80
年齢不問、経験者優遇、未経験者歓迎!
すぐに月収50万エーロも可能、頑張った分だけ給与も増える!
ノルマもなく、アットホームで明るい職場です!
将来の幹部候補として、やる気のある人を求めています!
さぁ、あなたも今すぐベルシュタイン商会へ。
----------
(あんな広告でも、意外と来るもんだな)
予想以上に面接希望者が集まっている。
ゾルドは、自分の考えた社員募集の広告文も捨てたもんじゃないなと思っていた。
「次の方、どうぞ」
問題は、面接希望者が多すぎる事だ。
ヨハンだけでは間に合わないので、ゾルドまで面接に駆り出されていた。
ここ数日は、別々の部屋で個別に面接しているくらいだ。
王族が話に乗ったので、今の商会にいる社員だけでは勧誘に人数が足りないと思ったので募集をかけた。
紹介を待つだけではなく、様々なところに話を持ち掛けて一気に広げるためだ。
もちろん、集めているのは貴族向けではない。
平民の小金持ち向けの営業社員だ。
貴族相手は礼儀作法を教えなければならないので、こんな募集で来るような者には任せられない。
とりあえずは、数を用意して人海戦術で契約を取ろうと考えたのだ。
そのために、マニュアルも作った。
後は最低限、人を不快にさせずに営業活動ができる者を集めるだけ。
そんな時、予想外の人物が現れた。
「よろしくお願いしま……、あっ!」
「あっ!」
メーヘレン不動産にいたヘンリクスだ。
「なんで面接に?」
思わずゾルドは問いかけてしまう。
大手の不動産屋に勤めているのなら、わざわざこんな募集に乗る必要はない。
何をしに来たのか、どうしても気になってしまったからだ。
ヘンリクスは暗い顔をして答える。
「実は首になったんですよ……。なんででしょうね」
「そりゃあ、客にあんな物件を紹介すればな」
素っ気ないゾルドを、ヘンリクスはジト目で見続ける。
「契約し終わった後、小一時間上司にクレームをつけていた人のせいじゃないんですか?」
「そうだとしても、クレームをつけられる方が悪い。俺を逆恨みするのはお門違いだ」
そう、こればかりは全てヘンリクスが悪い。
不動産と取り扱っているなら、貸し物件といえば貸し借りの方だ。
わざわざ、求める者のいない瑕疵物件と誤解する方がおかしい。
この件ばかりは珍しく、ゾルドの方に非がない出来事だった。
こんな厄介者は面接するまでもない。
さっさと追い返そうとしたが、ゾルドは少し考える。
(いや、待てよ……。この図々しさは……)
ある意味、ヘンリクスの頭はおかしい。
罪悪感を感じていないようだ。
(こいつは案外使えるかもしれんぞ)
ヘンリクスなら”投資が失敗したら顧客が困る”なんて事を考えて勧誘をためらったりしないだろう。
自分の給与のために、ガンガン攻めていくはずだ。
どうせ歩合の割合が高く、基本給は安い。
ダメならダメで見切っても、こちらの被害は少ない。
試用期間として雇ってやってもいいかもしれないと、ゾルドは考えた。
「やる気はあるんだよな?」
「もちろんです!」
「それじゃ、とりあえず採用だ」
採用の言葉を聞き、ヘンリクスは笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。頑張ります!」
「これを持って、受付に渡せ。もう行って良いぞ」
ゾルドは採用の書類に署名すると、ヘンリクスに渡す。
「次の方、どうぞ」
いつまでもヘンリクスに関わっている時間はない。
まだまだ面接希望者がいるのだから。
----------
「おかえりなさい、今日もお疲れ様」
「ただいま。今日も疲れた」
馬車の音で気付いたのだろう。
帰宅すると、レジーナが出迎えてくれた。
ゾルドはレジーナに抱き着く。
抱き心地の良い女は、心を安らげてくれる。
「ずっとこうしていたいのだけれど、あなたにお客様が待ってるわ」
「俺にか? 誰だ?」
レジーナはゾルドの耳元で囁く。
「ジョゼフです」
「奴が……、珍しいな」
直接あったのは、パリでの一度だけ。
それ以降は、テオドール達が情報の受け渡しでジョゼフの部下と会っていただけだ。
にもかかわらず、わざわざロッテルダムまで足を運ぶとはどういう事なのか。
きっとロクな要件ではないだろう。
ゾルドはジョゼフが待っている客間へと急ぐ。
「待たせたようだな」
「いえ、急に押しかけたので、お気になさらないでください」
椅子に座り、うなだれていたジョゼフは力の無い声で答えた。
(なんだこの変わりようは)
ジョゼフと会った時は、自信に満ち溢れているが傲慢ではない、心に余裕のある態度だった。
それが、今では親に初めて悪戯がバレた子供のように萎れている。
思わずゾルドが心配してしまうくらいにだ。
「何があった?」
この男がヘコむくらいの出来事があったのだろう。
もしも、自分に関係があるのなら早めに聞いておかねばならない。
「以前会った時に、借家の対応を聞いたでしょう?」
「あぁ、燃やせば良いって話した時のなら覚えている」
ジョゼフから良い考えがないかと、聞かれた事は覚えている。
「あの家を借りていた弁護士が国民公会の議員になってしまいまして……。しかも、その兄が政府のトップになってしまって……。挙句の果てには、私が関わっている事を勘付かれているようです」
「あー、それは大変だな」
あの時の事は全てジョゼフがやった事だ。
ゾルドは案を出したが、直接やったわけではない。
有力者に狙われたジョゼフは可哀想だとは思うが、それは自業自得。
正に他人事だ。
「俺に何か意見を聞きに来る前に、ケツ持ちに泣きついたらどうだ? 貴族か何かが背後にいるんだろ?」
「死にましたよ」
「は?」
あっさりと衝撃的な言葉を吐いたジョゼフに、ゾルドは呆気に取られた。
「お前を使うような有力者だろ? 病気で死んだのか?」
こんな使い勝手の良い情報屋だ。
それ相応に力のある貴族なんかが背後にいると思っていた。
有力者があっさり死ぬはずがないと思ったが、ジョゼフは”違う”と首を振る。
「ギロチンにかけられて死にましたよ。政治闘争で負けて、マクシミリアン・ロベスピエールにね。あぁ、このマクシミリアンというのは借家人の兄です」
「ワォ」
おそらく、政治闘争だけではない。
ジョゼフの後ろ盾といえば、アパートを建てようとした奴だろう。
弟の家を燃やして追い出した報復も含まれているはずだ。
後ろ盾が殺されて、ジョゼフ本人も狙われている。
ゾルドは”お手上げだ”と言わんばかりにジェスチャーを取る。
それを見たジョゼフは苦々しい顔をした。
だが、咎めるつもりはない。
彼自身も、同じように”お手上げだ”と開き直りたいくらいだ。
「そこで、ノルドさんを思い出したんです。何か良い手はありませんか?」
「逃げれば良いんじゃないか」
ゾルドからの報酬で金には困っていないはず。
生活に困らないんだから、今の地位を捨ててさっさと逃げろと言う。
しかし、ジョゼフは納得しない。
「こうして私一人なら、監視の目をくぐり抜けて国を抜け出るのはできます。しかし、妻や子供を連れて逃げる事はできないんです。ちなみに、妻や子供を見捨てて逃げろっていうのは無しですよ」
ゾルドの考えは読まれていたようだ。
先制して釘を刺されてしまった。
だが、そうは言われても、ゾルドだってどうしようもない。
議会のトップに睨まれて、後ろ盾もいない。
ジョゼフの情報収集能力は高く買っているが、自分の身を危険にしてまで助ける義理はない。
(とりあえず、素直に謝ってみれば? というのはやっぱりダメだろうな)
真摯に謝れば許してくれる人もいる。
だが、今回はその許してくれる範囲内の事かわからない。
ゾルドなりに考えるだけは考えてやる。
ここでジョゼフに恩を売る事ができれば、将来の役に立つだろうと思っているからだ。
「あぁ、そうか」
「何か思いつきましたか!」
ジョゼフはゾルドの反応に食いつく。
えげつない人間ではあるが、自分では思いつかない事を考えてくれる男だ。
この状況を打破できるのならば、なんでもいい。
早く教えてくれと、目を見開く。
「新聞で読んだくらいしかしらないが、政治犯だけじゃなくて、民間人も結構殺してるよな?」
「国民公会に反対する、王党派の街との闘いの事ですか。見せしめのために街ごと滅ぼしたりはしていますね」
その言葉を聞き、ゾルドはいけるかもしれないと思った。
「それじゃあ、議員はどうだ? いつ自分がギロチンにかけられるか不安になってたりしないか?」
ジョゼフは少し考え込む。
「不安を持っているのは誰だってそうです。安心できるのはロペスピエール周辺の取り巻きくらいでしょう。あいつらに正面から意見を言える者はいないくらいです」
「そうか、そうか。ならいけるかもしれないな」
「本当に! 嘘じゃないですよね」
ゾルドは”本当だ”と言って、安心させてやる。
だが、成功するかどうかはジョゼフ次第だ。
「そろそろ、皆が恐怖政治に飽き飽きしている頃だろう。だったら、権力の座から引きずり降ろしてやればいい」
「彼の地位は盤石。それに皆、奴を恐れている。そんな事はできませんよ」
ジョゼフがロペスピエールを恐れているという事がわかった。
それをゾルドは笑い飛ばしてやる。
「何を言っているんだ。お前達は国王を玉座から蹴落とし、首も落としたじゃないか。だったら、政治家の一人や二人、引きずり降ろせ」
それでもジョゼフは納得できない。
ゾルドには理解できなかったが、目の前で粛清の嵐が吹き荒れれば、足がすくむのも仕方がない事だ。
ジョゼフは頭を抱え込んで、床を見つめていた。
「無条件で今の恐怖政治に賛同している奴は少ないはずだ。他の議員に根回しをして、多数派工作をしろ。せっかく共和制になったんだから、民主的にロペスピエールをギロチンにかけてやれよ。お前は情報屋だ。暗躍するのは得意だろう?」
民主的に死刑にするという言葉に、ジョゼフは希望を持った。
確かにロペスピエールを恐れている者の方が多い。
反逆するなら、反対意見を持つ者全てが粛清される前にやるべきだろう。
「ですが、私が……。私がやるのか……」
「そうだ、お前がやるんだ。あぁ、一応言っておくが、表向きの首謀者は立てとけよ。失敗した場合、首謀者でなければ家族は見逃してもらえるかもしれないからな」
役に立つのか立たないのかわからないアドバイス。
ゾルドにしてみれば、煽るだけ煽って失敗しても問題ない。
”情報屋を失うのはもったいないな”と思うだけだ。
ジョゼフは失敗した時の事などどうでもよかった。
ジョゼフは自分が死ぬ恐怖よりも、家族を残して死ぬ事を恐れていた。
このまま、家族を残して死ぬくらいなら、一度くらいは反撃しておきたい。
「やれるだけやってみよう。ありがとうございます、助かりました。いつか、この借りは返します」
ジョゼフが冷静であれば、このくらいの事は自分で思いつけたかもしれない。
だが、命の危険が自分に迫った状態で冷静でいられ続ける者は少ない。
わざわざゾルドに助けを求めて来たのも、そのせいだろう。
今後の行動方針が決まり、人心地付いたジョゼフの前に一枚の紙が差し出される。
「一度だけで良い。俺の要請があった時、他の事を差し置いても、俺の力になってくれると約束してくれ」
ゾルドが差し出したのは、神への誓約書だった。
ジョゼフは役に立つ男だ。
何か重要な事が起こった時には、味方をして欲しい。
彼を縛り付けるためにも、誓約書にサインして欲しかった。
ジョゼフは嫌がりもせず、素直に誓約書にサインをしてくれた。
「世知辛いものですね。こうしなければ信じて貰えないとは」
「俺達は金だけの関係だ。口先だけで信じられるほどの信頼関係を築いているわけじゃない」
そこで、ゾルドは一つ気付いた。
「そうだ、俺達は友達なんかじゃない。なのに、なんで俺がノルドだとわかった?」
”ここに引っ越すから、遊びに来てね”なんて手紙は送っていない。
姿も変えているのに、なぜジョゼフが訪ねて来たのか不思議に思った。
それを聞かれて、ジョゼフは少しバツが悪そうな表情をする。
「ノルドさんに調べさせられた商会。その中の一つに突如、借金を肩代わりして副会長に就任した人物がいた。副会長というところが、ノルドさんがやりそうなところです。それにテオドールさん達もいましたので、確認は簡単でしたよ」
「あー、あいつらで確定か。商会を調べてもらっていただけに、俺の行動範囲も限定されるから調べやすいか」
これはゾルドの手抜かりだった。
ジョゼフが会いに来るとは思いもしなかったとはいえ、もう少し気を付けるべきだったかもしれない。
「どうする、飯を食ってくか?」
「いえ、今から急いで帰れば、明日の朝にはパリに着きますので急いで帰ります。ちなみに今晩はチキンのフリカッセらしいですよ」
「なんで、そんな事まで知ってんだよ……」
ゾルドの夕食まで知っている。
そんなジョゼフを内心では、少し恐ろしいとゾルドは感じていた。
だが、その分味方に付けている間は頼もしい。
ジョゼフを見送りながら”いつまで持ちつ持たれつの関係を保てるだろうか”と考えていた。
(いつかかならず、味方か敵かハッキリさせないといけなくなる。いっそ、ここで多数派工作に失敗して死んでくれた方がいいかもしれないな)
物事を知り過ぎる男は、役に立つと同時に目障りでもある。
ホスエのような忠誠心があるのならばいいが、そうでないなら扱いが難しい。
こんな時”こんな男でも、気にせずに扱える器が欲しい”と、ゾルドは思ってしまうのも仕方がない事なのだ。