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「魔物から素材を剥ぎ取りましょう。ゾルド兄さん、袋をください」
ホスエは受け取った袋を蜘蛛の尻の下に置き、尻の先を少し切り落とした。
すると中から、何かドロリとした物体が垂れ落ちる。
「もしかして、それ蜘蛛の糸ですか?」
謎の物体に興味津々のラウルが質問した。
「その通りです。正確にはその原料みたいなものだそうで、裁縫職人に売れるそうなんです。皆さんも同じようにしてください」
「わかった」
ゾルドは返事をすると、袋を人数分取り出す。
蜘蛛の死体になど触りたくないが、これも生活のためだ。
多く稼げば、それだけ良い暮らしができる。
ポルトにいた頃のような暮らしはしたくない。
しかも四人で。
そう思い、ゾルドも我慢して作業に参加した。
その時である。
「うわぁぁぁぁぁぁっ」
ゾルドの切った場所が悪かったのか、ジャイアントスパイダーの中から、五センチほどの子蜘蛛が大量に湧き出て来た。
見た目のインパクトが凄まじく、ゾルドは思わず全力で逃げ出してしまう。
「おやっさん、子蜘蛛くらい踏み潰しゃいいんすよ」
何でもない事かのように、テオドールはドンドン踏み潰していく
ゾルドはブーツ越しとはいえ、子蜘蛛を踏み潰す感触を想像して身震いをした。
「今までの中で、今が一番テオドールを頼もしく思えるな」
「えぇっ、今までどんだけ頼れないと思われてたんすか……」
テオドールにとって子蜘蛛退治など面倒なだけで、嫌だと思うような事ではない。
こんな事で褒められても”今まで頼もしく思われていなかったのか”と思ってしまうくらいだ。
しかし、ゾルドは子蜘蛛を踏み潰すテオドールを心強く思った。
ゾルドとテオドールの認識の違いが、浮き彫りになってしまった。
「だって蜘蛛だぞ? 気持ち悪くないか?」
「そうっすかね」
テオドールは一匹の足を摘まみ上げる。
「小さい分、噛みつく力も弱いし怖くなんかないっすよ」
「違う、怖いんじゃない。気持ち悪いんだ。考えても見ろ。寝てる間に耳の穴に入って脳を食い荒らしたり、口から入って腹の中を食い破ってくるかもしれないんだぞ」
ゾルドはこの世界の蜘蛛に合わせた妄想を語る。
それを聞いたテオドールは、嫌そうな顔をして手に持っていた子蜘蛛を遠くに放り投げる。
「そんな気持ち悪い事を考えてたんすか?」
「そりゃ、考えるだろ」
無駄にエイリアン物の映画などを見ているせいで、想像力だけはある。
こんな蜘蛛型モンスターなど、どんな悪影響があるのかわかったものではない。
「ハーピーや半魚人の女を抱いてきた俺でも、アラクネとかの虫系の女は抱いてないくらいだ」
「えぇ……、どっちも驚きなんすけど」
テオドールからすれば、どっちもどっちだ。
虫系の魔物の女を抱いていないとかどうでもいい。
魔物を抱くという行為自体が、テオドールには蜘蛛よりも気持ち悪い。
「二人とも。早く回収しないと、キャンプを張る時間が無くなりますよ」
いまだに仕事モードのホスエが二人に注意する。
毎日移動をしていては時間がもったいない。
大体、三日から一週間は、この森で戦う予定だ。
その間、寝泊まりするためのテントを張らなければならない。
さすがに、地べたで野宿というのはやりたくない。
「そうだな、続けるか」
「頑張りやしょう」
ゾルドもホスエの意外と厳しいところを知り、逆らおうとは思えなかった。
この度の主導権はホスエが握っている。
逆らうよりも大人しく従って、娼館に行く程度の息抜きを認めて貰った方が良い。
わざわざ機嫌を損ねる必要などないのだ。
”気持ち悪い”と思いながらも、ゾルドは作業を続ける。
ゲームのRPGみたいに、戦闘が終わればドロップ品だけ出てくれればいいのにと思いながらやり始めたが、気持ち悪いものは気持ち悪い。
ゾルドは吐き気を我慢しながら、作業を行っていた。
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作業が終わったのは、日が傾き始めた頃だった。
さすがに死体のど真ん中でテントは張れないし、張りたくない。
少し離れたところの、少し開けた場所でテントを張る事にした。
「ゾルド兄さん、やっぱりそれを使うの?」
ホスエが不満そうな顔をしているのは、ゾルドが持っている魔道具のせいだ。
ホスエからすれば、野営する時の見張りも、良い訓練になると思っていた。
だが、ゾルドの持って来た魔道具のせいで台無しになってしまう。
「いいか、俺達は魔物を倒して強くなるために旅に出たんだ。ここへはその練習のために来た。冒険者として、一流になるためじゃないんだぞ。寝る時くらいゆっくり寝かせてくれ」
ゾルドの持っている物は、魔物忌避装置だ。
船に乗せるような大型ではなく、ソシア行きの馬車に乗せる小型の物だ。
魔物の強さにもよるが、半径10メートルほどの範囲を魔物が近寄らないようにできる。
ホスエは、それが不満だった。
野営で魔物の警戒を覚えさせようと考えていたからだ。
”ようやく自分の得意分野でゾルドの役に立てる”
そう思っていたホスエにとって、教えられる事が減るのは面白くないことだった。
「そう言われれば、そうなんだけど……」
納得していないホスエの様子を見て、ゾルドはフォローしてやることにした。
「ホスエ、最初から飛ばし過ぎると後が大変だぞ。それに、このメンバーの中で魔物に詳しいのはお前だけだ。だから、休める時は休んでおこう。お前には期待しているんだ。無理をしないで欲しいんだ……」
心の底からホスエを心配しているような声で説得する。
八割方自分のためなので、迫真に迫った演技だ。
だが、ホスエはゾルドの言葉に感銘を受けた。
「そうだね。それじゃあ、ありにしよう」
ホスエとしても、この中で魔物相手のまともな実戦経験が多いのは自分だとわかっている。
無茶をしてパーティ全滅という結果になる方が怖い。
ある程度、皆が慣れるまでは自分も休んだ方が良いという事を理解した。
ちゃんとした内容であるなら、ホスエはわかってくれる。
ちなみに、魔物相手の経験が多いのはゾルドだ。
ホスエの許可も下りたので、ゾルドはキャンプ地中央に魔物忌避装置を設置する。
蚊や蠅なども嫌なので、虫よけの魔道具も忘れない。
どちらも連続稼働は一日程度だが、魔力はゾルドが補充するので問題は無かった。
魔物狩りの旅に出かけると聞いて、絶対に持っていくと決めていた物だ。
それを何とも言えない表情でホスエが見ていた。
まるで”そんなものまで持って来ていたのか”と言いたそうだ。
(あっ、この顔見た覚えがあるぞ)
ゾルドが思い出したのは、友人の伊藤が”キャンプに行こうぜ。泊まるところは俺が用意するから、食い物だけ持って来てくれ”と言って、誘ってきた時の事だ。
キャンプやハイキングといったものが大好きな渡辺が、もっともノリノリで参加した。
しかし当日、伊藤が持って来たのは、キッチンやトイレ完備のキャンピングカー。
そして、向かった先はオートキャンプ場だった。
テント張りの難しさや、飯盒でのご飯の炊き加減の大変さを楽しそうに語っていた渡辺がキャンピングカーを見た時に、今のホスエと同じような顔をしていた気がする。
(キャンプ好きには無粋な物なのかもしれないが、素人としてはこれくらいは妥協してくれないと困るな)
さすがにゾルドも”蚊に刺されるのも、また一興”などとは思えない。
嫌なものは嫌なのだ。
ホスエの顔は見なかった事にして、虫よけの魔道具も設置した。
これで、寝ている時に魔物と虫に襲われずに済む。
虫で魔物である蜘蛛相手なら、しっかりと効果があるはずだ。
これで安眠は確保できる。
「それじゃ、俺は明かりでも作るか」
ゾルドはキャンプ地の中央に、光の魔法で照明を作ろうとする。
森の中で光を出すと魔物や虫が寄って来そうなものだが、魔道具のお陰でその心配はない。
明かりのために火種を確保しておく必要もなくなるので、薪の確保もしなくて済む。
「それじゃ、僕とテオでテント張り。ラウルには夕食を作って貰おうかな」
ホスエが指示を出していく。
ゾルドの魔法は時間がかかるという事を知っている。
今回は作業の人数に入っていない。
ゾルドはテントや調理器具、食料を取り出すと、魔法の発動に専念する。
「【ライト】……うぉっ」
ゾルドの目の前に光の玉が浮かび上がる。
最初に発動した光魔法は眩いくらいの光の強さだった。
まだ明るい今でも眩しいのだ。
寝る時には目障りになるだろう。
(あー、失敗か。無し無し)
ゾルドは光の玉を、まるで虫を追い払うかのように、魔力を込めた手で何度か払う。
すると、それだけで光の玉はかき消されてしまった。
通常、魔法を無効にするには、その魔法を解除する魔法を使わなければならない。
だが、ゾルドは圧倒的な魔力量で強引に発動した魔法を無効にしてしまった。
レジーナが”何よ、そのでたらめ!”と、大声を上げて驚くような荒業だ。
”魔力を使って発動するなら、それ以上の魔力で魔法をかき乱せば無効にできるんじゃないか?”
そんな馬鹿げた考えから実行され、ゾルドの魔神としての能力に、魔力量増加のスキルで増えた魔力のお陰で実現してしまった。
お陰で長時間発動するように調整された魔法も、すぐに消してやり直しができるようになっていた。
(さぁ、もう一回)
ゾルドは魔法を使えるようになったが、その魔力量故に細かい調整ができなかった。
これが攻撃魔法であれば、威力が高い分には問題なかったが、生活魔法では致命的だ。
朝まで保つよう長時間発動して、ほどほどの光量を放つ光の玉が作れるまで何度も挑戦していた。
そんなゾルドに、横で調理をしていたラウルが遠慮がちに話しかける。
「おやっさん、さっきの話なんですが……」
「さっきの話?」
「その……、魔族の女の……」
「あぁ、それか」
ラウルは最近女を知った。
エロ本のような物もない世界なので、そういった話に興味津々だ。
料理を作りながらする世間話として、ラウルはその話題をチョイスした。
ゾルドはいやらしい笑みを浮かべる。
「なんだ興味あるのか。そうだな、ミノタウルスは良かったぞ。胸が四つあってな、真ん中に顔を突っ込んでおっぱいの海に溺れたりするのも最高だ」
「おっぱいが四つも……」
様々な動物の容姿をしていても、獣人の女は人間同様胸が二つだけだ。
ラウルは、さらに二つ付いている姿を想像して楽しいような、気持ち悪いような複雑な感情を抱いていた。
だが、興味は無いとは言わない。
「他にはどんな女がいたんですか?」
「他にはな――」
ゾルドがラウルに教えてやった。
幸い、このネタに関しては色々とあるので、話題が尽きる事はない。
まだ日がある内から猥談にふける二人を、ホスエとテオドールは苦笑いしながら見守ってやっていた。
ゾルド達は人工物の無い森の中で、突如現れた光が遠目にも目立った事に気付いていなかった。
明るい光に寄ってくるのは虫だけではない。
魔物忌避装置や、虫よけの魔道具の存在に安心しきってしまって、魔法の光を確認した一団が居た事に、ゾルド達は気付いていなかった。




