ep4 自分の気持ちと、
目が覚めたら、逞しい腕に抱かれていた――なんて、社会人になってあるべき事じゃない。
驚いて離れようとするより先に、腕がぎゅっと抱き寄せてきた。
「湊――おはよう。」
その声と、下半身の鈍い痛みで実感する――自覚なく、受け入れてしまったのだと。
――どうしよう。
嫌な訳ではないし、おそらく無意識に惹かれていたと言える。
けれど、筋の通った考えをする彼に、今更覚えていないとは言いにくい。
「赤城さん……」
「淳と呼べ。」
「じゅん、さん。」
顔に熱が集まりながら名前を呼ぶと、満足そうに頷かれた。
あまりにも恥ずかしくなってばっと起き上がった。
「あ、あの、俺帰ります……!急用が……!」
「湊!」
服を拾い集めてから急いで着て、はっと昨日の料金を払っているか不安になって、けれども聞けずに無言で玄関に一万円を置いた。
そうして、ばたばたと外に出て――ようやく、駅でひと心地ついた。
呆然とこちらを見ていた赤城は、もしかしたら呆れていたかもしれない。
動揺してどんな表情をしているのか見る余裕がなかった。
心臓はまだ落ち着かない。
酔って、誰かと寝てしまうなんて。
しかもあんなに魅力的な人と――考えれば、どろりとした感情が湧く。
どうせ、俺なんか、という思いが勝手に腹の底から話しかけてきて、自分を否定する。
やめろ、やめろ。
黒い感情に泣きそうになって否定する。
いまだに、“僕”にも、“俺”にもなれない。
そんな未熟な自分に恋など早い。そんなこと、分かっている。
がんがんと痛む頭は二日酔いだけではない気がした。
きっと、まだ“俺”は“俺”でいてはいけない。
自分にそう言い聞かせて、電車のシートに身を預けた。
***
Afterglowに顔を出さずに一ヶ月が過ぎた。
足が向かないようにすればするほど、ふとした瞬間に思い出してしまう。
感情は正直で、どうしても彼に会いたくなる。
何故なのか、理由は分かっている気がした。
きっとただ純粋に、彼に惹かれているのだ。
でも魅力的な赤城は、酔って身体の関係を持っただけに過ぎない。
このままのめり込めば、直樹と同じものが繰り返されるだけの気がした。
なのに、なぜ。
またAfterglowの近くを彷徨いてしまうのだろうか。
うろうろしても入店する勇気はない。
はあ、と自分に向けたため息をついて、とぼとぼと歩き始めた矢先、ぽんと肩を叩かれた。
はっとして見上げる――知らない顔だ。
「君、前にAfterglowに居た子だよね。」
「ええと、」
その言葉で思い出した。
確か初めの頃、今晩どうかと口説いてきた客だった。丁重に断っても少ししつこかった記憶が蘇る。
「多分そうです、でも、今日もちょっと。」
断りから入ったからか、相手はむっとした様子だった。
「自意識過剰じゃない?声かけただけなのに。」
「ごめんなさい……。」
確かにそうだと思って素直に謝ると、ぐいと肩を抱かれた。
「やっぱり、君いいね。今夜一緒にどう?全部奢るよ。」
――先ほどの言葉はどこにいったのか。
否定したくても、言葉が出ない。
ぐいぐいと肩を抱かれて歩かれる。危険を感じて周囲を見やる――知り合いなんて、居るはずもなかった。
どうやって逃げようか、そう思っていたところに、明るい声がかかった。
「あら、湊ちゃんじゃないのぉ。」
真澄だった。
いつも見る服装とは打って変わって、地毛と思われる肩にかかる黒髪に、黒いコートにを着込んでいて、化粧もしていない。
正直、容貌が違違いすぎて話し方で判別してしまった。
真澄は湊に笑いかけたあと、隣の男の前髪を鷲掴んで低音で囁いた。
「おい。――あんた、柳瀬ね。悪評聞いてるわよ。
私のこと、知ってるでしょ。私の可愛い湊ちゃんから離れなさい。秒で。
出来ないなら……私の筋肉が相手するわよ。」
凄んだ真澄に、男は無言で舌打ちをして退散していった。
「真澄さん、すごい。格好いい。」
「あらやだ、今更知ったの。」
ふふんと得意げな顔をする真澄に笑った。
「今日のお洋服も似合ってますね。シックで、素敵です。」
「あらあ。分かる?新しい彼氏の趣味なの。」
ふふ、と笑う真澄は恋人の入れ替わりが実に早い。
傷つく事はあっても、それでもいつも真剣に恋人と向き合う真澄はすごい。
「……真澄さん。この後ご予定ありますか?良ければお礼に奢らせてください。」
少しだけ躊躇いながら聞くと、真澄は大きく頷いた。
「いつでも大歓迎よ。美男は誘いを断らないものなの。」
「真澄さんらしいです。」
思わず笑って言うと、ぽん、と頭に乗った手のひらに、心配してくれていた事を知った。
***
近くの居酒屋に入って二時間、さんざん最近の恋人の話を聞いて人心地ついたころ。
「――ねえ、湊ちゃん、淳ちゃんと何かあったでしょ。」
おもむろに真澄が面白げな瞳をこちらに向けてきて、びくりと肩が跳ねた。
「なにか、って。何もありません。」
「ふうーん。」
疑うような視線が痛い。
「誰かさんがねえ。湊ちゃんが来なくなってから、ぼうっと、カウンターの端を眺める事が増えたのよねぇ。なんでかしら。」
思わせぶりな言葉に心臓が鳴る。
「あんなに素敵な人が、そんな。あんな事で。気のせいですよ――」
思わず声が出て、一拍置いて言葉の意味に気づいて口を押さえた――もう、遅い。
真澄は目を弓形にして、こちらを観察するように、たっぷり数拍間を置いた。
沈黙の間、がやがやとした居酒屋の空気が、そわそわとした思いを少し助けてくれる。
「なにか、あったのね……?」
確信めいた真澄の声に目を逸らした。今更否定は出来ない。
「安心なさい。こう言った時に首を突っ込むのは野暮って事は知ってるわ。――でもね。」
付け加えられた声音に真剣味を感じて、真澄を見た。
少し悲しい顔をしていて、無意識に目を奪われる。
「こういった時に時期を逃すと、一生話せなくなるわよ。」
その言葉に、心臓が動いた。
「前に話した、恋人だった男に意地を張って会わずじまいになったの、覚えてる?
当時はそれでいいと思ってたけど――家庭も持って、父親になった男に言われたわ。
お前があの時一生共に居てくれる覚悟を持ってくれてたなら――って。自分はもう幸せな家庭もあるのに、随分な言い様よね。」
真澄はなんともいえない表情で、こちらに手を伸ばして、頬を撫でてきた。
「いまさら馬鹿らしいことだけど……歳を取るとね、“あの時”に意地を張らずに本気でぶつかっていれば、未来が変わったのかもって、考えたりする事もあるのよ。」
色んなものが混じった表情に、尊敬を覚えた。そこまで、自分は物事に向き合ってきただろうか。
まっすぐな真澄の性質が、胸を打った。
「結果はなんだって、いいじゃない。“今”にぶつかんなさいよ。後悔しないように。」
唐突に、泣きたくなった。
「真澄さん。俺、真澄さんと話せてよかったです。……赤城さんと、話してみます。」
「そうした方がいいと思うなら、きっとそれが正解よ。」
ウインクした真澄に笑う。
ざっくりとした白いセーターを着た男前の真澄には、少し違和感のある仕草だったからだ。
「いつもまっすぐな真澄さんのこと、尊敬してます。」
「あんた、見る目あるわね。顔さえ好みだったら、私の彼氏にしてあげたのに。」
「今の彼氏さんに聞かれたら、怒られますよ。」
「焼きもちなんて、妬かせてなんぼよ。自分が妬くのはごめんだけど。」
真澄らしい言い分に微笑む。
彼は自由だ。
けれど、その自由は彼自身が痛みを乗り越えて勝ち取ったものに違いない。
会計を終えて、ふと、何となく正直に言ってみた。
「……真澄さんのこと、はじめは、変わっていて、テンションが高くて、やたら話しが長くて大変な人だなあとか、思ってました。ごめんなさい。」
「あんた、意外と言うわね。」
可笑しそうに真澄が笑ってくれる。
「すみません――いまは、もっと素敵なところ、沢山知ってますよ。」
泣き笑いの様な顔になってしまった自分に、真澄は今日一番、優しく笑ってくれた。




