15
「どけっ、どいてくれ!」
街へ入るための検問。
そこに並ぶ人ごみをかき分ける男の姿。
そのせいで人ごみが騒然とする。
「おい、割り込もうとするな。後ろに並べ」
当然、門を任される衛兵に咎められる。
しかし、その動きは止まらない。
すぐに衛兵の前まで走り込んで来た。
かなりの距離を走ってきたのだろう。
肩で息をする、土で汚れた怪しい男がとんでもない事を叫んだ。
「緊急事態だ。魔神が現れた!」
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俊夫は門脇にある衛兵の詰め所へ連れられて行った。
”最初はとんでもない事を言う奴だ”と思われていたが、神教騎士団の事を聞いていた班長が俊夫をここへ連れてきたのだ。
伝令を走らせ、今は城からの返答待ちだ。
「本当に魔神が現れたのか?」
休憩中だった兵士が、俊夫に問いかける。
それもそうだろう。
この世界には一大事なのだから。
「はい、騎士のアラン様がそう言っていましたから」
「っ!! そんな……」
この世界に伝わる話では、1,000年前に天神と魔神の戦い――天魔戦争と呼ばれるもの――があった。
その時、天神は味方した種族に繁栄を与えた。
――もし、また戦争になってしまったら。
――もし、天神が負けてしまったら。
たかが一兵卒とはいえ、他人事ではない。
魔神と戦うまでもない。
存在するだけで恐怖の対象なのだ。
この場にいる者全てが、これからの惨事に恐れおののいていた。
俊夫はそんな事になっているとは考えもしていない。
大人しく、出された白湯をすするように飲んでいた。
「ここに案内人がいると聞いたがどこだ」
詰め所の外で誰かが俊夫を呼んでいる。
俊夫が詰め所を出ると、フルプレートで完全武装の騎士に囲まれた。
「なんだ、貴様っ。もう魔神信奉者が来ているのか!」
「いいっすよね。もうやっちゃっていいっすよね」
「お待ちを、この者が知らせてきた案内人です」
異常に殺気立った騎士団の面々。
それを衛兵が抑える。
俊夫は既視感に襲われた。
(装備としては便利なんだけど、やっぱりやめた方がいいのかな)
流石にここまでくれば、服装のせいでこうなるのだと気付いた。
だが、ローブのダメージ減少が無ければアランの斬撃に耐えられたかどうか。
ローブを脱ぐかどうかは、今しばらく迷う事になるだろう。
「今はそんな事よりも……、アラン様達が戦っていると思います。急いだ方がよろしいのではないでしょうか?」
俊夫の言葉に顔を見合わせ、その言葉に納得する。
「やむを得ん。案内しろ」
偉そうな物言いに少し腹が立つが、ここは我慢する。
全ては金のためだ。
「はい、こちらです」
あとは案内するだけでいいのだ。
それで億単位の金が手に入る。
(良い日給じゃないか)
魔神に先導される神教騎士団。
そのマヌケっぷりに俊夫は噴き出しそうになっていた。
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森に入る直前、俊夫の足が止まる。
「どうした? なぜ進まん」
「いや、あの……。魔神がいるんですよ」
「そうだ。だから向かうのでは無いか」
「いや、だって魔神がいるんですよ」
「貴様っ、いい加減にしろ!」
近くに居た騎士に胸倉を掴まれる。
だが、新米冒険者として怯えているフリをした方が良い。
そう思っている俊夫は、それでも動こうとはしない。
「待ちなさい」
先頭の動きが止まった事が気になり、様子を見に来た遠征軍の司令官がそれを止める。
「手を放しなさい」
「はっ」
騎士は掴んでいた手を放し、脇に退く。
「私は魔神探索遠征軍司令官のギレットだ。君の名前は?」
「ゾルドです」
ギレットは馬から降り、俊夫の前に立つ。
象の獣人で縦にも横にも大きい。
なんとなく”単純な力では勝てそうにないかも”と俊夫は思ってしまう。
物理反射のスキルくらいは持っていそうだ。
そんなギレットが俊夫の肩を掴んだ。
気を付けているのかもしれない。
だが、はやる気持ちを抑えられないのだろう。
力が籠り、俊夫の肩の骨が悲鳴を上げる。
「君は民間人だ、恐ろしいと思うのも仕方がない。だが、この森には魔神がいるのだろう。例え勝てずとも、我らが君を逃がす時間くらいは稼いで見せる。頼む、案内してくれ」
「はいぃぃぃ」
喋るほど段々と力が籠められる。
今は戦闘モードではないので、このままでは大変な事になってしまう。
俊夫は早い内に了承をする。
「ところで、魔神を直接見たのか?」
「いえ、ちょっと用を足しに外したところ、アラン様が”魔神が現れた”と叫ばれたので。……すいません、怖くなって街まで走りました」
さらにギレットの力が入る。
(もしかして、魔神だってわかってやってんじゃねぇだろうな)
「そうか。それにしても、よく街まで走り続けたものだ。すまないが案内を頼む」
「わかりました」
その言葉と共に解放された俊夫は、肩をさすりながら先導し、森の中へと入っていく。
「オロロロロ……」
幾度目だろうか、俊夫が嘔吐するのは。
しかし、今回ばかりは仕方が無かった。
「総員、奴等を一掃せよ!」
ギレットの命令が飛ぶ。
騎士達は思い思いの標的に向かう。
狙いは狼の群れだ。
血の匂いに誘われたのだろう。
アラン達の死体は酷いあり様だった。
見た目だけなら、問題は無かった。
俊夫も若い男だ。
ネット上のエロ画像を閲覧している際に、騙しリンクでグロ画像を見せられる。
そんな事故は多々あったから、死体を見るのは慣れていた。
だが、見た目だけではない。
今回は臭いもある。
血の臭いだけならまだ良かった。
腹を食い破られ、臓物とその内容物が入り混じった臭い。
これには耐えられなかった。
若い者の中には、俊夫のように嘔吐している者もいる。
しかし、彼らはそれでも口を真一文字に結び直し、吐き気に耐え狼を追い回していた。
俊夫はここに置いていたカバンから水筒を取り出し、軽く口をすすぐ。
そして、一口、二口と水を飲み、心を落ち着かせる。
「ちくしょう、魔神の奴。鎧を剥いでいきやがった」
「我らの装備がどんなものか調べるつもりか」
「ミレーナ様。こんなお姿になるとはおいたわしい」
「魔神めっ! かならず討ち果たしてやる!」
涙ながらに死体を調べている者達が、魔神への復讐を決意する。
その様子を横目で見ていた俊夫は、とある言葉を口に出したい衝動に駆られていた。
(いいよな。どうせゲームだし、なんか雰囲気出てるし。言うぞ、言っちゃうぞ)
どうしようか迷っていたが、結局は我慢できなくなってしまった。
「こんなところに居られるか! 俺は帰る!」
(言ってやった。しかも言うべき場面で、ベストのタイミングで言ってやった)
両腕を高らかに掲げ、誇らしげな笑みを浮かべそうになるのをグッと我慢する。
さすがにそこまでしたら袋叩きになるだろう、という事くらいはは想像できていたからだ。
しかしながら、予想したツッコミはどこからも入らなかった。
「わかった。だが、一人では帰す事はできん。グリエルモ、お前の隊は彼を街まで送り届けてくれ」
「了解致しました」
「えっ」
軽い気持ちで言っただけなのに、ギレットは俊夫の事を思い、護衛を出すという。
「お気持ちはありがたいのですが、私は一人で帰れますよ」
わざわざ余計な連中を連れて歩きたくない俊夫は、その申し出を断る。
「ゾルド君。それは認められない。魔神がまだ見つかっていないのに、君一人を帰らせるような真似はできない。我々の任務は魔神の探索と討伐だ。だが、それと同時に民間人の保護もまた、我々の任務なのだ。それに――」
ギレットの横で筆記をしていた者から紙を受け取り、ギレットが名前のサインをする。
「この手紙をローマへ送らねばならない。そしてポルト、リスボンにも情報を送る必要がある。グリエルモの隊は連絡の為に街に戻るのだ。だから、君は気にせず街へ戻ってくれ。そうだ、帰る際に道案内をしてくれると助かるかな」
ギレットは優しい笑顔で俊夫を気遣った。
俊夫が自分の為に、探索の部隊を割いてまで護衛を付けてもらうのを遠慮していると思ったのだ。
報告に街へ戻らせるのは事実であるが、今すぐで無くても良い。
もう少し探索してからでも良かった。
俊夫が遠慮せずに済むように、理由を付けただけだ。
その事は俊夫にも理解できた。
(断る理由はないけど……。めんどくさいおっさんだな。まぁ、一度は言ってみたかった台詞も言えたし良いか)
「それではお願い致します」
笑いだしそうなのに、申し訳なさそうな顔をするのに苦労した。
しかし、それがリアリティを帯びる演技となった。
肩の震えが怯えと受け取られたのだ。
だが、ここに怯える俊夫を笑う者はいない。
他の者は皆が騎士として鍛えられた者達なのだ。
訓練された者とそうでない者の違いは理解している。
おかしな恰好をしている俊夫でも、民間人が魔神に怯えるのは当然の事だと受け止められていた。
「グリエルモ。後は頼むぞ」
「お任せください!」
二人は敬礼を交わし、使命感に燃えた目でそれぞれの任務へと赴く。
グレットは状況の把握、および魔神の探索を。
グリエルモは部下を連れ、俊夫と共に報告のために街へと向かった。




