2話 スカベル地区2
――ノルは最近見られている。
ある日窓の外から視線を感じたノルがそちらを見ると、黄土色のどんぐりに似た帽子を被った少年と目が合った。その子は窓に小さな手の平と頬をつけてこちらを見ている。ノルの視線に気がつくとニコッと笑い、元気に手を振りながら走り去って行った。
その後行く先で同じ子と何度も会ったが、不思議と元気が出た。その子が通った後にはノルの好きな土の香りがするからかもしれない。
今日もその香りを感じながら、例の秘密基地を目指し初夏の森を歩く。青々とした茂みを抜けると、ルリベナの木の下で幹に背中をつけてエアが待っていた。
「ごめんなさーい! 昨日の雨で道がぬかるんでてちょっと遅くなっちゃった」
月日が流れ、気付けばエアと出会ってからは2年ほど経っていた。エアは斜め上を見上げながらポケットからやや潰れた箱を取り出し、無言で突き出した。何だかソワソワしているように見える。
今日はノルの誕生日だ。
「ありがとう、開けてもいい?」
ノルが尋ねるとエアはガクガクと頷いた。
「わぁ、かんざし! 私がお母さんに憧れてるって話を覚えててくれたのね。嬉しい!」
エアが作ったのであろう、木でできた荒削りのかんざしの先では若葉色の石がキラリと光っていた。ノルはさっそくかんざしで髪を結い上げる。
「良かった、似合ってるぞ」
「本当にありがとう。そうだ、お母さんが私の好きなキノコでシチューを作ってくれるんだけど、食べていかない?」
「ご、ごめん、これから用事があるんだ!」
「えー、まあ予定があるならしょうがないけど。お母さんの料理、とっても美味しいんだよー?」
思えばエアと森の中以外で会った記憶がない。ぶつぶつ言いながら家へ向かうと、森の入り口で隣人のトニーが青ざめた顔で待っていた。そのただならぬ様子を見てノルは心をギュッと鷲掴みされたような感覚に陥る。
――ロエルが崖から落ちた。
そう聞かされた直後のノルの記憶は無い。気がつくと診療所の前で、ヒューヒューと息を切らして立っていた。どうやってここへ来たか覚えていなかったが、早く会いたいという気持ちと、見たくない怖いという気持ちが戦っていたことは、おぼろげに覚えていた。
「お母さんが待っているわよ」
診療所の前で待っていた看護師さんに促され、ノルは扉を開け中に入った。その扉は、たった今沈もうとしている夕日に照らされてオレンジ色に光っている。
診療所の1番奥にある個室へ案内された。ベッドで横たわり、首から下に布をかけられたロエル姿が目に飛び込んで来る。布に所々できた血の滲みが、今もゆっくりと広がっていく様子は、ロエルの状態を説明するかのようだ。
「――ノル」
大きな事故が有ったらしく、周りはガヤガヤしているが、ノルの耳にはロエルの声しか聞こえない。弱々しい声に涙が滲みかけたが、別れを悟ったノルは涙をグッと堪えた。
「……私はあなたに話さないといけない事があるの。大切ラミウからもらったこのオルゴールが、最期にあなたと会える時間を作ってくれたのね」
ロエルの視線の先にある壊れたオルゴールを、窓からわずかに差し込む夕焼けが照らす。ロエルはノルの手を取ると語り始めた。
それからノルが聞かされた話は衝撃的だった。
「(私が妖精の血を引いてるって、妖精っておとぎ話の中の存在じゃないの……? しかも会ったことも無いお父さんが妖精王? エアが双子の弟?)」
ラミウやエアの話をするロエルはとても幸せそうだ。その理由が理解出来ないほどノルは子供ではない。しかしそれでも、エアや会った事のないラミウの事よりも今だけは自分を見て欲しい。別れの時が確実に近付いている実感と恐怖がノルの心にまとわりついて締め付けていた。
ロエルはノルの複雑な心境を見抜いたようにノルの頭を撫でた。その力無く震える手は先ほどよりも確実に冷たくなっている。それなのにとてもあたたかく心地よいとノルは感じた。
辺りはすっかり暗くなり、窓から入り込む月明かりが部屋を優しく照らしている。
ロエルが掠れるような声で呟いた。
「あなた達の母親になれてとても幸せだった。忘れないで、私はいつでもノルとエア、それからラミウの事を近くで見守っているわ」
そう言い終えるとロエルは眠るように息を引き取ったのだった。
診療所の看護師さん曰く、ロエルはノルの好物のキノコを採りに近くの崖へ行った際に、崖崩れに巻き込まれた子供たちを庇って転落したらしい。前日に降った雨で地盤が緩んでいた事が原因の事故だった。
ロエルが身を挺して守ったためほとんどの子供は助かったが、今回の事故で子供1人とロエルが命を落とした。その行いは誰にでもできる事ではなく、とても勇敢だったらしい。あの怪我で即死ではなかったのが不思議なくらいだそうだ。
だがノルにはそんな話を頭に入れる余裕は残っていなかった。
♢♦︎♢
エアはその晩、初めて父親が泣いている姿を見た。城へ帰ると紙のように真っ白な顔をしたラミウに、母の死を伝えられたのだ。
遠巻きに何回か見たあの美人な人間の女の人だ。エアは物心ついてから母と会った事は無かったが、父がその分厳しくもしっかりと愛情を注いでくれている事を理解している。だがあの女の人が亡くなって、もう会う事はおろか、見る事も叶わないと思うと悲しかった。
父を見上げるとその白い頬には涙が一筋輝いている。エアはハッとした、ノルは今どんな心情かと。
「あのオルゴールが役にたったか。私は一緒にいてやる事ができないが、ノルが心配だ」
少しホッとした様子でそう呟く父の言葉を聞いてか聞かずかエアは村へ走った。
♢♦︎♢
ノルは先ほど降り出した雨の中、傘もささずに家へ歩いていた。雨音で周りの音はおろか、自身の足音すら聞こえないが、雨でけぶる景色の中、民家にぼんやりと明かりが灯っている様子が見える。何だかこの世界と自身の間は、薄い膜で隔てられているようだ。
ノルが虚な目で家の近くまでトボトボと歩いて来ると、庇の下に人影が見えた。エアと度々ノルに手を振ってくれた少年だ。
「うっ、うぅ……お母さんが…………お母さんがぁ~」
2人の姿を見た瞬間ノルは抑えていたはずの涙がドッと溢れてこぼれ落ちていた。エアに駆け寄り幼い子供のように泣いて、泣いて、泣きじゃくる。その間エアはただ静かに抱きしめ、少年も心配そうにノルの足をそっと撫でていてくれた。
しばらくしてやっと落ち着いたノルがシワシワする目を上げると、エアの目と鼻も赤くなっていた。ハッとしてノルはエアにしがみついていた手を離す。
「そ、そういえば、お母さんに聞いたわ。エアは私の弟なんだって?」
「そうか、ついにノルも聞いたか」
「もう、お姉ちゃんって呼んでよ〜」
「えー、そんな鼻声で言われてもなぁ」
くすくすと笑うと2人は少し元気を取り戻せた。
「あっ、上がって」
エアとチラに椅子を勧め、ノルはロエルが使っていた椅子を引く。俯き無言で座るノルを見て少し気まずそうにエアが口を開いた。
「俺もしょっちゅうは来られないけど、たまにこっちに顔出すからさ。ノルもメソメソすんなよ。チラお前ノルのところにいてやってくれ」
「分かったー」
「初めましてじゃないね、チラちゃん?」
少し驚いた様子のノルにチラは微笑みかける。
「うんっ! チラだよ」
それを聞いたエアはニヤリと笑う。
「こいつシラカシの木の精霊なんだけどさ、舌っ足らずでシラカシって言えないんだ」
チラはぷうっとむくれるとエアの腕をポカポカした。
「ふふっ、よろしくね。チラちゃん」
「うんっ! ノル、よろちくね」
それからノルは診療所の看護師さんに渡された母の遺品を引き出しにそっとしまった。壊れたオルゴールや真っ2つに折れたかんざし、ボロボロのケープを見る勇気が今はまだない。
部屋の中を見回すと母との思い出が蘇ってまた涙がポロポロとこぼれ落ちた。母と他愛の無い話をして笑ったテーブル。一緒にシチューを作ったキッチン。怖い話を聞いた夜、一緒に眠ったベットからは母の匂いがした。
チラが心配そうにノルの服をツンツンと引きながら声をかける。
「ノル、元気だちて」
「ズビッ、大丈夫よチラちゃん。――なんて言ったって私はお姉ちゃんなんだから!」
そう言うと不思議なことにやる気と元気が湧いてきた。突然出来た弟と同居人に初めこそ戸惑ったが、もう1人じゃない。出窓からは朝日が差し込んでいた。
♢♦︎♢
それから3日後、朝日に照らされた大通りをノルとチラは歩いていた。ロエルの墓参りへ行く途中だ。
ノルの住む家は、フィッツボール王国の外れに位置する、ウローヒル群スカベル地区にある。スカベル地区は決して大きくは無いが、雄大な自然に囲まれた人情味と活気のあるいい場所だ。隣国からも近いため、昔から冒険者や旅の商人なども多く通っていた。
そのため大通りの市場は自然と発展していき、少数だが宿屋もある。昼間は賑やかな市場だが、この時間はまだほとんどの店が開店していないせいか静かだ。
「ノルちゃん、これ持ってお行き。うちの庭で摘んだやつだけど」
いつもノルが森で採った物を卸している店のおばちゃんに花束を渡された。
「それと坊やにはこれさね」
チラはクッキーの入った袋を持って大はしゃぎしている。
「おばちゃん、ありがとう」
お礼を言うと「お母さんによろしくね」と手を振りながらおばちゃんは店の中へ戻って行った。
「はいっ、ノルも食べてー!」
チラに差し出されたドライフルーツがたっぷり入ったクッキーや花束を見ていると、ロエルが未だに慕われていることを改めて実感できて、ノルは誇らしく素直に嬉しかった。
その後も色んな人から花を渡され、ロエルの墓に着いたときにはノルがどうにか抱えられるくらいの、かなり大きな花束が出来上がっていた。
ロエルの墓にエアが花冠をかけている。一昨日来たときには何もなかった墓には、既にたくさんのお供物が置いてあった。
「おはよう。俺達の母さん慕われてたんだな」
エアはたくさんのお供物とノルが抱えた花束を見ながら言った。
「ええ、自慢のお母さんよね」
ノルは3日前に伝え忘れたロエルの言葉をエアに伝える。
「お母さんは、いつでも私たちを近くで見守っていてくれるって。私達のお母さんになれてとても幸せだったそうよ」
「――そっか」
それからロエルのことや他愛もない話をして笑っていると、風がふわっと3人の頬を撫でた。
♢♦︎♢
昼過ぎ、エアとラミウはサナリスの森奥深くにある小さな石碑の前で手を合わせていた。辺りには青緑色の煙が立ち登り、薄く広がっている。その煙は甘く、微かに香ばしい不思議な香りがした。
妖精族の間では大切な者が亡くなってから3日後の太陽が1番高いときに、お香を焚きながら石碑の前で手を合わせるという風習がある。
例え死者がそこに眠っていなかったとしても、その者を思って祈ることでその魂は、その地から解き放たれ自由になれるという。また、お香の香りには遺族の心を穏やかにする効果があるといわれていた。
しばらくするとラミウは無意識に呟く。
「ロエルはどこへ行くのだろう?」
「たまには俺たちを見に来てくれたらいいな」
エアはノルから聞いた母の言葉を思い出し希望を込めてそう返した。
【See you next time!】




