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ベネルクス連合王国にある世界最大規模の港湾都市、ロッテルダム。
この街には、ゾルドがジョゼフからの情報を吟味して、目星を付けた商会がいくつかある。
それに、この世界特有の事情が、ゾルドにとって好都合だった。
――魔族との唯一の取引港。
このお陰で、物流の中心地に発展しており、この世界でもっとも人と金が集まる場所となっていた。
獲物を探すのには困らない。
ただ、仕事を始めるまでに、いくつかの段階を踏まねばならない。
金を稼ぐには、その稼ぐ量に応じた手間暇が必要になるからだ。
だがその前に、仲間内でやっておかねばならない事があった。
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ゾルド達は、ロッテルダムのホテルで会議を開いていた。
「今後の事を話す前にやっておかないとならない事がある」
ゾルドは懐から二枚の紙を取り出すと、テオドールとラウルの前に差し出す。
このために教会から買っておいたものだ。
「これは?」
「神への誓約書だ。これから話す事を誰にも漏らさないという事を誓ってもらう。オスエに文字を習っていたから、名前くらいは書けるだろう?」
「それは、まぁ……」
テオドールとラウルは顔を見合わせる。
すでに共犯と言える間柄。
今更、何を黙らせようというのか。
二人はこの先、何を話そうとしているのかを想像し、手が止まってしまう。
きっと、とんでもない事を言い出すはずだ。
ゾルドは、神への誓約書が効果を発揮しないような気がしていた。
すでに神はここにいる。
約束事を破った場合、天罰を下す者はどこにいるというのか?
そう思うと、気休め程度にしかならないだろう。
だが、この世界に住む者にとっては絶対的な効果を発揮すると信じられている。
それを利用しない手はない。
ただの口約束で信じられるほど、二人とは強い絆を作れてはいないからだ。
とりあえずは、これにサインしてもらわないと話が進まない。
「もし、ビビったのならパリに帰ると良い。止めはしない」
「いえ、ビビってなんかないっすよ」
ゾルドの言葉を受け、テオドールが名前を書く。
それを見たラウルも続けて名前を書いた。
「よし、書いたな。レジーナ、ホスエ。変装を解け」
テオドール達は信じられないような光景を目の当たりにした。
今まで見慣れていた三人の姿が消え去り、初めて見る姿へと変貌した。
いや、その姿は知っている。
「もしかして魔神……、ゾルド……」
最近では、スラムにまで貼られるようになった魔神の手配書。
服装こそ違うが、手配書に描かれていた人相にそっくりな男が現れた。
レジーンだった女は、魔神と共に行動していると言われているダークエルフのレジーナになっている。
オスエは……、手配書が回ってないので誰だかわからない。
突然の出来事に、テオドール達は呆気に取られていた。
「そうだ、俺は魔神ゾルド。こちらはレジーナとホスエだ。お前達は魔神の手下になったんだ」
その言葉にテオドールは頭を抱え、テーブルに突っ伏してしまう。
”天神を裏切ってしまった”
己の犯した罪に、体が震える。
この世界に生きる者として、当然の反応をした。
一方、ラウルは堂々としている。
テオドールとは対照的だ。
「どうしてお前はそんなに堂々としているんだ?」
思わず、テオドールはラウルに聞いてしまう。
魔神に加担していたというのに、悪びれる様子もない。
「だって、天神に祈ってもスラムから出る事なんて出来ませんでしたよ。地べたをはいずり回って、いつか野垂れ死にするだけです。だったら、魔神の下で良い暮らしをして、思い残す事なく死んだ方がマシです。天神を裏切ったんじゃない、天神が先に俺達を見捨てたんです」
「ラウル、お前……。そんな事を……」
テオドールは、まだ若いと思っていたラウルの意外な一面に驚いた。
いや、若いからこそ、思い切りが良い。
魔神に従うという考えなんて、テオドールには思いつきもしなかった。
テオドールは少し、その若さが羨ましくなる。
しかし、いつまでも現実逃避をしているわけにはいかない。
テオドールも、ラウルの”天神が自分達を先に見捨てた”という考えに賛同していた。
その方が”天神を裏切った”と考えるよりも心が楽だったからだ。
「でも、なんで今になって教えてくれたんです?」
”パリに居る間に教えてくれても良かったのに”と、テオドールが思うのも仕方がなかった。
「そうだな、お前達が自分の意思で俺に付いて来てくれたという事と……。こういう事だ」
言い終わると、ゾルドはまた変装をした。
今度は金髪碧眼の青年の姿だ。
この世界基準で、平凡な顔にしている。
「えっと……、どういう事?」
テオドールだけではない。
レジーナ達も、なぜ変装が正体を教える理由になるのかわからなかった。
ゾルドも自分が説明足らずだった事を悟り、彼らに教え始める。
「新しい偽名を使うだけなら、テオドール達は疑問に思わないだろう。だが、顔や髪の色を変えてまで身分を偽ると、かならず疑問に思うはずだ。”こいつらは一体誰なんだ”とな。後から騒ぎ立てられるより、先に言っておいた方がお前たちの行動に予測が立てられる。だから、今正体を話したんだ」
ゾルドの説明に、レジーナ達は納得した。
だが、肝心のテオドール達は別だ。
「……別に魔神だって正体を明かさなくても”あぁ、やっぱヤバイ人達だったんだな”って思うだけですぜ」
「ですよね」
「えっ」
テオドールは、ゾルドの説明をぶち壊すような事を言ってしまう。
それにラウルも賛同していた。
「普通”魔神かも?”だなんて考えませんぜ」
「そうですよ。”しょっちゅう名前と姿を変えないといけないような事を、今までやって来た人なんだなぁ”って思うだけですよ」
二人の言葉に、ゾルドは顔を真っ赤にする。
(深く考えすぎたか!)
自分が魔神だと知っているからこそ、ついつい考え過ぎた。
名前や姿を変えた場合、テオドール達が怪しみ、そこから周囲に魔神だとバレるかもしれないと思い込んでしまっていた。
しかし、ゾルドが魔神だと知らない者からすれば別。
最初の出会い方が衝撃的だっただけに、どこかの裏社会から実力者が流れて来たと思われていたのだ。
――派閥争いで負けて流れてきたのか。
――勢力拡大のためにパリに訪れたのか。
そのどちらかだろうと、テオドール達がこっそり賭け合っていたくらいだ。
どこの誰が”魔神がスラムでゴロツキのリーダーに収まった”などという戯言を信じるだろうか。
魔神だと考えれば、スケールが小さすぎる。
ジョークだとしても、取れる笑いは苦笑いだけだろう。
だが、それは現実に起こった事だ。
ゾルドはテオドール達のグループを傘下に組み込み、非情な金稼ぎを行った。
その事実が、この場の空気を重くする。
”えっ、魔神がチンピラ相手に、本当にお山の大将気取ってたの?”
そんな事を言い出せるはずがない。
レジーナも、さすがにこの空気で口を挟もうとはしなかった。
(ねぇ、ちょっと。なんとかしなさいよ、ホスエ)
(さすがにそんな無茶振りはやめてよ、レジーナ姉さん)
二人は視線で会話するが、進展は無かった。
この場の空気を変える事ができるのは、ただ一人。
ゾルドしかいなかったからだ。
「まぁ、それはそれで良し! 仲間になったって事だから、改めてよろしくな」
何が良しなのかわからないが、ゾルドはとりあえず勢いで誤魔化す事にした。
そして、他の者達もこの流れに乗る事にした。
誰だって気まずい雰囲気は嫌だ。
お互い改めて挨拶を交わし始め、場の空気が変わり始める。
そこでゾルドが切り出した。
「偽名だが、俺はアダムス・ヒルター。レジーナはイブ・ヒルター。ホスエはジョシュアで行こうかと思う」
ゾルドは、アドルフ・ヒトラーをイメージした偽名を使う。
レジーナは、ヒトラーの恋人のエヴァに似たイブにした。
ホスエは、ホスエの英語読みにしたジョシュアだ。
この偽名は”世界を戦争に巻き込んで来れる”そう期待できたはずの、ヒトラーが使い物にならないとわかった時に思いついた。
世界を戦争に巻き込む人物が頼りにならないのなら、自分がその役割を果たせば良い。
”自分が世界で戦火を広げる”
この偽名は、その意思表示だ。
もちろん、政治家を目指すわけではない。
まずは金を集める。
そこから、各国政府の有力者の欲望を刺激して、戦争を始めさせるつもりだ。
戦争は金がかかる。
皆が思い通りに動くわけはないだろうが、戦費を用意してやれば動く者もいるだろう。
金で誰も動かないなら、弱みを握ってでも動かせば良い。
人の弱みを探ろうとする奴なら、金を払えば動く奴はいくらでもいる。
結局は金だ。
金さえあれば、世の中のほとんどの事はできる。
そのために、これから稼ぐのだ。
「あの……、俺達はそのままでいいんですかい?」
おずおずとテオドールがゾルドに聞く。
なんとなく、自分達にも偽名はないのかと気になったからだ。
「俺はゾルドという名前は使えないし、ノルドも要人暗殺で使ったから長くは使いたくない。レジーナは俺の女として名前が知られている。ホスエは神教騎士団にいたから、本名での活動は控えた方が良い。……お前達は名前を偽る理由がない。堂々と今の名前を名乗っていろ」
「へい、そういう事なら……。えっ、要人暗殺!?」
「ええっ、兄貴。神教騎士団にいたんですか!?」
テオドール達は新たな事実に驚いた。
魔神が暗殺なんて思いも寄らなかったし、ホスエが神教騎士団員だとも思いもしなかった。
「その辺りの事を聞きたいなら、またその内な。今はこれからの話をしておきたい」
「わかりやした」
「わかりました」
すぐに聞いてみたいと思っていたが、テオドール達は納得する。
ゾルドの言う事に逆らって”やっぱりお前達はいらない”と処分されたりしてはたまらない。
魔神だと知ったので、今まで以上に機嫌を損ねないようにしようと決意していた。
「俺とレジーナは夫婦。ホスエ、テオドール、ラウルはその護衛の冒険者といった感じでいく。護衛隊長はホスエだ。何か質問は?」
ゾルドが見回すと、レジーナが手をあげていた。
「変装はどうするの?」
「どうしようか。今度はエルフにでもするか?」
「えぇ、是非そうしましょう」
レジーナは少し嬉しそうな顔をする。
ダークエルフのレジーナは、耳の短い人間に変装するのにストレスを感じていた。
人間よりは、肌の色が違うだけのエルフの方が変装するのに負担が少ない。
エルフの夫婦というのは、良い考えだと思っていた。
「次の行動としては、一等地の家を借りようと思う。家を借りる事で、この街にしばらくいるという姿勢を見せる事。良い家を借りられる資金があるという事の証明のためだ。皆で行くから、家を借りる時には忌憚のない意見を頼む」
テオドール達は、綺麗な家に住めるのならそれでいいと思っていたが、レジーナやホスエはパリの家に不満を持っていた。
スラムに近い安い家は、安いなりの住み心地だった。
どうせ住むなら、住み心地の良い家の方が良いに決まっている。
遠慮なく意見を言っていこうと思っていた。
「新しい活動の第一弾は家探しだ。さぁ、行くぞ」




