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「痛いって。なぁ、俺は魔神だぞ。もう少し優しくできないのか」
「さぁ? 今まで我らが受けた優しさと同じだろう」
つまり、優しさの欠片もないという事だ。
馬鹿な考えをしないようにと、きつく腕を握られている。
逃げ出す気も無くなるほど、力の差を思い知らされた。
俊夫は今、後宮に連れて来られたばかりだ。
ウィンストンとマシスンは、意外と素直にここまで連れてきてくれた。
ニーズヘッグが許したからだろう。
千年もの間、魔族の代表を務めて来た男の言葉は重い。
「一時間くれてやろう。説得できようができまいが、時間が過ぎればドーバーへ連れて行く」
その言葉を聞き、俊夫はすぐさま行動に移る。
まずは数打ちゃ当たる戦法だ。
とりあえず声をかけていかねばならない。
ちょうど近くを歩いていた女に話しかける。
「ナンシー、実は大陸に行く事になったんだ。一緒に来てくれないか」
声をかけた相手は、リャナンシーという妖精寄りの魔族だ。
容姿は俊夫好みの美女。
戦闘力はさほどではないが、良い女はいるだけでも十分役に立つ。
金を稼がせるなり、有力者を篭絡するなりに使えるからだ。
「まぁ、突然ですね。でも、私が大陸に行っても大丈夫でしょうか?」
当然の心配をするが、俊夫はブレスレットを取り出して見せる。
「これを使えば変装できるし大丈夫だ。それに見た目だけなら、魔族とは誰も気づかれないよ」
「そうですねぇ、大陸には興味ありますし……。私で良ければおともさせてください」
ナンシーの言葉に、俊夫は笑みを浮かべる。
(ほら、見ろ。なにが”おらんと思うが”だ。俺にだって人望くらいあるんだよ)
たった一人ではあるが、俊夫は見返してやった気分だった。
この時だけは。
「ナンシーと言ったな。この男は魔神ではあるが、宰相と四天王の合議の上、先ほど追放が決定したぞ」
「えぇっ。では、あの噂は……」
すでに俊夫が追放されるという話が広まっていたのだろう。
ナンシーは一歩退き、俊夫から距離を置く。
「おい、待てよ。なんで離れようとする」
思わずキツく問い詰めるような口調になる。
ナンシーは少し後ろめたいような態度を取るが、それでも俊夫に近寄ろうとしない。
目には見えないが、心はドンドン離れて言っているような気さえした。
「だって追放されるって事は、魔族は魔神と関係を持たないって事でしょ? 私もあなたとは、もう何も関係ないって事なのよ」
「ハァ?」
(何言ってるんだ、こいつは……)
あまりにもドライ過ぎる態度に、俊夫は驚く。
「お前、あれだけ愛してるとか、俺しか見えないとか言ってたじゃないか。それがなんで……」
「そりゃあ、最初の1か月くらいはね」
俊夫のモテ期というものは、魔神という肩書きがあっても最初の3か月程度しか続かなかった。
最初は魔神という事で好意的な感情を抱き、俊夫と深い関係になろうとした。
だが、俊夫の人となりを知れば心は徐々に離れて行った。
ナンシーもそうだ。
俊夫の本性を知ると、心が離れて行った一人だった。
「もういい! 女なんて他にもいるんだ。どうせお前には飽きて来ていたしな」
最低な捨て台詞と共に、俊夫は他の女のもとへ向かう。
その後ろ姿を見て、ナンシーは自分が正しかったと確信した。
「やぁ、スーザン。一緒に大陸行かない?」
「ジェニファー、君に似合う宝石を買いに行かないか? 大陸に良い店あるんだけど」
「今日も綺麗だね、キンバリー。ちょっと大陸まで美の追求をしに行かないか?」
俊夫は様々な種族の女達に声をかけるが、誰一人として話に乗ってくる者はいなかった。
ウィンストンやマシスンが追放された事を告げると、皆が距離を置いてしまう。
最初の内は魔神への憧れで慕われていた。
だが、女を性欲処理の道具にしか思っていないという態度が見え隠れしていたせいで、女達の心は徐々に俊夫から離れて行った。
最近では魔神の子供が欲しいという女か、種族の繁栄のために仕方なく演技をする女くらいしか近寄っていなかったのだ。
俊夫はその事に気付かなかった。
いや、薄々と気付いてはいたが、対応策を取らなかった。
自分が魔神という絶対的な存在である以上、女のご機嫌取りなんてしなくていいだろうと思っていたからだ。
今までは底辺の冒険者と苦労したり、魔神として命の危険があるかもしれないという状況に置かれていた。
魔族の国という安全地帯に着いた時、苦労した分楽しんでもいいじゃないかと思ってしまったのだ。
(俺はこんなに人望無かったっけ?)
日本では、そんな事は無かったと思う。
同僚の仕事で相談を受けたり、後輩に指導をしたりもしていたし、食事だって一緒に行っていた。
プライベートでの付き合いだってある。
学生時代からの友人との付き合いもあったし、ここまで嫌われるような事はまず無かった。
ならば、なぜこんな事になってしまったのか。
一番大きいのは、ここが異世界だと気付いてしまった事だろう。
そのせいで俊夫は心の平穏を取り戻すために、本能の赴くままに行動してしまった。
もし、ゲームの中だと思い込んでいたのなら、魔神として、支配者としてのロールプレイを楽しみ、もっと上手く立ち回れていたかもしれない。
突然、異世界だと知ってしまった事が、俊夫を苦しめていた。
もちろん、本人の資質が一番の問題ではある。
「誰も付いてきてはくれんようだな。行くぞ」
俊夫は逃げ出さないように、強い力で両脇を持たれた。
そして引きずるように外へと連れて行かれる。
「待て、まだだ。まだ残っている」
俊夫の言うように、後宮にいる女の半分ほどと話をしただけだ。
残り半分の中に付いてきてくれる者がいるかもしれない。
だが、ウィンストンは聞く耳を持たなかった。
「女は残っているかもしれんが、時間は残っておらん。すでに1分過ぎている」
無情な通告。
しかし、俊夫は諦めきれなかった。
「ローリー! ハンナ! ドロシー! 誰でも良い、俺に付いてきてくれ!」
引きずられながらも、女の名前を呼ぶ。
俊夫は必死になっているから気づいていなかったが”誰でも良い”という言葉で、よけいに反感を買っていた。
女達は遠目に俊夫を見ているだけだ。
近寄ってくる気配は無い。
「あぁ……」
さすがにこれは俊夫でも堪えた。
性格が良いとは思っていないが、ここまでハッキリと人望の無さを見せつけられると、涙が出そうになってしまう。
(ちくしょう、ちくしょう。一人くらい来てくれても良いじゃないか)
俊夫は腕を引っ張られずとも、自分の足で歩くようになった。
こんな場所に、いつまでもすがり付く必要はない。
さっさと出て行って、忘れてしまった方が良い。
俊夫は力無くうなだれ、全てを受け入れた。
そんな時、背後から誰かが駆けよってくる音が聞こえた。
「ゾルド様、お待ちください!」
聞き覚えのある声だ。
(この声は……、レジーナか!)
「おい、手を放せ」
ウィンストン達は大人しく手を放した。
逃げ出そうとする気配は無かったし、こんな男を呼び止めようとする酔狂な女だ。
最後に別れを言わせてやるくらいは良いだろうと思ったのだ。
「レジーナ、来てくれたのか」
旅装に着替え、息を切らせているレジーナを嬉しそうな顔で迎える。
「申し訳ありません。追放されるという噂を聞き、準備を急いだのですが手間取ってしまって」
レジーナは優しい笑顔を俊夫に向ける。
思わず俊夫は涙がこぼれそうになった。
(心細い時に人の心に付け込むのって、こんなに有効なんだぁ)
こんな状況にもかかわらず、俊夫は日本での事を思い出した。
俊夫は、顧客の一部を新聞の訃報欄で獲得する。
金は生命保険で入るし、家族を亡くして悲しんでいる者の心は付け入りやすい。
葬式に出席し、会社名義で香典を支払う。
そうして遺族に接触するのだ。
主に俊夫が使っていた理由は”故人が会社に資産の運用を相談していた”というものだった。
”家族にお金を残しておきたい”
そう思っていたと話せば、遺族も俊夫の話を聞いてくれるきっかけになる。
そうなれば、こっちのものだ。
遺族の中には”故人の遺志を尊重しよう”だとか言って金を預ける馬鹿がいる。
俊夫は”本当は自分が金を欲しいだけなのに”と思っていたが、今では少しわかる気がする。
心細くなった時に、親身になってくれる者がいると心を開いてしまうのだ。
俊夫はレジーナが付いてきてくれるとわかり、抱き付いて”ありがとう”と言いたい気持ちになっていた。
こんな気持ちになったのは初めてだった。
レジーナを抱きしめようと一歩踏み出した時までは。
「あぁ……、そんな……」
俊夫は膝から崩れ落ちた。
レジーナが自分の意思で付いてきてくれたわけではないと気付いてしまったからだ。
――レジーナの首に付けられた隷属の首輪。
それが目に入ってしまった。
俊夫は自分に付いてきてくれる者などいないのだと、思い知らされた。
(俺って、そんなにダメだったのか……)
確かに、この1年はずっと遊び惚けていた。
けれど、いきなり追い出されるくらい嫌われていたと思うと、どうしようもなく悲しくなってきた。
恥も外聞も無く、俊夫は泣き出してしまう。
自業自得とはいえ、あまりにも情けなさすぎる。
「ゾルド様」
レジーナが心配するように声をかけるが、そんなものは気にしていられなかった。
どうせ首輪の効果なのだ。
レジーナの本心からの言葉ではない。
カチャカチャと音も聞こえてきたが、俊夫は拳を握りしめて泣いており、その音に気付く余裕などなかった。
「ゾルド様」
もう一度、レジーナはしゃがんで俊夫に呼びかける。
その手には隷属の首輪が握られていた。
「なんで首輪が……」
俊夫は疑問に思う。
奴隷として束縛する首輪を、本人が簡単に外してしまえるのならば意味がない。
なぜ首輪を外せたのか?
思わずレジーナに顔を向ける。
「奴隷商人が言ってたじゃないですか。”効果は半年しか持たない”と」
「あっ」
ブリタニアに来ておよそ1年。
とっくの昔に首輪の効果は切れていた。
今まで、レジーナは効果の無い首輪をわざわざ付けていたのだ。
「それじゃ、なんで……。俺は追放されるんだぞ」
レジーナは笑みを浮かべると、俊夫との思い出を話し出した。
「最初は酷い人に買われてしまったと思っていました。けれど、ゾルド様は私の料理を食べてくださいました。焦げて氷漬けになったステーキと、床にこぼれたシチューなどという物を」
(あれは当てつけに食べただけだ)
この時、俊夫はレジーナとの認識の違いに気付いた。
そしてウィンストンとマシスンは、焦げた氷漬けのステーキという単語に混乱していた。
「そしてドーバーで会った少年に、とても優しい対応をしていました。父親の面影を求める少年に、自らの手でゼリーを食べさせてあげるのを見て、本当は優しい方なんだと思いました」
(食べたくなかったからだ。クソッ、あの時ガキを適当な理由で殺しておけば……)
レジーナは、まだジャックが新しい王となる事を知らない。
そして俊夫は、あの時殺しておけば、先ほどハーピーと関係を持った事を言わなければ良かったと後悔していた。
「謁見の間でケビンがメアリーと結婚したと言った時、ゾルド様は私を庇ってくださいました」
(それは自分の連れている女が馬鹿にされるのがムカついたからだ。俺まで馬鹿にされてるように思ってな)
レジーナも涙を流し始めた。
それは辛い事を思い出したからか。
それとも俊夫の優しさを思い出したからかはわからない。
ただ、俊夫を見る目が愛おしい者を見る目へと変わっていく。
「その後、ずっと辛かったです。けれども、ゾルド様は私と添い寝してくださいました。体を求めるのではなく、ただ一緒にいてくれた事が、本当に嬉しかった」
(それも勘違いだ。ただ安心して眠れそうな女がお前くらいだっただけだ)
俊夫は自分のためだけではなく、レジーナのためにも涙を流した。
あまりの馬鹿さ加減に。
「私はゾルド様の良い所を知っているんです」
なにもかも勘違いだ。
見た目はクールな美女なのに、その中身は残念極まりない。
だが、俊夫には最高に良い女に思えた。
(勘違いでもいい……。これからは、本当にそう思わせられるようにしてやればいいだけだ)
今度は失敗しない。
自分の味方になってくれるというのならば、今度は手放さないように気を付ければいいだけだ。
これからの第一歩として、レジーナくらいは手元に置いてみせる。
俊夫はそう決意した。
「でも、追放される俺に付いてくるのは辛いぞ。あとで裏切られたりするのは嫌だぞ」
念のために俊夫はレジーナに聞いておく。
あとで問題が起きて”こんな事になるとは思わなかった”と寝返られたりするのは辛いからだ。
「大丈夫です。どんなに辛い事も二人なら乗り越えていけます。以前も言いましたがダークエルフは愛が深いんです」
そう言うと、レジーナは俊夫に抱き付いてきた。
(けど、妹に婚約者を寝取られて、婚約者も結構ノリノリだったような……)
ダークエルフの愛が深いとはなんなのか?
俊夫は疑問に思わずにいられなかったが、この場で口にしない程度の配慮はできる。
それに頭では”馬鹿な女だ”と思わずにいられなかったが、本能がレジーナを求めていた。
抱き付いてきたレジーナを手放すまいと、俊夫も知らず知らずのうちにレジーナを抱きしめていたのだ。
この日、二人は出会って以来初めて、優しい口付けを交わした。




