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さらに三ヵ月が経った。
暦の上では春となり、ガリア軍の侵攻も間近に迫っていた。
ゾルドも自分の将来を決める闘いを前にして動揺している。
気を紛らわせるために、家族サービスなんて事をしてしまうくらいに。
「ほーら、コインはどっちにある?」
まだ言葉がわからないレスだが、仕草でなんとなくわかるのだろう。
ゾルドの右手に両手を伸ばす。
だが、コインは左手にあった。
「えっ、なんで。そっちにあったはずなのに」
「魔法?」
「魔力は感じなかったよー」
簡単なコインマジック。
これにはレスだけではなく、レジーナや精霊達も食いついている。
(魔法がある世界だからこそ、魔法を使わない手品が珍しいんだな)
最初はレスと遊ぶために始めた事だったが、今ではレジーナ達の方が楽しんでいる。
「もう一回やってよ」
見抜けなかったのが悔しかったのだろう。
レジーナがゾルドにもう一度やる事を要求する。
「あぁ、いいぞ。こうしていられるのも今だけだ。明日にもガリア軍が攻め寄せて来るかもしれないからな」
パリにいるジョゼフからの情報では、ガリア軍にオストブルク軍などの同盟軍が加わり、ソシア遠征軍は六十万を超える大軍になるらしい。
彼にも、ソシア軍は三十万程度という情報を始め、色々と教えてやっている。
ジョゼフのガリア国内での地位を確保するためだ。
影響力が高まれば、周囲への働きかけもやりやすくなる。
それに、ソシアの事だけ何もわからないというのでは、ジョゼフの内通を疑われてしまう。
知られて困らないような事ならば、求められるままに教えてやっていた。
「ガリアは、まだ攻めて来ませんよ」
ゲルハルトがゾルドに状況を教える。
彼はソシア側の軍人と防衛計画を練っていたが、今は煮詰まっていてリビングで休憩中だ。
どう考えても、最後は魔族頼りになってしまうそうだ。
追い返す予定の時期的には問題無さそうだが、できれば国境沿いまで押し戻すまで魔族の存在は知られたくなかった。
ガリアとの闘いは、あくまでも天魔戦争の前哨戦に過ぎないのだから。
「なんでだ? 暖かくなれば攻めて来るって言ってたじゃないか」
「確かに言いましたが、まだ雪が融けていません。そして、雪解け水でぬかるみになった地面が乾くまで待つでしょうから、まだ一ヵ月か二ヵ月は余裕があります」
「なんだよ……」
明日にでも開戦の知らせが来ると思っていたのに、戦争はまだ先のようだ。
本格的な戦争を前に、センチメンタルな気分になったのが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
「それと……。今度は左手ですね」
「えっ」
レジーナがゲルハルトの言葉に驚く。
彼女は右手だと思っていたからだ。
「どうしてわかった?」
「入っていないと思う方にいつも入ってますから。虚実は織り交ぜねば効果がありませんよ」
そこでゲルハルトは言葉を切った。
何かを思いついたようで、アゴに手を当てて考え出した。
「そうだ、虚実を織り交ぜれば……。今ので決定打となるものを思いつきました。ありがとうございます!」
「えっ、あぁ……。まぁ、それは良かった」
ゾルドはゲルハルトのノリに付いて行けず、戸惑うばかりだ。
だが、ゲルハルトはゾルドに説明をしようとしなかった。
「アウグスト! 参謀連中を食堂に集めろ。まずは我々で検討する!」
「ハッ!」
まずは身内で新計画の骨子を作り上げる。
最長で二ヵ月の時間が残っている。
防衛計画を見直すなら、今が最後のチャンスだ。
大規模な作戦を立てて、実行できる事は軍人冥利に尽きる。
居ても立っても居られず、即座に行動に移した。
「頑張れよー」
よくわからないが、とりあえずゾルドは応援の声をかけておいた。
どうせ、元々の計画も川沿いに守るという事くらいしか理解していない。
戦争に関してはフリーハンドで任せているので、応援くらいしかやる事が無い。
「何か良い事を思いついたんなら、俺がゴチャゴチャ言う事もないな。さぁ、次はどっちだ?」
「こっち!」
レジーナや精霊達がコインを持っていないと思う方を指差す。
彼女らは”してやったり”という顔をしていた。
「はい、残念。正解はレスだけだな」
「嘘っ」
「えー」
いくらなんでも自分のクセを暴かれた後で、そのままにしておくような事はしない。
今回はちゃんとコインを握ったように見せた手に、そのまま握っていたのだ。
ただ一人、正解を当てたレスがキャッキャッと声を出して無邪気に喜んでいた。
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そして二ヵ月後。
ゾルド達は城に呼び出されていた。
ガリア軍が進撃してきたからだ。
「そうか、遂に来たか」
上座に座ったゾルドが、クククと含み笑いをする。
大物感を出そうとしているが、威厳を持ち合わせていないので、その姿は滑稽なだけだ。
だが、それを口にしないだけの分別を皆が持っていた。
「撤収準備は完了しており、国境付近に展開していた部隊は無事に退却。弓兵や軽騎兵による遅滞戦術を行なっている最中です」
クトゥーゾフが報告を行った。
たとえ撤退させる軍であっても、国境付近が完全に無防備であれば怪しまれる。
新兵を中心に、水増しした軍を国境に貼り付けて欺瞞工作を行なっていた。
もちろん、まったく戦おうとしなければ、ガリア軍の行軍速度は上がるだろう。
そのために、少数部隊による遅滞戦術を行なっていた。
――弓を遠くから射かける。
――騎兵により、軽い突撃を仕掛ける。
そんな行動を繰り返した。
ガリア軍も侵攻したばかりで気が立っている。
ソシア軍の姿を見れば、すぐさま防御陣形を取った。
ガリア軍を追い返そうと、ソシア軍が攻撃を仕掛けて来るはずだからだ。
だが、ガリア軍が防御陣形を取ったのを見て、すぐさまソシア軍は離脱する。
防御陣形を取らせる事が目的だからだ。
行軍中から防御陣形を取るのは素早いが、その逆は時間が掛かる。
”敵は本当に去って行ったのか?”
まずは、その事を確認しなければならない。
だが、やがてガリア軍も進軍速度を考え、確認作業が大雑把になってくる時が来る。
そこを、少し規模の大きい部隊が襲撃を仕掛ける。
これでガリア軍は警戒を怠る事はできなくなってしまう。
行軍速度は落ちたままだ。
小規模な部隊で攻撃を仕掛け、適当なところで集結し大規模な攻撃を仕掛ける。
これを繰り返して、ガリア軍の足を止める事が最大の目的だった。
ガリア軍の行軍速度は平地で一日に15km前後だろうと、ジョゼフからの情報で推測されている。
だが、それでは困る。
ポール・ランド国境から、ダウガヴァ川まで一ヵ月未満で到達される計算だ。
できるだけ遅く到達してもらわなければならない。
ソシアの冬は早い。
川の水が冷たくなれば、渡河作戦もやりにくくなる。
時間を稼げるだけ稼ぎたい。
そのための遅滞戦術だった。
「ダウガヴァ川の橋の破壊準備も終わり、スモレンスクの防衛準備も完了いたしました。食料も十分にあり、避難したモスクワの住民が冬を越しても余りあるほどです」
ダウガヴァ川を天然の城壁として戦う分には、ドニエプル川の東側の防衛を諦めた分、守り切る事はできるだろう。
だが、ダウガヴァ川も無限に続くわけではない。
川を渡河できないのならば、川の途切れるところから回り込めば良い。
それがスモレンスクだ。
スモレンスクは、ちょうどダウガヴァ川とドニエプル川が途切れる場所。
ダウガヴァ川の防御拠点には徴兵したばかりの新兵を配備し、数の水増しをして防御が堅そうにも見せている。
なので、準備に時間がかかり被害の大きくなってしまう渡河作戦よりも、陸上戦で終わらせられるこの地を攻めて来るはずだった。
そして、スモレンスクの東にはモスクワがあった。
モスクワはサンクトペテルブルクと、東部や南部の都市を繋ぐ交通の要衝。
占領する事で、広大なソシアを実質的に南北に分断する事ができる。
そして、モスクワからサンクトペテルブルクまでの間に、大きな川も山も無い。
平地が続くばかりなので、ガリア軍を止める手段はない。
スモレンスク―モスクワ―サンクトペテルブルク。
ほぼ確実に、この進撃路を選ぶと予想されていた。
「モスクワの避難民のために、家をゾルドが作ってくれたそうだな。助かったよ、ありがとう」
パーヴェルがゾルドに礼を言う。
「元々はゲルハルトが言い出した作戦だしな。多少の手伝いはするさ」
ゾルドは気にするなと言った。
実際に避難民のために、四角い石の仮設住宅を作ったのは精霊達だ。
ゾルドは魔力を精霊に使わせてやっただけである。
”モスクワの放棄”
この計画のもっとも重要な部分で、もっとも馬鹿げたところ。
そんな馬鹿げたことを立案したゲルハルトのカバーをしただけだ。
魔族を使わずに勝利するため、ゾルドでも名前を知っている大都市を犠牲にするのだ。
魔力を使う事くらい、どうって事は無かった。
ゲルハルトが立てた計画はこうだ。
まずはスモレンスクに強固な防衛陣地を築く。
それは前述の通り、重要な拠点なので当然の事。
ガリア軍も重要な場所だとわかっているので、それが当たり前だと受け取るだろう。
だが、それはモスクワへ引き寄せるための罠だ。
大規模な戦闘の後なので、兵士達を一度街で休ませたいと考える。
重要拠点であるモスクワを占領する事で、兵士を休ませる拠点を確保する。
しかも、ソシアを分断するという効果まで発生し、サンクトペテルブルクまでの道も確保できる。
しかし、モスクワに着いたガリア軍が目にするのは放棄されたモスクワだ。
何故放棄されたのか疑問に思うだろうが、占領するために街に入る。
そして、ガリア軍がモスクワに入ったところで、精霊の力を借りて雪を降らせる予定だ。
まだ雪が降る季節でもないので、防寒着などは準備できていない。
多くの凍死者が出るはずだった。
この方法なら、魔神や魔族が関わっているとは思われない。
ソシアが精霊となんらかの契約を交わして、協力を頼んだと思われるだろう。
そのために払う犠牲も多いが、平民には天神との闘いに勝つために我慢してもらうしかない。
ゲルハルトが思いついた”虚実”。
それは、スモレンスクの防衛という”実”を見せ、重要拠点であるモスクワを放棄しないだろうという思考の”虚”をつくものだった。