ep7 明日のために、
直樹との約束を取り付けたのは、土曜日の昼間だった。
昔よく晴と三人で来た喫茶店。
昔ながらの喫茶店という雰囲気が好きで、ランチも美味しくて好きだった。
「お好きなお席にどうぞー。」
元気な店員の声に、店内を見渡す――茶色めいたレトロな風合いに似合わない、怪しい見た目の男が、ひとり。
思わずふっと笑うと、直樹が怪訝そうにこちらを見る。
「何にもないよ。」
首を振って席に向かうと、直樹は何も言わずに湊の向かいのソファに腰を降ろした。
「湊。」
席に着いた途端、何か言いたいとばかりに声をかけてきた直樹に微笑む。
直樹は言葉を続けずに押し黙った。
もしかしたら、自分の表情に思うところがあったのかもしれない。
その沈黙に今であれば耐えられる。
きっと、淳という存在が居なければ、こんなに割り切って話そうと言う気も起きなかっただろう。
店員が注文を取りにきて、直樹が珈琲と紅茶を頼むのをただ見つめた。
こちらに聞くでもなく、好みのものを注文してくれる。
こんな些細なやり取りを見るのも、昔は好きだった。
「湊……?」
飲み物が提供されても口を開かない湊に、直樹が怪訝そうにこちらを見る。
「――直樹。今まで俺たち家族のために、ありがとう。……でも、もう十分だから。これからは直樹の人生を生きて欲しい。」
その言葉に、直樹は、はっきりと絶望といって良い顔をした。
当然だろう。
実直な彼にしてみれば、家族から言われる――ことさら、湊から言われるその言葉は、生きがいを奪われたのも当然だ。
――けれど、彼も前に進まないといけない。彼の、人生のために。
「こんなこと、本当に分からないけど――兄さんは、何を望んだと思う?」
「なにって、いつまでも愛して欲しいとか、」
「本当に?」
じっと見つめると、視線を逸らされて、きっとこの男が囚われたものも同じものだと知る。
「優しい兄さんがね、そんな事思わないって、最近俺は思うんだけど。」
まだ暖かい紅茶で喉を湿らせる。
兄が好きだったのはミルク入りの、砂糖たっぷりの珈琲だ。
こんなところで、自分を認識してくれていた事を実感するとは思わなかった。
「それにね。」
付け加えて、目をまっすぐに見つめる――目の前の男に、もう未練はない。
それでも捨てきれない情が、どうしても声に乗った。
「俺は、俺でいるって、もう決めたんだ。」
動揺する顔に、少しは思ってくれていたのかもしれないと思う。
「本当の意味で、お別れだよ、直樹。」
呆然とした様子に、ありがとう、と言った言葉は届いたか分からない。
ただ、そのあと、何を言い募られても無言で首を振った。
下手に言い返しても、言い合いにしかならない気がしたからだ。
取り着く島もない様子にいずれ諦めたのか、伝票を手に取って立ちあがろうとするその手を止めた。
「ここは俺が払うよ――もう、大人になったからさ。」
くしゃりと歪んだその顔は、まだ認めたくないと語っていた。
きっと、彼の心の整理にも時間がかかるだろう。
「……ごめんね、振り回して。」
つい口をついて出た言葉は、泣きそうな直樹の言葉に被せられた。
「ほんとうは、」
ゆっくりと紡がれたそれは、後悔が滲んだ声だった。
「本当は――湊が、無理してること、知ってた。利用した。……ごめん。」
ああ、と思った。
何も感想など湧かなかった。
「いいよ。お互い様でしょ。」
責めるつもりも、謝罪を重ねるつもりもない。
ただ、あの関係は、お互いにとっての救済で、でもどこまでも苦しいものだっただけだ。
カラン、と喫茶店のベルが鳴って、ふう、と息を吐く。
人生の区切りと思って挑んだのに、終わってしまえば案外あっけない。
心持ち後ろに寄りかかって、声をかけた。
「……後ろの方。ここのハンバーグ絶品なんですけど、一緒に食べませんか?」
彼なら今の何とも言えない感情もどうにかしてくれる気がした。
「……誘われたら、断れねぇな。」
諦めたように向かいに座る淳が、帽子やマスクを取って、ついでに邪魔くさそうに珈琲カップを避けるのを笑って眺める。
「いつから居たんですか。」
「お前が何時からか教えなかったから。開店から張ってた。見ろ、店員が警戒してる。」
淳のぶすくれた顔に、可笑しさとくすぐったさで、声をあげて笑った。
「心配してくれたんですね。」
珍しいからか、目を丸くする彼が愛しい。
「淳さんが居てくれたから、俺の人生は変わりました。」
どれだけ感謝を伝えても、日常で当たり前に幸福をくれる彼には伝わらないかもしれない。
「今日があったのも、明日があるのも。」
どこかきょとんとした顔をした淳の指をつついた。
「今日も、明日も、ずっと――、一緒にいて、良いですか。」
めいっぱい想いを込めて瞳を見つめれば、柔らかに笑んだ顔が、当たり前だ、と返してくれた。




