121
一週間後、ゾルド達はロンドンに着いていた。
ゾルドが予想した通り、飛竜による運搬はヘリのようなものだった。
ちょっと風が強く当たるかなと思う程度で、特に違和感は無い。
だが、それは飛行機やヘリに乗った事のあるゾルドだからこそ。
初めて空を飛ぶ者達には恐怖体験だったようだ。
飛竜から降りた時には足が震えていたり、顔を青ざめさせていた。
そして今。
巨大な竜の姿のままで現れたニーズヘッグの姿を見て、足を震わせていた。
「パパー」
そんな周囲の状況を気にする事なく、ジャックがゾルドに抱き付いてきた。
「久し振りだな。少し大きくなったか?」
ゾルドは優しい笑顔をジャックに向ける。
交渉の鍵はジャックだとゾルドは考えていた。
ニーズヘッグも、魔族の王に選んだジャックの希望を無下にはできないだろう。
良い父親を演じて、ジャックに自分を手伝いたいと思わせなければならない。
そのために、背が伸びたかどうかわからないが、とりあえずそれっぽい事を聞いてみる。
「うん、ちょっと大きくなったよ! それにね――」
子供だから背丈ぐらい伸びているばずだ。
適当に言った事だが、ジャックは自分の事を覚えてくれていると思い、とても嬉しそうにしていた。
色々な魔法を覚えたという事を嬉しそうに話す。
だが、魔法を覚えるという内容の話はゾルドが面白くない。
むしろ、不愉快だ。
ゾルドは話題を変える事にした。
「ジャック。ゆっくりと話をしたいが、皆を待たせている事を忘れてはいけないよ」
「あっ。みなさん、ごめんなさい。中へどうぞ」
そう言って、ジャックがゾルドの手を取り先導していく。
その後ろを、レジーナや魔神四天王の面々が付いていった。
(あれがゾルド様の子供?)
(素直そうで良い子に見える)
(まったく似てない……)
――魔神の息子で、魔族の王。
肩書きから受けるのは凶悪なイメージしかなかったが、実際に見てみると年相応の無邪気な子供だ。
”魔族は恐ろしい存在”という先入観もあったが、ジャックを見ると”人間と変わらないのでは?”と思えてしまう。
「そなたらも付いて来るが良い」
人化したニーズヘッグが、ゾルド達の背中を見つめて動かないお供達に声を掛ける。
「あっ、はい」
ニーズヘッグに声を掛けられたせいで、ジャックに関する印象は吹き飛んだ。
ジャックとは違い、ニーズヘッグは魔族のイメージ通り。
いや、想像以上の恐怖を与えてた。
――生物として絶対的な強者。
魔族だからというだけではない。
生物としての本能が、強者を前に警鐘を鳴らしている。
その圧倒的存在感は”何故、今こうして普通に話を出来ているのか”という思いすら抱かせる。
城の中に入るという事は、魔族の懐に入るという事。
恐ろしいが”付いて来い”と言われて、ずっと立ち止まったままでいるわけにもいかない。
付き添いで来たホスエ達は、恐る恐る城の中へと入っていった。
----------
「まずはどのような世界を作るつもりなのかを聞かせてもらおう」
会議室に入り、飲み物が配られた後、まずはニーズヘッグが話を切り出した。
協力するにあたり、最低限聞いておかねばならない事だ。
ゾルドに対する期待値はストップ安の上場廃止状態。
ゾルドに賭ける価値があるのか確かめねば、馬鹿を見るのは魔族全員となる。
「それは重要な事か?」
「当然だ。特に人間と慣れ合っている今はな。捨て駒にされては困る。天神に勝利した時、世界をどうするのかを聞かせてもらおう。でなければ、協力はできない」
ニーズヘッグは、ゾルドのお供として付いてきたゲルハルトやビスマルクに視線を向ける。
彼が心配しているのは、ゾルドが人間や獣人を仲間にしている事だ。
千年前の戦争では、魔族を味方に付けた魔神が負けた。
だから、ゾルドが”天神との闘いに勝つために、魔族を見切って人間達を味方にしようしているのかもしれない”と心配するのも無理はない。
ゾルドに協力して戦いに勝利したが、魔族の待遇が変わらないというのでは意味がない。
「世界をどうするかか……」
皆の視線がゾルドに集まっている。
ゾルドの発言に、皆が注目しているのだ。
「このテーブルが答えだ」
ゾルドは両手を広げ、周囲を見渡した。
誰一人として、ゾルドが何を言っているのか理解していない。
「同じテーブルに魔族がいて、人間や獣人もいる。憎み合って殺し合うだけじゃない。こうして同じテーブルで茶を楽しむ事だってできるんだ。戦いが終わった後、特定の種族だけを排除するような真似はしない。仲良くやれりゃ一番良いだろ」
ゾルドの方針はビスマルクの誤解があった事を利用し、平和な世界を作るという方向で決めた。
元々、ゾルドには明確な目的という物が無かった。
せいぜいが――
”天神を倒せば元の世界に戻れるかもしれない”
”じゃあ、倒そう!”
――といったものだ。
天神を倒した後、この世界をどうするか、どうなるかなんて考えた事も無かった。
自分が自宅へ戻る事しか考えていない。
明確なビジョンが無く、思いつかないのならば、他人の考えた未来の世界を利用すればいい。
ゾルドは自分で何かを考え出す事が苦手だ。
営業社員時代の営業方法も、マニュアルを基本として、許容される範囲内で自分なりにアレンジしていただけ。
自分で考え出したわけではない。
今回も営業方法と同じ。
”平和な世界を望んでいる”と思われたのなら、その考えを基本として方向性を利用する。
そして、自分なりにアレンジして説得の材料にすればいいと考えた。
実際は手出しをするつもりはない。
ゾルドは、ただ”平和な世界”をエサに魔族の協力を取り付けるだけ。
この世界に住む人々が、平和な世界を望むのなら自分達で作っていけばいいのだから。
「そんな世界が本当に作れると思うか? 根本的な問題として、我らは人を食うぞ」
ニーズヘッグではなく、ウィンストンが答えた。
三つのブルドッグのような顔の内、一つは無表情、二つは困惑の表情を浮かべている。
「食えばいいじゃねぇか」
ゾルドは何でもない事のように言った。
「なっ、なんて事を言うのですか! そんな事は許容できません!」
抗議をするのは、ゲルハルトだ。
だが、他の者達も同じく険しい顔をしている。
彼が言わなければ、他の誰かが言っていたはずだ。
ゾルドは”何も問題は無い”と笑みを浮かべた。
「魔族だってさ、パンを食ったり野菜を食ったりしてる奴がいただろ? みんながみんな人肉ばっかり食うわけじゃないんだよ」
ゾルドの言葉で皆の頭に思い浮かぶのは、ドーバーに着いた時に食べに行った食堂だ。
人間の商人だけではなく、魔族も普通の食事をしていた。
お陰で”人間を主食とする恐ろしい魔族”という印象は少しだけ和らいでいる。
連れて行った理由が”俺だけクソマズイ物を食った事があるのが気に入らない”というので無ければ素晴らしいのだが。
「まずは、ソシアあたりに移住してもらう。あそこは土地が無駄に広いし、農業をやるのにも十分だろう。肉が食いたいなら魔物の肉を取り放題だし、魔物の素材を売れば、魔族の死体から素材を切り売りせずとも金を稼げるようになる。仲間の死体を売らずに済むし、食料を自給できるようになったら、他の種族とだって共存できるだろう」
ゾルドなりに考えた共存案だ。
実際の友好的な交流は本人達に任せる。
「農業に関してはわかりました。魔族なら強い魔物のいるソシアの大地でも余裕を持って生きていけるでしょう。ですが、人間を食べるという部分が未解決です」
ゲルハルトが肝心の部分を忘れているという事をゾルドに伝える。
そもそも、こんな重要な事は先に話しておくべきだと思っていた。
お陰で会議の場で取り乱すハメになってしまった。
「今まで通りでいいだろう。奴隷を買って食べる。あぁ、犯罪者を優先的に魔族の食料にするのもいいな」
「それは……、人を食べるという事には変わりないのでは?」
どうしても人が食べられるという事に抵抗があるようだ。
その点に関しては、ゾルドは非常にドライだった。
「食べられるからなんだ? 人が死ぬのが嫌なのか?」
「そうですね」
ゲルハルトの言葉に、他の者達も同意する。
食料にされるという事は、その者が死ぬという事。
家畜の様に食われる事が本能的に嫌だった。
「軍人のお前がそれを言うのか?」
「えっ」
「どうせ人間ってのは、なんらかの利害関係が理由で殺し合うんだ。だったら、魔族との友好に命を使った方がマシだろ? どうせ罪人や奴隷の命だ。それを認めるだけで全部丸く収まるんだぞ。戦争で何万と死んでいく事を考えたら安いもんだろ」
「それは、そうかもしれません……」
戦争をすれば大勢の命が失われる。
魔族の人肉の消費量はわからないが、大規模な戦争による戦死者よりかは少ないだろうとは思える。
戦争で死なせるくらいならば、平和のために命を消費しろというのも理解はできる。
理解はできるが、納得したくはないというのが人間側の心情だった。
「天神に勝ち、長期的な平和のためなら少数の犠牲もやむを得ない。わかってくれ」
「ハッ」
渋々だが、ゲルハルトも納得したようだ。
他の面子からも否定の言葉は出てこない。
「待って欲しい。それはゾルド殿の考えている事。こちらの事を忘れてもらっては困るな」
代わりに、ニーズヘッグが会話に割り込んで来た。
ゾルド様ではなく、殿と呼ぶところに隔たりを感じる。
「我らは千年もの間、この狭い島に閉じ込められた。その恨みは忘れておらんぞ。いきなり仲良くやれと言われても無理だ」
その言葉に、ジャック以外の魔族側の者達がうなずく。
前回の天魔戦争で負けて以来、魔族は不自由な思いをしている。
今回の戦争で勝った時に、その恨みを晴らす機会を与えられねば納得がいかない。
ゾルドの提案は不十分だった。
(そりゃ、恨んでいるだろう)
だが、その反応はゾルドの想定内だ。
「あぁ、恨みを忘れろなんて言わないさ。ビスマルク、お前は魔族をブリタニア島に閉じ込めろと命じた事があるか?」
ゾルドはもっとも年長者であるビスマルクに話を振った。
突然話を振られたビスマルクであったが、戸惑う事もなく堂々としている。
交渉の場で感情を見せる事の不利を熟知しているからだ。
「そのような事は命じた事はない。魔族がブリタニア島から出てはならぬと決めたのは天神キッカス。我らはその約定を守って来ただけだ」
ビスマルクの返答はゾルドが満足するものだったのだろう。
ゾルドもウンウンと何度もうなずいている。
「だよな。なぁ、ニーズヘッグ。恨みがあるとしても、それはキッカスや千年前に生きていた人間とかにだろう? 今生きている奴に八つ当たりは良く無いぞ。魔族だって新しく生まれてきている者もいる。新しい世代に、恨みだけではなく、新しい関係を残してやるのも先達の役割じゃないのか?」
「むぅ、しかし……」
ビスマルクですら七十歳前後。
千年前の戦争の事など、まったく関係の無い事だ。
祖先の罪を子孫にまで問うなどもってのほか。
それに自分達が苦しい思いをしたからといって、自分達の子孫にまで苦しい思いをさせる必要はない。
魔族と元天神側陣営の種族を平和的に暮らさせる。
子供達は豊かで、自由に行き来できる生活を手に入れられる。
ゾルドはその事を前面に押し出した。
心にも無い事だが、そこは詐欺師。
偽物とはいえ、感情の籠った声で話し続ける。
「それに、お前だって約定を守っていたんだろ? 島から出るなと言われて、大人しく千年間も守っていたじゃないか。天神がこの世界から居なくなったら、約定を破って攻める事もできたのにだ。天神が決めた事を守って来ただけの人間の子孫に、同じく約定を守ってきたお前が恨みを晴らす権利があるのか?」
不条理な決め事だというのなら守る必要は無い。
それを守ってきたのだ。
恨みを晴らすのなら、約定を決めた者達。
同じく決め事を守って来ただけの相手を責めるのは間違っている。
その事にニーズヘッグは気付かされた。
つまり、それは――
「私が悪いという事か」
――魔族を生き残らせるためとはいえ、約定を受け入れたニーズヘッグ自身の責任に気付いた。
ニーズヘッグは愕然とする。
ゾルドの言う通りだ。
約定が気に入らなければ、天神がこの世界を去ってから、人間達にもう一戦挑めば良かった。
だが、決まった事だからと大人しく約定に従っていたのはニーズヘッグだ。
威勢の良い他の魔族達も説得して大人しくさせていた。
魔族の現状は、全てニーズヘッグの選択によるものだった。
ならば、人間達の子孫を恨むよりも、自分の愚かさを憎むべきだ。
ニーズヘッグの顔は苦渋に満ちたものとなっている。
「さぁな。当時はそれが正しい事だったんだろ? その事を責めたり、後悔する必要はない。お前は生きている。まだまだ、それを正す機会はあるんだからな」
ゾルドはニーズヘッグを責めずに、優しい言葉をかける。
落ち込んでいる時に優しい言葉をかけるのが、心に付け入る絶好のチャンスだからだ。
「残念だ。もっと早く、一度でもゾルド様と語り合うべきだった。残念だ……」
ニーズヘッグがゾルド様と呼んだ。
それを歩み寄りと受け取ったゾルドは、魔族の協力を得られると確信した。
「あぁ、俺を追い出す前に話し合う機会を作ってくれたら良かったんだがな」
ゾルドはやや非難めいた口調で言った。
だが、それにはニーズヘッグも反論せざるを得ない。
「後宮で女に夢中だったのは、どこのどなたでしたかな。私は何度も話そうとしましたが、まったく取り合ってもらえませんでした」
「そうだったな」
ゾルドは軽く笑う。
今なら、あの時の自分を笑う事ができる。
あの時は異世界だと気付いてどうかしていた。
女に溺れて、現実から逃げる事しか頭に無かった。
ニーズヘッグとの話す時間くらい作ってやるべきだったと、今なら思える。
「だが、あの時の事があったから今の自分がある。失敗したからこそ、成功への道を見つける事ができた。お前も新しい道を切り拓くんだ」
「そうですな。ジャック様もゾルド様に協力する方向で話を進めても良いと思われますか?」
ニーズヘッグはジャックに声を掛ける。
独断で決めても良いが、かなり重要な事だ。
王と決めたジャックの意見を聞きたかった。
「よくわからないけど、パパが良い事言ってるのはわかったよ! 一緒に頑張りたい!」
最初に口を開いたのはジャックだ。
まともな教育を受け始めたばかりなので、魔族の未来に関する話などはイマイチ理解していない。
だが、父の手伝いをしたいという意気込みが伺える。
「かしこまりました。では、魔族は中立を破り、ゾルド様に協力する事に致します」
「よろしく頼む」
おそらく、最難関であった魔族の協力を取り付ける事に成功した。
ゾルドはホッと軽い溜息を吐く。
「ゲルハルト、ビスマルク。ここからはお前たちの出番だ。任せるぞ」
「ハッ」
「お任せを」
残念ながら、ゾルドにできる事はここまでだ。
大雑把な方向性は示せても、その細かい内容には口出しできない。
ソシアに移住という話も、具体的な案はなかった。
ヒュドラのように大きな魔物もいるので、食料には困らないのではないかという考えだけで、農業をどうするとかの考えはない。
ゾルドに政治や軍事の実務的な話の詰めなどはできない。
そのためにゲルハルト達を連れて来た。
彼等に事務レベルの協議を任せるためだ。
仕事は任せられる者に任せればいい。
一人で全てをやる必要はないのだ。
ニーズヘッグがビスマルクと熱く語り会う姿を、ゾルドはつまらなさそうに眺めていた。
いや、他にも数名話に付いていけない者達もいたが、ゾルドのように態度に出さず、静かに出された茶をすすっていた。