003
十分後。対象の姿を確認した俺は、なるべく平静を装って二人の下に戻った。
「ど、どうしたんすか、勇誠さん!」
「もしかして、怪我でもしたんですか?」
全くの無意味だったポーカーフェイスを維持して、俺は首を横に振る。
「やっぱり、簡単な授業みたいだ。敵は脆そうだし、動きも遅い。既に七体見つけた」
「いやいやいや。その表情で説得力がないっすよ! 一体、どんな化物っすか!」
「噛みついたり、おそそ襲って来たりしないですね」
「取り敢えず、荷物を置いてついてこい。武器も忘れるな」
二人は深刻そうな表情で頷き、対象の元へとゆっくりと進み始めた俺の後をゆっくりとついて来る。一番近いのは、あっちの木か。
密集した木々のせいで思うように移動ができない。が、移動自体はさして体力を使うこともない。足元の苔で滑らないように気を付けるだけでいい。
そして、俺は何匹目かもわからない今回の討伐対象を視界に納める。思わず、目をそむけたくなるが我慢だ。
「ほら、あの木の上の方を良く見て見ろ」
指を指すだけでもかなり恐ろしく、冒涜的な気分になって来る。嗚呼。鳥肌が浮き出ているのがわかる。
俺の態度から二人はかなりの引け腰で、互いに互いの肩の辺りを握り締めなている。これが野郎同士だと気持ち悪いが、可愛い女の子同士だと、どうして心がこんなにもほっこりとするんだろうか。
「どれっすか――ひぃ!」
と、葵の小さな悲鳴で俺は現実に連れ戻される。
「な! な! な! 何すか! アレ!」
裏返った声で、泣きそうな瞳で、噛みつくように葵が叫んだ。気持ちは、わかる。
「俺に聞くなや」
兎に角、あの不気味さをなんて説明すればいいのだろうか?
かなりマイルドに説明するならば、脂ぎったおっさんの顔である。女子中学生と同じくらいのサイズのおっさんの顔から、八本の腕のような足が左右不平等に飛び出しているのを想像して欲しい。もう、正に、そんな感じの奴が、太い樹木に張り付いているのだ。
昆虫、なのだろうか? 頭頂部に当たる部分には人の顔程の大きさの黒い物体が飛び出しており、触覚のような物も見える。そちらは感情を感じさえない大きな複眼が二つついていて、その対比が不気味だ。まあ、それでなくても不気味なのだが。
現世でも人の顔のように見える模様を持った虫と言うのは聞いたことがあるが、そういうレベルではない。縮尺がおかしくなければ、普通に人の顔だと思ってしまうだろう。
いや、無理か。ビジュアル的にキモイ。生理的に無理ってやつだ。
その姿は悪夢である。
が、今回の授業内容を考えれば、確かに適役なのかもしれない。あんな大きなおっさんを殺すことが出来るのであれば、大抵の嫌悪感と戦うことが可能だろう。まだ、子犬を殺せと命令された方が百倍は楽だ。漫画とかで両親や大切な人の姿を纏って敵が登場することがあるが、それと同じくらい忌避感があると言っても大袈裟ではないだろう。
あんなのに近づきたくねーよ。誰がデザインしたんだよ。
「キモイ! キモイ!キモイ! 勇誠さん! 私無理! あんなのに触れない!」
「別に触る必要はねーよ。キスして来いって授業じゃあない。アイツの首を九つ集めるだけ…………おぉう」
が、そう言うわけにもいかない。討伐の証明として、頭部を持ってこいと俺達は言われているのだ。これが本職の探索者であれば、指定の倉庫に異界の物を飛ばすことができるアイテムもあるのだが、俺達にそんな便利な物はない。どうにかしてあの気持ちの悪い頭を持ち運ばなくてはならない。
鬼か。
「考えるのは後だ。考えて動けなくなるくらいなら、何も考えるな、葵、紅蓮」
なんだか少年漫画の様なことを言いながら、俺は改めて二人に作戦を伝える。
「紅蓮が撃ち落とす、俺と葵で止めを刺す。首は俺が切断してやる。リュックに入れる役も俺がやる。学校までも俺がリュックを背負おう。だから、やろう」
完全に俺だけが割を喰っているが、まあ、仕方がない。後から『勇誠さんは女の子にあの害虫の首を持たせて自分は何もしなかった』なんて言われたら男が廃る。って言うか、普通に恰好悪い。まあ、やったらやったで引かれるような気がしないでもないけど。
「そ、そうっすね。別に恐れることはないっす! あ! でも、首は本当にお願いするっすよ! 尊敬していますからね! 勇誠さん!」
良し! 退路は断たれた! 後は進むだけだ。
「それに、頼りにしてるよ! 紅蓮!」
「ああ。紅蓮、マジで頼むぜ!」
誰か、俺の手を握ってくれないかな。情けないことを思いながら、我らが主砲、紅蓮に最初の一撃を頼む。
が、返事はない。
「きゅう」
何故ならば、紅蓮は立ったまま気絶していた。綺麗な顔しているだろ? 気絶しているんだぜ、こいつ。
「ぐれーん! なんか、口から魂出そうな表情してる!」
「SUN値ピンチじゃん!」
動けなくなるくらいなら考えるなとは言ったが、動けなくも考えられなくもなるな、なんて言った覚えはない。が、愚痴を言っても仕方がないだろう。俺だって、気絶できるなら気絶したい。その繊細さを譲って欲しい。そう言えば、運動会の時とか、貧血で良く倒れる中村君に憧れていたなぁ。
馬鹿なことを考えながら、俺は次の一手を考える。考えなくてはならない。
あのセクハラ油ギッシュ部長野郎を殺す方法を。
「どうするんすか! 戦闘開始前にメンバーがやられちゃったすよ!」
しかも、唯一の遠距離攻撃可能な奴がな!
熟考の末、俺は心で涙しながら新たに組み立てた作戦を葵に知らせる。
「葵。お前は紅蓮を連れて最初の場所に戻っていろ。看病してやってくれ。二時間経っても目覚めないようなら、学校に戻ろう」
「え? じゃあ、それまで勇誠さんはどうするんすか?」
どうするか? 決まってるだろ!
「一人暮らしが長いからな、慣れてんだよ害虫退治くらいよぉ!」
奴辺りのように近くの大樹を鉄棒で殴り付け、俺は一歩前進する。おっさんの顔を持った昆虫如きが人間様舐めるんじゃあない! でっかいゴキブリだと思おう。三億年前で進化が止まったような奴に、俺が負けるかよ!
「大丈夫なんすか?」
それは肉体的にと言う意味だろうか? 大丈夫。動いている奴を見たが、その巨体故に動きは凄まじく遅い。怪我するようなことはないと思う。ここは異界。現世の常識が通用しない場所だ。あれはあくまで課長フェイスがキモイだけであり、戦闘能力は薄そうだ。
精神的に大丈夫か? と言う質問なら、今の段階では何とも言えない。怪物と戦う者は、その過程で自身が怪物にならないように気を付けなくてはならないからな。何処まであの化物相手に、俺は自分を貫き通せるだろうか。
「なあに。一人で九匹倒してしまっても構わんのだろう?」
「じゃ、ご武運を!」
俺のどや顔を見ると、一瞬の躊躇いもなく戦線離脱する葵。薄情過ぎる。理不尽な怒りを抱きながら、俺は討伐対象が居座る大樹へと歩み寄って行く。頭上七メートルくらいだろうか? 普通にやっても届かないが、残念だったな(相手にとっても悲報だろうが、俺にとっても悲報だ)。
「兎脚」
跳躍力を強化する付与魔法『兎脚』。余談だが、キック力が上がることはない。あくまで兎の後ろ足の如きジャンプ力を得る魔法である。適当に助走を付けて一番背の低い枝の上に跳び移り、忍者のように樹を登って行く。
そして、ラスボスの様な迫力が滲みでる対象と隣り合う枝に辿りつく。近くで見ると、よりキモイ。つーか、でかい。一メーター半ばを超えるおっさんの顔なんて初めて見た。どういう仕組みなのか、本物の顔のように細かく動いている。甲殻の模様と言うわけではなく、脂ぎったおっさんの顔から昆虫の顔が生えていると言った方が正確そうだ。因みに、後頭部と言うか、腹側と言うか、樹に面している方は断崖絶壁となっており、黒々とした繊毛がびっちりと生え揃っていた。
俺の語彙が貧相だとそろそろ疑われるかもしれないが、キモイ。この気持ち悪さを表現する語彙が俺にないのが残念だ。何の為に四年間も大学に通っていたんだろか?周囲にはヘルシーそうな食べ物しかないのに、なんでこんなに脂ぎった肌をしてるんだよ。
しかし、本当に気持ち悪い。さっきから気持ち悪いとしか考えていない気がするが、本当に気持ち悪いのだ。ここまで近づくと、葵も気絶していたかもしれない。
天敵がいないからか、それとも好奇心があるのか、討伐対象は頭頂部の複眼でじっと俺を見ている。あ、視力はそっちなのね。温度を感じさせないその視線に、言いも得ないおぞましさを覚えずにはいられない。もう、素直に気持ち悪い。全身の毛孔が開いているのがわかる。
深呼吸でもして気を落ち着かせないのだが、コイツの傍で呼吸をすること自体が憚られた。ならば、と俺は覚悟を決めた。両手で鉄棒を握り締める。不安定な足場なのが少し心配だが、別に失敗しても問題ない。数だけは沢山いるのだ。まずは最初の一匹を叩いて情報を集めよう。
そして、俺は鉄棒を振り上げて、野球のバットの如く鉄棒を振り抜いた。
ぐしゃ。と、意外にも簡単にその身体を破壊することが出来た。昆虫の外骨格だから堅いと思っていたが、そうでもなかった。本当にゴキブリのような脆さだ。一撃で、奴の身体は真っ二つ。白色をした体液を噴き出しながら、下半分だけが落ちて行く。地面に落ちると、その衝撃で肉片と体液が飛び散った。上半分はかろうじて日本の肢で樹にしがみついているが、残った三本は狂ったように動き、まるでダンスのようだ。触手もやはり狂気乱舞し、苔を食んでいた口からは僅かに悲鳴が聴こえる。
「イタァ。イタァ」
はは。痛いって泣き叫んでいるように聴こえる。気のせいだ。文化が違えば言語も違う。
俺は心を殺し、樹にしがみつく腕の一本を鉄棒で叩き負った。はち切れそうだった脚は、ぶちりと千切れ、本体が遂に地面に落ちた。まだ生きているのか、肉体的な反射なのか、残った肢と触覚が不規則に動いている。
俺はそこから少し離れた位置に着地し、肢に当たらないように気を付けて、一本一本の脚を叩き折って行く。丸坊主になった化物は、それでも最後の抵抗と口を必死に動かし、何かを訴えているようだった。
その顔を蹴飛ばし、口を破壊する。後は、頭を他の部位から切り離さないとな。サッカーボール程の大きさの頭を左足で踏みつけて固定し、頭と胴体の接続部に鉄棒を入れる。結構な抵抗が合ったが、腕力強化の付与魔法『熊腕』で強引に押し通す。入ってしまったのなら、後はこちらの物だ。缶切りのように鉄棒を動かして、首をもぎ取る。
首だけになっても、この生物は生きていられるようで、半壊した口元が何度も何度も動いていた。
俺はその姿に鉄棒を落とすと、その場で天を仰いで、泣いた。ついでに吐いた。嘔吐物と、おっさん虫野郎の体液が混ざる。酸っぱい物が更に込み上げて来て、溜まらずに吐き出す。
そんなことを三回は繰り返した。
この涙の意味はなんだろうか?
何に対して泣いているのだろうか?
最後に泣いたのは何時だっただろうか?
こうやって、少年は大人になって行くんだろうか?
たっぷり、五分は泣いた。白くべとつく体液塗れで、俺は声を殺して泣いた。
もう、本当に、俺はなにをやってるんだろ。




