6話 旅立ち
翌朝、まだ日が昇る前にノルはサミューに叩き起こされた。しょぼしょぼする目をこすりながら口を尖らせる。
「ふわぁ〜。……こんなに早くなくっても」
「一分一秒が惜しい。早起きは三文の得と言うだろう?」
『やれやれ』とでも言いたげな表情で、椅子に腰掛け足を組むサミューを横目に、ノルはモゾモゾと朝食の支度を始めた。サミューはいまいちシャキッとしないノルを見て呟く。
「朝飯は馬車の上でも食べられる。時間が惜しいと言ったはずだ。さっさと支度を済ませろ」
「分かりましたよぅ」
用意していた朝食を包み、斜め掛けバッグの中にそっと入れてから、急いで着替える。サミューが指でテーブルをコツコツと叩く音に急かされているような気がした。
自身とチラの身支度を整えると、母ロエルの臙脂色のケープを羽織った。ノルにはまだ大きいそのケープからは微かに母の匂いがする。最後にもう一度トランクケースの中身を確認した。これでもう忘れ物は無いはずだ。
「準備は良いな?」
「ええ。それじゃあ、行ってきます」
誰にと言う訳でもないが、そう声をかけ鍵を閉める。家を出るとノルは母の匂いに背中を押されたような気がした。
「サミューさん、行く前に母のお墓へ挨拶しておきたいです。そんなに時間はかかりませんから」
「分かった。昨日馬車を降りた辺りで待っている」
サミューと一旦別れ、ノルとチラは墓地へ向かった。朝日に照らされる中、2人でロエルの墓に手を合わせる。
「お母さん、私たちオルゴールを直しに旅へ出るよ。見守っていてね」
それだけ言うと2人は墓地を後にし、サミューと合流してトニーとの待ち合わせ場所へ向って歩いた。
「やっぱりこんなに早く出なくても良かったんじゃ? トニーおじちゃんまだ来てないかもしれませんよ?」
チラもノルの影に隠れ、不満げにサミューを見つめ頷く。
「頼んだ俺達が遅れては申し訳が立たないだろう? それにこの先何があるか分からない。早め早めの行動が鉄則だ」
「……はーい」
木の上に止まっていた鳥たちが、突然通りかかった人に驚いたかのように飛び立って行く。その様子を見ながら歩いていたノルは、木の根に躓き転びそうになる。サミューはノルの襟首と財布を両手で同時に掴んだ。
「ほら。きちんと仕舞って、バッグの口は閉じておけ」
「ありがとうございます」
「貸せ、荷物を持ってやろう。また転ばれても堪らないからな」
「ありがとうございますー」
余計なひと言に愛想笑いを浮かべつつ、トランクをサミューへ預け、財布をバッグへ入れようとした。
「あっ、待って〜」
財布からコインが1枚落ち、転がってゆく。コインを追いかけ手を伸ばしたが、ノルよりも先にコインを拾った者がいた。クリクリとした目の小さい猿だ。尻尾にピンクのリボンを結んでいる。
「おサルさん、ありがとうね」
ノルは猿からコインを受け取ろうとしたが、その猿は小首を傾げながらもコインをガッチリと掴んで離さない。
「あれっ、何でっ? お願い返して、これは私のなの」
ノルと猿がにらめっこをしていると茂みが揺れ、男が飛び出して来た。
「ダメだよ〜ブラウン…… ゲッ!」
スミスだ。ブラウンを必死で追いかけていたためか、3人に気付いていなかったらしい。明らかに狼狽えた様子を見せる。
そしてスミスに続くかのように、更に2人の商人風な格好をした男達もわらわらと出て来た。全員場所は違えどピンクのスカーフを身につけている。ノルの後ろでサミューが大きなため息を吐いたが、ノルはそれに気づかない。
「アニッ……ア、アニマルが! オレのアニマルが失礼したっス! お嬢さん」
スミスはサミューとノルを交互に見ながら、冷や汗をかき、しどろもどろに言う。その明らかに怪しい様子と、首に巻かれたピンク色のスカーフを見てノルは以前、馬車で聞いた話を思い出した。
「あーっ! もしかしてあなた達が噂になってる盗賊? 怪しいと思ってたの!」
指をさすノルに男たちは目を吊り上げる。
「違ーう!! オレ達は盗賊じゃなくって義賊っス! ぎ・ぞ・く!! そこだけは間違えないでほしいっスね!」
ぷりぷりするスミスを見ながらサミューは、ノルとチラを遠ざけようと手を振る。
「ここは俺に任せろ。お前達は先に待ち合わせの場所へ行っていてくれ」
「いいえ、こう見えて私も戦えるんですよ!」
ノルはスッとかんざしを抜き取る。その横ではいつのまにかチラが肩に、猿のブラウンを乗せていた。
「ウキッ!」
「ありがとね、おちゃるちゃん」
チラがブラウンからコインを受け取る。周りの目がチラとブラウンに向いている間にノルはかんざしを横笛に変え、子守唄を演奏した。辺りに幻想的だが眠気を誘う不思議な旋律が響く。あっという間に男達は眠ってしまった。
ノルは再びかんざしで髪を結い上げると、いびきをかく男を1人木のそばへ引きずって行く。
「……何をしている?」
サミューが恐る恐る尋ねる。ノルは男達を木に括りつけながら答えた。
「逃げられないようにするんです。サミューさん、冒険者でしょ? やっぱり盗賊達を放っておくなんて出来ませんよね?」
「わ、分かった。しかし、コイツらは義賊だと言っていたぞ?」
今は冒険者を辞めているとは口が裂けても言えない。ノルの手際の良さに内心ドギマギしたサミューだった。
♢♦︎♢
ノルはファディックへ向かう馬車に揺られながら鼻歌を歌う。馬車を引く馬の息遣いに足音、干し草の匂い、ゴトゴトと揺れる馬車の上から見る青い空に浮かんだ白い雲。それらひとつひとつが旅に出たという高揚感になっている。
「ねえねえ、おじちゃん。これから向かうファディックってどんな場所なの?」
「農業で栄えた場所でね、牧歌的な風景と石造りの家が見どころかな。のんびりした雰囲気のいい所だよ。オレンジ畑がいっぱいあって、ちょうど今の時期が旬だったはず」
「お隣の地区でも雰囲気は随分違うのね。他の街も見るのが楽しみになってきたな~。あっ、おじちゃんもサンドウィッチ要る?」
ノルはバッグからサンドウィッチを取り出し周りの面々に配る。それからしばらく周りの景色をおかずに朝食を食べたのだった。
サナリスの森の横を通り抜け、野原を過ぎると、林が多くなってくる。朝食を食べ終わり、馬車の揺れの心地よさでノルとチラがうつらうつらしているときに突然それは起こった。
ドゴォーーーン!!
馬車の横側に強い衝撃が走る。あまりの揺れにノルの体はフワッと浮き上がったくらいだ。サミューがノルとチラを捕まえ、干し草の山を被せる。
突然の事に驚きながら干し草からそっと顔を出すと、衝撃のあった右側の車輪が半壊している様子が見えた。そのせいで馬車が大きく傾いている。
「ガル……ガルルッ! ……ヴゥゥゥゥ」
鼻面に皺を寄せ、涎を垂らしながら唸り声をあげる狼のような生き物に馬車は囲まれていた。 10頭程はいるだろうか。
焦点が合わない、しかし害意でギラついた目を見てノルは悲鳴を上げそうになる。サミューが素早くノルとチラの口を塞ぎながら鋭い声で注意した。
「甲高い声を出すな! 魔物だ。奴らは弱い者から狙う習性がある。トニーさんも干し草の山に隠れてください!」
馬の悲鳴のような嘶きが響き渡る中、魔物はかなり興奮した様子を見せる。初めて見る魔物の異質な姿にノルは縮み上がっていた。
黒いモヤに体を覆われ、興奮しながらもどこか苦しそうな様子がことさら見る者に恐怖を植え付ける。体を低く構え唸り声をあげながら、ジリジリ馬車との距離を詰めて来ており、今にも飛び掛かって来そうだ。
トニーが干し草の影から声を潜め必死に馬をなだめるも、怯えた馬はなかなか落ち着かない。サミューは魔物から目を離すことなく、馬を宥め黙らせる。
「奴らは目に見えている存在にしか注意が向かない。そのまま隠れていろ」
しばらく剣の柄に手を掛け構えるサミューと、低い唸り声をあげる魔物の睨み合いが続いた。無言の緊張感がその場の空気を支配している。
先に均衡を破ったのは魔物だ。
大きく吠えながら馬車に飛びついた。すぐにサミューが馬車の外へ蹴り飛ばす。間髪入れずサミューの足に噛みつこうと襲いかかって来た別の魔物の牙を剣の鞘で受け止め、そのままグッと押し込んだ。
「……ガッ!」
魔物が怯む。しかしそれも一瞬の事だった。剣を咥え顎に力を加えながらサミューを見据える。まるでニタリと笑っているようにも見えた。
「どうした、やれるものならやってみろ。お前如きに折られるほどその剣は柔ではないっ!」
ノルからサミューの顔は見えないが、その声は相手を挑発し、己を鼓舞するようにも聞こえた。サミューは大きく足を振り上げ、剣を咥えた魔物の脳天に踵を落とす。
魔物の口が緩んだ隙に剣を奪い取り、素早く手首を返して、横へ迫って来ていた別の魔物の鼻面に剣の鞘で打撃を打ち込んだ。
「このままでは埒が明かないか……」
サミューは剣を抜きながらそう呟き、心を落ち着かせるようにひと呼吸を置いてから、馬車を大きく蹴って踏み切った。近くの魔物目掛けて剣を振り下ろしたが、僅かに急所を外したらしい。
手負いの魔物は大きく暴れ、サミューを弾き飛ばした。サミューは受け身を取って立ち上がり、魔物を引き連れ馬車から離れて行く。
ノルとチラとトニーは干し草の影で身を寄せ合って震えていた。ここからでは戦いの様子は見えない。トニーの馬がいつ驚いて嘶きをあげ、魔物の意識がこちらへ向くか気が気ではなかった。
外からは何かが激しくぶつかる音、サミューの気迫のこもった声、魔物の悲鳴や低い唸り声、激しく吠える声が聞こえる。
害意を剥き出しにする魔物のギラついた目や、唸り声を思い出すと身体が竦む。しかし10頭を超える魔物の群れの中へ1人で飛び込んで行ったサミューの事を考えると、気が気ではない。
「(──もう私の目の前で誰かがいなくなってしまうのは嫌! エア、お姉ちゃんに力を貸して!)」
ノルは頬を叩きエアのゴーグルを被ると、制止するトニーの声も聞かずに干し草の外へ飛び出した。
そこでノルが見た光景は、血で濡れた細長い剣の切先をピタリと魔物に向けるサミューと、4頭の魔物の姿だった。サミューもノルに気が付いたのか一瞬目を見開いたが、直ぐに何事も無かったかのように魔物へ視線を戻す。
魔物の半数近くはサミューによって倒され地面に転がっていたが、それと同時にサミューも傷を負っていた。魔物を睨み付け、間合いを取るサミューの服は引き裂かれたような箇所が目立ち、自身の血と魔物の血でベッタリと汚れている。
サミューから流れる血の匂いに、魔物は更に興奮した様子を見せていた。仲間を傷つけられても引かないこの魔物という生き物はやはり何かがおかしい。
ノルは震える手でかんざしを引き抜き、横笛に変えて口に当てた。魔物も気配でノルに気が付いたのか大きく吠え、方向転換してこちらへ突進して来る。涎を撒き散らす、ぬらぬらと光る舌や、ずらりと並んだ鋭い牙が見えた。
あまりの恐怖にノルの身が竦む。せっかくサミューが体を張って守ってくれているのに、自身の行動がそれをぶち壊した。ノルが自責の念に駆られていると、唐突に視界が曇った。
風が吹きエアのゴーグルがずり落ちたのだ。そう気付くのに時間はかからなかった。ハッと正気に戻ったノルは記憶していた母の楽譜の中から"落ち着く”を演奏する。
ノルを応援するように風が吹き、笛の音を周りへ運ぶ。魔物は優しい音色に包み込まれ、ピタリと動きを止めた。黒いモヤが魔物の身体から浮き上がり、霧散するように雲ひとつない青空へ消えて行く。まるで浄化されたようだ。
魔物の正体は黒いモヤによっておかしくなった動物だったのだ。正気を取り戻した狼は林の中へ逃げていった。だがサミューが倒した魔物を覆っていた黒いモヤは地面にゆっくりと吸い込まれてゆく。
ノルはホッとしてその場にへたり込む。気付けば指先が震え、膝が笑い全身の力が抜けていた。
「おい、どうして出て来た? 俺は隠れていろと言ったはずだが? 今回は何も無かったから良かったものの、お前の考え無しの行動は、チラやトニーさんを危ない目に遭わせる可能性があったんだぞ。その辺りの事は考えた上での行動か?」
目を吊り上げるサミューの言葉は反論の余地も無い。自分の考え無しの行動を身につまされ、ノルはずぅんと心が重くなった。
「ごめんなさい……。でもこれ以上誰かが居なくなったらと思ったら私……」
「……はぁー、俺の事を気にする必要は無い」
「あっ、待ってください」
ノルはサミューの手を引いて少し離れた場所まで来ると、“元気が出る”を演奏する。サミューの傷は完治までとは言えないが、血が止まっていた。
「な、なんなんだ、これは……?」
驚いた様子で自身の傷を見るサミューにノルは苦笑する。
「後で話しますから。それよりも傷の手当てを手伝わせてください」
「いや、結構だ。お前はチラとトニーさんの様子を見てやってくれ」
2人の所へ行くと、トニーが馬車の状態の確認をしていた。
「チラちゃん、トニーおじちゃん、怪我は無い?」
「うん! でもねノル、無茶ちたらダメなんだよ」
「ええそうね……」
「はは、チラ君に言われたら気を付けるしかないね。僕も、この子も怪我はない。ただ馬車がこんなふうになってしまっては、僕はスカベル村へ戻るしかなさそうなんだ。ノルちゃん達はこのままファディックへ向かうのかい?」
ノルとチラは頷く。
「ここからは道なりに進めば着くはずだよ。大変だろうけど頑張って」
「ありがとう」
「おじちゃん、ありがと!」
トニーは馬を撫でながら首を横に振る。
「いやいや、君たちがいなければ僕もこの子も死んでたかもしれない。お礼を言うのはこっちだよ。サミューさんに挨拶をしたら僕は帰るね」
スカベル村へ帰るトニーを見送ると、3人はファディックへの道を歩き始めた。
【See you next time!】




