天敵共に囲まれて
チャイムが放課後を告げた生徒会室。
校舎の隅にひっそりと存在するこの教室、三年生でも場所を知らない生徒が多い。それほど、一般の生徒は生徒会室に足を運ばない。なぜだろうか。答えは簡単。用が、ないのだ。
教室の隅には文化祭や体育祭で使われた紙の花や入場門だったものの残骸などが積み上げられ、到底生徒会室とは言い難い。倉庫、と言った方が相応しいような気もしてくる。
しかし埃っぽさは少なく、床の上にはゴミ一つ見当たらない。それはひとえに、潔癖症気味な副会長による日頃の清掃の賜物である。当の本人は、黒板の水拭きに勤しんでいる。
「今年の奴らどんなかねぇ」
壊れかけの椅子でくる、と回って、私はそっちを見た。黒板から振り返った潔癖の副長こと丹羽要君の、少し癖のついた茶髪がぷわんと揺れた。ムカつく。坊主にしろ。
どうなんだろうねー、とオウムのように疑問を疑問で返してくる。明確な答えが返ってくることを期待していたわけでもないので、その点は問題ない。持て余した右足をぶんとしなりをつけて振ると、壊れかけの椅子は嫌な音をたてて軋みながら、二回転目に突入した。
「ていうか上代新って子は男子なの? 女子なの?」
「知らんがな。私読んだだけ。でもやっぱ一人は女子欲しいね」
「そうだね、ちゃんとした女の子が一人は欲しいところだよね」
「もしかして喧嘩売ってます?」
「滅相もない」
忘れてはならない。爽やかな丹羽スマイルの裏には、どこまでも続く暗黒の闇のような思考が潜んでいるということを。私はそれ以上の追求を諦め、曖昧にへらりと笑って会話を終わらせた。
放課後の清掃も終わり。そろそろ一年坊主が顔を覗かせても良い頃だ。生徒会室のドアを見つめつつ、右手でペンを回す。ペン回しはいつまで経ってもできないままで、案の定ペンは手から離れて床に落下し、かしゃんと乾いた音をたてた。
と、次の瞬間、立て付けの悪いドアが、がたんと揺れた。
「おぉ、動かない」
その声は中性的で、それだけで性別を確定することはできない。丹羽が黒板消しを置いて、がたがたと鳴るドアに駆け寄る。
「ごめんごめん、開けるから待ってて」
去年一年間毎日毎日開けてきたドアだ。丹羽は慣れた手つきで難無くそれを引いた。
「……あ、女の子だ」
丹羽の言葉通り、そこ立っていたのは女子だった。まだ身体に馴染んでいない新品の制服と緑色の上履きで、一年生であることを確認。毛先がくるんと控えめにカールしたポニーテールが、春の強い風に吹かれて少し揺れていた。きゅっと目尻の上がった猫目が印象的で、なかなか端正な容姿の子だと、思った。
「あ、どうもです。三組の、上代っす」
その見た目と何と無くマッチしない、中性的な声と体育会系な喋り方に少しの違和感をおぼえた。カワイイ顔してんだからもっとお上品に喋れないのかしら、この子ったら。とはいえ、私が言えることでは、ない。
「はいはいはい。俺は丹羽要です。副長やってます。ま、とりあえず、入ってなよ。まだ他の二人来てないから」
人の良い微笑を浮かべて、丹羽が上代を生徒会室の中へ招き入れた。上代に緊張した様子は見受けられない。軽く会釈をして、生徒会室に足を踏み入れる。丹羽に促されて適当な椅子に座り、目にかかった前髪をよけるように少し勢いをつけてぱ、と顔を上げた。その様子をじっと見ていた私と、そこで初めて視線がかち合った。
ぱちくり。やけにゆっくりとした瞬きをひとつ。多分、私も同じ動作してんだけど。
「あらま、変な会長さんだ」
「そうです、私が変な会長さんです。いや変なは余計だ」
某おじさんみたいな返事返しちゃったじゃないか。私がノったみたいになったじゃないか。いやノったんだけどね。でもなんか悔しいよね、わかる?
「一発で八重の本質を見抜くとは……上代ちゃん、将来有望だね」
「丹羽さん喧嘩の押し売りですか」
「滅相もない、叩き売りです」
「バナナか」
のんびりと返し笑う丹羽は、やはりというべきか、いつまで経っても要注意人物リストから外れてくれない。どうしたって勝てない相手がいるということを、こいつは私に教えてくれた。
上代は私たちのやり取りを聞いていたに違いないものの、その表情にさしたる変化はない。というか、表情が無い。能面のように眉一つ動かない。その代わり、それに気づいた私が少し眉を寄せることになった。
顔を見ていたはずなのに、上代が私を見つめていることに気がつかなかった。ふと意識を戻した時にばっちり合った視線でそのことを理解した。
学校規定の紺色のハイソックスに包まれた無駄な肉の一切ついていない足を適当に揃え、手は並んだ膝の上でスカートの裾を軽く握り込んでいる。少し前傾した姿勢で、じっと不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。色素の薄い瞳が、がっちりと私を捉える。
「……何?」
「なんで会長さんは会長さんなんですか」
変な質問を無表情のままして、上代はじっと私の目を見つめた。すまん、意味がわからん、と素直に目線で問いかけると、上代はそれを敏感に察知して再び言葉を紡いだ。
「なんか責任感とかありそうにはみえないんすけど」
初っ端から言うね、この子。
なんてことを考えはしても、私は口に出さない。いや出せない。なぜなら、私は本当に責任感がないからだ。上代の背後、私の視界の隅で、丹羽が笑っている。その人を見下すようないやぁな笑い方は、決して外では出ない。だってあいつ猫かぶりだもん。
つまり私は、ナメられている。確実に。
とりあえず、さっきの変な質問の答えは、とりあえず、適当に笑ってごまかすことにしておこうか。
「ま、君もおいおいわかるさ」
「そっすか」
相変わらず、納得したのか適当に頷いただけなのか、その無機質な表情からは全くわからない。
末恐ろしい奴だ、上代新。私の無責任さ、つまりーー丹羽の言葉を借りるようで非常に、ひっじょおおおに不本意だがーー本質を、会って一分もかからず見抜いてしまうとは。そしてその心情を一切こちら側に気取らせないとは! 強敵、再び現ると言ったところだろうか。
思わず溜息を吐いた。なんだかこう……先が思いやられる。ひとまず私は、さっき床に落としたペンを拾うために椅子を半回転させた。