女王の帰還
絶対本気だった。
とは思いながらも、パンドラはシェレティアに導かれるがままバルコニーの端へと向かった。
崩壊した足場は脆く、ガラガラと音を立てて欠片が落ちていく。
「それ以上行くと落ちちゃうからそこでいいよ。さあ、命令してみよう!」
「……はぁ」
まあそう言われたならやるしかないだろう。
パンドラはいつもどおり祈りを捧げるために両手の指を組む。
「…………」
「………………」
「……………………えっと、どうしたら……?」
「え!? なにもしてなかったの!?」
「わ、わからなくて……」
シェレティアは大きなため息をつくと、パンドラの肩に飛び乗った。
「ただ命令すればいいの。お願いじゃダメだよ? 妖精たちに女王が帰ってきたことを知らせなきゃいけないんだから」
「命令……」
どうすればいいのだろうか?
どう伝えれば、妖精たちにわかってもらえるのだろうか?
命令なんてしたことがないけれど、これから女王になるのならできないで終わらせるわけにはいかない。
はじめないと。
ここから、新しい人生を――。
「――」
もう一度目を閉じる。
妖精たちに伝えなくては。
願いではなく、命令で。
(……頭の中に浮かぶのは、やっぱり旦那様なのですね)
アルやエルを見ていればわかる。
ハデスはきっと、優れた主なのだろう。
だから容易に想像できた。
ハデスが人々の前に立ち、声を発する姿が。
だからそれを真似するだけ。
そうすればきっと、自分にもできるはずだ。
そう信じて、目を開ける。
眼下に広がるのは、炎に焼かれた母国。
人々の嘆き、叫びがこだまするそこに胸を張って告げるのだ。
「――聞け! 妖精たちよ!」
その瞬間だ。
一陣の風が吹き抜ける。
「――……すごいな」
暗闇の城下に、数多の光が点ったのだ。
蛍のような蝋燭の灯りのような、優しくも穏やかな光。
それはこの国にいる妖精たちの姿だった。
「この国には、こんなに妖精がいるんだな……」
「気づいたんだよ、妖精たちが。――我らが女王が帰還した、ってね!」
瞬く間に国中を明るく照らした妖精たちは、今か今かと待ち望んでいるかのように輝いている。
そこで初めてわかった。
妖精たちにとって、女王とは特別な存在なのだと。
(ああ、また。――背中が熱い)
その原因は、もうなんとなくわかっていた。
この感覚を、遠い昔から知っていた気がするのだ。
背中の熱はさらに強くなり、ゆっくりと体の外へと出ていく。
それはまるで蛹が羽化するように。
燃える炎のように美しい妖精の羽が、パンドラの背中に現れた。
彼女が妖精の女王であると、示すかのように。
「私の愛するこの国を――メイア国を……守って!」
命令できていただろうか?
これが正しいものなのかはわからない。
けれど確かに、この声は妖精たちに届いたはずだ。
だって光は大きくなり、国中を覆い隠すほどに強くなっていった。
――そして。
「……雨だ。――これで、炎は消えるな」
「この王宮はね、王と女王のためのものなんだ。だからほら」
シェレティアが指差す方を見れば、まるで時間が巻き戻るかのように、瓦礫が崩壊する前に戻っていく。
「国のほうは無理だけど……ここは絶対、妖精たちは元通りにするよ。だって君が住む場所だから」
「……これで、この国は元どおりに戻りますか?」
「元どおりは無理じゃない? 死んだ人間まで生き返らせることはできないから」
シェレティアは長い足を組むと、足首をくるくると回す。
「でもまあ、また雨は降る。自然は豊かになるし、この国は妖精の加護によって守られるよ。――君が女王でいてくれるのなら。羽化、おめでとう」
「…………はい。女王になります。……私は、この国を支えます」
「ならよかった。……妖精たちにも、伝わったよ」
国を包み込む眩いばかりの光は小さくなってゆく。
妖精たちが散っていくのがわかる。
あるものは森に、あるものは川に、あるものは村に。
緑はあっという間に生い茂り、枯れていた川は水が溢れ、村を燃やしていた炎は消えた。
「……それにしてもパンドラ。その羽は……」
「――あ、これは……!」
ハデスに指摘されて自身の背中を確認すれば、羽はまるで霧のように消えていった。
「……あれ? 消えてしまいました……」
「また妖精の力を使おうとすれば現れると思うよ。あれは君が妖精女王である証だから」
「なるほどな。……私があの時見たのは、やはり間違いではなかったんだな」
そういえばハデスを薬から救った時、パンドラの背中に羽が見えたと言っていた。
あの時は薬のせいで幻影でも見たのだろうと思っていたが、今からわかる。
あれはパンドラが妖精の力を使ってハデスを救ったから、羽が現れたのだ。
「パンドラは私の命を救ってくれた。……きっと同じように、この国の民も守れるはずだ」
「……旦那様。――ありがとうございます」
普通の日常をみんなが送れるように。
頑張ろうと改めて決意していたその時だ。
「――殿下! 奥様!」
「これ……!」
アルとエルの慌てた声に急ぎ駆けつければ、落ちていた大きな瓦礫が元の場所へと戻ったのだろう。
その下に倒れるアリーシャの姿があった。
頭から血を流す姿に、パンドラは慌てて駆け寄る。
「アリーシャ!?」
頭を打っているのなら、下手に動かさないほうがいいだろう。
どうすればいいのかと慌てていると、エルがテキパキと応急処置をしてくれる。
「生きてはいます。ですが出血がひどいので早めに医者に見せたほうがいいです」
「わ、わかりました」
とはいえ医師はどこにいるのだろうか?
キョロキョロとあたりを見回していると、その隙にシェレティアがアリーシャの上を飛ぶ。
「ふーん。あれで死なないんだ。……図太いな」
シェレティアが小さく呟き、アリーシャに指先を向けた時だ。
彼の体を大きななにかが包み込む。
「なにをする気だった?」
「…………なーんも。それよりなぁに? 僕に触りたくなっちゃった?」
「……ひとまずお前は私の肩にいろ」
ハデスがそう伝えれば、シェレティアの瞳はキラキラと光る。
「え、なになに? そばにいろって? うんうん、いいよ」
医者を探していたパンドラは、今更シェレティアが嬉しそうにハデスの頬に擦り寄っているのに気づいた。
なんだか胸がザワザワするのだ。
「シェレティア! 離れてください!」
「彼からそばにいるようにって言われたんだもーん」
「とにかく、医者を探そう。……国の状況も確認しなくては」
「あ、……はい!」
そうだ。
やることは山積みなのだ。
突然の出来事ではあるが、これからはパンドラがこの国を背負っていくのだから。
責任重大だと、無意識のうちにも眉間に皺がよる。
「……がんばらなくては」
パンドラはハデスたちと共に、バルコニーをあとにした。




