69
一週間後。
情報屋の元締めとの会合の日が訪れた。
ゾルドが供に決めたのは、レジーナ一人だった。
会合場所は、裕福な平民の住む地区のレストランだ。
ぞろぞろとゴロツキを連れて歩く場所ではない。
それに、度胸があると見せるのも、こういう場合必要だろう。
どこに行くにも部下がいないと行けないなんて、小心者にしか見られないからだ。
「そういうわけで、昼食はそいつらと食べて来る。みんなは普段通りの仕事をしておいてくれ。何か問題が起きたらオスエかテオドールに報告するように」
「へい!」
威勢の良い声が返ってくる。
先日の一件以来、皆がキビキビ動いているようにゾルドには見えた。
(勤労意欲に燃えているのは良いことだ)
それを好ましく思っていたが、実際は違う。
ダラダラ働いているところを見られて、ゾルドの怒りを買う事を恐れているのだ。
”本で読んだ”と言っていたが、知っている事と実行する事は別物。
あんな晒し首のやり方を実行するなんて、頭のネジが一本外れているどころではない。
敵対者とはいえ、死者の尊厳を侮辱するという行為は、スラムの住人ですらやらない事だ。
ゾルドの考えが理解できない。
だからこそ、よけいに怖い。
「出掛けるまで時間があるから、皆に昼食用にスープでも作っておくわ」
「えっ」
レジーナの言葉に、皆の動きが止まる。
ゾルド達は事務所の近くに家を借りているので、料理の練習がてらに時々レジーナが差し入れを持ってくる。
その味は差し入れを口にした者、全員が知っていた。
以前、ゾルドと一緒に料理をした時に、レジーナは基本的な事を学んだ。
だから、野菜も綺麗に大きさを揃えて切れるし、肉の焼き加減もちょうど良く焼ける。
レジーナは決して不器用というわけではなかった。
一度覚えれば、見た目は普通に作れるようになっていた。
問題は味だ。
レジーナはチャレンジ精神旺盛で、料理にアレンジを加える。
ゾルドが魔神なので”魔神にふさわしい料理を!”と、新しい味を作り出そうとするのだ。
残念ながら、レシピ通りに作ってくれという皆の願いは、神には届かなかった。
むしろ、その神が頭を抱えてレジーナに普通に作ってくれと願っているくらいだ。
祈りが届くはずがない。
だが、この時はゾルドが空気を読んだ。
「レジーナ、お前は料理を作らなくていい」
「そんなっ、私の料理はそんなに口に合わなかった?」
レジーナは悲しそうな顔をして、両手で口を覆う。
それを見て、ゾルドはフォローをする。
「そうじゃない。お前は社長夫人だ。自分で作るのではなく、人に作らせる立場だという事を忘れないで欲しいだけなんだ」
ゾルドはレジーナを、そっと抱き寄せる。
「気持ちは嬉しい。だが、お前の美しい手に、あかぎれなんて似合わない。それにお前には苦労をかけた分、楽にさせてやりたいんだ。もう少し落ち着いたら、使用人でも雇おう」
「あなた……。わかった、料理は二人の記念日だけにするわ。社長夫人として、どう振る舞えばいいかわからないから少しずつ教えてね」
レジーナはゾルドの優しさを感じて、素直に喜んだ。
ホスエを含め事務所に居た者達も、レジーナの料理を食べずに済んで喜んだ。
唯一ゾルドだけは、レジーナの料理から逃げられない事がわかり喜べない。
だが、ほんの少しだけ皆のゾルドへの評価が良くなった。
「まぁ、記念日をどうするかは置いておいて、早めに出よう。服を買い行くための服を買いに行こう」
ゾルドは服を買いに行くという約束を忘れてはいなかった。
ただ、高品質のドレスを買いに行くにも、最低限の恰好をして行かなければならない。
レジーナのドレスは全てベルリンに置いて来たので、今回ついでに平民向けで最高品質の服を用意してやろうと思ったのだ。
全て愛しているレジーナとの約束を守るためだ。
決して話を逸らすために思い出しただけではない。
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「お二人は、大変仲がよろしいようですね」
ゾルド達はレストランの個室でに入ると、開口一番にそう言われた。
言葉を放ったのは、椅子に座って待っていた男。
彼は仮面舞踏会に使うようなマスクを付けている。
おそらく、彼の情報収集能力はリアルタイムでも有効だというアピールと、お前達を監視しているぞという脅しだろう。
誰だって自分が見張られていると思えば、どこか怖く感じてしまうものだ。
「そうだろ。こんな良い女は滅多にいない」
だが、ゾルドはそれを流した。
ゾルドにとって恐れるのは魔神である事を気付かれる事くらいだ。
多少の私生活を知られようが構わない。
それで侮るというのなら、侮ってくれても良い。
その方が警戒が薄れてくれる。
「言うまでもないと思うが、俺がノルドで、こっちがレジーンだ」
男は笑顔で立ち上がり、ゾルドに手を差し出す。
ゾルドはその手を握り返した。
「情報屋を取りまとめているジョゼフです。監視しろとは命じてなかったのですが、今話題の主役を見つけてしまい、ついつい追いかけてしまったのでしょう。申し訳ございません」
ジョゼフと名乗った細身の男は、平然と言ってのけた。
これから話をしようという相手を、ノーマークにしておくなんて考えられない。
だが、ゾルドはこの謝罪を受ける。
「いいさ、気にしないでくれ。部下が上司の知らないところで暴走するなんてよくある話だ。なによりも俺自身よく暴走するから、人を責める事もできないしな。もし俺が暴走したら、その時は笑って許してくれると助かる」
ゾルドは暗にほのめかした。
”部下の暴走という事にして俺を見張るのはいいが、度が過ぎると俺が殺しに行くぞ”と。
これにはジョゼフも乾いた笑いが出る。
まさかここまでストレートに脅してくるとは思わなかったからだ。
「今後はこんな事のないように気を付けます。それでは、食事をしながらでも話しましょう」
ゾルドはジョゼフの勧めに従い、テーブルに着く。
そして料理を注文すると、ジョゼフとの話を再開する。
「こちらが金を稼いでいるのを知り、情報料を上げるのは構わない。稼いでいる奴から金を取るのは基本だからな。だが、いきなり10倍に上げられて納得できる奴はいない。高くなった情報料に付加価値を付けてくれないか」
「付加価値ですか……」
ジョゼフは少し困惑していた。
上手いやり方を考え付いたと思っていたが、しょせんはスラムの住人を使わねばならない程度の人間。
”値段が高い”と文句をつけて、殺すぞと脅してくる程度だと思っていたのだ。
ジョゼフはゾルドの評価を上方修正した。
よく使ってくれる常連客ではあったが、スラムの人間を使っているという事に偏見があったのだろう。
自分もスラムの人間を使っているとはいえ、他の者も上手く使えるとは思っていなかったからだ。
「一件あたり高額の金を払うし、件数も多いんだ。俺から受け取る金も総額で考えればかなりのものになるだろう。サービスとして、こちらの情報を他の誰にも言わないっていうのでどうだ?」
しかし、その要求は首を振って拒否される。
「それは無理です。あなた方以上に長い付き合いの顧客もいます。そういった方々から情報を求められれば、断る事はできません」
だが、ゾルドもこの要求を拒否される事は想定していた。
約束されても、きっと空手形に終わるだろうと思っていたくらいだ。
嘘を言わずにハッキリと断ってくれるだけ、ジョゼフは誠実に対応してくれている。
ゾルドはジョゼフが交渉のできる相手だと判断した。
「それなら、誰かに伝えたら誰にどんな情報を伝えたのかをこちらに教えてくれないか。もちろん、名前を教えられない場合は教えられないと言ってくれていい」
ゾルドの提案は悪くない。
だが、決して良くもない。
情報を取り扱うジョゼフだから、すぐに気付いた。
”名前を教えられないような上客”
その時点で、ある程度は目星を付ける事ができるだろう。
名前を教えられないという情報を与えてしまう事。
ジョゼフは、かなり悩んだ。
しかし、考慮の余地は十分にある提案だ。
「話は変わりますが、私が世話になっている人で、ノルドさんが売却された土地を購入された方が居ましてね」
突然の話題の変更。
だが、ゾルドは戸惑う事なく、冷静に受け入れた。
交換条件で何かを要求するという行為はよくある事だ。
「とある七件の家が建つ区画の内、六件を買い取られました」
「ほう、よく買ったもんだ」
ゾルドは関心すると共に”同じ区画から六件も詐欺被害者が出るのはマズイ”とも思っていた。
仕事を任せていたテオドール達スラムのメンバー。
その中のどこかの班が、手を抜いてやってしまったのだろう。
(あー……。そういえば、俺も同じ区画から獲物を探すなと言ってなかったか)
意外なところで己の不手際を知り、ゾルドは深く反省する。
マニュアル無しで、一からの組織作りをしたのだ。
組織の末端の一社員だった割りには、今までよくやれていた方だろう。
そんなゾルドの心中を察する事なく、ジョゼフは話を続けている。
「ただ、残りの一件。これが目障りなんですよ。この一件が無ければ、良い立地の場所にアパートを建てて、住居を探している人の助けとなれると悩んでいらっしゃる」
(なんだ、地上げか)
どんな事を要求されるのかと思ったが、内容は大した事ではない。
昔懐かしい地上げ屋の真似事だったからだ。
住居やスーパーを建てるのに、まとまった広い土地が欲しいからという事まで同じ。
世界は違えど、こういったところはよく似ているんだなと、妙なところで関心していた。
「だが、その残っている一件は理由があるから残っているんだろ? そうでなければ、とっくに借金のかたとして売り飛ばされているはずだ」
「そこが困るんですよねぇ……」
ジョゼフは、どこか他人事のように言った。
「残った家の家主は家と土地を売る事に同意しているんですが、借家人が反対しているんですよ」
「この国の法律では、居住権を主張して居座る事はできないはずだろ?」
ジョゼフは両手を広げて、ヤレヤレと首をすくめる。
「その借家人の兄が三部会の平民議員をやっていて、本人も弁護士をやっています。そんな相手を敵に回す危険があるのは嫌でしょう?」
「話しにならんな」
兄が議員で、本人が弁護士。
そんなエリート兄弟を敵に回すつもりはない。
――少なくとも今は。
「ですが、それを何とかして頂ければ、先ほどの提案を引き受けましょう」
一件の立ち退きで済むなら喜んでやるところだ。
しかし、今回ばかりは相手が悪すぎる。
とはいえ、ゾルドには思い浮かんだ方法があった。
「隣の家は取り壊したのか?」
「いえ、まだです」
ジョゼフは”ゾルドが何かを思いついた”と、面白そうな顔をしている。
敵対グループの首を飾り付けるような男だ。
きっとユニークな事をしてくれると、期待してしまうのも仕方がない。
「だったら、まとめて燃やそうか」
「はぁ?」
「嘘でしょ」
今まで、すました態度をとっていたジョゼフから感情の籠った声が出た。
その声を聴き、ゾルドは笑みを浮かべる。
……今まで黙って見ていたレジーナが、驚きの声を上げたのは放置する。
まだ、話は終わっていない。
「さすがに放火みたいな真似は……」
「違う、違う。まずは隣の家にスラムの人間でも住ませろ。そして、一週間ほどしてから火の不始末で火の手が上がる。目的の家は哀れな事に、もらい火で炎上。残念ながらその家から引っ越すしかない、っていうわけだ。火をつけた本人は焼死体で発見っていうのが一番だろうな。もちろん、延焼には気を付けてな」
これは高度経済成長期の地上げ屋が使った手段の模倣だった。
真似をした地上げ屋のやり方とは、トラックを家に突っ込ませるというもの。
しかし、この世界にはトラックもダンプもない。
馬車を突っ込ませても、馬が壁にぶつかって死ぬだけだ。
だから、放火という手段で家を使い物にならなくする事を選んだ。
以前、ゾルドが年配の人物に聞いた話では、地上げ屋がトラックを突っ込ませるのは”出て行かないと、どうなるかわからないぞ”という脅しのためだけではない。
借家の場合は、家の柱に上手く当ててへし折るという目的があった。
建物を破壊することで住めなくして、賃貸契約を終了させる。
強引な手だが、これを使う事で素早く立ち退かせられると聞いていた。
今回はその応用。
火事で家を無くすというものだった。
放火だと、後々問題になるかもしれない。
だから失火という形で焼失を狙う。
火をつけた本人が焼け死んでしまえば、責任の追及もし辛い。
「なるほど……。確かに家が無くなれば借りようがないですね。アパートを建てるために取り壊すなら、家の状態を気にしなくてもいい。まさか、その状況を最大限利用するとは……」
ゾルドの話を聞き、ジョゼフは満足したようだ。
その様子を見て、ゾルドもホッとする。
利用価値がある事を証明できたようだ。
これでもうしばらくは、今の仕事を続けられる。
ちなみに、ゾルドの横でレジーナもホッとしていた。
森に住むダークエルフにとって、火災は天敵だ。
人間の街とはいえ、無駄に燃えてしまうのは忍びないと思っていた。
「さすがに、実行に必要な人員や資材は、そちらで用意してくれ。ウチは真っ当な商社だ。放火の得意な奴までは揃えていない」
「ええ、そうします。ノルドさんには、できる範囲で便宜を図らせていただきますよ」
「そうか、そうしてくれ」
便宜を図るというからには、先ほどの提案を受け入れてくれるのだろう。
ジョゼフがゾルドに価値があると判断したからだ。
だが、それは価値が無くなったら、協力を打ち切るという意味でもある。
(いや、そんな事はどこでもそうだな)
裏社会だけではない。
表社会でも能が無いと判断された者には居場所がない。
居場所を作るには、能力を証明する必要がある。
そう、どこでも一緒。
人がいて、社会が形成される以上、利用価値を示し続ける事が必要なのは同じなのだ。
それをゾルドは”上等じゃないか”と前向きに受け取っていた。
どうせ立ち止まる気はない。
金を求めて行動している限り、自然と自分の価値を証明する事になる。
わざわざ、意識して行動するほどの事ではなかった。
「俺達は得意分野が違う。これからも持ちつ持たれつで、やっていこうじゃないか」
「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」
今回の会合で、ジョゼフはゾルドの評価が正反対に変わった。
最初は腕力で解決するしか能の無いチンピラが、偶然なにかのきっかけで金を稼ぐ方法を知ったのだろう程度に思っていたのだ。
それがその逆。
合法的に許される範囲内で、金を稼ぐ方法を知っている。
しかも、必要とあれば暴力を使う事をいとわない。
むしろ、スラムを力で支配できそうな力がありながら、暴力で支配に乗り出さないのが不思議なくらいだ。
”味方に付けておいて損はない”
そう思わせられる程度には、ジョゼフとの初会合はひとまずは成功した。