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妖精とまたたきの見聞録【改訂版】  作者: 甲野 莉絵


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1話 スカベル地区

 サナリスの森の朝は特に美しい――。


 カゴを腕に下げた少女が森の小道で立ち止まった。木の葉や小鳥が奏でる音楽に耳を傾け、ジャンパースカートの裾を翻しながら木漏れ日の踊りを楽しむ。そして優しく吹き付ける風に髪を靡かせ、土や緑の香りを体いっぱいに吸い込むと再び歩みを進めた。


 朝露で黄緑の宝石のようにきらめくコケや、色とりどりの木の実に飾られた森の小道を楽しそうに歩く少女の名はノル。母親譲りの若葉色の瞳、肩まで伸びた明るい栗色の髪を持つちょっぴり食いしん坊な10歳の少女だ。


 森の近くで母親と2人で暮らしているため、木の実やキノコ、薬草などを売って日々の生活を助けている。


 ノルが森に来る理由は生活のためでもあり、このサナリスの森を第2の我が家のように感じているから。土が付いたブーツはノルがよく森に入っている証拠だ。そんなノルには不思議な力があった。


 森に入れば行く先で必ず状態の良い森の恵みを手に入れられる。なんだか森に歓迎してもらえているようだ。


 「あっ!」

 

 森の小道でノルはしゃがむ。しっとりと湿った地面の上には不思議な形をしたキノコが生えている。レースのスカートを穿いて帽子を被ったようだ。


 ノルは興味深々でそのキノコを手にした枝で突くと、ポワッと煙のような胞子が吹き出した。その胞子はすぐに風に乗って何処かへと運ばれていく。だがノルは思わず飛び退いた拍子に尻餅をついた。


「きゃっ」


 お尻についた土をぱたぱたと叩いて立ち上がると……。なんだか鼻がムズムズする。


「ハックション! ……あれ?」


 薄っすらと甘い香りがする。その香りを頼りに周りを見回すと背が低い木を見つけた。所狭しと覆い繁る深緑色の葉の間からは、艶やかな赤紫色をした実が顔を覗かせていた。


「わぁ、ルリベナの木だわ」

 

 ルリベナの木はあまり大きく育たず珍しい植物だ。その艶やかな赤紫色の実は甘い味がする。ジャムやお菓子、ジュースなどに加工しても風味が損なわれることは無い。


 また、近寄るとほのかに甘酸っぱい香りが漂い、見た目、味、香りの三拍子揃ったその実は人気で希少価値が高い。


 ノルは赤紫色の実を1個、もう1個と頬張っていたが、ハッとして持っていたカゴの中へ摘み始めた。


「いけない、いけない、食べ尽くしちゃうところだった。でも、いい香りと甘いジュースが口の中いっぱいに広がって幸せ〜」


 思わず頬に手を当て口元を緩める。

 

 その横をまるで透明で繊細な飴細工でできたかのような蝶がふわりと飛んで行く。初めて見る種類の蝶にノルは若葉色の瞳を輝かせた。


「あっ、待って〜」



 ♢♦︎♢



 ノルは先ほどの蝶を追い、背の高い木が枝を茂らせ薄暗い森の奥まで来ていた。霧が立ち込め見通しが悪い。ひんやりと湿った空気が肺の中に流れ込んでくる。こんなに奥まで来るつもりは無かった。


 辺りは不気味に感じられるほど静寂に包まれている。御伽噺に登場する妖精が住むといわれるこの森も、奥へ足を踏み入れるとその雰囲気は全く違うものへと変化するのだ。


「こんなときは歩き回っちゃダメ、慎重に行動しなくっちゃ。決して迷子じゃない……はず」


 深呼吸をして周りを見渡すと、少し先のほうに微かな光が見えた。不安に思いながらも光の方へ、ボコボコと張り出した木の根を避けながら進む。


 すると茂みの先に淡い光の柱が立ち、その周りで小さな無数の光がキラキラと輝いている様子が見えた。それからいい香りもする。

 

 赤、ピンク、オレンジ、黄色、緑、青――。


 カラフルに明滅しながら薄霧の中で揺れる小さな光はとても幻想的だ。ノルは不安だった気持ちをすっかり忘れてそこへ向かった。


 茂みを抜けた先はまだ深い森の中のはずなのに、そこだけ空からの光が届く空間が広がっていた。


 その中心にはルリベナの実をたわわに実らせた大きな木が生えている。薄霧がかかる光の柱の中では、ノルが迷子になった原因の蝶が沢山舞っていた。太陽の光が飴細工のような羽に反射し、虹色に輝いている。


「――誰だ?!」


 ノルは声がした方を見て飛び上がった。まるで鏡から抜け出して来たかのように、自分にそっくりな子がいたのだ。だが髪型が違うため男の子だろう。


「(親戚の子? ううん、私に兄弟はいないってお母さんが言ってたはず。それに合った事があれば、こんなにそっくりな子は絶対に忘れないよね?)」


 服装は長袖のシャツの上に、頭と手が出るように麻袋を切っただけのような上着を着ており、紐で腰の辺りを結んでいた。下は膝下丈のズボンとサンダルを履いている。古風な印象を受ける服装だが、おでこには飛行機乗りのようなゴーグルを付けていた。


 その中で1番印象的なのは、驚いたように見開きながらも強気な印象を受ける金色の瞳だった。太陽のように力強くも温かさを感じる色だ。少し落ち着きを取り戻すとノルは答えた。

 

「驚かせてごめんなさい、まさか人が居るなんて思わなくって……。私はノル、森の近くに住んでるの」


「エアだ。俺も近くに住んでる」


 少年エアはノルをジーッと見つめる。


「それにしても、よくここに来られたな。ここは親父に教わった俺だけの秘密基地なんだぜ?」


 ノルはこれまでの経緯を話した。


「ああ〜、あの蝶は甘い匂いに寄っていく性質があってさ、追いかければ木の実や樹液を見つけられるんだ」


「それで浅い森でもルリベナの木の近くにいたんだ。私は途中で見失っちゃったけど……」


「確かにお前、どんくさそうだもんな。ルリベナは深い森の明るい場所を好むんだ。ここのは今の時期特に甘く香る。この景色は今しか見られないけど俺、大好きなんだよ」


「私も。こんな幻想的で美しい場所があるなんて知らなかったもの」


 2人はしばらくほうっと、この奇跡のような風景を眺めながらただ座っていた。


「ところで、エアのお父さんもここを知っているなら、あなただけの秘密基地と言うには無理があるんじゃない?」


「た、確かに、お前以外に鋭いな……。ノルも仲間に入れてやる。そうすれば名実共に俺だけの秘密基地じゃないだろ?」


 エアがニヤリと笑うと犬歯がちらりと見えた。


「本当? 嬉しい〜ありがとう。これでルリベナの実をお腹一杯食べる事ができるのね〜」


「ププッ、食い意地張ってんな」


 今日初めて会ったとは思えないほど2人は不思議と気が合う。お弁当を食べ、エアの助けを得てルリベナの実を持っていたカゴいっぱいに摘みながらお互いの話をした。話に花が咲き気付くともう日が傾きかけている。


「もうこんな時間か、森の入り口まで連れていってやるよ。お前迷子だったんだろ?」


「ありがとう。でも迷子じゃないよ?」


 他愛無い話をしながら2人で森の入り口まで行くとエアと別れノルは家に帰った。


「お母さん、ただいま」


 ノルが声をかけると台所に立っていた母ロエルが振り返る。


「おかえり」


 ロエルは濃い栗色の長い髪をかんざしで結った利発的で美しい女性だ。部屋着の緩いワンピースでさえ着こなしてしまう母のような美人になりたい。ノルはそう思っているが、母の髪は艶やかな直毛なのに、自分の髪はゆるくウェーブがかかっている。その事がノルの密かな不満だった。


 ノルはテーブルにルリベナの実が入ったカゴを置きながら首を傾げロエルに尋ねた。


「ねえお母さん、私に兄弟っていないんだよね?」


「ええ、ノルにお兄ちゃんや妹はいないわ」


「そうだよね、もしかしてエアって妖精だったりして……?」


 ノルの小さな独り言にロエルの夕食作りの手が止まった。

 

「……エア?」


「うん。聞いて、今日森の中で不思議な事があったの。始まりは……そう、この実を見つけたところから始まるわ――」

 

 ノルはカゴからルリベナの実をそっと取り出し、ロエルに見せてから小さなカゴに詰め替えながら物語を語るような口調で話を始める。


 寝物語でロエルの旅の話を聞いた晩はワクワクして眠れない日もあるくらいだ。ロエルにもそのワクワクを味わってもらいたい。ノルは近くの森だけでなく、いつかはロエルのように自分の足で世界を歩いてみたいと思っていた。


 ロエルは驚いた様子ながら、とても嬉しそうにノルの話へ耳を傾ける。さらにエアのことを「声は? 元気な子だった? 身長は?」と詳しく尋ねた。母のその様子に気をよくしたノルは作業の手を止め、さらに夢中で話す。


 ひと通り話を聞き終えたロエルはとても幸せそうな表情をしていた。嬉しくなったノルは「そうだ! また今度会う約束をしたからお母さんも会えるよ」と少し得意気に頷く。


「……こんなおばちゃんを見たらエアくんが驚いてしまうわ。私のことは気にしないで、ノルはエアくんにこれからも仲良くしてもらいなさいね」


 母の笑顔にノルは首を傾げたのだった。



 ♢♦︎♢



 その晩、ノルとエアが出会った場所よりさらに深い森の中の蔦に覆われた城で。


「親父〜今日、秘密基地で俺そっくりなヤツに会って仲間にしてやったんだよ」


「……エアもう少し細かく、落ち着きを持って話しなさい」


 エアが親父と呼ぶ男はこの"サリナスの森"に住む妖精王ラミウだ。長身痩躯な顔立ちが整った男で、ゆるくウェーブの掛かった淡い金髪を軽く纏めている。


 あまり華美な服は好まないらしく、今はエアと同じような服装をしていた。式典などの際に立派な刺繍の入った、裾を引きずるような服を着る姿は、威厳に満ち溢れておりエアの密かな自慢だ。


 ――妖精族は自然と共に暮らし、音楽を愛する種族だ。


 見目麗しい者が多く、魔法の扱いに長けている。人間と似た見た目だが寿命が150年ほどあり、背中に生えた羽で空を飛ぶこともできる。


 その妖精族をまとめる者が妖精王だ。妖精王の血族は代々金色の瞳を持って生まれてきた。そのため、エアは次期妖精王候補でもある。


「だから、秘密基地に俺そっくりなノルって言う人間の女の子が来たんだよ。……背は悔しいけど俺よりちょっと高かったな」


「ほぉ〜」


「それと、どんくさそうなヤツでさ、帰り道がわかんないって言うから送ってやったんだ。でもノルは俺の、いや俺たちの秘密基地を気に入ってくれてさ」


「ほぉ〜」


「あっ、もちろん羽は隠したぜ。だからまた会う約束もしたんだ」


「ほぉ〜」


「なんだよ親父、さっきからフクロウみたいな声を出して」


 ハッとラミウは淡く透けるような薄緑色の羽を振るわせる。


「ゴホンッ。そうか、会ったのか。今まで黙っていたが、ここいらが潮時なのだな。――ノルはお前の双子の姉だ」


「は……?」


 衝撃を受けるエアの頭をそっと撫でながらラミウは続ける。だが当時の事を思い出しているのか、その目はエアを見ているようで過去を見ているようでもあった。


「ノルは人間として生まれたためロエル、お前の母親でもある人間の彼女に引き取ってもらった。我々妖精族は人間を嫌う者が多いからな」


 なぜ彼らが人間を嫌っているかといえば、不必要に自然を破壊する人間をおぞましく思っていたからだ。妖精族は羽を隠せば人間との見分けはつかないが、わざわざ隠し接触しようと考える者は少ない。羽は妖精族の誇りであり、強い魔法を使うためには羽を出している必要があるからだ。

 

 そのため、ロエルと結ばれた妖精王ラミウは珍しい存在であり、一定の同族に嫌われていた。


「で、でも……」


「エア、お前が人間にしか使えないはずの火の魔法を使えるというだけで、どのような目に遭ったかを忘れたか? ノルをこの里で育てる事はノルのためによく無いとロエルと判断したんだ。ごくわずかに我々の血が流れていたとしてもな」


「な、何でそんな大事な事を今まで黙ってたんだよ!?」


「話せば向こう見ずなお前は、ノルへ会いに行こうと考えるだろう? 人間は欲深で自分たちとは違う者を排除したがる性質を持つ者が多い。もしも気付かれてしまったらどうする? お前だけではなくノルやロエル、更には里の者も危険に晒す事になるんだ」

 

「俺、これからもノルに会いたいよ」


「いいとも。ただしお前が妖精族だとはノルも含め誰にも知られるな。例え相手を信頼できると思えてもよく考えてから明かすんだ。ノルのためでもある、わかったな?」


「それでノルを守れるなら黙ってる。ひと目見て直感的に何か感じだけど、あれは家族の絆だったんだな」


「ああ。それにしても、そうかノルは可愛らしく成長していたか。ロエルと私の子だ、さらに美しく成長するに違いない」


 それまで真面目な顔で話していたラミウは顎に手をあてる。


「いかんっ! いかんぞ。ノルに悪い虫がついてしまうかもしれん。そうだ、あの者ならば」


「ど、どうしんだ、親父?」


 その気迫に後退りするエアの肩をガシッと掴むとラミウは言った。


「お前たちを生まれた日に植樹した、シラカシの木の精霊をノルの護衛につけよう」


「え、ええ〜?」


 あまり目にすることのないラミウの親バカっぷりに、衝撃を受けるエアの目の前で、ラミウはシラカシの精霊を呼び出す。


 土の香りと共に現れた精霊は、ぴょこぴょこと跳ねた焦茶色の髪の上に、どんぐりが被っている物に似た黄土色の帽子をキュッと被っていた。生成りのスタンドカラーのシャツに茶色いベストを羽織っており、膝下丈の少し膨らんだズボンを履いている。くりくりの焦茶色の瞳を細めニコッと笑うと自己紹介をした。


「ぼくはチラカチ。よろちくね」


 4、5歳の少年の姿をしたシラカシの精霊は舌っ足らずだ。


「えっ、チラカチ?」


「うん、チラカッ……チ、チラッ…………チラだよっ!」


 チラはシラカシと言うことを諦めたようだ。ラミウは2人のやり取りを暖かく見守っていた。


【See you next time!】

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