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ep3 気になる客がいて、

 赤城淳がなぜこの職業についたかと言われれば、性に合っていたからだ。

 昔から何となく場の空気を読むのも回すのも得意だったし、人に興味はあれ執着はしない質だった。

 

 それが向いていたのだろう。

 なんとなく入ったバーテンダーという職業は、あっという間に身に馴染んで、一つの店を任されるまでになった。

 

 打診されたそこはゲイバーだったが、元々バイだったので何の抵抗もない。

 オーナーが趣味でやっているバーで、給料はそれなり、売上げにも煩くないとなれば、二つ返事で引き受けた。

 女性客を呼ぶような盛り上がるキャラを装え、とも言われなかったので、普通のショットバーのように切り盛りした。

 

 もちろん、出会い目的が多いのでトラブルもあるが、若い頃に柔道や空手を経験していた事が役に立って、荒事もそれなりに対処できた。

 厄介になりそうな客は容赦なく排除しているうちに、意外とそのスタイルは受け入れられたようで、五年経った今は落ち着いたゲイバーの中堅どころとして認識されていた。

 

 落ち着いたゲイバーとはいっても、来る客が男ばかりというのは、良くも悪くも性質が濃い。

 毎日そんなものに囲まれながら日々を過ごしていたら、ある日ふと異物が混じった。


 やけに綺麗な顔をしたスーツ姿の男。

 黙っていれば凛とした空気を纏っているのに、話すとどこかおどおどとした空気が場の不慣れを感じさせた。

 

「何を飲まれますか。」


 聞いても、メニューをじっと見て、困ったようにこちらを見てきた。


「すみません……慣れていなくて。そんなに強くないので、軽いお酒をお願いできますか。」

 

 素直に困った顔をするのには好感を持てた。

 気取ってマティーニなどと頼まれて、美味しくない顔をされたりするのは好きじゃない。

 

「もちろんです。ここはバーですので。甘くないものがお好きとか、柑橘系がお好きとか、お好みや苦手なものがあれば、お聞かせ願いたいのですが。」

「柑橘系は好きです。グレープフルーツとかの。」

「では、ロングカクテルでチャイナブルーなどはいかがでしょうか。ライチリキュールとグレープフルーツをトニックウォーターで割ったものです。炭酸なので、飲みやすいですよ。」

「それでお願いします。」


 目の前にボトルを置いて、それぞれを入れながらステアすると、その男が魅入るように見つめてきていて笑いそうになった。

 そこまで注目してくれるのは、バーテンダー冥利に尽きる。

 だから、最後のブルーシロップはいつもより心持ちゆっくりと入れた。


 ふわっと色の混じる瞬間が見られるのはバーの醍醐味だ。

 シェイカーやステア技術が持て囃され気味だが、こういった分かりやすい手法を好んでくれる客の方が赤城は好きだった。


「わあ……。」


 きらきらとした目線にどきりとする。

 無防備に嬉しそうに笑う顔は、はっきりとこういった場所に慣れていないと伝えてきた。

 

 途端、心配が勝る。

 何となくそわそわした気持ちで見守ると、思った通りに何かにつけ困った顔をしていて、その度にアドバイスをする羽目になった。

 こういった客は面倒だと思わない訳でもないが、誰に誘われても誠実に断るから、そこで彼の性格が見て取れれば大切な客の一人として受け入れた。寧ろどういった風にこの客がこの店に馴染んでいくのか楽しみでもあった。


 そうしたら、まさかの。

 真澄の洗礼を受けるとは。

 正直、自分も常連も半分面白い心地で見守っていた。

 生真面目な彼が、真澄のとんでもない男性遍歴を聞いて、顔を赤くしたり、青くしたり、真面目に意見する様を見て、ただ楽しんでいただけだ。

 だからこそ、『赤城さんって意外と性格が悪いんですね。』と据わった目で彼に言われた時は、次に来た時は謝ってサービスしよう――そう、思っていたのだが。


 どうにも、今日の彼は酷く落ち込んでいるようだった。

 

 あれ以降、ちょうど立て込んでいる時間の来店が多く、中々話す機会も持てなかった。

 ようやく今日は話せそうなのに、彼がそういった雰囲気ではない。


「今日も、チャイナブルーをいただけますか。」

 注文する彼の声はいつもより静かだった。何か落ち込むことがあったのかもしれない。

 

「もちろんです。……湊さん、お疲れですか。」

「ああ、いいえ。そんなことは――すみません。」

 

 形だけ取り繕うように笑う顔は、まったく覇気がない。

 すぐにそっと顔を落とす仕草は、初めての頃を彷彿とさせた。

 

「湊さん、ゆっくりしてくださっていいので――無理は、しないでくださいね。」

「ありがとうございます。」


 いつものように笑っても、儚く感じるのはなぜだろうか。

 彼のことが気になると騒ぐ内心を押さえ込む。

 気にするような仕草の常連にも首を振る。今日は構わない方がいい気がした。


 湊が思っている以上に彼はこの空間に受け入れられている。

 この静かな空間を求めてくる者達は、どこか傷を負っている人が多い。

 だからこそ、受け入れられたのは、彼が誰も否定しなかったからであり、皆が分かる形で誠意を示したからであった。


 真澄が大袈裟に触れ回ったせいで、“カウンターの麗人”と噂されているなんて、知りもしないだろう。


 時間が経って、ぽつぽつと客が帰り始め――閉店時間になっても、気付いた様子もなくぼんやりと動かない湊に、息を吐いた。

 

 きっと、何かあったのだろう。

 言葉をかけて退店させるのは簡単だが、何となくそれを躊躇うくらいには湊を気に入っていた。


 店内のディスプレイやBGMを切って、照明を少し落としても、湊が気づく様子はない。

 考え事をしているのだろう。ボトルのライトアップをぼんやりと見つめる瞳に光が反射していた。

 誰もいないカウンターに湊だけがぽつんと座っていて、憂いの表情に数秒、腕を組んで考える。


 悩んだ結果、バックヤードでさっとパスタを二つ作って、ウイスキーと氷、水を乗せた盆をカウンターに載せた。

 はっとした顔でこちらを見る湊に、にっと笑って声をかけた。


「俺の夜飯ですよ。一緒に食べてくれますか。――和風パスタなんで、きのこが嫌いなんて言われたら、終わっちゃいますけどね。」


 港がきょろきょろと周囲を見て、現状を把握したように青くなり――けれど赤城が笑いかけると、すぐに「ありがとうございます」と小さく言った。


「きのこ、好きです。……そういえば、今日、何も食べてませんでした」


 声に合わせるように、ぐう、と音が鳴った。

 あまりのタイミングの良さに赤城が笑うと、恥ずかしいのか湊の頭が更に下がる。


「本当にすみません……。」

「いい、作った甲斐がある。食べるか?」

 面倒になって敬語を取っ払っても、少し驚いたようにパチパチ目を瞬くだけで、嫌な顔はしない。問題なさそうだ。

 

「遠慮なく食ってくれ。」

 笑いかければ、 落ち込んだような表情が少し晴れたような気がした。

「……いただきます。」


 何となく食べる様子を眺めていると、フォークを口に入れて咀嚼した湊の顔がぱっと輝く。


「美味しいです!」


 やや興奮したように、きらきらとした瞳がこちらを見た。

 

「美味しいお酒も、お料理も出来るなんて凄いですね……!」


 興奮気味に言う湊が可愛い。

 

 赤城は少し冷静になりながら考えた。

 もともとタイプなのに、業後に可愛い顔を見せられるとぐらつく。

 

 これは。襲ってもいいやつでは……?

 

 頭をよぎった気持ちに内心で首を振る。自分は責任者だ、と言い聞かせた。

 

「なんか今日、落ち込んでたみたいだけど、大丈夫?」

 

 今の空気なら許される気がして、気になっていたことを問いかけた。

 なるべく優しい声を心がけたが、少し沈黙が落ちて迷う。

 

 BGMも切っている店内はしん、と静まり返っていて、外の僅かに聞こえる喧騒が空気に落ちる。

 返答の必要はないと言葉を重ねようとした矢先、湊が口を開いた。


「……実は。今日、双子の兄の命日でして。」


 思ったよりも重い言葉が返ってきて、少し思考を巡らせた。


「あ、あの、酷く悲しんでるとか、慰めてほしいとかじゃないんですけど。」


 慌てて訂正する彼は、間違いなく優しいのだろう。

 だから、その先が気になった。


「もしかして、誰も相手を作らないのは、そのせいか?」


 少しばかり不思議だった。

 このような場に来るという事は、人との交流を求めているはずなのに、彼は声をかけてきた相手に一度も会話をしてみようという姿勢を見せなかった。

 少し躊躇うような仕草を見せつつ断るのは、相手を求めつつ踏み出せないようにも見えた。

 

 湊が言葉に詰まったということは、きっと答えは是だ。


「話したいなら、聞く。」


 そっけなく聞こえたかもしれない。

 それでも、彼が信用に足ると思ってくれているなら、勝手に話す筈だった。


「あの……、もしかしたら聞いて不快になる話かもしれません。」


「なんだ。まだ知らないのか。」


 躊躇うように言った湊へ敢えて揶揄うように、にやりと笑ってみせた。


「バーってのは、どんな内容でも酒の肴に替える場所なんだよ――特に、俺の店はな。」

 

 湊が少し笑って俯く。

 今度落ちた沈黙には、声を重ねようと思わなかった。

 話さないなら、それはそれでいい――このまま帰ってしまえば、そこで今日は終わる。

 

 そう思っていたが、湊はぽつりぽつりと話し始めた。


「双子の兄さんがいて――」


 聞いた話は、赤城にしてみれば胸糞ものだった。

 感情なんて人それぞれだ。それでも、湊という人物しか知らない赤城にしてみれば、納得いかなかった。

 湊の思考は全てが兄のために回っていて、本人のものなんて僅かしかない。

 だが、湊自身が罪悪感を抱いているのに、それを言うのは躊躇われて黙った。


「僕は、兄さんを裏切って……逃げてきた訳です。」

 

 悲壮感たっぷりな言葉に、思わず「違うだろ」と口を挟む。

 

「倫理観の話だから、あくまで俺の主観だが。」

 一応、枕詞はつけた。あとはどう捉えるか、本人次第だ。

 思い込んでいる人間に、あまり言葉が届かないのは職業柄よく知っている。

 

「――裏切っては、ないだろ。

 湊が死んだ兄さんの気持ちを大事にしたのは分かる。お前が、優しい奴だってのも。

 けど、好きだった相手に応じて、何故それが悪になる。」

 

「でも、」

 納得のいかない様子の湊の頬を包んだ。

 

「本当に裏切ったなら、今、ここにいない。」


 戸惑うように濡れる瞳にふっと笑った。


 「そうだろう?……湊。お前は、お前の意思でちゃんと動いている。」


 ぽろぽろと流れる涙が愛らしく思えた。

 自覚もなく頑張ってきた湊という存在に、ただ頑張ったなと言ってやりたくて。


 「明日、湊も休みだろ。俺も明日は別の奴が入るから休みなんだよ。飲むか。」


 

 ――そうやって、ウイスキーを飲み始めたのが、よくなかった。


 

 翌朝、自宅のベッドで、裸のまま目が覚めて――昨夜、まざまざと、隣に眠る裸体を貪ったのを思い出した。

 まじか、うそだろ、いや納得もする、と色々な感情が絡み合って、ぽん、という通知音と共に、土曜日の担当から連絡が入る。


 『ちゃんと片付けしてくださいよね!誰としっぽり決め込んだんですか。笑』


 誰って。

 まさか、噂の“カウンターの麗人”と関係を持ったなんて言えない。

 動揺はしていても、すやすやと隣で眠る綺麗な顔を起こす気にもなれなかった。


 そして彼の今までを思えば、ノリでどうにかなりました、なんて誤魔化しはできない。


 認めよう――俺は、湊に惹かれていて、関係を持って、そこから先も望んでいる。


 なぜなら、隣で寝ている男がどうしようもなく愛しく見えるからだ。

 まさか冷静で通る自分が、29にもなって――本当に、まさか。


「どうするか……」


 ――こうなったら。さも当たり前のような顔をして、対応するか。


 立場上、厚顔さには自信がある。

 見せられない動揺は、眠っている湊へ口付けすることで晴らした。

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