将軍の娘の恋闘録
ロージクサス王国の将軍の娘こと、クリスティーヌ・サンドリアは、
目の前で闘志を燃やす男に………
面倒だと顔にでてしまうほどうんざりしていた。
「クリス! 昨日の試合は、おまえの顔に不覚にも見惚れてしまっての結果だったから、俺の実力ではない! 今日は勝ってみせるぞ‼︎」
骨格がしっかりとし、服の上からでも隆々とする筋肉がわかる男がクリスティーヌに向けて声を出す。
クリスティーヌの愛称を呼ぶ男の声は、百人ほど入っても隙間がありそうな学園の練習場の端っこで休んでいる生徒の耳まで届いてしまうほど大きい。
それを近距離で聞かされるクリスティーヌの耳は、耳鳴まで起きる始末であった。
「はいはい、先輩が負けたのは、わたしの顔のせいなんですね。そんなに声出さなくたって聞こえてますから」
クリスティーヌは剣で戦うのが好きだが、こうも騒がれると戦う気が削がれてしかたがなかった。
「ムキーーッ!! おまえのその余裕さが俺をイラつかせるんだぁ!!」
「はいはい、わたしのせいなのはわかりましたから。はやく試合やって終わりましょう」
刃引きされた剣を構えているものの、やる気がないクリスティーヌとは逆に、男の闘志はコツコツと燃え上がる。
「俺を怒らせたこと後悔するなよクリス! さぁ俺の本気を受けてみろーー!! おりゃあッ!! 」
男は距離を詰めて加速し、上段の構えから勢いよくクリスティーヌに剣を振り落とす。
周りの生徒は、将軍の娘といえども大男の本気の力を受け止めるのは無理だと思いながら見守っていた。
あんな大技で隙があるなら、彼女も剣を交わさず避けるだろうと予測していたのだ。
しかし、実際クリスティーヌがした行動に目を見張った。
「なっ………受けとめた、だと………っ?!」
男より一回り小さい体格のクリスティーヌは、顔色ひとつ変えず涼しく剣を受けてとめていた。
男は、吹き飛ばされることもなく受けためたクリスティーヌを不動の壁のように感じた。
「はぁ、先輩はやっぱりアホですよね?」
「な、なにっ?!」
「昨日の試合で分かりませんでしたか? わたしと力比べなんてしたら、先輩に勝ち目は無いって」
冗談を感じさせないクリスティーヌの無機質な声に、男は底知れぬ恐怖を感じた。
「そ、そんなこと思うわけないだろ!!」
「………じゃあ、いま知りましたね。
先輩のような方が、わたしと力比べなんてすれば………」
クリスティーヌは息も乱さず拮抗状態にあった剣を力任せに押した。
身体が離れるのと同時に、男の手に握られていた剣を自身の剣で叩き落とす。
「うわっ!」
男は尋常じゃない力に押されたせいか無様に尻もちをついた。
クリスティーヌは、そんな男の首元に剣を突きつける。力比べをしたら、こうなるのだと突きつけるように……
「ふふふ。先輩、今日もわたしの勝ちですね?」
クリスティーヌは、呆然として自身を見上げる男にニコリと笑った。
◆◇◇◆◇◇◆
先輩との試合を終えたクリスティーヌは、溜息ついた。
「はぁー、つまらない試合だったなぁ。領地にいたときの方が、強い人と戦えて楽しかったのに。
父さまはどうしてわたしを学園になんかに入れたんだろ」
クリスティーヌは、一週間前父に呼ばれて王都にきた。
クリスティーヌの父は将軍という地位にあり武術もたつ。
久しぶりに手合わせをさせてくれるんじゃないかと興奮して王都にきてみたら、予想は大きく外れ王立学園に入れられた。
父に何か思惑があるんじゃないかと最初は見ていたが、学園に入れられてはや一週間、強い人と戦いを求めるクリスティーヌには限界がきていた。
「ねぇ、先生。父からわたしの学園転入の件で何か聞いてないですか? 自宅に帰っても父さま、自分主催のパティー準備で忙しいせいか会えないんですよね」
「んー、俺は君の父君からは何も聞いてないんだよなぁ」
「ですよね〜。
はぁ、こうなったら自分の足で領地に帰ろうかな………まぁ、やらないけど」
無断で王都を抜け出し領地に帰れば、父に怒られるだろうから実際に行動を起こさないが、もしこの苦痛が続いたら、ストレスで禿げるんじゃないかと思った。
「おっ、そういえばお前に昨日言われた物を持ってきたぞ。ったく、こんなものどうするつもりなんだか」
先生が何か思い出したのか、持ってきた袋の中から林檎とグラス、片方しかない手袋を取り出した。
それを落ち込むクリスティーヌに手渡す。
「あっ、先生ありがとうございます。これないと気持ちがシャキってしないんですよね」
クリスティーヌは右手に手袋をして林檎を握り無言で握り潰した。その際、種とへたを残すように力加減をするのが難しいが、十年間やってきたクリスティーヌにはお手の物である。
汁を一滴もこぼさないようにグラスに注げば、しぼりたて林檎ジュースの完成だ。
「こんな感じかな? ゴクンゴクン………プハッー!! やっぱしぼりたてが一番ですね」
「そ、そうか。おっと用事を思い出した。おれはこれで帰るぞ」
先生はその様子を驚愕して見ていた。そして、何か用事があったのかそそくさと練習場を出て行った。
「あれ? 先生用事なんてあったんだ」
クリスティーヌは、先生が早歩きで出ていくのを首を傾げて見ていたら、周りにいた二人の生徒から声が聞こえてきた。
「おい、みたか。クリスティーヌのやつ林檎を軽々と握りつぶしたぞ。なんて女だ」
「あぁ、先生なんて間近で見たから血相変えて逃げていったぞ。
絶世の美女って言われても納得がいく容姿なのに、本性は怪力戦闘狂少女なんだよな」
生徒は聞こえないようにひそひそ声で話しているつもりなんだろうけど、地獄耳もちのクリスティーヌには内容が筒抜けである。
二人目の生徒の声はよく聞こえて来なかったが、クリスティーヌは林檎を潰すことはおかしいという話しているのだと推測した。
小さい頃から日常的にしていたことなので気づかなかったが、王都では珍しいことなのかもしれない。
またもしかしたら、林檎を粗末にしていると見られたのかもしれないと思い、クリスティーヌは誤解を解こうと二人の生徒に近づいた。
「ねぇ、君たち。先程から何を話しているのか知らないけど、わたしは別に林檎ジュースを作っただけで、食べ物を粗末にしているわけじゃないから」
ほら見てよと言わんばかりに、クリスティーヌは右手を開いて、林檎の種を見せた。
これで二人の誤解も解けたかなと思っていたら、生徒の顔はどんどん青ざめていった。
「ヒィィィーっ! 丁寧に種だけを見せたぞ!! いずれ俺たちも林檎のようにしてやるぞと暗に言っているんだ!!」
「そ、そんな?! に、逃げろーっ!」
「えっ? ちょ、ちょっと待って! なんか勘違いしてるんだけどっ!」
クリスティーヌは意味深なこと吐き捨てて脱兎のごとく逃げていく生徒に驚く。
「わ、わたしが何かしたの? 分かんないんだけど」
そしえ一人残されたクリスティーヌは、死ぬ物狂いで逃げていく二人の生徒の背中を呆然と見つめることしか出来なかった。
◆◇◇◆◇◇◆
色んな出来事があったその放課後、クリスティーヌは先生に呼び出された。
昼間の件なのかと思っていたが、どうやら話は違うようだった。
「………つまり先生は、わたしに明日やる合同練習試合に出ろと言いたいんですか?」
「あぁ、そうだ。是非クリスティーヌには学園の代表として、王族の近衛隊と剣を交わして欲しい」
「わたし学園に来てから数日ですが、大丈夫なんですか? 大丈夫なら、楽しそうなのでやりますよ」
先生の話曰く、すでに学園長に話は通っていて飛び入り参加して大丈夫なのだとか。
なら遠慮なく出させて貰おうと、クリスティーヌは魅力な誘いに快く承諾した。
そして次の日、クリスティーヌの他に七人の生徒がいて、同様に近衛隊の方々が八人いた。
その中には二番目の兄もいたが、クリスティーヌの存在には気づいていないようだった。
まぁ親族が気付かないのも、いまのクリスティーヌの姿が原因なのだが………
「おい、クリス。お前その仮面つけてやるのか? 視界が狭まって、やりづらなくないか??」
最高学年の先輩が心配の声をかけてくる。
「心配無用です。領地で悪者と対峙するとき、いつもつけてましたから慣れてます。あちらにお兄様いるようですが、余裕です」
クリスティーヌはいま現在、顔に銀色の仮面をつけていた。
高く結い上げる長い金髪は、男性の中でも珍しくないし顔さえ見られなければ、クリスティーヌを女性だと疑う者はいない。
これは、クリスティーヌが女だと知った途端手抜く輩がいるので、その対策である。
実力も見ていないくせに力を加減してくるのは、剣に自信があって、プライドが高いクリスティーヌにとって侮辱も同然であった。
「両者集まれ!! これからルールを説明する。
この試合は八対八で行う。負けたら選手交代、勝ったら続けて戦い、負けたら次に控える味方の選手と交代だ。勝敗の判定はこちらがする。
八人目が負けた時点で、勝負ありだ。では一人目、前に出ろ!!」
老年の男性がルールと徴集する声をあげる。
「む? そろそろ始まるな」
「そのようですね。わたし八人目なので、皆さんが勝ったら戦う必要がなくなりますね。一応応援しておきます」
「冗談を抜かすな。相手は王族の近衛隊の兵だぞ? エリートの集まりだ。全滅かもしれない」
「へぇ〜」
クリスティーヌは、先輩が言うことを真剣に聞いていなかったが、生徒たちにとって近衛隊は強いようであった。すぐにクリスティーヌの順番が回ってきた。
と言っても、近衛隊側の四人の兵からは勝利を勝ち取ったようで、五人目に敗れたのに先輩は満面な笑みを浮かべてきた。
「クリスやったぞ! 二人を相手して疲れた近衛の兵とはいえ、一人は討ちとれた」
「えぇ、見ていましたよ先輩。素晴らしい試合でした」
「おぉ! お前も試合頑張れよ」
先輩に背中を押され、クリスティーヌは五人目の相手と向き合った。
五人目の相手はクリスティーヌの二番目の兄だった。
領地にこもっていたため三年近く会っておらず、兄の身長はグンと伸びていた。
「おまえが、八人目の生徒か? 仮面なんてつけているが大丈夫か」
「心配はご無用です。だから、手など抜かないで下さいね」
「あぁ」
両者の間には静寂が流れるが、審判の合図が始まれば、剣の激しい撃ち合いが始まる。
「………」
「くっ?! は、速いな」
クリスティーヌは剣を振るうスピードを徐々にあげていく。そのスピードについていけない兄に、クリスティーヌは内心ガッカリした。
「はぁっ!!」
「っ?! 剣が?!」
「勝負あり!!」
クリスティーヌは、隙をついて思いっきり剣を打ち込み、兄の手から剣を叩き飛ばした。
兄は五メートル先に飛んだ剣を拾おうとするが、審判が勝敗がついたことを叫ぶ。
クリスティーヌは、負けたことに悔しがる兄に近づいて、兄だけに聞こえるよう声をかけた。
「兄上、クリスティーヌはガッカリしましたわ」
「なっ?! く、クリスティ」
「しっ、名前は言わないで下さいませ。まだ三人倒してませんので」
それだけ言うと、クリスティーヌは次の闘いのために元の位置に歩いた。
兄は驚愕の目で見ていたが無言で帰っていった。
その後に闘った二人は、兄と同様強かったが、クリスティーヌの無双を止める者はいなかった。
「王族の近衛だか知りませんけど、案外弱いじゃないですか」
クリスティーヌはつまらない試合に不満が口からついて出てしまう。騎士のエリートと言われているだけあり、実力、経験があるのはわかるが、クリスティーヌを満足させることはできない。
近衛隊の方は、八人目の生徒つまりクリスティーヌが軽々と三人抜きしたため、誇りゆえか焦りの色が見えていた。
「はぁ、これで八人目も弱かったら、この国の近衛のレベル問題になりそ」
「え? 俺が弱いだって? 聞き捨てにならないセリフだなぁ」
いつの間にかいたのか、クリスティーヌの前には黒髪の男性が立っていた。
切れ長の双眸といい、男の怜悧な美貌のせいか寒気を感じる。
黒の瞳に好奇の色が見えるが、立ち方、歩き方から、先程まで戦っていた相手とは違うのがわかる。
━━こいつ、できるな
クリスティーヌの直感が男の尋常ならぬ剣の実力を伝えてきて、銀の仮面の下でクスリと笑った。
「仮面をつけているからはっきりとはわからないけど、今笑った?」
そういいつも、男の形のよい薄い唇も弧を描きながら笑う。
クリスティーヌ同様、男もクリスティーヌの実力に薄々気づいているのかもしれない。
「えぇ、あなたのいう通り、わたしは戦う前で不謹慎ですが、笑ってしまいました」
「俺もですよ。強者と戦えるとなるとどうしても身体の興奮が抑えきれなくて」
笑いながら男は剣を構える。
その剣筋には一切のブレが見えず、鋭い視線がクリスティーヌを射抜く。
つくづく自分は戦闘狂だな、と思っているクリスティーヌも、久々に本気で挑もうと思い剣を構える。
「二人とも準備ができたか? では、始め!!」
審判の開始宣言と共に、クリスティーヌは跳躍して男に剣を振り落とし、すぐに横払いで斬りつける。
その速い横払いにも男は剣で弾き対処し、どうしてもできてしまう仮面の死角に入るようにステップを踏んで斬りつけてくる。
辛うじて避けながら、クリスティーヌは楽しいと思う反面、男に恐怖と興味がわいた。
━━予想以上に速いし一撃も重い
剣で流すようにして一撃一撃弾くものの、衝撃が重くて手が震える。
ひやりとする攻撃もあり焦りの色がみえるクリスティーヌと逆に男は試合を楽しんでいるがわかった。
「くっ?!」
余裕のなさからか出来てしまった隙をつかれ、顔の死角から突き出された剣をクリスティーヌは紙一重で避ける。
そして一度冷静になるために素早くステップを踏んで距離をとった。
追撃しようと思えばできるのに、余裕にも男は、クリスティーヌの様子を微笑みを浮かべて見てくる。
━━くっ、わたしが苦戦するなんて
クリスティーヌは今までの闘いでこれほど仮面が邪魔だと感じたことがなかった。この男相手だと死角を作る邪魔ものになってしかたがないのだ。
力を出し切って負けるなら良いが、それ以外で負けるのは納得がいかないクリスティーヌは決意した。
この邪魔な仮面を外そう、と。
「次から仮面を外す。もしわたしが女だったら手を抜くか?」
しかし、それで手を抜かれたら元もないので、不安そうにクリスティーヌが聞くと、男は驚くものの笑った。
「仮面をつけているのは、顔に傷があるのを隠すものだと思っていたが、性別を隠すためだったのか。俺は女性の騎士を何人も知っている。心配するな、決して手は抜かない」
クリスティーヌは、男の言葉を聞き、安心して仮面をつけていた後頭部の紐を解いた。
「っ?!」
カランという音を立てて仮面が落ち、視界いっぱいに光が入る。周りから息を飲む声が聞こえてくるので、クリスティーヌが女であったことに相当驚いているのだろう。
視線をずらして男を見ると、予想外すぎてビックリしたのか、男の顔も赤面していた。
しかし手は抜かないと言ってくれたのだ、クリスティーヌは嬉々として剣を構えるが、男は剣を地面に突き立てて悶絶していた。
「く、クリスティーヌ?! 太陽みたいな金髪だなぁ、とは思ってたけど、まさかの本人!?」
「お、おい!! まだ勝負はついていない! 剣を握れ!!」
「俺は、こんなところで君とは勝負なんて出来ない」
「何を意味のわからないことを。お前が剣を握らないとしても、わたしは闘う!!」
クリスティーヌは、一人自分の世界に入る男に向かって、距離を詰める。
下を向いてクリスティーヌを見ない男ほど絶好のチャンスはない、と剣を振り落とした。
「なっ?!」
男にはクリスティーヌの剣が絶対に見えていなかったはずだった。
それなのに、男は神業ともいえる速さで地から剣抜き、振り落とされるクリスティーヌの剣にぶつけて、軌道をそらした。
完全に油断したクリスティーヌの手から剣が抜ける。
「きゃっ!」
「ぐはっ?!」
クリスティーヌは、走った勢いがあり過ぎてその場にとどまることが出来ず、男に突っ込んで一緒に倒れてしまった。
倒れるとき咄嗟に目を瞑ってしまったのだが、男に触れたとき、細いと思っていた身体が思っていた以上に鍛え上げられていて感心してしまった。
だが、次の瞬間、唇に柔らかいものが掠るようにふれた。
「っ!?」
クリスティーヌは男の上から咄嗟に飛び上がって、くちびるに手を当てる。
━━いまのは、唇っ?!
男も自分の唇に手を当てて、呆然とクリスティーヌを見上げている。
二人して唇に手を当てていることが意味するのは、一つの事実しかなかった。
「わ、わたしの唇がーーっ!!」
クリスティーヌは剣に関することなら異性の前でも堂々となれるのだが、色恋沙汰には初心である。
異性の唇が触れしまった事実にクリスティーヌは恥ずかしさを抑えきれず、練習場を逃げ出した。
◆◇◇◆◇◇◆
「退席してもよいですか?」
「………何度も聞かされたが却下だ、クリスティーヌ」
「そうですか………はぁ」
クリスティーヌは、父が開いたパーティーの主催者側として参加していた。
本当は、昼間の出来事が原因で出席を断るつもりであった。
どうしてもあの男に似ている異性を見ると、唇の感触を思いだして恥ずかしくなるからだ。
掠るようなキスとは言えど、クリスティーヌにとっては初めてのことで、事件としてなかったことには出来なかった。
なのに何度言っても父からは、欠席と退席の許しが貰えず、クリスティーヌは肩を落とした。
そして、父に挨拶しにくる人々の相手をしていた。
淡い色のドレスを着て、ただ突っ立っていると、視界の端に一台のピアノが見えた。
弾くのに集中したら、思い出しそうなる感触を忘れると思ってのことだった。
「あの、父上。あとでピアノを弾いても良いですか?」
「よいぞ、準備をさせておこう。好きなだけ弾け。だから、いつも通り笑っていろ」
「ありがとうございます、父上」
父に言われ、そんなに酷い顔しているのか、クリスティーヌは鏡を見たくなった。
直接見たわけではないが、こちらに近づいてくる気配に気付いて、クリスティーヌは父に言われたとおり、ぎこちなくだが、笑みを浮かべた。
「将軍、今回はお招き頂きありがとうございます」
「おぉ、ジークス宰相ではないか。楽しんでおるか?」
挨拶をしにきたのだろうか、一人の美丈夫が父に声をかけた。黒髪で優しい黒目だったからか、クリスティーヌの心臓がはねた。
「えぇ、楽しんでおります。それより、後ろにいるのは将軍の愛娘ですか?」
「あぁ、自慢の娘だ。クリスティーヌ、ジークス宰相だ。挨拶を」
「クリスティーヌ・サンドリアです。ジークス宰相殿。以後お見知り置きを」
クリスティーヌは父に言われて、スカートの裾を掴み宰相に挨拶をする。洗練されたクリスティーヌの動作に、ジークス宰相から感嘆の声がでた。
「ほぉ、これは麗しいお嬢さんだ。ぜひ、我が息子に紹介したいな」
「っ?! ゴホッゴホッ」
ニコリと笑ってくれて、優しい人だなぁ、と油断していた。
クリスティーヌはあとに続いた宰相の言葉に、何か食べているわけでもないのに咳がでた。
━━油断したわ。この宰相見た目に反して、ものすごくやり手なの?
クリスティーヌの剣の強さは社交界でも有名で、宰相のように今まで息子を紹介したいとは直に言われたことがなかった。
どんなことを言われたって、平然と返していく自信があった。それなのにこの宰相は、その自信を木っ端微塵にするんじゃないかと恐怖を感じた。
「大丈夫か、クリスティーヌ。ジークス宰相、あまり娘を揶揄うでない」
「いやー、あまりに綺麗なので、是非息子に紹介したくなりましてね。ついつい言葉が出てしまいましたよ」
父と宰相が、和かに笑いながら言葉を交わしているが、クリスティーヌは笑える状況ではなかった。
「そうか。しかし、私も気になるな。話を聞けば、お主の息子はとても剣の腕がたつらしいな」
「えぇ、ある時期から猛烈に剣の鍛錬をし始めましてね。宰相を譲るつもりいたのですが、王族の近衛にまでなってしまいましたよ。それに、忙しいと言って、良縁も断る大変困った息子です」
「ハハハハーー。私の娘と同じだ。娘も『自分より強い男性としか結婚しない』と言ってな。とは言っても、今年で十七歳、今後が心配でたまらない」
「それなら、是非、我が息子も候補に。我が息子ながら容姿端麗、頭もよいし、剣の腕は保証する。お嬢さんが気に入らないなら、別にほっとけばよい。ほら、ちょうどあそこに、我が息子が………ウィリアム!!」
宰相は近くにいた息子を呼び寄せた。クリスティーヌは勝手に進められていく自分の婚約話に頭を悩ませた。
「息子のウィリアム・ジークスだ。ウィリアム、将軍と、娘さんのクリスティーヌだ」
「久しぶりでございます。ウィリアム・ジークスです」
「ほぉ、これはいい男ではないか」
父が珍しく男を褒めたので、クリスティーヌは宰相の息子に目を向けた。そこには、クリスティーヌより頭一つ身長が高く、宰相と同じ黒髪に黒目の青年が笑みを浮かべて立っていた。
「なっ!」
クリスティーヌは驚愕の声を上げだ。そこにいたのは、昼間の男だったのだ。
目を見開いていると、タイミングよく曲が流れ始め、会場の真ん中で若い異性がワルツを踊り始める。
「曲が始まりましたね。一緒に踊りませんか? 将軍、娘さんを借りますね」
「あぁ、若い者同士、楽しんでまいれ。ただ一曲だけで頼むぞ。クリスティーヌはこれからピアノを弾きたいそうだ」
父は明らかにウィリアムを気に入った様子であった。今まであってきた異性には、殺気を立たせて追い払っていたのにウィリアムには笑みを浮かべるだけだった。
「ありがとうございます、将軍。
ではお手を」
「よ、よろしくお願いします」
ウィリアムに手を差し出され、クリスティーヌは自分の手を重ねた。
誘われれば、一緒に踊るが礼儀であるし、宰相がいる手前、断るのは躊躇われた。
人々の間をするすると避けて、真ん中にくると、ウィリアムのリードに合わせて、クリスティーヌはてステップを踏む。
ワルツなんて最近踊っておらず所々忘れていたが、徐々に思い出し、余裕が出てくる。
視線を感じてウィリアムの方を見ると、彼は嬉しそうにクリスティーヌを見ていた。
「………っ?!」
ウィリアムの笑顔は、今まで恋をしてこなかったクリスティーヌを、一瞬で恋に落としてしまうのに造作もなかった。
音楽が終わり、ウィリアムはクリスティーヌの手を取る。
ウィリアムが手袋越しにキスをする真似をすれば、クリスティーヌは顔が赤くなるのを感じた。
クリスティーヌとウィリアムが踊る姿は、かなり目立っていたようで、ウィリアムがキスをしてきたとき、周りから声が上がった。
「私はピアノを弾きに父の元に戻ります」
「えぇ、演奏を楽しみしていますね」
二人が離れると、異性からワルツを申し込まれる。
クリスティーヌはピアノを弾くため断るが、ウィリアムは若い少女とダンスをするようであった。
━━ピアノを弾くなんて言わなきゃよかった。そしたら、まだ彼と踊れたかもしれなかったのに………
クリスティーヌは、ウィリアムを囲む女性に嫉妬をした。
父に連れられ、ピアノの椅子に座るが、ウィリアムの方が気になって仕方がない。
サッと会場を見回したとき、二曲目のワルツが終わり、踊った少女と談笑するウィリアムが見えて、クリスティーヌの嫉妬と彼に対する怒りが膨れ上がった。
目の前の楽譜には、ゆったりとしたメロディーが綴られているが、弾く気になれず、クリスティーヌが選んだのは激しい旋律のものだった。
一つの音すらも間違えず弾く姿は、クリスティーヌの見た目に反し、情熱的な女性に見えるのだろう。
しかし実際、クリスティーヌは嫉妬にかられて弾く女性であった。
弾き終われば、会場の端から大歓声が起きおこり、予定していた曲とは違う激しい曲に驚いたも父は嬉しそうにしていた。
クリスティーヌは女性に囲まれるウィリアムと目が合ったので、ひと睨みしてテラスに出た。
睨まれたウィリアムは、笑顔から焦りを見せて、クリスティーヌに近づいて来ようとするが、若い女性に囲まれて身動きが取れないようであった。
クリスティーヌは気にせず、テラスの階段をおりて、庭園の方へ歩く。
クリスティーヌの家の庭園は、季節毎に数種類の花が咲き誇り、月光に照らされれば幻想的であった。
「はぁはぁ、やっと見つけた。少し暗くて、君がどこにいるのか分からなかった」
「………」
走ってきたのだろうか、ウィリアムの息は乱れていた。しかし、まだ怒りが収まらなくて、クリスティーヌは何も話さなかった。
「ねぇ、クリスティーヌ、俺を見たときピアノの旋律が変わったけど、どうして。もしかして嫉妬でもした?」
「っ?!」
クリスティーヌは、彼に何を言われても黙っているつもりだった。しかし、唇に微笑みを浮かべて確信をついてくるウィリアムに、何も言わないなんて出来なかった。
「あなたは、わたしを笑いにきたのですか?」
「否定をしないんだね」
否定したところで、彼には誤魔化せないと思った。
クリスティーヌが黙ると、ウィリアムは逆に話しかけてくる。
「クリスティーヌ、君が五歳のとき、ここで俺と会ったのを覚えてる?」
「………」
これ以上は何も答えないと口を噤んでいたが、顔の表情やちょっとした動作から彼はクリスティーヌの気持ちを推測してしまう。
「うーん、覚えてないかな? まだ君は五歳だったからね。でも、その時から君は強かった」
彼はそう言うと、庭園の真ん中にある金木犀の木の元まで行くと、そっと指を指した。
「この傷跡はね、俺が初めて君に剣を飛ばされたときに刺さった跡だ。小さくて可愛い女の子にいきなり剣を飛ばされたから、ビックリしたんだ」
クリスティーヌも彼の指差した跡を見て、小さい頃の記憶の中に、確かに少年と剣をここで交わしたのを朧げに思い出した。
「あのときから、俺は君に一目惚れだった。将来結婚して欲しくて、膝まづいて、君に愛を語ったんだよ。そしたら、君は間いれないで、弱い男は嫌いだって言ったよ」
「っ?!」
クリスティーヌは確かに思い出した。誕生日を祝ってくれるのは嬉しかったが、つまらなくて、ここで剣を振るっていた。
同様につまらなかったのか、一人の青年がいたので、剣の相手をして貰ったのだ。
一瞬で勝負がつくほど弱いのに、クリスティーヌに婚約を申し込んできたから、『弱い人は嫌いです。わたしは、自分より強い人としか結婚しません』と言ったのを、完全に思い出した。
「あ、あなたが、弱かったあの青年なの?」
「そうだよ」
ウィリアムは驚くクリスティーヌにゆっくりと近付くと、微笑みを浮かべていた顔は真剣な表情になっていた。
「君に婚約を申し込むために、俺は強くなった」
ウィリアムはしゃがみ込み、片膝を立てて、胸に手を置く。
「クリスティーヌ・サンドリア。
俺と真剣に勝負して貰えますか?」
真剣な顔で言われ、クリスティーヌは声を失った。
彼は昼間、クリスティーヌに勝てるところまで言ったのに、挑もうとしなかった。
もしかしたら、真剣にクリスティーヌと勝負をするつもりであったから、あの場で戦えないと言ったのかもしれない。
彼の真剣な気持ちに、クリスティーヌは涙が頰を流れた。
「………えぇ、喜んで承りますわ。
ウィリアム・ジークス」
クリスティーヌは、ウィリアムに真剣な目を返して言った。
これから真剣に戦ったとしても、クリスティーヌはウィリアムに絶対に負けるだろう。
負けず嫌いなクリスティーヌであるけれど、彼に負けるなら幸せだ、と心から思った。
今回は武闘派令嬢の話を作ってみました!
また、11/26の午後1時ほどに男性の視点の物語を投稿しました。二人の出会いから始まっておりますので、楽しんで読んで頂ければ幸いです。
ちなみに『かつて幼女に負けた俺は最強になって求婚す』が題名です。シリーズ化しておきましたので、気になる方はどうぞ<(_ _*)>