ep5 あなたと会えた今が、
赤城と話すためにAfterglowに行こうと思ったのはいい。
けれど、到着しても、なかなか扉を押す勇気が出ない。
ビル街の一角、扉を押さないと中の様子が一切分からないそれに、今日は少しばかりの恐怖に似た感情を覚えた。
「ああ、もう、じれったい。」
付き添ってくれた真澄がぐいと扉を押す。
その勢いに、からんからん、と扉のベルが鳴った。
まだ、心の準備をしていたのに――驚いた目線の先、赤城と目が合う。
見開いたそれに、なんとも言えない感情が湧いた。
「あら、金曜なのにガラガラじゃない。」
真澄の言葉通り、他に客はいなかった。
息を吐く余裕もなさそうな空間に、緊張が増す。
「淳ちゃんが腑抜けてたせいじゃないのぉ?」
「……うるせえな。もう一回転した後で落ち着いてるだけだっつの。」
赤城のどこか拗ねた様な声は珍しかった。
「じゃあ、置いてくからね。……湊ちゃん、頑張んなさいよ。」
まさか帰るとは思わずに、はっと顔を上げた。
「“いい”話はね、二人で話すものって相場が決まってんのよ。」
ウインクしてドアを閉めた真澄をぼんやり見つめる。
どこまでも優しい彼に、彼が今まで傷ついてきた遍歴は、その優しさによるものなのかもしれないと取り留めもなく思った。
「座れよ――湊。」
赤城から声がかかって、目線を合わせるのも気まずいまま座って、おしぼりを受け取った。
「あの、」
咄嗟に声をかけて、何か言おうとしても続きがでない。
沈黙が痛くて、先に声をだしたのは赤城だった。
「……悪かった。」
ばっと顔をあげると、赤城が心底落ち込んだような顔をしている。
「好きな奴がいるのに、酔って抱いたりして。……だから、来なかったんだろう。」
「――違います!」
思ったより大きな声が出て、赤城が驚いた顔をした。
「違う、違うんです。赤城さんが素敵な方だから――俺なんかが、本気にしたら困ると思って。ただ、それだけで。」
尻すぼみになった声はちゃんと赤城に届いたらしい。
「なんだそれ。」
赤城は長く息を吐いて、気が抜けたようにカウンターの中で蹲った。
視界から消えたそれを身を乗り出して追うと、両手で顔を覆っていた。
あまりに予想外なそれに、ただぽかんと見ていると、ばっとこちらを睨め付ける目線とかち合って、思わず身をのけ反らせた。
「赤城さん……?」
「そういう事なら、俺はもう遠慮しねえ。スマホ出せ。」
目を瞬きながら見つめると、「連絡先」と短く言われて、LINEと番号を交換して満足げに笑われる。
「覚悟しろよ――湊。」
――覚悟、とは。
にやりと笑う赤城の雰囲気が色気めいて見えてぼっと顔に熱が集まった。
***
――映画を見に行かないか。
――ランチに行かないか。
――ドライブに行かないか。
毎週、赤城は何かしら誘ってくれる。
それの返答に散々迷って、了承してしまうのはいつものことだ。
赤城と一緒に居るのは楽しい。
さりげなく気遣ってくれて、どうでもいい話題で笑わせてくれる。
話をしていれば知的な雰囲気も感じられて、職業柄か、他者への配慮も素晴らしく――スマートな男性というのは、こういうものかと思ったくらいだ。
あれ以降、身体の関係も持っていなければ、誠実に向き合おうとする心にも触れられた。
それだけに、本当に自分でいいのかという思いが募る。
ある日、知らない番号から着信があった。
赤城とのことで、ふわふわとした気持ちで気が緩んでいたからだろうか。
着信に出て、後悔した。
『――湊。』
直樹の声だった。
「なんで、この番号。」
咄嗟に出た声は、自分で聞いても動揺に揺れていた。
『湊、なんでいなくなったんだ。俺は、お前がいないと』
「やめて!……直樹が必要なのは、晴でしょ、俺じゃない。もう、このままやめよう。お願いだから。」
心臓が鳴って、喉が詰まる。
予想外な連絡は、ここ暫く穏やかでいられた心を一気にかき乱した。
『湊、湊も必要だ。だから』
「“も”なんて、やめて、もう、十分だ。俺が悪かったから……」
涙が溢れる。
「もう、俺は俺で居たい。代わりじゃないんだ、お願い、もう……」
沈黙が続いて、こちらから通話を切った。
そのまま電源を切って、涙が収まるのを待つ。
すん、と一人の空間に響く鼻の音が情けない。
どこまでも可哀想な主人公のような気分で、ひどく惨めだ。
『“今”にぶつかんなさいよ。後悔しないように。』
不意に、真澄の声が頭に響いて上着を掴んだ。
午前0時――歩いていけば、午前2時の閉店に間に合う。
徒歩40分もかからない。むしろ今の涙を落ち着かせるには程よい距離だった。
冷たい空気が頬に少しの痛みを伝えてきて、冬の冷たさが、どこか思考を冷静にさせてくれる。
『故人が生きられなかった明日は、今日のあなたの今です。』
晴の葬儀の際に言われた説法が、ずっと心に残っている。
晴は、自分にどう生きてほしいと思っているだろうか。
それを聞く術はもうない。
そんな事など、とうに分かっていたはずなのに。
言い訳にして、前に進まない事が正しいとどこかで思っていた。
きっと、そんな事などどうでもよかったのだ。
自分が勝手に当てはめていただけだ。
「……晴。」
呟けば、あの明るい笑顔がこちらに向く気がした。
『ねぇ、湊……僕のことを忘れないで。
僕のかけら、湊に置いていくから……大好きだよ。僕の半身――』
あの言葉も、きっと鎖ではなかった。
晴は、もっと生きたかった未来を託すから、幸せに生きてくれと言ってくれていたのだ。
都合よくそう思った訳ではない。
本当は、今までの晴の言動がそう教えてくれていたのを、自分が認められなかっただけだ。
なぜ今まで自分の首を絞めていたのか、ようやく分かった。
自分で、自分の行動が許せなかったから。
「ごめん、晴……。」
歩きながら、初めて自分の心に向き合おうと覚悟を決めた。




