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 さらに半年が過ぎた。

 これで1年間も、子作りという名の女遊びをしていた事になる。

 さすがに、これには俊夫も反省していた。


 今まで俊夫は、下着を履かずにガウンだけという恰好で生活をしていた。

 その方がすぐに女を抱けるからだ。

 だが、今はここに来るまでの恰好に着替えようとしていた。


「ゾルド様、どちらへ行かれるのですか?」


 レジーナが俊夫に声をかける。

 彼女は、この1年でケビンの事から立ち直ってきたようだ。

 俊夫としても、人間に近い容姿のレジーナは馴染みやすかった。

 レジーナに用意された部屋に、俊夫は2日に1度は泊まるようになっていた。

 今では半分俊夫の部屋のようにもなっている。

 着替えもこの部屋に置いていたので、突然まともな服に着替え始めた俊夫を不思議そうな目で見つめていた。


「ニーズヘッグに大切な話があるって呼ばれてな。それに、そろそろ本腰を入れて戦う方法を考えねばならない。お楽しみの時間はおしまいだ」


 俊夫の言葉に、レジーナは嬉しそうな顔をする。


「まぁ、それはそれは。お手伝い致します」


 やはり、俊夫がやる気を出してくれた方が嬉しい。

 魔神は俊夫に抱かれる女だけの物ではない。

 魔族、皆の希望なのだから。


 レジーナはローブを手に持ち、俊夫が着替えるのを手伝う。

 最後に腰にナタ、背中に剣を背負い、万全の体制が整った。

 この格好を見るのも久しぶりな気がする。

 レジーナは俊夫の背中に抱き着いた。


「いってらっしゃいませ。ゾルド様」

「あぁ、いってくる」


 散々爛れた性生活をしていたのに、レジーナはまるで新婚の夫婦のような見送り方をする。


(たまには、こんなのも良いな。やる気を出すのも悪くない)


 人間楽しい事ばかりではダメになる。

 人生には適度なやりがいが必要だと、十分に英気を養った俊夫には理解できた。


(最近はニーズヘッグの顔を見てないからな。ねぎらってやろう)


 こうして俊夫は、今まで一度も使った事のない、魔神用の執務室へと足を運んだ。



 ----------



「ようこそ、おいでくださいました」


 執務室にはニーズヘッグだけではない。

 魔神四天王の面々も揃っていた。

 ケルベロスのウィンストンも人間形態になっている。

 顔が3つの阿修羅像のような姿を、俊夫は気持ち悪いなと感じていた。


「それで、話とはなんだ?」


 執務机の椅子に腰をかけながら、俊夫は聞いた。

 皆の様子が、いつもと違う気がする。

 女遊びで腑抜けていても、それくらいの事は気付く事ができる。


(まずは謝ろうかと思ったが、要件を聞いてからの方が良さそうだな)


 重要な要件ならば、先に聞いておいた方が良い。

 もし、天神側が攻撃を仕掛けて来たとしたら、謝る事など些細な事だ。


「まずはこの者を確認して頂きたい。入れ」


 執務室のドアを、ドアの左右に控えたリビングアーマーが開くと、そこには一匹のハーピーがいた。

 狂相を浮かべており、くすんだ紫色の髪がババア臭い。

 少なくとも、この1年で関係を持った女ではなかった。

 ハーピーは他の女しか抱いていない。


「こいつがどうした?」


 俊夫は頬杖を突きながら、興味無さげに言った。

 一応綺麗にされているが、どこか薄汚い。

 そんなハーピーが、魔神の執務室に入る資格があるとかと疑問にすら思う。

 だが、ただのハーピーが中に入れるわけがない。


「ひひひっ、ぞるどさまー。まえにあったよねー」


 ハーピー特有の頭の悪そうな話し方には覚えがある。

 しかし、それはこのハーピーとの会話ではない。

 俊夫の反応が鈍いと見て、ニーズヘッグがハーピーの言葉を補足する。


「この者は11年前、ゾルド様を探す任に就いており、その際に人間に犯されたと申しておりました。それ以来、心を病んでいるようです」

「そうか、可哀想にな」


(俺に保証をしてやれとでもいう気か?)


 そう考えたが、やはりどこかおかしい。

 その程度の事はニーズヘッグがやっておけばいい。

 ニーズヘッグが何を言いたいのか。

 俊夫は様子を見ていた。


「ですが、去年のパレードでゾルド様を見て以来、ゾルド様の子を産んだのだと騒いでおりました。ポート・ガ・ルーで、この者と出会いませんでしたか?」


 そう言われて、俊夫は思い出そうとした。


(ポート・ガ・ルーでハーピー……)


「あっ、森の中で俺を殺して食おうとした奴か!」

「そうだよー」


 ハーピーは手足をばたつかせて、飛び跳ねて喜ぶ。


(なんでこいつは喜ぶんだ? ……俺の子を産んだ? あの時の? それがどうした)


 俊夫の子を産んだからといって、それだけで喜ぶのはおかしい。

 すでに10人以上の子供が生まれている。

 今更1人増えたところで、なんの意味があるというのか。


「確認ができてなによりです。それでは、ジャック様。お待たせ致しました。中へお入りください」


 今度はドアのところに、黒髪に黒い翼を生やした少年が立っていた。

 ドーバーで出会った、あの薄汚い少年だ。

 今は風呂にでも入ったのか、小ざっぱりとしている。


「パパ……、パパーーー」


 ジャックは涙を流しながら、俊夫に走り寄って飛びついた。

”子供1人くらいなんだ?”と思ってはいても、実際に10歳前後の子供がいるとわかると驚いてしまう。


「パパ、やっぱりパパがパパだったんだね! パパー」

「そうみたいだな……」


 ジャックは父親に会えて嬉しいという気持ちを隠さなかった。

 俊夫に抱き付き、父の匂いを嗅ぐ。

 抱き付いてからは”パパ”という言葉しか出てこなかった。


(なんだ、ニーズヘッグの奴。親子の感動の対面をやりたかっただけか。しょぼい奴だな)


 大事な話というからどんな事かと思えば、やってる事はテレビのお涙頂戴の安っぽい再会物と同じ。

 こんな事に深刻そうな顔で必死になっているのかと思うと、俊夫は笑いがこみ上げてきた。


(可愛いもんだ。魔族のクセにピュアな心を持っているんだな)


 そう思ったが、周囲の様子からするとそれだけでは無さそうだった。


「ジャック様は10歳にして、その腕力はハイオーガを越えている」


 そこでニーズヘッグは大きく、深呼吸をする。

 興奮しているのが俊夫から見てもわかった。

 そして、ニーズヘッグの言葉に、どこか引っ掛かるような気もした。


「魔法に関しては、カーミラほどの威力は無いが、ハーピーと相性の悪い地属性以外すべての属性を扱う事ができる。しかも、すでにカーミラを超えるほどの圧倒的な魔力量で、魔力の回復も非常に速い」


(クソッ、俺が魔法を使えないのにこのガキは使えるのかよ。しかも、魔法関係のスキルまでしっかり継承してやがる。でも、やっぱり血を受け継いだガキは先兵として使い捨てに便利だ。もっと産ませた方がいいかも)


 ジャックは基礎能力の高さを引き継いだだけではない。

 魔法適性まで持って生まれてきたようだ。

 俊夫では使い物にならない、魔法スキルセットまで持って。

 子供の才能に嫉妬する親の気持ちが、少しわかったような気がする。


「パパ、あのね……、その……」


 抱き付いたままのジャックが、何か言いたそうにしている。


「なんだ? ハッキリ言え」

「僕ね、魔法の勉強頑張ったんだよ。カーミラ先生は厳しかったけど、一杯魔法を使えるようになったんだ……」


 その言葉を受け、俊夫はカーミラの方を見る。

 少し膨らんできた腹を優しく撫でながら、仕事を成し遂げたという笑みを浮かべている。

 ヴァンパイアは生殖によって数を増やすのではない。

 だが、魔神の種はヴァンパイアにも有効だったようだ。


「それでね……、それで……」


 オドオドとして、ハッキリとしないジャックに俊夫はイラついた。


(はいはい、どうせ褒めて欲しいとかだろ。……こいつはこいつで利用価値はある。少しくらいは甘やかして手懐けておくのもいいか)


 ジャックは母親にネグレクトを受けていたと聞いた気がする。

 だから、親への愛情に飢えているのだろう。

 父親は優しくあって欲しいと願っているのが、俊夫にもわかった。

 だが、拒絶される事が怖いのと、人に甘えるという行為に慣れていないジャックは、それを言い出せなかった。


 俊夫は犬を撫でるくらいの気持ちで、ジャックの頭を撫でてやる。


「そうか、頑張ったな」


 言葉も手の動きも雑だったが、それでもジャックは嬉しかったのだろう。

 俊夫に抱き付く腕に力が入る。

 ジャックは渇望していた”親の愛”という物に触れた気がした。


「ありがとう、パパ。最後に良い思い出が出来た。本当に……、ありがとう」


 そう言って、ジャックは俊夫から名残惜しそうに離れた。


「最後にって……、どこかに行くのか?」


(捨て駒にするにしても、もう少し大きくなってからの方が……。そうか、子供のテロリストとか警戒甘いとか聞いた事あるな。なんだ、ニーズヘッグもなかなかエグイことやるじゃん)


 勝手に想像してニーズヘッグを見直していたが、俊夫の考えは外れていた。

 それも最悪の方向へ。


「出ていくのは貴様だ」

「はぁっ?」


 ニーズヘッグが信じられない事を口にする。


「お前、それ誰に言ってんのかわかってんの?」


 思わず凄む俊夫であるが、ニーズヘッグは意に介さない。

 今のニーズヘッグからすれば、俊夫は取るに足らない存在になっていた。


「よくわかっているとも。貴様だ、ゾルド。我らは魔神という存在に期待し過ぎたらしい。どうやら千年前のガーデム様の背中を追い続けてしまったようだ」


 遠い目をするニーズヘッグの言葉に、四天王の面々もうなずき同意する。

 いきなりの事に、俊夫は何が起こっているのか理解できなかった。


「我ら魔族は今次大戦において中立を維持する。貴様のような男に魔族の命運を預けられるか! だが、魔神という血には価値を認める。我らが新しき王ジャック様を中心に、千年後に備えて雌伏の時を過ごす」

「じゃっくがおうさま、じゃっくがおうさまー」

「なっ、なにを……」


 ハーピーが甲高い声を上げてはしゃぐ姿すら、今の俊夫には目に入っていない。

 ニーズヘッグに釘付けだ。

 どうやら女に溺れていた1年間で、魔族の堪忍袋の緒が切れたようだ。

 この事態はマズイ。

 だが、あまりの出来事に言葉が上手く出てこない。


「待て、待つんだ。今日から頑張ろうと……」

「黙れ、小童!」

「ひぃっ」


 あまりにも酷い言い訳に、ニーズヘッグは怒鳴り声を出す。

 声に込められた強い力に、俊夫は腰を抜かしてしまう。


「くだらぬ事を言うくらいなら、力を示せ! 私を殺してみろ!」


 あまりの迫力に、俊夫は命の危険すら感じる。

 戦おうという考えなど、脳裏によぎる事すらなかった。


 これはマズイと思い周囲を見回すと ハーピーも腰を抜かしているのが見える。

 だが、ジャックや四天王は平気な顔をしたままだ。

 彼らの力量では、ニーズヘッグの怒鳴り声くらいは耐えられるのだろう。

 そして、冷たい視線が俊夫に突き刺さっている事に気付いた。


「情けない。こんな男に希望を持っていたなんて。この子はあんな大人に絶対しないわ」


 カーミラが侮蔑の目で俊夫を見下す。

 ニーズヘッグの叫び声とはいえ、たった一言で腰を抜かすなんて情けなさすぎる。

 なんでこんな男と喜び勇んで寝てしまったのか。


 だが、ヴァンパイアにもかかわらず、母親になれるというのは少しだけ楽しみでもある。

 そこだけは、良い事もあったと思っていた。


「俺は……、俺はどうなる?」


 これだけは聞いておかねばならない。


「別に何もしない。この国から出て行ってもらうだけだ」


 とりあえずで殺されたり、神教庁に引き渡されたりしないという事だ。

 俊夫はホッとすると同時に、これから先の事が心配になった。


「だが、それから先はどうする? 俺一人じゃ勝てないぞ」

「ならば死ね」


 あまりにも酷い言い様に、俊夫は絶句した。

 しかし、ニーズヘッグも万が一の事を考えて助け船を出した。


「伝承に天神は神への信仰を、魔神は神への恨みを力にするとある。もしも、独力で人間の多くを絶望に叩き落とし、神を恨むような事態を引き起こす事ができれば、貴様を見直して力を貸すのもやぶさかではない」


(それって、実質的に力を貸さないって事だろう……)


 一人で何ができるというのか。


 もしかすると、日本に戻れるかもしれない。

 その願いを、自らの愚行で打ち砕いてしまった。

 現実逃避をしている内に、全てを失ったのだ。


(いつもこうだ。俺は、俺って奴は……)


 今までも、息抜きだとハメを外して失敗してきた。


 今回はゲームの中じゃない。

 異世界だと気付いていたにもかかわらず、また同じ失敗を繰り返してしまった。

 心の安らぎを求めるのは良いが、求め過ぎたのだ。


 これは命に直結する事だ。

 ゲームだと思っていた時と同じように、一時の欲望に溺れてしまうのは間違いだった。

 その事に気付いても、もう遅い。

 すでに皆の我慢の限界を超えてしまった。

 謝って済む段階ではないのだ。


 もう少し早く謝っていれば、まだ芽はあったかもしれない。

 しかし、今となっては時間稼ぎの命乞いにしか思われないだろう。

 何もかもが遅すぎた。


(いや、まだだ)


 ニーズヘッグ達がダメなら、誰にすがるか。

 ジャックだ。

 ジャックがまだいる。


(親の愛に飢えている、あのガキなら――)


「ジャック、お前にはまだ父親が必要だ。もっと甘えてもいいんだぞ。そうだ、一緒にボールで遊んだりもしよう。親子の会話がもっと必要だろ」


 俊夫の言葉にジャックの心は揺らいでいる。

 それは周囲の者からすれば、一目瞭然だ。

 ニーズヘッグが俊夫を止めようとするが、ジャックは強かった。


「ううん。パパが”男は生まれた時から一人で生きていく運命だ。誰かに頼るのではなく、一人で人生という道を歩いていけ”って言ってたから……。僕は一人でも頑張っていけるよ。パパも一人で頑張ってね」


 ようやく会えた父親に甘えたいだろうに。

 しかし、ジャックは健気にも俊夫の言いつけを守った。

 初めて会って優しくしてくれた時の事を、忘れてはいなかったのだ。


 だが、その心は俊夫に伝わらなかった。

 

(そうじゃねぇよ、クソガキ! 俺が無理なんだよ)


 あくまでも自分の事しか考えていない。

 適当に言った事を律儀に守られても困るだけだ。

 主に俊夫が。


 ジャックを説得するのが無理そうだと思った俊夫は、カーミラにターゲットを移す。


「カーミラ、お前は俺の子を妊娠している。考え直してくれないか」


 そう言って、カーミラの肩に手を回そうとするが、その手を払いのけられる。


「気安く触るな。腑抜けの負け犬風情がっ!」


 どこかで似たような事を言った覚えがある台詞。

 それが俊夫に返ってきた。

 カーミラは取り付く島もないと見て、股間をいきり立たせているマシスンをスルーし、エリザベスへと向かう。


「エリザベ――」


 俊夫が言い切る前に、エリザベスは手で言葉を制した。

 そしてパチリと指を鳴らすと、その容姿は変貌する。

 深い緑色の艶のあるロングヘヤー、グラマラスなボディ、そして端正な顔。

 先ほどまでいた、オカメ面と寸胴ボディのブサイクは、絶世の美女へと変わっていた。


「おぉ……」


 こんな状況であるにもかかわらず、感嘆の声がこぼれてしまう。

 俊夫のドストライクな女だった。

 そんな美女が俊夫に微笑みかける。

 それだけで腰が砕けてしまいそうな、蕩ける笑みだった。


「ねぇ、私ずっと幻術使ってたんだけど……。そんな事も気づかない低レベルな男に同情すると思う?」


 色気のある厚い唇からは、誘いの言葉ではなく拒絶の言葉が吐き出された。

 拒絶の言葉ですら、官能的に聞こえるのは声に魅了の効果でもあるのだろうか。

 もっと早く今の姿になってくれれば良かったのにと、こんな状況で思ってしまう。


(いやいや、ダメだ。女で失敗したんだろう。ここは我慢だ)


 俊夫は歯を食いしばり、今すぐ抱き付きたいという欲望を抑えつける。

 だが、次に視線を向けたウィンストンは、俊夫の言葉を聞こうとすらしなかった。


「我らは女の1/100も気にかけて貰っておらん。いまさら何を言われようと、決定は揺るがん。残念でしたなぁ」


 ウィンストンの3つの顔に浮かぶのは怒り。


 女ばかりで、四天王の自分達ですらまともに話ができなかった事。

 魔神に期待していたのに、失望させられてしまった事。


 俊夫に関連する全てが腹立たしい。

 こんな男を崇めていた自分を思い返すだけで、はらわたが煮えくり返る思いだ。

 なんとなく腹が立つや、性格が合わないというレベルではない。

 顔を見るだけで、嫌悪感が沸き出るくらいの段階まで来ていた。


(もう、ダメなのか……)


 ――見捨てられる。


 そう思うだけで、体が震える。

 もうゲームだと思っていた頃の俊夫とは違う。

 命の危険がある中、また大陸へ放り出されてしまうと思うと、たまらなく怖いのだ。

 泣いて土下座をすれば許してくれるというのならば、いくらでも土下座するだろう。

 靴舐めサービス付きで。


 そんな俊夫の心境を知らないジャックが、俊夫の袖をクイックイッと引っ張る。


「パパ。できたらパパが身に付けてる物をお守りにくれないかな……」


 ジャックは俊夫の事を優しいパパだと思い込んでいる。

 少し大胆に思い出の品を要求してみた。

 ジャックもまだ10歳。

 離れ離れになるにしても、やはり父を感じていたいのだ。


(このガキ! 俺から王の座だけじゃなく、物まで掠め取ろうってか! そうだ、こいつが死ねば……)


 やはり、その思いは俊夫には届かなかった。

 恐怖に震えていた手が、今は怒りに震えている。

 俊夫はジャックの首を絞めようと、戦闘モードになり手を動かし始めた。

 だが、それは殺気を感じたウィンストンとマシスンの手によって、即座に止められる。


「痛っ」


 彼らの力は俊夫の戦闘モードなどよりも強く、強化されているはずの腕がへし折られそうだった。

 種族の差はあれど、鍛えた者と鍛えていない者の差が顕著に表れた。

 魔神といえども、レベル1のような状態で魔族には勝てないのだ。


「違うって、抱きしめてやろうって思っただけだって。いや、マジで。ホントだって」


 小物丸出しの言い訳を信じたわけではないが、彼らは俊夫の腕を放した。

 この程度の力なら、すぐに止められると思われたのだ。


(クソッ。ここは大人しく渡しておいて、しばらくしてジャックの情にすがるのが正解か?)


 俊夫に”子供を頼る事は情けない”という考えは無かった。

 利用できる物は全て利用する。

 みっともなくとも、最終的に生き残る事ができれば、それは勝利だ。

 俊夫はプライドに生きるタイプの人間ではない。

 失敗をしたのなら、次に繋がるフォローをしておくべきだと考えた。


「これでどうだ。この世界に来てからずっと使っていた物だ」


 俊夫が渡そうとしたのはナタだ。

 魔神装備や腕時計は渡したく無かった。

 小遣いを渡すのも何か違うだろうと思い、多少は愛着のあるナタを渡そうとしたのだ。


 ――実用本位の肉厚のナタ。


 そんな物でも、ジャックは親から始めて貰ったプレゼントを喜んだ。

 今まで母親に貰ってきたのは、罵倒と冷たい眼差しだけ。

 例えナタのような物でも、かけがえのない宝物だった。


「パパ、ありがとう。大切にするね」


 まだ10歳の子供。

 せっかく出会えた優しい父親と離れるのは、やはり寂しいのだ。

 無骨なナタを、父親代わりのように大事そうに抱えていた。


「プレゼントといえば、こちらからも渡しておこう。これは最後の餞別だ。手を出せ」


 ニーズヘッグが俊夫の手に輪っかを5つ渡す。

 レジーナが付けていた、変装するためのブレスレットだ。


「数多く付ければ、それだけ効果は増していく」


 5つも渡したのは、変装をしてなんとかしろという最後の親切なのだろう。


「すぐに殺されたりしないようにっていう配慮か」

「そうだ。万が一があるからな」


 何かが上手くいって、人間社会を混乱させる事ができるかもしれない。

 そんな、流星に直撃するような確率に期待しているのだろう。


(あるかよ、そんなもん)


 俊夫は泣き出しそうだった。

 頼みこんで許して欲しかった。

 だが、ニーズヘッグの足にすがり付いて泣き喚いても、考えは変えないという事は勘付いていた。

 許してくれないとわかっていたから、やらなかっただけだ。


「連れていけ」


 無情な命令で、ウィンストンとマシスンに両脇を抱えられて部屋から連れ出される。

 おそらく、このままドーバーまで連れて行かれ、そこで船に乗せられるのだろう。

 魔族の王、魔族の神である魔神としては、情けない後姿だった。


「待て、待ってくれ。女だ、女たちに聞いてくれ」


”最後の最後まで醜い”


 それがニーズヘッグ達の感想だった。

 追い出される時になっても、女を求める浅ましさに嫌悪を隠そうともしなかった。


「誰か、誰か俺に付いてきてくれるかもしれないだろ?」

「……おらんとは思うが、それくらいは聞いておいてやろう」


 俊夫のハーレムメンバーも、魔神に失望していた。

 ただ、魔神の子を産むという事が、名誉な事には違いはない。

 自分達の種族のために、体を差し出していただけだ。

 俊夫に付いていく者は居ないと思われていた。


 俊夫が部屋から連れて出されると、ハーピーが騒ぎ出した。


「やっほー、じゃっくがおうさまだ。わたしはおうさまのおかあさん。よろしくねー」


 この世界では、知能があれば魔族、知能がなければ魔物と大まかに分類されている。

 ギリギリ魔族に分類されるハーピーは、魔族カーストで底辺だった。

 そこから王の母、王太后というカーストの頂点付近になったのだ。

 調子に乗るのも仕方がない。


 ニーズヘッグも、今はウザイだけで何もしていないハーピーを追い出そうとはしなかった。

 今後専横を振るうようならば、追放するなりの処遇も必要だとは考えている。

 今すぐに追い出そうとまでは思わなかった。


 しかし、その心配事はすぐに無くなった。


「うるさい!」


 言葉と共に、ジャックがナタを叩きこんだのだ。

 今までの恨みを晴らそうと、2度、3度と腕の振りは鋭くなっていく。


「いたいよー、じゃっく。ままだよー、やめてよー」

「お前なんてママじゃない! 僕の親はパパだけだ!」


 翼、足、腹、胸。

 ジャックが腕を振るうたびに切り裂かれていった。

 ハーピーは床の上でのたうち回る。


「じゃっくー……、じゃっくー……」


 だんだんと声がか細くなっていくが、ジャックの手は止まらない。


「死ねーーー」


 顔面に振り下ろされたのが最後となった。

 ハーピーの体は一度大きく痙攣すると、ただの肉塊へと変わった。

 ジャックは肩で荒い息をすると、血に塗れたナタを抱きしめた。


(パパのお陰で意地悪な女をやっつけられたよ。パパ……)


 ジャックは父親との絆を感じられたような気がした。

 その顔には、仕事を成し遂げた男の表情が貼り付いていた。


 ニーズヘッグ達がジャックを止めなかったのは、ハーピー如きに調子に乗られるのが鬱陶しいからだ。

 これから王として戴くジャックの母だから、自ら手を出さなかっただけ。

 ジャックが処理してくれるというならば、凶行を止める必要性を感じなかった。


「ジャック様、お召し物が汚れてしまいました。お身体を清めましょう」


 エリザベスは興奮気味のジャックの手を取り、風呂場へと誘った。

 アイコンタクトで、ニーズヘッグに部屋の片づけを任せると、カーミラと共に部屋を出て行った。


「調子に乗るからだ、馬鹿者め」


 ハーピーの死体を見下ろしながら呟いた。

 その対象はハーピーなのか、それとも俊夫だったのか。

 この部屋の中に、それを聞く者は残っていない。


 ニーズヘッグとて、魔神の降臨を待ちわびていた一人だ。

 俊夫の色狂いっぷりには、人一倍失望していた。

 千年前の魔神を知っているだけに、なおさらだ。


 ジャックはジャックで、心に闇を抱えている。

 きっと苦労する事になるだろう。

 隠居してアインランドで引きこもっている連中を見習い、早めに引退していた方が良かったのではないかと思ってしまう。


 のちに、ジャックは父から貰ったナタを手に、今まで自分をいじめた相手を夜な夜な切り殺していく事になる。

 親子揃ってニーズヘッグを悩ませる事になるが、俊夫と違いジャックは優秀な王としての片鱗を見せる。

 その才を惜しんで、多少の事には目をつぶり、ニーズヘッグは事件の後始末をする羽目になるのだった。

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