覚悟を決めろ
「王……配…………?」
「そうだ。女王が夫を娶る。それが王配だ」
王配にハデスがなる?
けれどそれでは、彼は全てを失うことにならないだろうか?
マグリアの王子としての地位も、家族も。
「……それでは、ハデス様は全てを失うことになるのではないですか……?」
「そんなことはない。元より王子としての地位に執着はない。王位なんて狙ってないしな」
「ですが――!」
だとしても、王配になることでハデスに利があるだろうか?
彼の迷惑にだけはなりたくない。
そんな一心で止めようとしたパンドラの手を、ハデスは力強く握った。
「パンドラ。そばにいることを願ったのは君だけじゃない。……全てを失うわけじゃない。君がいる。それが大切なんだ」
ああ、そうか。
ハデスもパンドラと同じことを思ってくれているのだ。
隣にいてくれるのなら、それでいいと。
「君がなに一つ失わないためには、この選択しかない。――覚悟を決めろ。……大丈夫。私が隣で支えるから」
「…………」
ふっと、パンドラは息を吐き出した。
まるで全力疾走した時のように、胸がドクドクと高鳴っている。
緊張しているのだ。
今から行おうとしていることに。
だってそれは、パンドラだけじゃない。
ハデスや、この国の人たちの人生を変えてしまうのだから。
「――はい。……覚悟を決めます」
パンドラは乱暴に涙を拭うと、改めてシェレティアへと向きなおる。
彼はとても穏やかに、やはり微笑んでいた。
「選択はできたかい?」
「…………はい」
胸に手を当て目を閉じる。
瞼の裏には、走馬灯のように過去のことがよぎった。
その全てがマグリアへ行った後のこと。
ハデスやアル、エルと共に過ごした日々だった。
それを見れて、パンドラはホッとした。
悔いがあるとすればそれはただ一つ。
ハデスと共に過ごした日々を、失いたくないという思いだけだった。
なら大丈夫だ。
だってハデスはこれから先も、隣にいてくれるのだから。
パンドラはゆっくりと目を開ける。
その瞳に強い決意を灯して。
「――メイア国の女王に……なります」
「…………そう。よかった」
なんともあっけらかんとそう告げたシェレティアは、ふわりとパンドラの肩に座った。
「じゃあこの国を滅ぼすわけにはいかないね。妖精たちに命令を出そう」
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします」
これでメイア国もこれ以上の被害を被らなくてすむ。
ホッと息をついたパンドラの肩で、シェレティアはきょとんと首を傾げた。
「ん? 君が命令するんだよ?」
「…………え? 私が?」
「当たり前だよ! 妖精たちに知らせなきゃだろう? 僕らの女王が戻ってきたと。そうでもしないと妖精たちの気がおさまらないよ」
そうは言われても、なにをしたらいいのかわからない。
妖精に命令なんてできるわけがないと狼狽えていると、シェレティアはパンドラの鼻先へとやってくる。
「いつもと変わらないよ。願いを届けるように、命じればいいんだ。この国を救えと。それだけで妖精たちはわかる。女王が戻ったと」
「そ、それだけでいいのですか?」
なんだ簡単なことだ。
いつもどおりお祈りをしようとしたパンドラの隣に、ハデスが立つ。
「それをすることで、パンドラになにかデメリットはないのか? 妖精に命令するなんて聞いたことがない」
確かにそのとおりだ。
妖精とは自然そのものであり、この国では神にも等しい。
そんな存在に命令なんて、なにがあるかわからない。
不安がるパンドラをよそに、シェレティアは軽く首を振った。
「害なんてないよ! 女王の願いを叶えるのは、僕らにとって至高の喜びだ。妖精たちにとって、女王とはそれほどの存在なんだから」
そう言ったシェレティアは、なぜかハデスのそばへと向かう。
「疑り深いなんて思ったけど、そういえば君には呪いをかけてたんだったね。それじゃあしょうがないか!」
「……簡単に言ってくれるな」
妖精の呪いのせいで、ハデスはずっと苦しんでいたのだ。
その呪いをかけた張本人がいるのだから、ハデスとしては内心穏やかではないだろう。
それがわかっているのかいないのか。
シェレティアは軽々しく口を開いた。
「じゃあ呪い解く? 女王が帰ってきたのだし、その呪いをこの場で解いてあげようか?」
かけた本人なら、簡単に解けるのだろう。
ハデスが、いや、マグリアの王族が長年苦しんだ呪いが、やっと終わるのだ。
パンドラが嬉々とした表情をハデスへと向けたが、なぜか当人は険しい顔をして己の手のひらを見ていた。
そしてしばしの沈黙ののち、小さく首を振った。
「――いや。このままでいい」
「…………旦那様!? 呪いを解かないのですか!?」
どういうことだ。
呪いを解きたいと、ハデスも思っていたはずなのに。
「これから先、パンドラが進むのは険しい道だ。女王になるというのは、生半可なことではない。……そんなパンドラを、この力があれば少しは手助けできるかもしれない」
確かにハデスの言うとおり、簡単な道ないだろう。
しかしそのためにハデスの呪いを解かないなんて……。
「いけません、旦那様! 私のためにそんなこと……!」
「パンドラのためだけれど、私のわがままでもある。君を隣で支え、守る力が欲しいんだ。……それに変わらず、君に触れられるのならそれでいい」
「…………旦那様……っ」
どうやらハデスは覚悟を決めているようだ。
これではきっと、パンドラがなにを言っても無駄だろう。
本当にいいのだろうかと口籠もるパンドラの耳に、なにやら楽しそうなシェレティアの声が届いた。
「パンドラのため? ……ふーん。そっかそっか。いいね! 君、気に入ったよ」
そんなことを言いながらシェレティアはハデスの肩に座ると、その頬に口づけを送った。
「――な!?」
「はい、これで呪いは祝福となったよ。これからは君の意思で死を防ぐことができるよ。よかったね!」
「死を……防ぐ?」
「自分の意思で呪いを出したり出さなかったりできるってこと。便利でしょう?」
つまりは普段から手袋をつけなくてもよくなったということだ。
彼がなにかに触れても、命を奪うことはない。
そう、望まないかぎり。
「……本当に? そんなことができるのか?」
「できるよ。だって僕妖精の王子だよ? 力の使い方だってそこへんの妖精とは違って自由自在なんだから」
シェレティアはそう言うと、ハデスの頬に擦り寄った。
「それにしても君、素敵だねぇ。パンドラのために呪いをも受け入れるなんて……かっこいいなぁ」
すりすりと頬擦りするシェレティアの頬はほんのりと赤い。
それにうっとりとしている様子の瞳を見て、なんだか嫌な予感がパンドラの頭をよぎる。
「よ、妖精様?」
「シェレティアでいいよ。君は僕の母様だもん」
「しぇ……シェレティア。……旦那様から……離れてくれませんか……?」
パンドラの願いに、シェレティアはきょとんとした。
そしてその後すぐに、ニタリと笑う。
「えー、やだよ。僕この子のこと気に入っちゃったんだもん。ずっとそばにいようかな?」
「――だ、旦那様のご迷惑になります!」
「ならないよ。ねぇ?」
「…………なにがどうなっているんだ?」
困惑するハデスをよそに、パンドラはシェレティアへと顔を近づけた。
「ダメったらです! 離れてください!」
「君はやっぱり女の子が好きだよね? じゃあ僕も女の子になろうかな」
「――なれるのか?」
「本来妖精に性別という概念はないからね。君が望むならなるよ?」
「ならなくていいです!」
パンドラが慌ててシェレティアを捕まえようとしたが、彼はさらりと避けると少し高いところに飛んでいってしまう。
パンドラが背伸びをしても届かないギリギリのところだ。
「まあお遊びは一旦おいとくとして。――さあ、パンドラ。妖精たちに命令してみようか?」




