関係者以外は席を立った。

 この会議の主役が居なくなる。

 もう話す事は無いだろうという事だ。

 そこで、ヨハンだけが呼び止められた。

 フィリップに関係する者として、まだまだ話を聞きたいようだった。

 部屋を出たところで、ゾルドはダミアン達に話しかける。


「本日はお越し頂き、誠にありがとうございました。お陰で助かりました」

「いや、私も己の使命というものを見つめ直すいい機会でした。こちらこそお礼が言いたい」

「私は城に泊まっているので、すぐに来れる。苦労なんかじゃない。面白い物が見れたので、呼んでくれて嬉しいくらいだ」


 彼等は雑談をしながら、王城を出ようとする。

 ダミアンは馬車で先に帰り、ポールは見送りだ。


 ゾルドは城を出たところで、アルヴェスに声をかけた。

 彼は徒歩で帰ろうとしていた。

 城に来る時は馬車を出してもらったが、帰りは出してくれなかったのだろう。

 トボトボと歩いている姿が目に入ったのだ。


「アルヴェスさん、ロッテルダムの商会までお送りしますよ」

「何故だ?」

「ただの親切心ですよ」


 アルヴェスとしては、死ねとまで言った相手だ。

 同乗するのは気まずいどころではない。

 だが、今の肥え太った体で歩くのは疲れるのも事実だ。

 気まずさと疲れを天秤にかけ、疲れが上回った。

 アルヴェスはありがたく同乗する事にした。


 アルヴェス商会に着くまでは無言だった。

 それはそれで気まずいが、アルヴェスにとって責められるよりはマシだ。

 送ってくれた礼を言い、馬車を降りた時にゾルドから声をかけられる。


「グレース出身の冒険者に、嫌がらせなんてしなければこんな事にはならなかったのにな」

「グレース? どういうことだ?」


 その問いに返事は無かった。

 ゾルドが馬車を出させたからだ。

 今のゾルドは男のエルフに変装をしている。

 グレースは人間至上主義の国で”エルフに何の関係が?”と思ったせいで、すぐにはわからなかった。


 彼が”嫌がらせをしたグレース出身の冒険者”に関して思い出したのは、世に絶望したアルヴェスが首を吊った瞬間。

 走馬燈でだ。


 ――魔神ゾルド。


 奴がグレース共和国出身だと勘違いしていたような気がする。

 嫌がらせもしていた。


 アダムス・ヒルターは、魔神ゾルドの変装なのだと気付いたが、もう遅かった。

 その時、すでにアルヴェスの意識は遠のき始め、体が動かなくなっていたからだ。


 たった一言”申し訳なかった”と謝る事が出来なかったがために、彼は全てを失い、失意のうちに世を去っていった。

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