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ep2 最近気に入っている場所は、

 卒業後無事に内定先へ入社して、独りの生活を始めてもう二年半、季節は秋だ。

 まだ暖かさを残しているものの、もうすぐ年末になると思うと、なんだか感慨深い。

 仕事では大きなトラブルもなく、内勤の仕事も性に合っていた。

 

 恵まれている方だと思う。

 それでも何か満たされない――そう思うのは、直樹や晴のことが未だに胸から離れないからかもしれない。

 

 黙って引っ越しをしたあと、家族が心配しないように、長男の航太にだけは連絡を取った。

 その時に、『無理をさせていたか』と心配されて、「大丈夫」とは答えても、「そんなことはない」とは言えなかった。

 一番晴に囚われているのは、自分なのかもしれない。


 週末の金曜日、ゲイバーの“Afterglow”に通いはじめたのは二ヶ月ほど前だ。

 普通のバーと大きく変わらない雰囲気と、バーテンダーの干渉しない空気感が気持ちを落ち着かせてくれる。

 何かを埋めたくて、いくつかバーに行ったが、騒がしいのも大人し過ぎるのも緊張して、ここに落ち着いた。


「隣、いいかい?」


 カウンターの隅に腰掛けてぼんやりしていると、壮年の男性がとん、とカウンターを叩く。

 

「あ、ごめんなさい……今日は一人で飲みたくて。」


 すみません、と頭を下げると男性はこともなげに首を振って、「機会があれば」と別の席に座った。

 “隣に座る”というのが、今夜の相手を吟味する意味だというのは、ここに来て学んだ。

 その気がないのなら、最初から断った方がいいということも。


「次のドリンクは何にされますか?」


 アッシュブラウンのやや長めの髪を無造作に束ねたバーテンダーがこちらに来て空のグラスを手で示す。

 いやに整った顔は、職業柄かもしれない。

 

「チャイナブルーをいただけますか。」


 初めてこのバーに来てからお気に入りのカクテルだ。

 あまり酒に慣れていない、と言った際に彼が作ってくれたものだ。

 目の前で最後に青いシロップが垂らされるのが幻想的で好きだった。


「チャイナブルー、お好きですね。」

「教えていただきましたから。色々と。」

 

 無知な湊に、何かにつけ教えてくれたのは赤城だ。

 あまり多くを語らない彼は無愛想にも見えるが、結構世話好きらしい。

 

 だから安心して腰を落ち着けられるこの空間が好きなのかもしれなかった。

 初日に渡してくれた“赤城淳”と印字された名刺は、今も大切に自宅へ置いてある。


「では、おせっかいを承知で言わせていただきますと――先程の男性は、紳士的で非常に評判が良い方ですよ。」


 珍しい言葉に、思わずまじまじと相手を見た。

 いつもと変わらないにこやかな顔に見えて、表情は読めない。


「せっかくですが――まだ、ちょっと勇気が持てませんで。……恥ずかしながら。」

「それは余計なことを申しました。いえ、皆様も同じようなものですよ。ここはあまり“そういった空気”も薄いですしね。楽しんでいただけているなら、それで十分です。」


 にこやかに笑いながらカクテルを作る様子は文句なく格好いい。

 目の前にボトルを並べられて、手早く混ぜられていく。

 

 メジャーカップやバースプーンを扱う手先は繊細さを感じて見入ってしまう。

 きっと自分が作っても様にならないだろうなと、どうでもいい事を考えた。


 目の前で、くるくると綺麗に回るバースプーンを見ている時だった。


「なによ!私以外いらないって言ったのに!」

 叫ぶ声が静かな店内に響く。

 

「おめえが思ったより面倒くさかったからだよ!二度と顔見せんな!」

「ひどい……!」


 唐突に始まった痴情のもつれに、赤城へ目をやっても表情ひとつ動かしていない。

 逆に、湊は大好きなシロップの瞬間を見逃すほど、はらはらした。


「赤城さん、大丈夫ですか……」

 思わず問い掛ければ、赤城はたっぷり時間をとって、出来上がったカクテルをコースターごと綺麗な所作で湊に差し出した。


「お待たせしました。チャイナブルーです。……大丈夫ですよ。ご心配なく。」


 そのままゆっくりとした足取りで、さめざめと泣く男性の肩に手を添えて、


「お前騒ぎ起こすの何回目だ?ああ?そんなんは他所でやれ。」


 とんでもなくドスの効いた声が聞こえて、自分が言われた訳でもないのに肩が跳ねた。


「だって、今回こそいけると思ったのに……!」

「ああ、泣くな。下手な化粧がはげるぞ。お前、毎回男の趣味が悪いんだよ。」

「そうだよ、真澄ちゃん、いつも軽薄なのを連れてるから。」

「真澄ちゃんは懲りないよねえ。」

 

 続く声に常連なのだと思ってほっとする。

 家族のような雰囲気が温かくて、いい空間なんだなと納得した。

 少しばかり置いていかれた気持ちになるのは、どこであっても新参者の常だろう。

 

 安心してグラスに手をつけて一口飲んだところで、


「ああーーーー!!!」


 大声に咽せそうになった。


「あんた!最近噂の新入りね!誰狙いよ!」


 どかどかとこちらに向かって来る姿に呆気にとられる。

 泣いたせいなのか、つけまつげがぽろんと取れて、地まつ毛にくっついて揺れていた。筋肉質な金髪巻き毛の女装の男――少しばかり脳が追いつかなかった。


「で、誰狙い?」

 どかりと隣に腰を下ろされて、ずいとこちらに顔を寄せられる。


「あの……誰狙いとか、そういう訳では……」

 あまりの迫力に、思わず降参する心地になって両手を上げて返答する。


「あんた、綺麗な顔してるわね。私の筋肉には敵わないけど。」


「はあ……ええと、素敵な筋肉をお持ちで。」

 なんと返せばいいのか分からず、そう返すと赤城が笑いながらこちらに来た。


「真澄、大事な客に絡むな。――すみません、お客様。最近よく来ていただいますが、差し支えなければお名前をお伺いしても?」


「あ、はい……湊と言います。」


 言った途端、周囲から「へえ、湊さんって言うんだあ」とか、「湊さんね、よろしくね」といった声が飛ぶ。

 アットホームな雰囲気を感じて、いつも殻に閉じこもっていたのが少し申し訳なくなった。

 そう思えたのも、お酒を飲んでいた気分からかもしれない。


「湊さん、次のドリンクはサービスにさせていただきます。真澄、お前が払えよ。」

「いいわよお。でも湊ちゃん、話聞いてもらうからね。」


 真澄に、がしりと腕を掴まれて、びくりと肩が揺れた。


「あら、慣れてないの?かわいい。私が食べちゃいたいくらい。」

「やめろ。それ以上絡むなら出禁にするぞ。」


 ぱっと手を離されて、ごめんね、とグラスを軽く合わせられた。


「乾杯。淳に睨まれると、ここじゃほんとに出禁になるのよ。敵わないわよね。」

「そうなんですね……。あの、まつげが、」


 男が瞬きするたびにピロピロと動くそれが気になって、そっと取ってハンカチに包んだ。


「大切なものでしょうから……ハンカチのまま、持って帰っていただければ。返していただく必要はありませんので。」


 ハンカチごと渡せば、真澄が途端にうるうるとして、わんわん泣き出した。


「え、」

「やだああ、この子、王子様よお。私、こんな男に惚れたかったあ。タイプじゃないけどお!」


「あの……」

 反応に困ってしまった。

 真澄の目からはとめどなく涙が流れている。手元のハンカチも使う様子がない。

 そのままにしていては可哀想な気がして、ポケットティッシュを取り出して躊躇いつつも涙を拭った。

 

 もしかしたら、自分が直樹に抱いたような思いを、先程の男に抱いていたのだろうか。

 だとしたら、あんな言葉をかけられたのは、とても苦しいに違いない。


「湊さん、深入りは無用ですよ。こいつはいつもこうなので。」

 

 おろおろとしているところに、赤城の冷静な声が割り入ってきた。

 

「お前、本当にあんま迷惑をかけんなよ。」

「わかったわよ、ちょっと感動しちゃっただけ。」


 真澄は湊の手元からティッシュをひったくると、盛大に鼻を噛んだ。

 勢いのある行動に、思わず目を瞬いた。

 ぐす、と鼻を鳴らしながら、真澄がこちらを向く。


「ありがと、湊ちゃんって、優しいのね。」

「いえ、大丈夫ですか……?」


「大丈夫じゃないのよ――湊ちゃん、聞いてくれる?」


 真澄の目が、獲物を見つけたかのように光った気がした。


 それからは、長かった。

 本当に長かった。


 マシンガントークというのは、こういうことを言うのだろう。

 あれ、なんでこんな話聞いてるんだっけ?と途中で思うくらい、真澄の男性遍歴と人生を聞かされた。


 明け方になって解放されて――なぜか残っていたバーのメンバーに、「通過儀礼お疲れさん」と肩を叩かれて、なんとなく理解した。


「湊さんが真澄の愚痴に耐えられるとは思いませんでした。凄いですね。」


 爽やかな顔で言った赤城に、少しばかりイラっとしたのは初めての事だ。

 

 ――閉店時間もとっくに過ぎても喋り続ける真澄に困って、何度か、困った目線をやったのに。


 思わず「赤城さんって意外と性格が悪いんですね。」と普段言わない事を言ってしまったのも、きっと酔いと寝不足からだ。

 でも、明け方に皆で行って奢ってもらったうどん屋は、美味しかったし、楽しかった。

 

 明るくなった時間に帰宅するのは初めてのことで、少し高揚した気分で眠りについた。

 

 寝不足でも、心地よい疲れだった。

 思えば、他の誰も関係なく自分自身の人生で無茶ができて、きちんと人と関わったと思えたのは人生で初めてだったかもしれない。

 晴の生前はなんとなく遠慮してしまったし、そこまで積極的な性格でもなかった。

 

 微睡ながら今日のことを反芻して――、

 自分の人生が変わってくれるのでは、と少し期待した。

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