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一週間後、ゾルド達はロッテルダムの屋敷に戻って来た。
そして、今は屋敷に残っていた者達と引っ越しに関して話していた。
「――というわけで、俺達はソシアに引っ越す。だが、アーサーとヴィルヘルム、他にも数人残ってもらう。食料や装備の調達をして、ソシアに送ってもらうためだ」
ロンドンでの会議の結果、ソシアはガリア軍の侵略により、一時的とはいえ大幅に国土を失うと予想されていた。
そのため、軍を維持するために食料を買い集める必要があった。
戦争となれば装備も消耗する。
食料と装備をソシアに送る事によって、防衛戦争を有利に進めさせる予定だった。
そのために、今まで稼いだ金を使う。
補給に関して詳しそうなヴィルヘルムに一任する予定だ。
「荷物はどうしたらよろしいでしょうか? この屋敷に置いておいても良いのですか?」
留守番をしていた者の一人が質問する。
「置いておいても良い。だが、そう遠くない内に俺の家だとバレるだろう。ガサ入れを食らって没収される可能性もある。貴重品は手で持てる範囲で持っていけ。大きな物や、手で持っていけない物は俺が預かる」
嫌々ではあるが、ゾルドが引っ越し業者の代わりをする。
運搬費用の削減もできるからだ。
それに、船に荷物を山積みにして波を被ったりしたら家具が傷んだりするかもしれない。
ゾルドに任せるのが一番安全で安心だ。
「自分で持っていく手持ちの荷物と、俺に運んでもらいたい荷物。それと、置いていっても良い荷物で分けておくように。ちゃんと名前を書いた紙と一緒に置いておけよ。何らかの理由で残りたいという奴はゲルハルトに言え。では、解散」
ゾルドが声を掛けると、皆が自室に戻り始める。
荷物の選別に時間がかかるはずだ。
貸し切りにした船の出港が一週間後。
長いようで、いざ準備をし始めると物足りない期間だった。
急いでまとめ始めないと、当日になって慌てる事になってしまう。
「ホスエ、お前は準備しなくていいのか?」
会議室に一人残っているホスエに、ゾルドは声を掛けた。
「僕は荷物といえば着替えくらいだしね。ゲルハルトさん達みたいに本が一杯あるわけじゃないし」
「かさばる物といえば、剣と鎧くらいか。もう少し趣味とかの物があっても良いんじゃないか?」
言われてみれば、出会って以来ホスエがナイフなどの品物を買っているのを見たくらいだ。
散財するといえば、テオドール達を連れて飲みに行くくらいで、趣味に使っているところを見た事がない。
テレサ達を連れて来てからは、テレサのドレスや子供達のおもちゃを買ったりはするが、ホスエ自身の物はあまり買い集めていない。
「ゾルド兄さんと出会ってから、剣一筋に生きて来たからね。今から新しい趣味として美術品とか集める気にはなれないよ。それにゾルド兄さんも趣味らしきものないじゃないか」
「俺か。俺は……、あれっ?」
ゾルドはホスエに言われて気が付いた。
確かにこの世界で何かをコレクションしたりしていない。
日本に居た頃はゲームや漫画といった物を買い集めていたが、当然この世界には存在しない。
たまに買う本と言えば歴史書などの教科書くらいで、趣味と言えるような物ではなかった。
「お、女遊びとか」
「それは趣味悪いし、コレクションするような物じゃないよ。……もしかして、いろんな魔族の女の人を後宮に集めていたとか?」
ホスエの鋭い指摘に、ゾルドは言葉が一瞬詰まる。
その反応が答えだった。
ホスエは呆れたような顔をする。
「最近、ゾルド兄さんに付いて来て間違いだったかなって思うんだけど……」
冗談混じりの言葉だったが、ゾルドは少し焦ってしまう。
「いやいや、そうでもないぞ。俺と一緒に行動しているから、テレサと会えたし、可愛い子供二人とも仲良くなれたじゃないか」
「うん、そうだね」
ホスエは”ゾルド兄さんが居なければ、家族で幸せに暮らせていたのに”なんていう事は言わない。
例えゾルドでなくても、他の誰かが魔神として降臨していれば同じ結果になっていた。
それならば、ゾルドの方がずっと良い。
少なくとも、自分の子供をたくさん作って戦わせようとしていないからだ。
「自分で戦おうと努力している分、まだゾルド兄さんの方がマシだよ」
「マシってなんだよ。酷いじゃないか」
今度はゾルドの声に焦りはない。
ホスエが真剣な話をしているのではなく、軽く冗談を言っているだけだと気付いたからだ。
最近は二人で話す機会が無かった。
テレサ母子が家族になってからは特にだ。
レジーナやテレサが荷造りで忙しくなり、二人は荷造りしなくてもいいので時間の余裕がある。
久々にゆっくりと話をしようと考えているのだろう。
「いやー、兄さんの方が酷いよ。始めた会った日の夜とかさ、難民キャンプの明かりを見ながら一杯やってたよね。今考えてもあれはないよ」
「何言ってんだよ。お前だって、一時的に食べる手は止まったけど、その後バクバク食べ始めたじゃないか」
「あの時は若かったし、食欲に勝てなかったんだよ」
軽口ならゾルドも負けていない。
ちゃんとホスエの弱みを突いていく。
ホスエも、これから第二次天魔戦争が始まると感じて思うところがあるのだろう。
最後の思い出作りで、ゾルドと話しておこうと思っているようだ。
ゾルドもそれに付き合い、しばらくの間、二人は思い出話に花を咲かせた。
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それから一週間後、ホスエ達は船で先にソシアに向けて出発した。
残ったのはゾルドとレジーナ、留守番組だけだ。
その留守番組も市場に影響を与えないよう、各地で少しずつ物資を買い集めるために散らばっている。
ゾルドのベネルクスでの顔――アダムス・ヒルター――は、金の買い占めで財を築いた男として知られている。
その部下が食料などを買い占め始めたと知られたりすれば、他の者達も早い段階で買い占めを始めるはずだ。
そうなると物価が上がり、払わなくてもいい、よけいな出費が増えてしまう。
だから、目立つような買い方をせずに、市場で急激な値上がりせぬように気を使っていた。
「こうして二人になると、家が寂しく感じるわね」
「あぁ、そうだな」
まだまだ使用人もいるが、二十人ほどが一気に屋敷から出て行った。
鬱陶しいくらいに思っていたが、いざ居なくなると寂しく感じてしまう。
「主にビスマルクのせいだ。ジジイのくせして、歩くだけでも無駄に存在感を撒き散らしているからな」
「そうね」
二メートル近い巨体で、圧倒的な筋肉で前にも横にも広い。
広いはずの廊下ですれ違うだけでも、狭く感じるどころか圧迫感すら感じてしまう。
欲しいのは頭脳なので、年相応にヨボヨボの爺さんになってくれても良いのに。
そう思っているのはゾルドだけではないようだ。
レジーナもクスクスと笑っている。
「レジーナ、済まなかったな。子供の事を考えての移動だったのに、ロンドンからサンクトペテルブルクまで行くのは来月になる。妊娠九ヵ月半くらいで、いつ生まれるかどうかわからない状態で出発する事になってしまった」
妊娠八ヵ月過ぎで、一ヵ月の船旅は厳しいだろうという判断で飛竜による移動を選んだ。
だが、結局は出産間近の状態で空の旅をする事になってしまった。
すぐに出発して向こうで待っていても良かったのだが、先にビスマルク達によって連絡をしておいてもらわなくてはならない。
愚か者とはいえ、ソシアの皇帝だ。
先触れを送って、ゾルドが訪ねる事を伝えておかねばならない。
「いいのよ。どうせ二日だけでしょう。それくらいなら大丈夫よ」
レジーナは気にするなと言った。
「それに、空で産まれたら、それはそれで凄いじゃない。きっと、世界で初めての産まれ方よ」
「それもそうだな」
二人は笑った。
ゾルドは飛行機の中で出産というニュースを聞いた覚えがある。
だが、飛行機など無いこの世界では初めての事例となるはずだ。
”魔神の子供は空で産まれた”
神話などに、この一文が書かれていたら”嘘くせー”と笑い飛ばす事だろう。
「けど、どうせ産むならフェアリーランドでかな。人が立ち入れない場所で産まれるって方が、神話として映えるだろ」
ゾルドは自分が天神に勝った時の事を考えていた。
天神が圧倒的有利な状況で裸一貫から始まる逆転劇。
聖書として売れば、印税だけで遊んでくらせるだろう。
もし、天神を倒して日本に戻れなくとも、その後の生活に困るような事はない。
「確かにそうね。神秘的な感じがするわ。けれど、フェアリーランドは人を近づけないために一年中雪が降ってるのよ。産まれた後、子供が風邪をひいてしまうわ」
「あれ? 雪降ってるのか?」
フェアリーランドという名前だから、ゾルドは一年中春の日差しでお花畑が広がっているというイメージしかなかった。
一面、銀色の雪化粧が施されているというのは、ゾルドの予想外だった。
「そうよ。雪で人間を動きにくくして、妖精が捕まえられないようにしてるの。七百年ほど前に妖精を捕まえようと冒険者が四千人集まったそうだけれど、たった三十人ほどの妖精に追い返されたそうよ。雪で身動き取れなくなったところを、魔法でボコボコにされたらしいわ」
「妖精も強いじゃないか。味方になってくれないかな」
冒険者もピンキリとはいえ、妖精を捕まえようとするくらいならば決して弱くはないはず。
それを追い返すような力を持つのなら、味方に付ければ頼もしい限りだ。
しかも、相手は冒険者ではなくガリア軍。
徴兵された一般人だ。
大層な魔法を使わなくても、簡単に追い返せるとゾルドは思った。
「多分無理ね。千年前の戦争も中立を保っていたから。それに気まぐれだから、味方として戦わせようとしても、どっかに行っちゃうかもしれないわ」
「あー。そういえば、ベルリンでお前が俺に初めて料理を作った時も、失敗したと見るとさっさと逃げて行ったな」
ゾルドは”レジーナの初めての料理?”らしき物を思い出した。
姿は見えなかったが、女の子の声が聞こえたはずだ。
そして、床にこぼれたスープ。
埃混じりで、レジーナへの当てつけとはいえ、よく食べたものだ。
(そういえばあの時、レジーナの近くに大きな蝶々のような……)
なんとなく妖精が見えていたような気がする。
あの時はレジーナが腹立たしくて、意識がそちらに向かってしまっていた。
なんといっても、肉を強火で焼こうとして魔法で炭にしてしまったのだ。
しかも、火を消そうとして氷漬けにしてしまう。
その氷が一番美味いという結果に、レジーナの調理技能に絶望したものだ。
(いや、そうじゃない)
ゾルドは首を振る。
「どうしたの?」
その様子を見たレジーナが、ゾルドを心配して聞いてきた。
「あの時、妖精を見たような気がするんだが、どうしてもお前の料理の事が浮かんで来て思い出すのを邪魔するんだ」
ゾルドの言葉にレジーナは顔を真っ赤にする。
「もう! あの時の事は忘れてよ」
「忘れられないさ。お前が俺に初めて作ってくれた料理だからな」
ゾルドは斜め45度の角度を付けて、ニッと笑う。
本気で恰好付けようと思っているわけではない。
冗談めかして言っているだけだ。
ゾルドの態度に対するレジーナの返答は背中を向ける事。
そして、革袋を取り出し、腹の中身吐き出した。
洗浄の魔法により、何度でも再利用可能なレジーナ専用ゲロ袋だ。
「……わざとやってる?」
「何の事?」
「いや、いいんだ」
確かにレジーナは時々ゲロを吐く。
床を汚さないように、ゲロ袋を持ち歩く程度には。
だが、ゾルドがふざけて恰好付けようとした時に吐かれるので、そこまで自分がキモイのかなと心配になってしまう。
(……あっ、そうか! これは使えそうだ)
レジーナの背中をさすりながら、ゾルドは一つ閃いた。
天神が魔神と同じ能力を持っているのなら、最終決戦で天神の動きを封じる方法がある。
そのためには、おそらく魔属性だか闇属性の魔法を一つ使えるようにならなければいけない。
後期つわりで苦しむレジーナの姿から、ゾルドは切り札となるものを発見した。