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ep6 気持ちの終着点は、

 Afterglowに着いたのは午前1時過ぎだったが、店内は混んでいた。

 かろうじて隅のバーカウンターは空いていて、そっとそこに座った。

 

 おしぼりを持ってきた赤城が湊の顔を見て怪訝な顔をした。

 心配げに目線で問いかけられた気がして、大丈夫だと言う意味で頭を振る。

 隣で他の客もいる状態では話す訳にもいかなかった。


「チャイナブルーを。」

「湊さん……今日は、柔らかいものでもいかがですか。ゴディバのホワイトリキュールを使ったミルクカクテルなど、お勧めですが。」

 

 よそ行きの赤城の声で、珍しく提案されて、頷いた。

 赤城は満足そうに笑ってシェイカーを振って、丸いグラスに白い液体を満たした。

 

「どうぞ。」


 コースターとともにそっと差し出されたそれは、少し泡だった見た目ところんとしたグラスが愛らしく、口をつけると柔らかな甘みが口を満たしてほっとした。


「美味しいです。」

「それは良かった。」


 ふっと笑う赤城にどきりと心臓が跳ねる。

 じっと見つめて、何も言えずにいると、「マスター!」と誰かが呼ぶ声が聞こえる。


「では。」

 一言添えた赤城は、コースターをとん、と指差して踵を返した。


 コースターを見る。


 “時間があるなら、閉店まで待って”

 

 綺麗な文字に、心が跳ねた。

 先ほどまで落ち込んでいた気持ちがこんな事一つで浮上するなんて、どこまで単純なのだろう。

 悶えそうになるのを必死押さえて、このコースターは持ち帰ろうと密かに心に決めた。


 そろそろ閉店という時分、一人の酔っ払った男性が店内に入ってきて、見覚えのある顔にぱっと顔を逸らして壁を向いた。

 程よく壁際に座っているから、きっとばれずにやり過ごせるはず――そう思ったのも束の間だった。


「あれえ?あの時の奴じゃないか。」


 なんて、目ざといのだろうと内心で焦った。

 ここでトラブルなんて起こしたくない。

 確か、真澄は『柳瀬』と言っていた。『悪評』とも。あまり質のいい部類とは思えない。


「なあ、無視すんなよ。」


 ぐいと肩を引かれて、目線を合わせる。


「……なんでしょう?」

「すかすなよ。お前も男漁りに来てんだろうが。」


 酒臭い息を吐きかけられて、目の前の男が質悪く酔っていると悟る。手を伸ばされかけて、咄嗟に払った。


「やめてください。先日も、お断りした筈です。」

「お断りだあ?お前みたいな奴はなあ、俺みたいな――」


「耳障りだ。」


 とてつもなく低い声を、初めて聞いた。


「お前はもう俺の店に来んな。」


 柳瀬の襟首を、赤城が掴んでいた。


「どうやら今日は酷く酔われているようで――見逃してやりたいが、間が悪かったな。ペナルティ三回で、出禁だ。」


 はらはらと見守る湊の心境をよそに、常連たちは面白そうに囃し立てる。


「お前、俺はここのオーナーと知り合いで……!」

「ならオーナーに直談判しろ。まあ、解けないと思うが。」


「くそっ……!」

 柳瀬の拳が赤城に向かって、思わず湊は、ひ、と声を上げた。

 暴力的なことを見る機会はあまりなかった。


 咄嗟に目を覆いたくなったが、予想に反して赤城は難なく受け止めて、にやりと笑った。

 その目線が流れるように一瞬、港を見た。


「悪ぃな。こちとら有段者でな。真澄にだって負けてねえって言えば、お前にも分かるか?」


 ふっと笑った顔は、いやに挑戦的で――その顔が、安心しろと言うように最後こちらを向いて、顔に血が昇った。

 

「くそが!二度と来ねえよ。」


 ばん、と扉を叩くようにして柳瀬が出ていって、途端、常連から拍手が湧く。


「いやあ、久々の“出禁”だねえ。」

「マスターの男前に乾杯!」


「どうもどうも。でも皆さん、そろそろ閉店時間ですからね。イベントはありましたが、今日は二次会なしです。また今度。」


 えええ、と言う常連との掛け合いが微笑ましい。

 胸の鼓動を落ち着けるように、そっと下を向いてゆっくりとお酒を飲む。


 そうやってぽつぽつと人が退店して――片付けを終えた赤城が隣に座った。


「今週は海鮮が余ったからな――アヒージョだ。好きだろ。甘くないもの飲むか?」


 自然な気遣いに笑みが漏れて、思わず言った。


「いえ……。それよりも、凄いですね――まさか、喧嘩まで強いなんて、思いもしませんでした。」


「昔取った杵柄ってやつだ。真澄のくだりは、少し、誇張かもな。」

 

「そうなんですか?」

 

「あいつは何だかんだ大人しい。そういったやりとりは見た事はないし……ただ、お前が真澄に懐いてるから、言ってみたくなっただけだ。」

 

 カウンターに肘をついたまま、首を傾げられてどきりとする。

 

「……本当に、俺を好きでいてくれてるんですか。」


「今更。」


 は、と笑って赤城が酒を煽る。

 

「人をこんなに熱心に口説いた事はない。」


「赤城さんほどの人が、」


「勘違いするな。」


 強く言葉を遮られて、赤城の瞳を見つめた。

 少し色素の薄い茶色い瞳が、真剣にこちらをみていた。


「俺が、俺の意思で、お前を好きになった。」


 がつんと頭を殴られた気分になる。


「それを否定するのは、お前も出来ない。そうだろ。」


 言葉の意味を理解して、目頭が熱くなった。

 

「……泣くな。」


 涙が溢れる前に、指の腹で目元を拭われた。

 赤城の瞳が熱で揺れているようで、それが真実だと伝えてくれる。


「いいんですか、俺でも。」


「お前がいい。お前が納得いかないなら、何度でも言ってやる。俺は、お前が――“湊”がいい。」


 流れる涙を堪えられなかった。ひく、と喉がなる。


「……俺は、お前が良いんだよ。もう百回は言ってる気がする。頼むから、信じろよ。」


「ひゃっかいは、いいすぎです……」


「そこは聞き流せって……」

 

 抱きしめられて、子供のように泣いた。

 すこしひんやりとしたバーの空気が、赤城の温かさで満たされる。

 

 早鐘の心臓の音が耳に届けば、疑うものなどなにもなかった。

 

 どこかで聞こえる繁華街の喧騒が、これが現実だと教えた。


「おれ、じゅんさんのこと、すきです。」


「そっか。」


 短い返事に見上げると、赤城の顔がどこか赤くなっているような気がした。

 熱に潤んだような瞳がこちらに降りてきて、自然と瞳を閉じた。


 熱く口付けられて、そのまま目尻の涙を舐め取られる。

 

「なんとなく……知ってたけどな。」


「……バーテンダーって、凄いですね。」

 

「そこは俺が凄いって言え。」


 笑いながら頬に口付けられた。

 抱きしめられたまま、肩に顔を乗せられる。


「まさか、俺に恋人が出来るとはなぁ……」

 

 思わず、赤城の言葉を脳内で噛み砕いた。


 こいびと。


 流れ的に当たり前の言葉なのに、いまいち実感が湧かない。

 なぜだか、自分に一生出来ないものかと思っていた。

 自分にとって、晴と直樹の関係性が至上だったのだ。だから、自分がそんな関係を作れるなど――本当に、思ってもいなかった。


 人生は、何があるか分からない。


「淳さん、幸せすぎて、怖いです。……夢かもしれません。」

 

「……お前、ほんと可愛いな。」

 

 笑う声と深い口付けで、全てが満たされた。

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