選択肢のない選択肢
「――滅んで……? 妖精様は、この国を守っていたのでは……?」
「守ってたよ。でもそれは王と女王のためだ。人間のためじゃない」
シェレティアはなんてことないように言う。
「王はもういない。それなのに女王を追い出したこの国に、妖精たちはなんの未練もないよ。人間なんて滅んでしまえばいい」
妖精とは、もっと慈愛にあふれた存在だと思っていた。
神よりも身近で、人間を愛してくれている存在。
そんなふうに思っていた。
けれど彼らはただただ純粋だった。
純粋ゆえに、残酷なのだ。
「人間だっていらないものは捨てるだろう? それと同じだよ。人間がいらないから、僕らはここを一度綺麗にするんだ」
シェレティアはパンドラの前へとやってくる。
穏やかな微笑みを浮かべながら、パンドラの鼻筋に優しく唇を落とす。
「全てをまっさらにしたら――あなたはまたここきてくれるだろう? 僕ら妖精の絶対なる女王陛下。――僕の【母様】」
「――え?」
今、シェレティアはなんと言った?
パンドラのことを、母と言わなかったか?
それは、つまり。
「――パンドラが、妖精の女王……?」
ハデスの言葉に、パンドラの肩が大きく跳ねた。
まさか、そんなこと、あるはずがない。
だって自分は――。
「正確には転生体だけどね。魂がそうなんだよ。だから妖精たちは君を愛しているんだ」
シェレティアはハデスを指差す。
「彼に触れられたのだって、君が女王だからだよ。妖精の呪いが、女王に効くはずがない」
「じゃあパンドラの呪いはやはり……」
「あの人間たちが嘘を言っていただけ。むしろ君には祝福があったはずだ。けれどあいつらに嘘を言われ続け、君は妖精を見える、聞こえるということを否定してしまった」
だからパンドラは、妖精の姿も声も感知できなくなってしまったということらしい。
しかし国民たちの祈りを聞き、見たい、聞きたいと思うことでそれが実現した。
「本当はもっと早くあの人間たちを消してもよかった。けれど僕らにとって必要なのは、パンドラがこの国にいてくれていると言う事実。だって本来このまま時が過ぎれば、第一王女であるパンドラがこの国を統べることになるはずだ。だから見守っていたのに……」
シェレティアの瞳がスッと細められる。
途端に周りの空気が冷え、吐き出すと息が白く可視化された。
「人間たちは僕たちから二度も女王を奪った。……それもよりにもよってまた、あの国に送るなんて。――だから全部消すことにした。まっさらにすれば、また女王が帰ってきてくれると妖精たちは本気で思っているんだ」
「なるほどな。……全て合点がいったよ」
ハデスの言葉に、シェレティアはぱちりと瞬きをしていつもどおりの柔和な表情に戻る。
すると一瞬で、この場の空気が炎によって熱せられた。
「そうだ。君の呪いは解いてあげてもいいよ。――こうしてこの国に、女王を返してくれたからね。君の呪いが解ける条件はそれだよ」
「……妖精の女王を返すこと。それが解呪の条件か」
「勝手に盗んだんだ。……なら何千年と経とうとも、返すのが礼儀だろう?」
ハデスの呪いが解ける。
それはとても嬉しいことだ。
しかし当のハデスの顔は浮かない。
「なるほどわかった。その話はまたあとでしよう。……それで、パンドラが戻ってもまだこの国を滅ぼす気か?」
シェレティアは不思議そうにぱちくりと瞬きを繰り返す。
「もちろん。だって、女王は戻ってきたわけじゃない。また去ろうとしている。……そうだろう?」
「そ、れは……」
そのとおりだ。
この問題が解決すれば、パンドラはマグリアへ帰るつもりである。
けれどそれを、妖精たちは許してはくれないらしい。
「ならやっぱり無理だよ。女王がいない国なんて、滅んでしまえばいい。……ねぇ、パンドラ。わかっているんだろう?」
優しく、穏やかにシェレティアは言葉を紡ぐ。
まるでぬるま湯に、落とすかのように。
「君が女王になる。――それ以外にこの国を助けることはできないよ」
「…………私が、女王に?」
「そう。君がこの国を統べるんだ。そうしないと、妖精たちはもう止まらないよ」
なんだその話は。
自分が女王として国を統べる?
そんなこと、できるはずがない。
「私にそんなこと――!」
「できるかできないかじゃない。僕らはその選択肢しかあげられない。……だから壊すか、直すか。どちらかだよ」
パンドラは、自分が下唇を力強く噛み締めていたことに気がついた。
だってそんなの、選択の余地がないじゃないか。
パンドラが女王にならなければ、この国は終わる。
それではここに住む数多の人間が、生き物たちが、命を失うことになってしまう。
そうなっては、パンドラは本当の意味でパンドラの箱になってしまうではないか。
災いを呼ぶ存在。
そんなものになりたくはない。
「…………わたし、は」
選ぶべき選択肢は一つ。
パンドラはそっと両手で目を覆い、俯いた。
覚悟を決める時間が欲しかったのだ。
力強く噛み締めた唇からは、血の味がした。
「――私、は……っ!」
パンドラはゆっくりと顔を上げる。
目の前に飛ぶシェレティアを前に、パンドラは悲痛な表情を浮かべた。
「――私は……女王には……なれません」




