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さすがに式典が無いのに、モーニング一式を着るのは気が引ける。
それでも、このホテルに泊まっている者に合わせるために着ていた。
何か式典でもあるのか、礼服を来た者。
華美な刺繍を施した貴族服を着た者。
そんな者達がうろつく中で、フードを被りはしないものの、怪しげなローブを着ることはできないだろう。
コンシェルジュのエミールにも、滞在中はローブを着ないでくれと改めて注意されていた。
仕方がないので、用も無いのにモーニング一式という、疲れる服装をしていた。
(服でも買いにいくか)
さすがに10日もいるのに、こんな格好を続けるのは辛い。
チェックインしたばかりだが、買い物に出かけないといけないだろう。
エミールが帰る際についでに頼んだ紅茶を飲み干し、俊夫は立ち上がる。
休憩は終わりだ。
貴族服のような普段着と、部屋着として楽に着れるものを買っておきたい。
アイテムボックスの中なら虫食いにはならないし、穴が開いても上からローブを着れば修復機能のお陰で穴が塞がる。
もしかしたら、また見栄を張って良いホテルに泊まるかもしれない。
一度買っておけば、無駄にはならないだろう。
俊夫は財布と荷物用のマジックポーチをポケットに入れ、部屋を出る。
すると、先ほど使った魔道リフトのところに一人のホテルマンが椅子に座っていた。
この部屋に客が泊まったので、フロアに常駐させるようになったのだろう。
彼は俊夫が近づくと、立ち上がってリフトの扉を開く。
エレベーターとは違い、扉部分は手動なのだ。
「うむ、ご苦労」
偉そうではあるが、せっかく高い金を払ったのだから多少はVIP気分にもなりたくなる。
金持ちごっこに興じるために、彼にも1万エーロのチップを弾む。
チップを受け取った彼は嬉しそうだった。
それもそうだ。
初期に俊夫が必死に働いて稼いだ金と同額。
扉を開けるだけで、それだけ貰えるのなら誰でも嬉しくなる。
その反面、俊夫の顔は暗くなる。
誰もいないリフトの中ではしかめっ面をしていた。
(快適な生活を求めてたのに……。こんなはずじゃなかった)
この世界に来て何度目だろうか。
その場のテンションで決定を下して後悔するのは……。
フロントでのやり取りは楽しかったが、冷静になれば”俺は何をやっているんだ”という気分になった。
たかがNPCだ。
AIにムキになってもしょうがない。
その事は俊夫もよくわかっている。
だが、このゲームはリアル過ぎる。
まるで本物の人間と話しているような気がするのだ。
だから、NPCと思っている相手に言われた事でも腹が立ってしまう。
従来のゲームと同じ視覚、聴覚、触覚だけならば、いくらリアルでもまだゲームと思えただろう。
味覚や嗅覚までが備わっていることで、現実と区別が付かない。
そのせいで、俊夫はゲームと現実の境目が曖昧になってきているような気分になる。
(ゲームに順応するのは、まぁいい。これだけ長くいるんだから慣れた方が楽だ。けど、慣れ過ぎるとその分だけ社会復帰が困難になるな……)
現実に戻った時、今のようにその時の気分で行動するような事をしたくない。
重度のゲーム依存症患者のように、ゲームと現実の境目がわからなくなって、傷害事件を犯すような無様な真似をしたくない。
ゲームがリアルになった分、境目が曖昧になってそのような事件も増えている。
そう考えると、復帰当初は精神病院のような場所で、社会と隔離されながらカウンセリングを受ける方がいいかもしれない。
リフトがガクリと止まり、一回に着いた事を知らせる音が鳴った。
俊夫は思考をそこで中断させられる。
先の事も重要だが、今を生きる事も重要だ。
ポルトにいた時のように、社会の底辺で這いつくばって生きるだけの生活をゲーム内でしたくはない。
リフトから降りた俊夫を確認し、コンシェルジュデスクを同僚に任せたエミールが近寄ってくる。
「ゾルド様、お出かけでございますか?」
「あぁ、旅をしているお陰で、正装は宮廷に呼ばれた時用の服くらいしか持っていない。10日ほどいるなら着替えでも買っておこうと思ってな」
「馬車をご用意致しましょう。街に詳しい者も必要ではございませんか?」
「そうだな、紹介してくれるか」
「それではこちらへどうぞ」
エミールは俊夫を応接用の一室に案内すると、すぐに5人の若い女を連れてきた。
それを見て、俊夫は不愉快な表情を隠さず、怒りをあらわにする。
「やっぱり、安ホテルじゃないか!」
今まで安いホテルに泊まった時、付属の酒場でたむろする娼婦の紹介などがあった。
そういった女を一人旅の男に紹介することで、紹介料を取って宿代以外の稼ぎとしていたのだ。
女のレベルは段違い……、とまではいかない。
この世界の住人には美人なのかもしれないが、俊夫からすれば似たり寄ったりだ。
まったく嬉しく無い。
「まともな奴だと思えば、女衒の真似ごとか。エミール?」
俊夫は強くエミールを睨むと、女達に視線を移す。
(50点、20点、70点、40点、……おぉ、90点)
最後の女は17、18歳くらいの娘だった。
少々、胸が寂しいが服の上からでもふくらみがわかる程度にはある。
なにより、顔がいい。
久々に人間の美少女を見た気分だ。
実際、人間の美少女に会うのは、この世界では初めてだった。
今までに俊夫が可愛いと思ったのは、皆魔物ばかりだ。
「いえ、ゾルド様。彼女達はお考えになられているような、安い女ではありません」
「というと?」
「彼女達は、良い部屋にお一人でお泊りになられるような男性客の話相手をしてもらうだけです。肉体関係を前提とした娼婦ではありません。ただ、語り合って恋に落ちるような事があってもお止めしませんが」
「一緒じゃねぇか!」
すぐに声をかけてやれる娼婦と、デリヘル嬢のように表向きの言い訳をしているかの差だ。
高級ホテルだからこそ、その言い訳が必要なのかもしれない。
彼女達は第二、第三夫人や愛人の立場でもいいから、金持ちとの繋がりを持ちたいと思っている親に送り出されたりした者。
親に多額の借金があり、自身の意思で仕事を求めてきた者。
少なくとも、彼女達は下級貴族の娘で身分がハッキリとしている。
ホテル側も安全な女を客に紹介できるし、女側も金のある者に紹介されるのでお互いに利益がある。
それに一人旅をしているような男は、多かれ少なかれ女を求める。
ホテル側からすれば”変な女を連れ込まれるよりは、自分達で紹介した方がマシだ”という考えだった。
「大変失礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。それでは皆引き揚げさせます」
「まぁ、待て」
俊夫は、女達を部屋から出そうとするエミールを止める。
俊夫は本気で怒っているわけではなかった。
”太い客”と思われるのは良い。
だが”ちょろい客”だとは思われないように、エミールに一喝する必要があった。
だから、この機会を利用しただけだ。
あの広い部屋で一人で寝るのは辛いと思っていたところだ。
俊夫は、この機会を積極に活用したいとすら思っていた。
「そうだな……、この中で芸術に詳しい者はいるか? 美術館などに通っている者は?」
これは本当に芸術を見て回りたいなんていう理由で口にしたのではない。
俊夫は芸術にまったく興味がないのだ。
ただ、彼女達を引き留めるきっかけになりそうな言葉が思いつかなかった。
金持ちが好みそうな趣味というと、とっさに芸術関係くらいしか思い浮かばなかったのだ。
「はい」
俊夫の問いかけに、90点付けた少女がおずおずと手を上げる。
これには俊夫も安心した。
美術館の案内を頼むという名目で、女と繋がりを持っていたかったからだ。
これが20点の女なら”やっぱりやめた”と言っていただろう。
彼女は銀髪の肩に流れる三つ編みで、青のワンピースを着ていていた。
清純さを感じる少女だった。
この状況にエミールが失点を回復しようと、真っ先に動いた。
「さすがゾルド様、お目が高い。彼女はローゼマリー。とある下級貴族の娘で18歳。芸術に関してはこの中で一番詳しいかと。日曜日ということで出番があるかと思い、ちょうどこちらに来ておりました。まだこちらで待機するようになったばかりで、客はまだ取っておりません。初物が好きならばお勧めできます」
娼婦を紹介しているわけではないと言ったにも関わらず、それを忘れて初物なんていう言葉がエミールから出てきた。
どうやら、俊夫の機嫌を損ねたと思った時から、気持ちが焦っていたようだ。
エミールの言葉を俊夫もしっかりと聞いていたが、俊夫はローゼマリーの事よりも他の事が気になっていた。
(そうか、今日は日曜日か……。曜日の感覚も無いとか、まるで俺はニートみたいだな)
冒険者というよりも、旅人といった生活を過ごしていた俊夫に曜日の感覚はない。
その事を実感し、少し憂鬱になる。
社会復帰には、やはり時間がかかりそうだ。
「私も芸術には通じております」
そういって一歩前に踏み出したのは、俊夫が70点と評価した女だ。
肌の質感を見る限りでは20過ぎ、金髪のロングヘアー。
顔は良く言えば彫りが深い。
悪く言えばゴリラっぽい感じだった。
それでも70点の評価を付けたのは、豊満な胸である事が大きかった。
胸元が開いたドレスに、矯正下着のコンボ。
そこから生み出される谷間の魅力に勝てる男は多くない。
だから甘めに点を付けてしまったのだ。
「彼女はヴィルマ。経験も豊富で、きっと楽しめると思います。豊富な話題で良い話し相手にもなります」
エミールの言葉に俊夫は無言で頷く。
(可愛くて初物ならばローゼマリー、けど経験豊富でエロい体のヴィルマも捨てがたい)
そんな下卑た考えをしているとは思われないように、無表情のまま俊夫は考える。
そして一応ヴィルマに聞いてみた。
「それでは、写実派と印象派どちらが好きだ?」
「……印象派です」
俊夫の問いかけに、ヴィルマは少し戸惑いながら答えた。
俊夫は、なんとなく聞いた覚えのある言葉を使ってみただけだ。
どちらがどういう内容なのかはさっぱりわからない。
「好きな画家は?」
「それは……、その……。申し訳ございません。わかりません」
俊夫が太い客だと聞いていたからこそ、手放すまいと焦ったのだろう。
ヴィルマは芸術に詳しくないが、つい先走ってしまったのだ。
「そうだな……。エミール、今日は芸術鑑賞をするつもりはない。ローゼマリーのリザーブは可能か?」
「はい、本人との交渉次第ではございますが」
「そうか」
俊夫はローゼマリーに向き直る。
「明日以降、気が向いたら美術館などを回りたい。とりあえず、10日ほどこのホテルに泊まる予定だから、これで他の客を取らずに待っていてくれないか?」
そういって取り出したのは100万エーロだ。
10万エーロくらいでもいいかなと思ったが、エミールに100万エーロのチップを渡している。
それを下回る額では恰好が付かない。
エミールに渡した額が大きすぎたと、俊夫は後悔していた。
「えっ、でもこんなに」
「良いんだ」
ローゼマリーの手に金を乗せ、俊夫は優しく手を閉じさせる。
「はいっ、明日からお待ちしております」
「頼む」
優しい笑みを忘れずに向ける。
(恰好つけるんじゃなかった。このまま部屋に連れて行って、体をむさぼりたい)
半端に恰好を付けようとしたために、それ相応の態度を取らねばならない。
横暴な態度を見せるのも良いが、初日でそんな姿を見せれば、その後が気まずくなってしまう。
俊夫は全てを捨てて、欲望のままに行動したいと思っていた。
しかし、せっかく金持ちのフリをして泊まったのだ。
いきなり粗野な人間の素振りを見せてしまい、幻滅されるのはもったいないと思い、それが出来なかった。
「さて、ヴィルマだったね」
「はい」
俊夫はヴィルマの前に歩み寄る。
金持ちで良い人を演じるには、彼女へのフォローもしなくてはならない。
「君には恥をかかせてしまった。申し訳ない」
「そんな、私が知ったかぶりをしたせいです。悪いですわ」
「いやいや、そんな事はない。……ところで、君の魅力的な首元が少し寂しいな」
そう言うと、俊夫はヴィルマの首筋に手を触れ、胸元へと優しく動かす。
ネックレスを贈ろうという意味だ。
ヴィルマもそれに気づいた。
「お詫びと言ってはなんだが、是非とも君をエスコートさせてほしい」
俊夫が肘を軽く曲げると、そこにヴィルマは腕を滑り込ませる。
映画などで見た仕草だが、大きく間違っていないようだ。
エスコートの仕方など知らない俊夫は、心の中で安堵の溜息を吐いた。
今まで女性に対して、スマートな対応をした経験などない。
(まぁ、練習には良いだろう)
ヴィルマの歩幅に合わせて歩きながら、どうしてこんな事になってしまったのかを考えていた。
くつろぐはずが、金持ちの演技をして疲れることになる。
(やっぱり、その場のテンションで行動するとロクな事にならない)
そうは思っていても、いつでも冷静な判断を下せるわけではない。
きっと、これからも後悔する事になるだろう。