後悔しないための
その言葉を口にした時、パンドラの目から大粒の涙が溢れ出した。
心の中はぐちゃぐちゃだ。
罪悪感も、嫌悪感も、悲壮感も、全部混ざって胸の中に巣を作る。
この国を救いたい気持ちはもちろんあった。
自分が女王になれば、妖精たちは手を貸してくれる。
それも全部わかっていた。
わかっていて、それでもなおその選択肢を選ぶことができないのだ。
「わ、わたしは……っ、わたしは……!」
「――パンドラ」
ハデスがパンドラの肩を掴む。
弾かれたようにハデスを見たパンドラは、一歩彼から離れてしまう。
「――も、申し訳ございません……っ! 情けない選択をしたことはわかっています。……でも!」
ハデスは王子だ。
国を背負うということがどれだけ大切かわかっているはず。
そんな彼の前で、国を見捨てるという選択をしたのだ。
見放されてもおかしくはない。
軽蔑されたかもしれない。
――それでも。
「わたしは!」
「パンドラ、落ち着け。君にとって重要な選択だ。……私は君の意思を尊重する」
「――旦那様……」
ああ、そうだ。
ハデスはいつだってパンドラの考えを聞いてくれる。
彼が頭ごなしに否定したことなんて、一度もない。
「だからこそ聞きたい。……どうしてその選択をしたんだ? 君は……この国を救いたいと思っているだろう?」
「……はい。救いたいです。……っ、でも……でもっ!」
胸が張り裂けそうだ。
つらくてつらくてたまらない。
だってそうだろう?
もしパンドラがこの国を救うという選択肢をしたら、それは――。
「私は、旦那様の隣にいたいですっ!」
それは、ハデスのそばを離れるということ。
約束したのだ。
彼の隣にいると。
あの約束はパンドラの切なる願いでもあるのだ。
だからあの約束だけは、違えたくない。
「わがままなのはわかっています。なんて身勝手なのでしょう。それがわかっていても、私は……っ」
パンドラはボロボロと涙を流しながらも、その瞳にハデスを映す。
ぬくもりを与えてくれた人。
あたたかな居場所を与えてくれた人。
人を愛する心地よさを教えてくれた人。
愛されることのむず痒さを教えてくれた人。
この人だけは、手放したくないのだ。
「旦那様の隣にいたいのです。あなたの隣にいると……約束したんです。それは、私にとっても大切な約束だから……。だから!」
国か愛する人かなら、パンドラは愛する人をとりたい。
そう思えるくらい、パンドラにとってハデスは大切な人なのだ。
だがもちろん、この選択がよくないことなのはわかっている。
だからこそ黙り込んだパンドラを前に、ハデスは静かに瞳を閉じた。
「――そうか。私との約束が、君を苦しめていたんだな」
「違います! これは私の願いでもあるのです。だから……!」
苦しめていたなんて言わないでほしい。
嬉しかったのだ。
この約束のおかげで、ハデスの隣こそ己の居場所だと思えたのだから。
「…………旦那様の、隣にいたいです。ずっと一緒に……いたいんです」
「――わかっている」
「ですがっ、私が女王になったら……旦那様のそばにはいられない……」
マグリアへは帰れない。
あの優しい居場所には、もういられないのだ。
だからなれない。
なりたくない。
それがパンドラの本心だった。
「…………わかった」
「旦那様……?」
「パンドラ。君の考えはわかった。わかった上で言う。――君は、女王になるべきだ」
その時のパンドラは、自分の体にヒビが入ったかのような衝撃を受けた。
息すらできず、ただただ奈落の底に落ちていくような感覚。
絶望とは、こんなことを言うのだろうか?
ハデスなら受け入れてくれるという甘えはあった。
あったけれど、これは……。
「……私は、もう…………不要の存在ですか……?」
耐えられない。
これに頷かれてはもう、パンドラの心は粉々に砕け散ってしまうだろう。
それなのに聞いてしまった。
聞かざるをおえなかったのだ。
なんて愚かなことをしてしまったのだろうかと、今更ながら後悔してしまった。
瞳に涙を浮かべながら、俯いたパンドラ。
そんなパンドラの手を、ハデスが優しく握った。
「そんなわけがない。私には、君が必要だ」
「なら……なぜ…………?」
「……きっと今この国を見捨てれば、君は一生後悔するだろう。心に大きな傷を負って、立ち直れなくなる」
「…………旦那様」
そのとおりだ。
パンドラのこの選択でメイア国が滅んだとしたら、一生後悔するだろう。
でもそれは、ハデスの隣を離れたとしても同じことだ。
だからつらい。
つらくてつらくて、たまらないのだ。
大粒の涙をポタポタとこぼすパンドラの手を繋ぎながら、ハデスはその場に膝をついた。
「だから君は女王になるべきだ。……この国を救うんだ」
「………………っ」
わかっている。
今ここで頷いて、パンドラはこの国を救わなくては。
それなのにこの首は、動いてはくれないんだ。
黙ったまま動かないパンドラに、ハデスは真剣な瞳を向ける。
「パンドラ。――君だけに全てを背負わせはしない」
「………………旦那様?」
ハデスはパンドラの指先に優しく唇を落とすと、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、真剣そのものだった。
「パンドラ。……私を――君の王配にしてください」




