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 モスクワから西へ30kmの地点。

 そこでは、十五万のソシア兵が待機していた。

 ネヴェリで急ぎ再編成をし、守備隊に二万を置いて全軍で出撃してきた軍だ。

 だが、彼らはそこから先に進めないでいた。

 ガリア軍の動きが無かったからだ。

 そこで、偵察隊を送る事にした。




 モスクワの様子を見に来た兵士が身を震わせる。

 すでに雪は止み、陽射しも暖かい。

 それでも、吹き付ける冷たい風は夏場とは思えなかった。


 これは一週間もの間、ずっと猛烈な吹雪がモスクワを襲ったせいだった。

 モスクワの近くを流れる川までが凍り付き、上流から流れて来る水が川からあふれている。

 他の地域は影響が無いのに、モスクワだけが氷結地獄と化した事による影響だ。

 吹雪が止んで一週間経っても雪は氷として残っており、モスクワ近辺だけは冬場に近い気温となっている。


「どうだ、足元は大丈夫そうか?」


 街壁の外に積もった雪を踏みながら、隊長らしき男が聞いた。

 水堀までも全て凍り付いている。

 その上にはしごを置いても、氷が割れそうな気配はしない。


「カチカチに凍ってるので大丈夫そうです」

「よし、なら行け」

「了解!」


 今回は様子を見るだけなので気楽なものだ。

 そして、中の様子も予想が付く。

 もしも、ガリア兵が無事だったなら、すでに攻撃されているはずだ。

 何も攻撃がないので、安心して兵士ははしごを上がり、街壁の櫓へとたどり着く。

 まずは窓から様子を窺い、安全を確認して中へ入る。


「どうだー」


 はしごの下から隊長が報告をうながす。


「大丈夫です。みんな死んでます」


 櫓の中では、ガリア軍兵士が眠っているように死んでいる。

 突然目覚めて襲い掛かってくるようなら、ホラー映画のような展開だ。

 もっとも、アンデッドの存在する世界なので、動き出しても不思議ではないので警戒は怠らない。


 街壁の下から、はしごを上がるように命令する声が聞こえる。

 しかし、仲間が到着するまで待っているだけというのも芸が無い。

 街側の窓から外の様子を見てみる。


「おぉ……」


 目に映る光景に驚くが、言葉が出てこない。

 街壁の外側の雪は、少しは融けてきている。

 だが、内側の雪はまだまだ残っていた。

 高く分厚い街壁によって、冷気が内側に押し留められていたのだろうか。


 ソシア出身の者ならば、この光景を見ただけでわかる。

 屋根も無く、窓も無い。

 そんな状態で寒さに耐えられるはずがない。

 おそらくは全滅だろうと、彼は判断した。


「どうだ?」


 はしごを上がって来た隊長が兵士に様子を聞く。


「精霊を味方にしたという噂が本当だったと確信できましたね。それと……、ガリア兵に同情を禁じ得ません」

「違う、そうじゃない。街門の様子だ」


 どうやら兵士は少し感傷的になっていたようだ。

 天候の操作なんていう馬鹿げた行為を目の当たりにして、本来の任務を忘れてしまっていた。

 自分のミスに気付き、慌てて訂正する。


「申し訳ありません。ここから見る限り、街門付近も雪が積もっており、門を開くには融かす必要があるかと思われます」

「そうか」


 隊長の声は暗いものとなった。

 薪を燃やしても効率が悪い。

 魔法を使える者を呼び寄せ、一気に融かす必要があるだろう。


 そして何よりも、街に入った後の事を考えると気が滅入る。

 しばらくは氷漬けの死体なので大丈夫だろうが、雪が融けきってしまえば腐り始めてしまう。

 雪が融け切る前に死体を掘り出し、全て処分しなければならない。

 その仕事は、兵士である自分達の役目だ。


「こいつらと戦わずに済んで良かったと喜ぶべきかどうか……。哀れなもんだな」


 戦闘になるのも嫌だが、街を埋め尽くす雪の中から死体を探すのも面倒臭い。

 下っ端の悲哀を噛み締めながら、彼らは街門付近の様子を見に行った。



 ----------



 一台の馬車がソシア兵に護衛されて、ソシア軍のモスクワ攻略部隊の陣地に到着していた。

 馬車の中からエルフや獣人が降りて来る。

 そんな彼らを率先して出迎える者がいた。

 喜び勇んで最前線に来ていたパーヴェルだ。


「よう、久しぶり。皇帝陛下直々の出迎えか」

「当然だ、アダムス。30kmも離れているのに、モスクワ方面から吹く風が冷たい。そんな超常現象を引き起こした者を出迎えないわけにはいかんだろう。それに、友としても出迎えたかったからな」

「そういう事か。ありがとう」


 ゾルドとパーヴェルはガッチリと握手を交わした。


 友達ゴッコだけだったならば、仲の良さを周囲に見せつけるのは宜しくない。

 友情をエサに、パーヴェルを利用していると思われてしまうからだ。

 だが、今回は違う。

 夏のソシアで、モスクワを氷漬けにした功労者だ。

 誰も文句を付けようがない。

 下手に文句を付けて、その強大な魔力を自分に向けられてはたまったものではない。


 ゾルドはパーヴェルと親密な仲だと示し、ソシア内部での影響力を少しでも確保したい。

 パーヴェルはゾルドと親密な仲だと示し、不安定だった地位を補強する事ができる。

 お互いに利益のある共生関係だった。


「そういえば奥方や子供は来ていないのだな」


 ゾルドの妻がどんな女なのかまだ見た事が無い。

 魔神の子供というのも見て見たかった。

 最前線で言う事ではないのかもしれないが、パーヴェルは少し残念そうだ。


「あぁ、一週間も野宿していたからな。レスがぐずってきたんだ。だから、一度近くの街で休ませているんだ」


 すでにゾルド並みの能力があるとはいえ、まだ赤子。

 慣れぬ野宿に耐えきれず、泣き続けていた。

 さすがに言葉を理解しない赤子相手に諭すわけにもいかず、レジーナにホスエとエルフ達を付けて街で休ませていた。

 目障りだったので、精霊も一緒に行ってもらっている。


「立ち話もなんだから、中で話そう」

「そうだな」


 パーヴェルがゾルドを天幕へと誘う。

 話している最中にポロッと”魔神”や”ゾルド”といった言葉がこぼれてしまっては大変だ。

 今はまだ、魔神と組んでいる事を知っているのは上層部の一部だけ。

 もうしばらくは隠し通した方が良いはずだ。

 国境線まで追い返した時に、他の将軍達に伝える予定だった。


 天幕の中に入ったのはゾルドとパーヴェル、他にはゾルドの正体を知っている者達のみである。

 そうでなければ、気楽に話もできない。


「ゲルハルトもお疲れさん。よくやったそうじゃないか。今はどうなってる?」


 ゾルドは勧められた椅子に座りながら、まずはゲルハルトを褒める。

 よくやったのは事実だ。

 今回の作戦を急いで実現可能なものにした。


 ゾルドの知っている限り、モスクワに入ったガリア軍は動けずにいる。

 今頃、雪に覆われた街で寒さに身を震わしていると思っていた。

 戦闘能力を奪うという当初の目的は達成されており、あとは一方的な虐殺を見学するつもりだった。


「ありがとうございます。今は除雪作業を中心に行っております」


 ゾルドはゲルハルトの言葉に首をかしげる。

 てっきり寒さで震えるガリア兵を狩っているものだと思っていたので、呑気に除雪作業を行なっていると言われた事が不思議でしかなかった。

 そんなゾルドの反応を見て、ゲルハルトは溜息交じりに言った。


「どこのどなたかは存じませんが、雪を降らせるだけではなく、大幅に気温を下げたお方がいるようでしてね。ガリア軍は戦うまでもなく、全員が凍死していました。まだ捜索を続けているので生存者が見つかるかもしれませんが、可能性は非常に低いでしょう」


 ここだけはゲルハルトの計画と大きく違った部分だ。

 彼は精霊の力を低く見積もっていた。

 雪を降らせて気温が下がるのはわかるが、一定地域の気温をさらに下げる事ができるとは思わなかったのだ。


 これは全て精霊のせいだった。

 ゾルドも-0℃くらいになると思っていたのが、ゾルドの底を尽きぬ魔力がある事を良い事に、精霊達が調子に乗って-50℃くらいまで気温を下げていた。

 これは業務用冷蔵倉庫の中でも、急速冷凍用の温度だ

 雨に濡れた体のまま、寝付いた頃を見計らって急激に温度を下げられた。

 そのせいで、眠ったまま目を覚ます事なく多くのガリア兵が生命活動を停止していった。

 精霊が調子に乗ったという事を知らないゲルハルトは、ゾルドがやったのだと思い込んでいる。


「あぁ、それか。やっぱりやり過ぎだったか?」

「やり過ぎでしたよ!」


 ゲルハルトが激昂する。


「モスクワから撤退するガリア軍を迎撃するため、行動パターンを予測した作戦案が八パターン。モスクワに籠城された場合の攻略案が五パターン。その他、不測の事態に備えた作戦案が三パターン。クトゥーゾフ将軍や参謀達と検討した作戦案が全て無駄になりました! どうしてくれるんですか」


 かつてゾルドに不遜な態度を取ったり、哲学者のように小難しい顔をしているゲルハルトの姿はそこには無かった。

 今の彼は顔を大きく歪ませ、今にも泣きそうな顔をしていた。

 これは飲んだくれて、酒場のマスターに追い出された時よりも酷い表情だ。


 それもそのはず、この作戦はゲルハルトにとって一世一代の大仕事だった。

 自分の人生で最大、最高の仕事を成し遂げたと思っていた。

 なのに、その作戦のクライマックスで”敵軍を魔神と精霊が全滅させました”なんて終わり方をしてしまったのだ。

 さすがにゲルハルトも、この終わり方を容認する事はできなかった。


「お、おう。すまなかったな」


 普段の冷静なゲルハルトを知っているだけに、彼の取り乱す姿を見てゾルドはつい謝ってしまう。

 だが、まだ収まらないようだ。


「今回はただガリア軍を倒せば良いという計画じゃなかったんですよ。スモレンスクを守っていた部隊にやり返す機会を与える事で、士気を取り戻すという目的もあったのに……。その代わりに氷漬けの死体探しでは、よけいに気が滅入ってしまいます」


 これはゲルハルトの言う通りだった。

 戦闘になれば勇ましく戦う者達も、凍死体を片付けるとなれば別だ。

 ソシアは冬が厳しく、凍死する者だって少なからずいる。

 憎いガリア兵が相手でも、哀れな凍死体となってしまっては感情移入をしてしまうのだ。

 お陰で士気が大幅に下がっている。


「そう責めるなって。やっちまったもんはしょうがない。過ぎた事を悔やむよりも、前を見なきゃダメだぞ」


 やった本人が言うセリフではないのだが、ゾルドは言ってしまった。

 泣きそうな顔をしていたゲルハルトも、この発言にはムカついたのだろう。

 こめかみをピクピクとさせている。

 しかし、ゲルハルトが何かを言う事はなかった。


「ゾルドが良い事を言った。まったくもってその通りだ。まだスモレンスクを奪回し、ダウガヴァ川南岸のガリア軍を追い返さねばならん。過ぎた事にこだわるよりは、次の事を考えるべきだろう」


 パーヴェルがゾルドを擁護したからだ。

 ゾルドはゲルハルトの直属の上司だが、パーヴェルはゲルハルトの上司ではない。

 他国の皇帝相手にまで食って掛かるわけにはいかなかった。

 ここはグッとこらえて、ゾルドと二人で話し合える機会を待つことにした。


「まずはあと一週間ほど死体の捜索作業を続けます。これには理由がありまして、ガリア皇帝シャルルがモスクワに攻め寄せた主力部隊に同行していたという情報があったからです。もしも、シャルルの死亡が確認できましたら、ソシア軍の士気もある程度は上がりますし、ガリア軍も撤退せざるを得ないでしょう。撤退中の部隊を追撃するのならば、こちらの被害も最小限に抑えられますので、当初の目的通り最低限の被害で国境まで押し戻す事は達成できる見込みです」

「えっ、居たの?」


 ゾルドはゲルハルトの説明を、シャルルがモスクワに居たというの情報以降は驚きで聞き流していた。

 それだけインパクトがあったからだ。


「ラインハルトとベリヤンの情報によれば、元軍人だけあって前線で指揮を取る事を好むそうです。サンクトペテルブルクを攻め落とすのは自分だと息巻いていたという情報もあり、ほぼ確実に主力部隊に同行していると予想されています」

「その二人の情報なら、そうなんだろうな」


 ここでゾルドは一つ気付いた事がある。


(もしかして、シャルルを殺す機会も奪ったってことなんじゃ……)


 ゾルドはゴクリと唾を呑み込む。

 敵の総大将を討つなんて、軍人として最高の栄誉だ。

 その機会も奪ってしまったと気付き、ゾルドはチラリとゲルハルトの顔色を窺う。

 何かに耐えるような表情をしているが、その何かを今のところ言ってくる気配はない。

 しかし、ゾルドは”とりあえず埋め合わせをしておいた方が良いかも”と思っていた。


 部下の顔色を窺うような真似はしたくないが、ゲルハルトはまだまだ必要な人材だ。

 これまでも役に立つ意見を言ってくれていたが、今回で本来の価値を証明した。

 そんな人物に、簡単に愛想を尽かされるわけにはいかない。

 その才能をしゃぶりつくすまでは。


「今は十万の兵をモスクワに送り込んでいます。シャルルの確認を最優先としておりますので、すぐに判明する事でしょう」


 ゲルハルトも、どこか確信を持って答えている。

 彼もモスクワにシャルルがいると思っているのだろう。


「捜索活動を行っている部隊のサポートを行うため、この本陣もモスクワの近くに移動します。冷えるでしょうが、それは我慢してください」


 言外に”自分がやったことなんだから”という意味が含まれていそうだ。


「モスクワがどうなっているのか見るのが楽しみだよ」


 パーヴェルはこの場にそぐわない気楽さで言った。

 自国の大都市がどうなっているのかという心配よりも、興味が勝っているようだ。

 ゾルドも同様に興味があったので、不謹慎だとパーヴェルに注意する者はこの場にいなかった。

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