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「時々思うんだけど、アダムス兄さんって賢いかと思ったら馬鹿だよね」
「いくらなんでもストレート過ぎんだろ……」
旅に出ていた間ずっと頑張っていたホスエを、ゾルドの判断で一足早く家族と過ごさせていた。
引率役のご褒美だ。
なので、食堂でホスエに先ほどの話し合いの結果を伝えた。
そして、人間関係の見直しを考えていると話したところで、突然ホスエに罵られたのだ。
「だってさ、考えるだけ無駄じゃない? この国だけでもフィリップ王子派に関係する人間のほとんどは恨んでると思うし、アルヴェス商会だってそうだよ。世界規模なんだから、世界中の人が兄さんを恨んでるし、誰に恨まれてるかなんて考えてもしょうがないよ」
「そう言われてみればそうか」
ホスエの意見は納得できるものだった。
特にフィリップなどは、王太子から廃嫡という転落人生だ。
その取り巻き達も、勝ち組の人生を失ってしまった。
取り巻きの家族やお抱えの商人といった者達も含めれば、かなりの数が恨んでいるだろう。
アルヴェス商会は世界中で活動していた。
しかも、王族や貴族だけではなく平民にも浸透している。
アルヴェス商会が潰れたのは、アルヴェスが欲をかいたからだ。
そのアルヴェスが自殺した以上、代わりに恨まれるのが一人勝ちしたアダムス・ヒルターだった。
貴賤を問わず多くの人々がアダムス・ヒルターを恨んでいる。
逆恨みを含めれば、とても数えきれない。
そんなものを気にしていては、何も出来なくなってしまう。
「それより、逆恨みされても手を出されないくらい、大きくて強い組織にする方が良いと思うよ」
「あぁ、そうだな。確かにお前言う通りだ」
ホスエの言う事はもっともだ。
悩んでいた自分が馬鹿らしくなる。
深読みし過ぎて失敗するところだった。
自分一人で考えるのも限界がある。
だから、ゲルハルト達のように多くの人を集めているのだ。
他人の意見を聞く大切さを、ここで再認識させられた。
「もしかして、アダムスさんがフィリップ殿下やアルヴェス商会を……」
先ほどの話を聞いて驚いているのはテレサだ。
彼女は一連の出来事が終わってからホスエに連れて来られたので、その辺りの事をまだ聞いていなかった。
「目障りだったからな。叩き潰した」
「おやっさん、かっけーーー」
ゾルドにマルコが尊敬の眼差しを向ける。
マルコにとって、王子どころか商会の会長ですら雲の上の存在だ。
それを”目障りだったから潰した”というゾルドが恰好良く見えた。
そんなマルコをホスエは複雑な表情で見ている。
ホスエもゾルドを尊敬する事は否定するつもりはない。
だが、父親として自分を一番に尊敬して欲しいという感情も抑えられない。
その複雑な感情が表情に出てしまっていた。
ゾルドはホスエの表情に気付き、フォローしてやる事にした。
「そういえば、お土産もあるぞ。マルコのはこれだ」
ゾルドは革袋の中に入れたローブの内ポケットから、大きな袋を取り出す。
面倒なやり方だが、ゾルドが魔神だと知らないマルコとミランダにローブを見せるわけにはいかないので、ローブを革袋の中に入れている。
「ありがとうございます! ……これ何?」
満面の笑みで袋を受け取ったマルコが、中身を見てキョトンとする。
鱗のような物が入っているだけだったからだ。
「ヒュドラの鱗だ。それでお前の鎧でも作ってやろうと思ってな。倒したのはジョシュアだぞ」
ヒュドラの鱗と聞いてマルコの顔が笑顔に変わる。
魔物の危険が無いベネルクスに住んでいる者は、ヒュドラが巨大で強い魔物だという事しか知らない。
そんな魔物の鱗は、少年の心をくすぐった。
「ありがとうございます、おやっさん。お父さん」
マルコの喜んだ顔を見て、ホスエも笑顔になる。
もしかすると、お父さんと普通に呼ばれるようになったからかもしれない。
「ヒュドラの首も持って帰って来てるから、晩飯はヒュドラの肉にしよう」
これは今回の旅で発見した事だが、アイテムボックスの食料品は腐らない。
小腹が空いた時になんとなく漁って見ると、ポルトで手に入れた塩漬け肉が見つかった。
10年以上前の肉なのでグズグズに腐っているだろうと思ったが、見た目は変わっていないかった。
試しにスープとしてラウルに作らせて食べさせたが、腹を壊したりもしない。
普通に食べられる肉だった。
ヒュドラの肉は現地の人間には、貴重な食料となる。
本来ならば、一匹倒せば素材を無駄にしないよう、大勢で剥ぎ取りに出かけるくらいだ。
ゾルド達が何度も倒し、簡単に街まで運んでくるのでキエフ周辺の食料事情は大幅に改善されていた。
その内の一匹をゾルドは土産として持ち帰っていた。
「あら、私にはお土産は無いの?」
悪戯っぽく笑いながらレジーナが言った。
忘れているなんて微塵も考えていないレジーナの様子に”あっ、忘れてた”と言ってみたくなるが、ゾルドはなんとか我慢した。
ヘンリクスのように、大事なところを潰されてはかなわない。
「もちろんあるさ」
ゾルドは色々と取り出していく。
他の者が買った土産もまとめて取り出し、それぞれに渡す。
そしてゾルドも、レジーナに土産を手渡した。
「一番の土産はこれだ」
ゾルドは青緑色の宝石を指差す。
「なんていう宝石?」
「アレキサンドライトだ。昼間は太陽の明かりで青緑に見えるが、夜に魔法の明かりで見ると赤く見えるという珍しい宝石だ」
「まぁ、凄いわね。夜になるのが待ち遠しいわ」
レジーナはハンカチ越しに宝石を手に取り、ウットリと見つめる。
テレサもホスエから宝石を受け取り、喜んでいる。
世界は違えど、光り物が好きなのは女の共通点らしい。
ホスエは、まだ幼いミランダには琥珀を渡していた。
中に虫が入っており、物珍しそうに眺めている。
「それと、これは俺の倒したヒュドラの破片だ」
そう言って、ゾルドは焼け焦げた鱗を取り出した。
レジーナは焼け焦げた鱗を不思議そうに見つめた。
「これをあなたが? どうやって?」
ゾルドは生活魔法くらいしか使えなかった。
それなのになぜ、ヒュドラの鱗を焼くような事ができたのか。
「そりゃお前、魔法で一撃さ」
ゾルドはグッと右手の拳を握り締めてレジーナに見せる。
決して魔法と呼ぶような戦い方ではない。
ありったけの魔力を叩きつける乱暴な戦い方だ。
だが、レジーナにはどんな戦い方をしたのかわからない。
「凄いわ、あなた……」
旅に出る前に比べ、ゾルドはかなりの成長を遂げた。
レジーナは、その事に感動していた。
ゾルドもレジーナが勘違いしていると気付いているが、それを訂正するつもりはなかった。
喜んでいるのなら、水を差す必要は無い。
「威力が強すぎたせいで、ホスエが偶然見つけたこの破片しか残らなかったけどな」
ヒュドラの死体は、そのほとんどが炭と化していた。
肉片なのか、炭化した木なのかわからないほどに。
ホスエがこの破片を見つけなければ、ゾルドがヒュドラを倒したという証拠は手元に残っていなかった。
「私だったら、かなりの魔力を籠めた魔法で首の一、二本落とすのが精いっぱいだもの。一撃なんて本当に凄いわよ。どうするの? 部屋に飾る?」
「えっ……」
狩りで仕留めた獲物を剥製にして、部屋に飾る金持ちがいると聞いた事がある。
しかし、こんな焼け焦げた鱗を飾りたいかと聞かれれば、答えはノーだ。
なんといっても見栄えが悪い。
これを飾るくらいなら、ホスエの倒したヒュドラの鱗を飾る。
「これを飾るのは微妙だな。まぁ、お前に見せたかっただけだし、飾らなくてもいいや」
ヒュドラの鱗をゾルドが仕舞うと、レジーナの興味は他の土産に移った。
その中の一つ、シャプカと呼ばれるフカフカの帽子をレジーナが手に取り、頭に被る。
「……これは寒くなったら使わせてもらうわね」
レジーナは笑いながら言った。
見た目通り、暖かい季節に被る帽子ではない。
せっかくの土産なので、冗談半分で被っただけだ。
レジーナがはにかんで笑う姿を見て、ゾルドは自分の中で込み上げるものを感じていた。
「ただいま」
「……どうしたの急に?」
レジーナは不思議そうな顔をする。
すでに屋敷に帰って来て何時間か経っている。
今更言う事でもない。
だが、自分でもわからないが、ゾルドは言っておきたくなったのだ。
「いや、そういえば言ってなかったなと思ってな」
レジーナは、フフフと笑う。
「そうね。騙されたからどうしようって困ってたから、私も忘れてたわ。お帰りなさい、あなた」
二人はキスを交わした。
娼館育ちとはいえ、子供の前なので軽くだ。
それでも、二人の心が通っていると感じられた。
ゲームのような異世界か、異世界のようなゲームかという疑問はある。
だが、どちらであっても、ゾルドには心の拠り所が必要だった。
それが先ほどの言葉が出て来た理由だ。
”自分にも帰る場所があり、待っていてくれる人がいる”
それを確かめたかった。
このやり取りを経て、ゾルドは本当に自宅に帰って来たのだと実感できた。
「俺も相手見つけるかなぁ……」
「テオの兄貴もいい年だからありなんじゃないっすか」
ゾルドとレジーナのやり取りとホスエ一家の団欒を見て、テオドールの口から家庭を持とうかという思いがこぼれる。
土産はあるが、留守番をしていた者達への土産はゾルドがまとめて買っているので、ほとんど自分の分だ。
周囲で仲良くしているのを見ると、少し寂しく感じる。
その言葉をゾルドが拾った。
「なんだ、良い相手でもいるのか?」
ゾルドの質問に、テオドールはただ首を振る。
「いねぇっすよ。それに、家族を実際に持つってのも……。なぁ、ラウル」
「そうですねぇ……」
それから、テオドールは実際に家庭を持ちたくない理由を話した。
――常に怒鳴り声の響き渡る家庭。
――妻や娘に春を売らせる父親。
――愛し合う者が駆け落ちしてきたのに、貧しい生活を過ごす内に仲違いしてしまい憎しみ合う姿。
他にもロクでもない家族の姿を見て来た。
テオドールやラウルだって親から捨てられている。
ゾルド達の仲が良いところを見る分には興味を持つが、実際に自分で恋人や妻というものを持つ気にはなれなかった。
スラムで生まれ育った者ならではの理由があった。
「ふーん、けどさ。一番の家庭不和の原因だと思われる金銭面は問題ねぇじゃねぇか。後はお前次第だろ」
「あっ、そうっすね。……良い相手が見つかれば考えてみまさぁ」
怒鳴り声の響く家庭になるかは夫婦次第だ。
他の事は、大体金があれば解決できる。
そして、テオドールは十分な給料を貰っている。
家庭を持つ事に問題は無かった。
「じゃあ、私がラウルのお嫁さんになってあげるね」
「えっ」
一同の視線がミランダに集まる。
ミランダは子供らしい無邪気な笑顔を浮かべている。
基本的にラウルはスラム出身者だがスレてない。
身近にいる獣人の若者。
そして、優しいお兄さんという事で、ミランダがラウルのようなお兄さんのお嫁さんになりたいと思ったのだろう。
皆が微笑ましいものを見たと、顔をほころばせる。
――ただ、一人を除いて。
「ありがとう、ミランダ。けど、君が大きくなる頃には僕はおじさんになってるよ。それにジョシュアの兄貴が怖いから無理かな……」
ラウルは視線を自分の膝元へ落とす。
顔を上げれば”ミランダに顔をほころばせながら、ラウルを今にも睨み殺しそうな目をしたホスエ”が視界に入ってしまう。
ミランダの言った事は可愛く思うが、まだ6歳の娘を誰にも渡したくないという気持ちの表れだ。
「もう、お父さん。人を睨んじゃダメでしょ」
「あぁ……、うん。そうだね」
ミランダに注意されて、ホスエはラウルを睨むのをやめた。
こういった行為は、子供の教育に良くないとわかっている。
本来なら言われる前にやめるべきだったのだが、感情がどうしても抑えられなかったのだ。
旅の間はとても厳しく、あり得ないほど強くて頼もしかったホスエも、自分の娘には勝てない。
そんなホスエの様子を見て、ゾルドの頬が緩む。
辛かった旅が終わり、平和な日常に帰って来たのだ。
その後もしばらくの間、食堂からは明るい笑い声が響いていた。