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ガリア軍がスモレンスクに到着した頃。
ソシア軍の陣内は荒れていた。
「クソッ。あんな新人司令官を任命するなんて、上層部は何を考えている!」
一個師団を預かるミハイル将軍が、自分に割り当てられた拠点内で悪態を吐く。
スモレンスクの防衛には精鋭部隊が割り当てられた。
なのに、スモレンスク方面軍最高司令官は皇帝の書記であるヨシフという男が選ばれた。
重要拠点である事を理解しており、新進気鋭の将校を集めている。
にもかかわらず、戦争のド素人を司令官に任命する。
このチグハグな人事に憤っていた。
「ミハイル将軍。今の言葉は上層部への批判と受け取りますよ」
彼の悪態を見逃さなかったのは、チェーカーのレオニードだ。
パーヴェルはガリアとの戦いで敗北した後、供回りだけ連れて逃げ出した。
そのせいで軍の信頼を失ったので、反乱や寝返りを起こさないよう連隊規模以上の部隊に、監視のためにベリヤンの部下が派遣されている。
「それ以外の何かに聞こえたか? 元々の受け持ちの地域を変更される。戦闘直前に以前の命令と相反する命令を出す。俺に任せれば今冬どころか、来年だろうが再来年だろうがスモレンスクを守り通せるぞ! 今からでもあいつを首にしろ!」
皇帝の信頼が厚いのか知らないが、戦争の素人に方面軍司令官を任せるというのは異常だ。
ミハイルは逮捕、勾留される可能性があろうが、まったく気にしていない。
ガリア軍の捕虜になるのが早いか、処刑されるのが早いかの違いでしかない。
ならば、勝利に繋がる発言を行う事こそが正しい。
そう信じて疑わなかった。
「貴様ぁ! 陛下のご判断に誤りがあったというのか!」
「あるねぇ! 何もかも間違いだらけだ!」
お互いがヒートアップしていく。
だが、この争いはレオニードが不利だ。
周囲にはミハイル将軍子飼いの部下がおり、レオニードには三人の部下しかいない。
殺された後で”戦闘に巻き込まれて死亡”と報告されて終わりになりそうだ。
しかし、レオニードはそれがわかっていない。
チェーカーとしての権威を振りかざせば、誰もが従うと思っている。
周囲で見ていたお互いの部下が、ジリジリと輪を縮めていく。
そこに、一人の大柄な男が割って入る。
「そこまでです」
止めに入ったのは、ゲルハルトの部下であるオットーだ。
今回の作戦により、確実にいざこざが起きると予想されていた。
ゲルハルトの命令により、スモレンスクに配備されている各師団に参謀達が派遣され、争いを収めるよう命令されている。
「ミハイル閣下。納得いかない部分もあるかもしれませんが、この作戦はヨシフ司令官が指揮を執る事も作戦の内なのです。思うところはあるかもしれませんが、スモレンスクの戦いの間だけ、なんとか耐えてください」
オットーが深く頭を下げる。
しかし、これは頭一つで済む問題じゃない。
ミハイルの矛先はオットーに向かう。
「お前は何か知っているようだが、なぜ話さない? いくら命令でも、何も知らされないままこんな戦いを続けろというのが、どれだけ無茶な命令なのかわかっているのか?」
「わかっています。私も軍人ですので、重々承知しております。ですが、何も知らないまま必死に戦って頂く必要があるのです。戦いが終わった時に全てがわかります。ソシアの勝利のため、今だけは……。今だけは抑えてください」
オットーは懇願する事しかできなかった。
彼だってプローインで軍人をやっていた。
作戦の主目標がわからないまま、戦い続ける事は困難だと知っている。
だが、今は何も知らないまま戦ってもらわなくてはならない。
作戦目標を知ってしまうと、知らず知らずのうちに戦闘に影響が出てしまうかもしれないからだ。
「……もし、くだらない理由だったら覚えておけよ。犬死にしていった兵士達の苦しみを味わわせてやる」
ミハイルは拳を握りしめる。
もし、本当に何か重要な理由があった場合、それがどんなものなのか見てみたいという思いもある。
どうせくだらない理由だろうとは思っているが、くだらなければくだらないで構わない。
その時は、他の将軍達と反乱を起こし、皇帝を挿げ替えるだけだ。
魔神と手を組んだという噂もあるが、どうせ皇帝の側近が保身のために流した噂だろう。
納得のできる理由があれば、これからも大人しく従う。
なければ、反乱を起こす。
ミハイルは至ってシンプルな答えにたどり着いた。
「おい、勝手に話をまとめるな! 反帝国思想を持つ危険人物を野放しにはできん。ミハイルは逮捕させてもらうぞ!」
ミハイルの方はひとまず落ち着いたが、レオニードの方がまだ終わっていない。
オットーはミハイルの側に立って”揚げ足取りしかできないウジ虫野郎が!”と殴り飛ばしてやりたいところだったが、穏便に済ませるのが役目。
気合で感情を抑えた。
「レオニードさん。あなたのお役目も理解できますが、この戦闘中は多くの者が不平不満を述べる可能性があると言われていたでしょう? ミハイル将軍も本心からではなく、カッとなって口にしてしまっただけ。目くじらを立てるほどの事ではないでしょう」
オットーも軍人だ。
どうしてもミハイル側の肩を持ちたくなる。
その気持ちが透けて見えていたのか、レオニードは憤怒の表情を浮かべる。
「”目くじらを立てるほどの事ではない”だと! 貴様も危険思想を持つ反逆者か! 誰の差し金だ!」
レオニードは周囲が全て敵に見えてしまう。
職務遂行に熱心なのはいいが、今はその時ではない。
こういう相手には、権力を持って対抗する。
「皇帝陛下です。それだけではなく、ベリヤン長官の信任も得て、ここに派遣されております。こういう言い方はしたくありませんが……。私を排除しようすれば、あなたの方が戦場を混乱させようとしている反逆者として処罰されてしまいますよ」
「ぐっ、貴様……」
パーヴェルだけではなく、ベリヤンの名前まで出されてしまっては何も言い返せない。
レオニードは強く歯を食いしばり、目が血走っている。
だが、暴走しない時点で、頭の中に一部冷静な部分が残っているのだろう。
「お願いですから、ガリア軍を追い返すまでは抑えてください」
嫌われているのはわかっている。
それでも、オットーは低姿勢を貫いた。
確かにパーヴェルを始め、多くの者達に身分の保証をされているが、ソシア軍にとって”お客様”という基本的な立場は変わらない。
命令権がないので、お願いする事しかできない弱い立場だった。
「……良いだろう。だが、将軍が危険思想の持ち主だという事は報告させてもらう。貴様もだ!」
レオニードは捨て台詞を残して去って行く。
その後ろ姿を見て、オットーはホッと溜息を吐く。
(大丈夫かなぁ。戦う前から、こんなので)
もしも、自分がこの作戦をゲルハルトと一緒に考えた一人だと知られたらどうなることやら。
失敗した時は間違いなく吊るし上げられるだろう。
(一時のテンションで行動するんじゃなかった)
オットーはゲルハルトが持ち込んだ作戦計画の立案にノリノリで参加していた。
それだけに、現場のこういう空気に遭遇してしまうと、胃がキリキリと痛む。
後はなんとか上手くいってくれますようにと、祈る事しかできなかった。
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ガリア軍がソシア侵攻を初めてから二ヵ月。
ソシア軍の遅滞戦術に苦しんだが、スモレンスクにまで到着していた。
そこでガリア軍は三日間停止。
その間に偵察を行ないつつ、兵を休ませていた。
ソシア軍のスモレンスク方面軍は十万。
それに対するガリア軍は四十万。
これは、ジョゼフの情報により、ダウガヴァ川の北岸で防衛するソシア軍に攻撃の意思は無いと伝えられていたからだった。
戦意の低い同盟軍を中心に、二十万をダウガヴァ川の南岸に広く配備し、万が一の攻勢に備えさせる。
そして、残りの四十万で一挙にスモレンスクを突破するつもりだった。
モスクワを攻め落とし、そこで必要な物資を徴発してサンクトペテルブルクまで進む予定だ。
ガリア軍にとって良い情報は、キエフ方面に兵を割かなくても良かった事だ。
治安維持に必要最低限の兵だけ残して、ソシア軍は全てサンクトペテルブルクの防衛に回った。
ソシア南部はパーヴェルを降伏させてから、ゆっくりと制圧していけばいい。
本来なら南部の制圧に回す兵士も、全てモスクワ方面を攻めるために使えるのだ。
ジョゼフの情報により、ガリア軍は優位に立っていた。
そして、肝心のスモレンスクでの戦いは、ガリア軍が圧倒的優位なまま進めていた。
ソシア軍は連携が取れていない。
個々の部隊の動きは良いが、お互いの支援が一歩遅れている。
突破させまいと優秀な指揮官を集めたのだろうが、それがアダとなっていた。
急に集められたので、意思疎通が上手く行かないのだろうと思われる。
ガリア軍はそこを見逃さなかった。
部隊間の連携が上手く行かない間に攻勢を強めていった。
戦闘が長引けば、ソシア軍も息が合っていくかもしれない。
軍を二つに分け、交替でスモレンスクを攻め続けた。
半分でも二十万、十分な数がいる。
自分達は適度な休憩と取りつつ、ソシア軍を休ませないためだ。
この攻撃は有効だった。
攻撃開始から一週間で、最南端に陣取っていた部隊が壊滅。
そこを足掛かりに、相互支援を考えて構築されていた防衛線が崩壊させられていった。
数だけではない。
質の面でもガリア軍は優れていた。
結局、スモレンスクは防衛に力を入れたにも関わらず、ガリア軍を二週間足止めしただけだった。
全て方面軍司令官になったヨシフの責任だ。
あらかじめ陣地を構築し、その時の配置で防衛作戦の打ち合わせしていたのに、陣地の配置転換をして準備を台無しにした。
しかも、予備隊の投入も時期を逸していた。
前線指揮官は優秀なのに、司令官が無能なせいで、もっと持ちこたえられる戦い無駄にしてしまった。
この戦いでソシア軍は三万の兵を失い、ガリア軍は二万を失う。
有利な防衛側で多くの被害を出した事が、ソシア軍の指揮がどれだけ稚拙だったかを証明している。
ソシア軍が、なぜこのようなチグハグな戦い方をしたのか。
そう遠くないうちに、ガリア軍はその身をもって思い知ることになる。