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「ノルド社長……」
ホスエがテオドールと戻ってきた。
珍しく顔を青ざめさせて。
「どうだった?」
「今回の暴動は、ただの暴動ではありません。武器庫を襲って、武装した民衆が暴れているようです。市長や食料の買い占めを行っていた者達も殺されたそうです」
「腹が減ると荒みますからねぇ……」
ホスエの報告に、テオドールが補足した。
スラムの住人だけあって、その言葉には重みがある。
「考えられる原因は食料の高騰。それに質素倹約を進めていた財務総監をクビにした事じゃないかと言っていました。贅沢をしたい王妃マリーを中心とした者達が、財務総監を疎んじていたそうです。それに怒った民衆が立ち上がるキッカケになったのではないかと。暴動というよりも、まるで革命だとも言っていました」
(そういえば、俺もニーズヘッグの小言はウザかった。……もっとも、クビにされたのは俺だけどな)
ゾルドは苦い過去を思い出す。
「自分達は食う物がないのに、税金で贅沢するつもりかと怒りが噴出した形になったか」
「そのようです。ですが、わかっているのはそこまで。情報員まで革命に加わる者がいて、あちらも混乱しているようです」
「そうか、ご苦労だった」
ここでゾルドは、なんとか一つの名前を思い出す事ができた。
「そういえば、バスチーユだとかなんとかいう場所の名前は言ってたか?」
「そういう名前は聞いてないと思いますが……」
もしかしたら、聞き逃したのかもしれない。
ホスエが考え込む。
その横から、テオドールが口を挟んだ。
「もしかして、要塞ですか? 暴徒が武器を手に入れたサン=アントワーヌの監獄は、元々要塞だったそうですぜ」
「そうか、バスティーユか……」
(なるほど、要塞を改築して作ったから、要塞監獄っていうのか。……あれ? それじゃ、やっぱりこれはフランス革命だよな)
ゾルドは考えようとするが、彼も学習している。
考えにふける前に、ホスエ達に指示を出す。
「今すぐにというわけじゃないが、そう遠くない内にこの国を出ようと思う。ベネルクスに良い商会があってな、そこに入り込んで大きな商売を始めるつもりだ」
そこで言葉を切ると、ゾルドはテオドールを見る。
「革命に参加して、この国を変えていきたいという奴もいるはずだ。どうなるかわからない俺に付いて来るか、パリに残るか。みんなに聞いておいてくれ。給料は下がるという事も一緒にな」
「へいっ」
ゾルドの言葉を受け、テオドールは他の者達に聞きにいった。
この国で生まれ育った以上、革命に参加して良くしていきたいと思う者はいるはずだ。
それに十分金は稼いだ。
これからはスラムを抜け出し、市民権を買って地道に平民として暮らすという道も選べるようになっている。
他国に移り住み、ゾルドのような者に付いていこうと思う者がどれほどいるか……。
だが、ゾルドとしては付いて来られない方が良かった。
今回は魔神の活動、第一弾として軽めのジャブを放ったようなもの。
自分にできる事を試しただけだ。
次の段階に進むのに、スラムの住人は必要な人材ではない。
次に考えているのは表社会での活動なので、金を出して教育を受けたマトモな人材を、堂々と広く集める事ができる。
これからやろうとしている事にゴロツキは必要ない。
見た目が普通の営業社員が必要なのだ。
「……本当にいいの? ノルド兄さん」
ホスエが仕事中の話し方から、驚きでプライベートでの話し方に変わっていた。
せっかくパリに地盤を築いたと思ったのに、それを捨てるような真似をするのだ。
ホスエには、ゾルドが何を考えているのか理解できなかった。
「構わない。これから王侯貴族ではなく、民衆のための政治が始まるようになる。どうなるかわからない土地への引っ越しなんかより、この国に残って良い方向に変えていきたいと思う奴だっているだろう。そういう奴を無理に連れて行く気は無い」
ゾルドの言っている事は聞こえは良いが、その実スラムの人間を切り捨てる口実にしているだけだ。
レジーナやホスエと違い、彼らは代わりのいる歯車に過ぎない。
ならば活動拠点の移転を機に、良い人材に切り替えようと思うのも当然の事。
半年の付き合いがあるが、しょせんはそれだけの関係でしかないのだ。
「それにこの国に居るのは危険だ、特に俺はな。買い占めをしていた奴が殺されたりするくらいだぞ。俺だって今まで食い物にしてきた奴等の家族に恨まれている。民衆の敵だと、襲撃対象にされかねない。俺は殺されたりはしないが、お前やレジーンは死ぬ事もあるだろう。それだけは避けたい」
「僕は簡単に死なないよ」
ホスエはゾルドの言葉を否定した。
実際、ホスエは強い。
だが、限度がある強さだ。
「さすがに三日三晩、飲まず食わずで戦い続ければ不覚を取るだろ?」
「大丈夫、頑張れるよ」
無茶な事をいうホスエに、ゾルドはただ首を振る。
「根拠のない精神論は意味がない。俺達には味方がいないんだ。共に戦う仲間が出来るまでは安全を優先する。お前のためなんだ。わかってくれ、頼むよ……」
ホスエが感情によってゾルドの言う事を聞かないなら、ゾルドも情によってホスエに訴えかける。
もちろん、これは演技だ。
今は貴重な駒の一つであるホスエに、無駄死にさせるわけにはいかない。
助けてもらった恩義があるので、ふさわしい死に場所くらいは作ってやるつもりだ。
そして、それは今ではない。
「わかったよ……。けど、必要な時は言ってね」
「もちろんだ。その時はちゃんと頼むさ」
渋々といった感じでホスエはゾルドの言う事を聞いた。
だが、彼としても納得のいく話が聞きたかった。
「ところで、これからどうするのか教えてよ。気になってしょうがないんだけど」
説明を求めるホスエに、ゾルドは”それもそうか”と思った。
それに、ホスエになら話しても問題はない。
ゾルドは軽く説明してやる事にする。
「今度は商会を乗っ取る。まぁ、乗っ取るといっても副代表になるようなもんだ」
そんなに簡単に副代表になれるものかと、ホスエは首を傾げる。
ゾルドはホスエのそんな反応を予想していた。
「前から情報屋に頼んでいてな。ほどほどに大きくて、借金に困っている商会を探してもらった。その借金を肩代わりする代わりに、副代表になる」
それでも、まだホスエは納得していないようだ。
「なら、商会を買い取って代表にでもなればいいんじゃないの? わざわざ副代表になんてならなくてもさ」
「その考えはもっともだ。だが、失敗した時には代表に責任を押っ被ってもらう。そのために代表の座を譲るのさ。安全第一だ」
――人に責任を被せる。
その事にホスエは嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
ゾルドに付いていくと決めたのは自分だ。
そして、ゾルドの業を自分も背負うとも決めていた。
一度決めた以上は、最後まで貫き通す。
それがホスエという男だ。
「まぁ、それなりに成功するだろうから安心しろ。俺の得意分野だからな」
もっとも手っ取り早い金の稼ぎ方は、信用を金に買える事だ。
借金で首が回らなくなっているが、他国に支店を持つような中規模の商会。
その商会が築いてきた信用や人脈を食い潰す。
借金を立て替えてやる代わりに、数倍の金を頂く予定だ。
(それなりに資産もあるだろうから、まとめて売却してその金を持ち逃げするのもいいかもしれん)
ここでゾルドは、更なる金稼ぎの方法を思いついた。
借金があるからといって、資産が無いとは限らない。
――足元を見られて、安値でしか資産を売れないから様子を見ている。
そんな事だって十分有り得るのだ。
ゾルドは、そういった資産を売り払って、自分の懐に収めようと考えた。
高値だろうが、安値だろうがゾルドには関係ない。
自分の所有する土地建物ではないからだ。
(もしかすると、地道に働くよりもいいんじゃないか?)
借金の肩代わりに限らない。
なんらかの方法で、商会内部に役員として入り込む。
そして、資産を売却してその金を持ち逃げする。
そんな寄生虫のような真似も悪くない。
(いや、ダメだ。これじゃ稼げない)
パリでの仕事もそうだ。
佐藤俊夫であった頃なら、路上で踊り出して喜びを表すくらい稼いでいる。
だが、ゾルドとして天神と戦うためには、まだまだ少ない。
どこか、金のあるところからガッツリと奪いたいところだ。
(結局、原点に行き着くわけだ)
何のためにベネルクスに拠点を移すのか?
稼ぐためだ。
では、どうやって稼ぐか?
ペーパー商法でだ。
――原点回帰。
ゾルドは自分のやり慣れた方法で金を稼ぐ事にした。
債務の追認なんて馬鹿げた方法でも、50億エーロは稼げた。
今度のやり方は、表向きは合法。
表社会で広く犠牲者を集める事ができる。
情報屋なんていう、中間搾取もない。
必要なのは、口の上手い営業社員と紙切れだけだ。
経費が掛からず、リターンが大きい。
金を返せと言われたら、商会と代表に罪を被せて姿をくらます。
(そうやって稼いだ金を元手に、次はマルチ商法でもやってみようか)
ゾルドの引き出しは、まだまだある。
色々と試していく内に金も貯まっていくだろう。
その金で、各国の有力者の頬面を引っ叩く。
天神のために魔神と戦うという綺麗事を口にする者も、目も眩むほどの金を積まれれば寝返る者も出てくるはずだ。
もちろん、それだけではない。
戦争を始めるための軍資金にもなる。
天神側陣営との闘いに際し”これだけの資金援助ができる”と、金を見せるだけでも味方にしやすくなるだろう。
そのために金を貯めているのだ。
”いつかかならず恩は返す”
”戦いに勝てば、神として多大な恩恵を与えよう”
そんな事を言っても、信じる者はいない。
居たとしても、ごく少数だ。
魔神側なんていう、不利な陣営に付こうという者は、まずいないだろう。
一部の例外がホスエだが、彼は見返りを求めてゾルドに付いたわけではない。
既に恩を受けたので、それを返そうと付いて来てくれたのだ。
同じ事を他の者にまで求める事はできない。
だから、即物的な見返りを与える。
天神に付くよりも利益があると、馬鹿にでもわかるように教えてやらねばならない。
それがゾルドの求めた力――財力だ。
権力は天神有利な世界では、魔神のゾルドではすぐに手に入れる事はできない。
暴力では勢力の拡張中に権力によって潰される。
そのため”比較的”合法な手段で手に入れた金を貯め、天神側の力に潰されないように権力を手に入れる。
暴力は、財力と権力で地盤を固めてから強化しても遅くはない。
(天神という地位に胡坐をかき、子作りという名目で女遊びに夢中になるような奴なんて怖くない。気付いたら天神側陣営を切り崩されていた。そんな事になったら、どんな顔をするんだろうな)
ゾルドは天神を馬鹿にした。
自分の事を棚に上げて……。
いや、ゾルドには天神を馬鹿にする権利があった。
自らの愚かさに気付いたか、そうでないかの差は大きい。
ゾルドはニーズヘッグのお陰で気付くことができた。
その事に感謝したくは無かったが、ほんの少しだけありがたいとも思っている。
背中を押されなければ、前へ進み出す事もできなかったのだから。




