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ジョゼフとの会合から、三ヵ月が経った。
仕事は順調に進み、今のところは順風満帆といえる。
その間にあった大きな出来事は、プローインの敗戦くらいだ。
オストブルク軍との闘いで敗北し、そこから一気に崩れ始めた。
元々、プローインも天神を信仰する人間国家だ。
魔神との繋がりを疑われた王に、いつまでも付いていく理由はない。
ただ、開戦当初は義理で従っていただけだ。
最初の敗北と共に兵士達は逃亡し、組織的な抵抗が不可能になった。
通常ならば国家間のバランスなどを考え、中規模の国をあっさり滅ぼしたりはしない。
だが、今回は事情が違う。
魔神に組したプローインは、二度と馬鹿な事ができないようにと分割、各国に編入された。
これは各国に戦争を仕掛け、領土拡張をして来た報いでもある。
特にオストブルクは苛烈だった。
プローイン降伏後、フリードの親族までも処刑した。
幸いにも魔神に裏切った者の一族として、処断する正当な理由がある。
大国であるオストブルクは、格下にしてやられたという恨みを、この機会に晴らしたのだ。
戦争が終わり、平和になった。
しかし、外敵との闘いが終われば、内なる敵が姿を現す。
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「おやっさん、大変です」
事務所にテオドール達が飛び込んで来た。
走ってきたようで、息が荒い。
「何が起きた?」
「暴動です!」
――暴動。
その言葉に、ゾルドは少し焦った。
(やべぇ。財産をむしり取った奴の親族が、ついに暴れ出したか)
まず考えたのは、自分への報復。
被害者の会のようなものが、外回りをしていたテオドール達に襲い掛かったと思ったのだ。
そうでなければ、テオドールがここまで焦る理由はない。
「ついに来たか……」
「へい、小麦が高くなったり、税金が高くなったりで不満が溜まってたようです」
「あぁ、なるほどな。そっちか」
(普通の暴動か。紛らわしいんだよ、ボケが)
どちらもゾルド達には関係のない話だった。
多少食料品の価格が上がろうが気にならないくらい稼いでいる。
そして税金もゾルドは払っていない。
借金の回収ということで、税金逃れをしている。
テオドール達、スラム組もだ。
給料を渡しているが、会社を作って正式な会計処理をしているわけではない。
社員の給料から税金を払ったりはしていない。
ゾルドが”自分達には関係ない”と思うのも当然の事であった。
「どうします? 今ならドサぐさ紛れに略奪とかできそうですぜ」
その言葉に、ゾルドは溜息を吐く。
思わず苦笑いが顔に浮かび出る。
「そんな事したら、衛兵に逮捕の口実を作る事になるだろ。十分稼いでいるんだから、そういうのは金に困ってる奴等にやらせてやれ」
大金を手にしたとはいえ、テオドール達はスラムで生まれ育った獣人だ。
半年やそこらで性根が変わるものではない。
率先して暴動に加わるわけではないが、騒ぎに便乗して略奪しようとしてしまった。
政治信条のない彼らにとって、暴動はお祭り騒ぎでしかないのだ。
「なんかもったいないっすね……」
「どうせ店を襲っても、何万何十万程度の商品を奪えるだけだ。だったら――」
そこでゾルドは言葉が詰まる。
とある可能性に気付いたからだ。
テオドール達は、聞き返したりせずゾルドの言葉を待っている。
「おい、お前達」
「へいっ」
ゾルドが真剣な顔に戻った。
テオドール達は背筋を伸ばして、静かに傾聴する。
こういう時のゾルドは冗談を言ったりしないからだ。
「これから外回りの連中に集まるように伝えろ。自宅から金目の物を持ち出して事務所に集まれ。一人になるな、班ごとに行動するように」
「わかりやした! けど、どうしてそんな必要があるんです?」
今は早い行動が必要とされている。
わざわざ聞き返してくるテオドールを、ゾルドはギロリと睨む。
「お前達は奪う側じゃない。稼いで奪われる側になったって事だ。家族がいる奴は連れてこい」
ゾルドの言葉に、テオドール達は凍り付く。
社会の底辺の自分達が奪われる側だとは思いもしなかった。
ゾルドに言われてようやく気付いた。
この半年で、小さな家なら買える程度には稼いできた事に。
スラムの住人は貧しい。
根が真面目な者でも、時折盗みに手を出す程度には。
テオドール達は元々スラムの住人で、獣人なので人間より力が強い程度の実力だ。
集団で襲われれば、簡単に殺されてしまう。
暴動のドサぐさに紛れて、殺され、貯めた金を奪われてしまう危険性が高い。
ひとまずは、事務所に集めて事態を注視する必要があった。
「さぁ、行け」
手を打ち鳴らし、動きが止まっていたテオドール達の目を覚ます。
彼等は外回りをしている仲間の元へと知らせに走った。
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スラムのメンバーとその家族が、事務所に続々と集まり始めた。
さすがに50人を越えたところで、事務所も狭く感じるようになってくる。
(ガキの声がうるせぇ!)
大勢の人が集まって不安そうになっていたり、息苦しさを感じたりするせいだろうか。
子供が泣き喚く。
その甲高い声が、ゾルドの神経に触りイラ立たせる。
「オスエ、ちょっと来い」
ゾルドはホスエを連れて事務所の外に出る。
中ではまともに話ができそうに無かったからだ。
「お前はテオドールを連れて、暴動がいつまで続きそうか情報屋から聞いて来てくれ。暴徒に遭遇したら無理せず逃げても良い」
「了解です。社長」
ホスエも情報が必要だと思っていたところだ。
ちょうどゾルドが命令を出してくれるのなら、喜んで従う。
「テオ、出かけるぞ」
テオドールを呼ぶと、ホスエは情報屋の元へと向かった。
(ホスエの奴、テオって呼んでるのか)
こんな状況ではあるが、ついそんなところが気になってしまう。
ゾルドにスラムの野良犬達と慣れ合う気はない。
少し寂しくは思うが、レジーナとホスエが居れば今はそれでいい。
それに、今は為さねば成らぬ事がある。
大望を成すまでは、遊び惚ける事などできない。
「ラウル、10人くらい連れて近くの店に買い出しに行って来い。ここに居る奴が何日か食えるくらいだ」
そう言って、いくらか入った財布を渡す。
「はい、社長。行ってきます」
ラウルは今のゾルドに手放せない人材となっていた。
なんといっても、料理が上手い。
もちろん、レジーナ基準でだ。
使用人を募集しても、誰も来なかったので試しにスラムのメンバーに作らせてみたところ、ラウルが一番上手く料理を作れる事がわかった。
スラム育ちなので、もったいないとキャベツの芯までスープに入れたりする。
だが、味は普通に食べられる料理を作る事ができた。
それだけでも、台所を任せられる稀有な人材だ。
今では外食をしない日は、ラウルに作らせるようになっている。
(やっぱり料理はフランス人だな)
ゾルドにそう思わせる程度には上手い。
レジーナの料理のせいで基準が下がってるのは否めないが、スラム育ちというのが実は役に立った。
”限られた材料で美味いものを作る”
それを追求してきたからこそ、料理人でなくてもそれなりの物を作れるようになっていた。
問題があるとすれば、簡単な料理しか作れない事だ。
それに関しては、追い追い覚えていってくれれば良いと思っている。
水をも焦がしかねない腕前のレジーナに任せるよりはずっと良い。
(それにしても、そろそろ潮時かな)
この半年で得た金はおよそ50億エーロ。
被害者の数は200人を超える。
紙切れ一枚で、人生が終わったと思えば十分な数だ。
しかも、家族を含めないでだ。
それに最近では、かなり強引なやり方なので、裁判所も”調査のため”といって判決を引き延ばし始めた。
そしてなによりも、意外と実入りが少ない。
5億エーロは、給料としてテオドール達に支払った。
10億エーロは、ジェラルドの報酬と裁判手続き費用で消える。
さらに10億エーロが、ジョゼフの情報代として消えていった。
目ぼしい家を探しても、その家の背後関係で調べるだけ調べて、手を出すと危なそうなのでパスするという事があるからだ。
手を出さないからといって、情報代がタダになるわけではない。
調べた数だけ金を取られてしまう。
結局、ゾルドの手元に入ったのは25億エーロ程度。
これでは天神との闘いに備える事はできない。
時間を掛ける事はできる。
だが、その場合はゾルドの両親が老衰で死ぬ可能性が出てくる。
ロンドンの魔神の部屋から見た両親は老けていた。
こちらと同じ時間が過ぎるのなら、時間をかければ年老いて死ぬ事も考慮しなければならない。
できることなら、天神を倒して生きている家族と会いたい。
墓を拝むだけなんて避けたいと思っていた。
そうなると、そろそろステップアップが必要だ。
――より多くの大金を、できるだけ短期間で。
そのために、ジョゼフに依頼していた情報が役に立つ時が来たと言える。
(まずは、今の暴動がどうなるかだな。どの程度の混乱が起きるかによって、これから取る行動も変わる)
内戦状態のようになるのなら、銀行を襲って金庫から金を奪ったりしてもいい。
だが、略奪するような雰囲気ではなかったらどうか。
政府に不満を持っての暴動らしい。
多少、暴力的な要素のある大規模デモ程度かもしれない。
それならば商店の略奪程度ならともかく、銀行や大きな商会を襲うのは目立ってしまう。
暴れて悪い意味で注目を集めれば、パリに神教庁の者達が集まって捜索するかもしれない。
だからこそ、チンピラを集めて商社気取りで金稼ぎをしている。
しかし、今のままではダメだと思っている事も確かだ。
(やっぱり、この機会に次のステップに移るのも良いかな)
魔神としてではなく、ただ異世界に来ただけならば別だった。
おそらく、今の安定した生活を手放そうとはしなかっただろう。
だが、魔神である以上、安定した生活は無理だ。
誰かに身分を知られれば、密告されて命に係わる事になる。
天神を打ち倒すためには、動き続けなければならない。
そのために、ゾルドは大きく打って出る事を決意した。
大きく賭けねば、大きく儲けられない。
ミニマムベットで得られるのは自己満足だけだ。
勝利を得るには大きく張らねばならない。
その事をゾルドは知っていた。