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 翌日、ゾルドは目的の商会へとやってきた。


 ――ベルシュタイン商会。


 この商会は候補の中でも、特にゾルドが目を付けていた。

 先物取引を扱う商会で、客に投資を持ち掛けても怪しまれない。

 これからの仕事にうってつけの商会だった。

 だが、ゾルドは詐欺の獲物ではなく、普通の商取引の相手として目を付けた。

 この商会を調べた時に、共通の敵がいる事がわかったからだ。


「おはようございます。ヨハン会長と面会の約束をしていた、アダムス・ヒルターです」


 まずは受付嬢に、にこやかに話しかける。

 ささやかな事だが、受付嬢だからといって高慢な振る舞いはできない。


 代表の前だけで取り繕うだけの客か。

 それとも、常に礼儀正しい佇まいでいられる客か。

 初めて会う相手なら、情報を多く欲しいと誰でも思う。

 後で受付にも”あいつは待ってる間、どうだった?”と様子を聞いて、どんな相手かを判断する情報を集めるはずだ。


 お供はホスエのみ。

 神教騎士団に居ただけあって、礼儀作法もしっかり教え込まれている。

 屋敷に居る間は、テオドール達にも作法を教えて貰っていた。

 文字を教えたり、剣を教えたりと、ホスエも今では立派な兄貴分だ。

 年齢ではテオドールが上だが、実力差を認めてホスエの下に付いている。

 だが、礼儀作法がまだまだなので、今回は留守番だった。


「はい、お聞きしております。こちらへどうぞ」


 受付嬢はゾルド達を店の奥へと案内する。

 途中でホスエは控室へと通された。

 護衛を同席させる必要はない。


 ここは安全な国であり、しかも商会内だ。

 ここで繰り広げられるのは舌戦であり、肉弾戦ではない。

 ゾルドはホスエに待つように伝えると、会長室へと通された。


「本日はお時間を取って頂き、ありがとうございます。アダムス・ヒルターと申します」

「私共はお客様とお話しする事が仕事です。いつでも歓迎致しますよ。ヨハン・ベルシュタインです。本日はようこそおいでくださいました」


 ヨハン・ベルシュタインと名乗った男と、ゾルドは握手を交わす。

 彼は三十前後でまだ若い。

 会長が若いというのも、ゾルドが狙いを付けた理由だ。

 年老いて知恵を身に付けた人間よりは扱いやすい。


 二人は椅子に座ると、商会員がお茶を持ってくるまで雑談をしていた。

 大きな話だ。

 少しクッションを置こうとしたのだが、ヨハンは焦れているようだ。

 早く話したいらしい。

 商会員が飲み物を配り、部屋から出ていくとすぐに話を切り出した。


「アダムスさん、あなたの話とはなんでしょう? これでも忙しいのですよ」


 その言葉を、ゾルドは鼻で笑い飛ばす。


「忙しい? つまらない嘘ですね」

「なにっ」


 ゾルドの失礼な言葉に、ヨハンは少しイラ立ちを覚える。

 だが、それはゾルドも同じだ。

 話を催促するにしても、他に言葉があったはずだ。

 くだらない急かし方をするから、ゾルドもつい言い過ぎてしまう。


「五年前、あなたが会長に就任した当初は忙しかったでしょう。でも、今は違うはずです」


 ヨハンは憮然とした表情をする。

 ゾルドが言ったのは本当の事だ。

 だが、本当の事だからと正直に言われて納得できるものではない。


 ゾルドはヨハンの反応を満足気に見ていた。

 嫌味を言って楽しんでいるわけではない。

 顔に感情を表す未熟さを気に入ったからだ。

 老獪な者を相手にするよりは楽になる。


「十一年前、突如として現れたアルヴェス商会。わかりやすく、確実に儲かる取引で投資家達だけではなく、投資に詳しくない一般人にも浸透した。そのせいで先物取引という博打性の高い取引は廃れてしまった」


 ヨハンは苦い顔をする。

 今では古くからの常連客くらいしか取引がない。

 しかも、その常連客達もアルヴェス商会の作り出した、アルヴェス商法――ネズミ講――に夢中だ。

 お陰で残っている取引も小口になってしまった。


「そして五年前、ヨハンさんの御父上である先代会長が心労で倒れた。後を継いだあなたは、他の商売に手を出した。大きな失敗こそしなかったものの、成功もしていない。少しずつ借金が溜まっていき、今では100億エーロを越える額になっているそうですね。あぁ、そうか。確かに今の状況をどうするか考えるのに、とても忙しそうですね」


 言わなくても良いのに、ゾルドはわざわざ皮肉を言ってしまう。

 彼もまだ未熟だという事だ。


「……喧嘩を売りに来たのか?」


 ヨハンは表情こそ変えていないが、目が険しくなっている。

 いきなりこんな事を言われれば当然だろう。


「いいえ、知恵を売りに来ました」

「なに」


 思わず眉をひそめる。

 馬鹿にされていると思ったのだ。

 しかし、ヨハンはすぐに思い直す。

 商会長だからといって、全ての事に精通しているわけではない。

 自分の得意分野で売り込みに来る事は、今までにも稀にあった事だ。

 失礼な奴だが、まずは話を聞いてみようと様子を見る事にした。


「どうせこのままなら遠からず倒産してしまう。なら、最後に一旗揚げてみませんか」


 自分でも、その内倒産するだろうとは思っている。

 だが、面と向かって言われると、腹が立つのも事実だ。

 何か言い返そうと思ったが、ヨハンはそのままこの後続くであろう言葉を待つ。

 それを聞いてからなら、どうとでも言える。


「金の先物取引をするんですよ」

「……金の先物取引は、すでに取り扱っている。価格の変動が大きい農作物に比べれば人気はないですがね」


 ヨハンは”期待を持たせておいてその程度か”とガッカリした。

 それ以前に、先物取引の商会に良い話があると言いに来て、その商会が取り扱っている商品すら知らないような男。

 この程度の相手と話すのは無駄だと、話を切り上げようとした。


「残念ながら――」

「では、大規模にやってはどうでしょう」

「――……どういう事だ?」


 ヨハンの言葉に割り込み、ゾルドはヨハンの興味を引く事に成功する。


「この国だけではなく、各国の王侯貴族、大商人も含めて金を集める。そして、ある日一気に金を買い漁るんです。そうすれば値段も上がるので、売り払って大幅に利益を得る事ができます」

「そんなわけないだろ……、誰だっていきなり買い漁る奴が出てくれば様子見をする。値段が上がっても、自分が金を売ればその分下がる。しかも、他の奴が高い時に売るだろうから、相場も売られた分下がる。自分が売る時には利益どころか、赤字になっているぞ」


 ヨハンの言う事は正論だ。

 だが、ゾルドには腹案があった。

 

「えぇ、その点は問題ありません。売る以上に買ってくれる人がいますから」

「誰だ? それは」


 そこでゾルドはニッと笑う。


「ここから先は、まだ話せません」


 ゾルドは金の詰まった袋を取り出すと、テーブルの上に放り出す。


「これは?」

「50億エーロ入っています。まずは私を副会長として迎え入れて頂きたい」

「なんだと! そんな事……。いや、待て」


 まずは事実の確認だ。

 ヨハンは、まずテーブルの上に置かれた袋の中身を確認する。


「まさか、本当に……」


 マジックポーチの中身を見れば一発だ。

 高額硬貨がたっぷりと詰まっている袋が、1億ずつ小分けされていた。

 その袋が50個。

 本当に全部に入っているなら、嘘は付いていない。


”しかし、ならばなぜ……”


 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 こんな金があるのならば、わざわざ借金を肩代わりする必要はない。

 商会が欲しいのならば、自分で商会を作ればいいのだ。

 それだけの金はある。

 こんな借金まみれの商会で、副会長になる必要性など考えられない。


「もちろん、権限は会長と同等でお願いしますよ」

「待て、待て。いくらなんでも副会長には無理だ。しかも、権限が同等なんて……。わざわざ商会を乗っ取ろうとせずとも、その金で……、いやなんでもない」


”その金で悠々自適に暮らせば良い。”


 その言葉が口に出る前に、ヨハンは誤魔化してしまった。

 今、目の前にあるのは金ではない。

 チャンスだ。

 それも、商会を立て直す大きなチャンスだ。


 できる事なら逃したくはない。

”やっぱりやめます”と言われて困るのは自分だ。


”しかし、この男を受け入れても大丈夫なのだろうか?”


 ヨハンは、その考えが頭から離れなかった。

 いきなり、大金を持って来て副会長にしろと要求するような男だ。

 この上なく怪しい。

 ヨハンは、この男に関して四つの考えが浮かぶ。


 ――他の商会の回し者で、ベルシュタイン商会を吸収しようとしている。


 商会を吸収するのならば、借金も背負うという事。

 今のベルシュタイン商会に、そこまでの価値はない。

 それに、こんな回りくどい事をせずに吸収合併の話を持ってくればいい。


 ――同じ先物取引の商会から、嫌がらせ目的で送られてきた。


 わざわざ嫌がらせするような余裕なんて、今の同業他社にはない。

 他人の足を引っ張る前に、転覆寸前の自分の船を立て直さねばならないからだ。

 この考えも違う。


 ――損をした者が、何らかの方法でベルシュタイン商会の名声を貶めようとしている。


 もう、その名は地に落ちている。

 投資の世界はアルヴェス商会一強の時代。

 真似をし始めた商会以外は、すでに過去の物となってしまった。


 ――度を越えたお人好しだ。


 少し話しただけでもお人好しではないとわかるような男だ。

 これは一番ありえない。

 絶対に何か企んでいる。


 ヨハンは訳が分からなくなってきていた。

 なんで今、こんな話を持ち掛けて来るのか?

 もう二,三年もすれば、諦めて店を畳んでいたのに。


 そのように悩んでいるヨハンを見て、ゾルドはもう一押しだと見て取った。


「アルヴェス商会も倒せますよ」


 その言葉に、ヨハンの表情が変わる。

 彼にとって、アルヴェス商会は憎き敵だ。

 投資とはいえないあんなやり方で、顧客を根こそぎ持っていかれた。

 一泡吹かせる事ができるのなら、名声も高まり顧客も戻ってくるかもしれない。

 そう思うと、ゾルドの話に乗りたくなってきていた。


 どうせ、このままでは先行きは暗い。

 それならば、借金を肩代わりしてもらえるだけでも良い事なのではないだろうか?

 しかし、会長と同等の権限を与えるのは、さすがにためらわれる。

 そこをなんとかできないだろうか。


(――とか考えてんだろうなぁ……)


 ゾルドはコロコロと表情の変わるヨハンの顔を見て、そう思っていた。

 こういう時、ポーカーフェイスで居られないのは不利だ。

 ……もっとも、ゾルドも時折このような状態になるので、人の事を馬鹿にはできない。


「大きすぎる権限は与えられない。だが、会長に準ずる権限を与える事を考えても良い。もっとも、120億エーロもの借金を肩代わりできるならですがね」


 ジョゼフの調べでは、100億エーロを超える借金と書いてあった。

 それがまさか、120億まで膨れ上がっているとは思わなかった。

 しかし、それくらいなら問題は無い。

 オストブルクのお陰で300億エーロの余裕はある。

 このくらいは払ってやっても良いと思っている。


 ゾルドとしても、アルヴェス商会は何とかしておきたかった。

 一年や二年で崩壊するかと思われたねずみ講が、十年以上も続いているとは思わなかったのだ。

 しかも、世界規模で広がり続けている。

 さすがにそこまで長く、人生の絶頂期を楽しませるつもりはなかった。

 その貯め込んだ金を吐き出させ、破滅してもらわないと面白くない。


 ここでベルシュタイン商会を利用して、アルヴェス商会――いや、アルヴェス自身――に致命傷を負わせる必要がある。

 ヨハンを騙して顧客を食い物にし、詐欺で金を稼ぐどころではない。

”ゾルドに謝らなかった男への制裁”という大義があるのだ。

 そのためには、自分の信念やスタンスは二の次。

 アルヴェスを追い落とすために、必要な行動を優先して取るつもりだった。

 もちろん、その過程で金を稼ぐ事もできる計算だ。


「構いませんよ。ただし、一筆書いてもらいますよ。私が”解任されるような事があれば、借金は即時返却する”とね」


 これは予防的なものだが、無いよりはマシといったものだ。

 借金の返済をすれば、現金は無くなってしまう。


 120億エーロもの借金ができるくらいだ。

 担保に入れる資産があるのだろう。

 だが、現金化を急げば、金額が大幅に目減りしてしまう。


”俺をクビにするなら、商会を潰す覚悟をしろよ”といった脅しでしかない。

 そう遠くない内に潰れるかもしれないと、覚悟を決めている相手に効果は薄い。

 それでも、無いよりはマシだ。

 明文化しているかどうかの違いは大きい。


「それともう一つ。この国の有力者と面会できますか? アルヴェス商法のように初期メンバーが大きく儲かる仕掛けを作って、投資してくれる人を集めようと思うんです」


 ゾルドの言葉に、ヨハンは納得のいったような顔をした。


「自分が儲かるとなると、人脈を活用してくれるからな。アルヴェス商会もそうだったらしい。それに、稼ぎ始めた時に横槍を入れられないように防波堤になってくれる。今の商会の状態で、どの程度の有力者が会ってくれるかわからない。だが、出来るだけはやってみよう」


 ヨハンは契約書の作成に取り掛かる。

 彼としてもアルヴェス商会を倒すためなら、手法を真似する事に抵抗は無い。

 実際、今までに真似をしようとした事があったが、同じやり方では自分の話に乗ってくれる者はいなかった。

 何か方法考えがあるというのなら、この怪しい男を迎え入れても良いだろうと考えた。


 ヨハンは目の前の金に目が眩み、ゾルドを迎え入れてしまう。

 彼にしてみれば、借金を返してくれるだけでも十分だ。

 投資話が失敗したら、副会長となったこの男に責任をなすりつければいい。

 そう軽く考えてしまった。


 ――貧すれば鈍する。


 その言葉を地で行く事になってしまった。

 もちろん、ゾルドもそういう人間を選んでいる。

 だからこそ、潜り込めた。

 弱っている人間に手を差し伸べる振りをして、その懐に入り込むのは基本的な事だ。


 パリのジェラルドもそうだった。

 心が弱っているからこそ、付け込みやすい。

 少し考えれば、拒絶してもおかしくないはず。

 人の心とは愚かなものだなと、ゾルドは馬鹿にした。


(いや、俺も人の事は言えないか……)


 ロンドンから追い出される時、レジーナにあっさりと心に入り込まれた。

 ゾルドのように打算での行動ではないので、格別の効果があった。

 人に付け込まれるのは一度でいい。

 自分はこんな無様な事にならないようにしようと、ゾルドは心の中で思っていた。

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