絶望へと飛び込む
「あの男の子どもなど吐き気がする。……それでも育ててやったんだから、せめて恩くらい返せ!」
「…………なにを、言っているんですか……?」
どういうことだ。
この男は一体なにを言っているんだ?
パンドラは呆然と、王を見つめる。
父親だと思っていた人が父親ではなかったこと。
その兄が本当の父親であったこと。
その兄が亡くなってしまっていること。
そして……王が父を殺したかもしれないということ。
わけがわからないと震えているパンドラに、義母が鼻を鳴らす。
「預言があったのよ。その年、妖精に愛された娘が生まれるでしょうって言うね。その娘がいる限り、この国は栄えるだろうって」
「あの傲慢な兄は、それを己の子どもだと風潮し始めた。まだ生まれてもいないのに……」
王は奥歯を強く噛み締め、盛大な舌打ちをした。
「私の娘、アリーシャこそが妖精姫だ! それをあんな男の娘がなんて……! しかもそれを信じた父は、あれが王太子でよかった。この国も安泰だ、なんて言い出して……!」
王は怒りに顔を赤らめながらも、その時のことを思い出したのかニヤリと歪に笑う。
「――だから親切に教えてやったんだ。能天気に娘の誕生を待っているだけでは、予想外の出来事が起こるぞ、ってな」
「……それは、兄を殺したと自供したととっていいんだな?」
ハデスからの問いに、王は静かに首を振った。
「なにを言う。私は親切に教えてやっただけだ。身内にも気をつけろよ、とな」
言質をとらせる気はないようだ。
しかしここまで言っていては、教えているようなものだ。
王は自らの兄を手にかけ、王座を手にしたと……。
つまりそれは。
「……どうして、そんなことを――」
パンドラの実の父親を殺したも同然だ。
いや、父だけではない。
ハデスの話が正しければ、パンドラを産んだばかりの母をも手にかけたことになる。
「お前のような愚か者にはわからないだろうな。王族に生まれながらも、弟というだけで王座に座れないもののことなど――!」
「ただの野心を、正当化する言葉を述べるな。……お前は傲慢なだけだ」
パンドラに向けられる怒りを、ハデスが身を挺して庇ってくれる。
「たったそれだけの理由で、兄を殺し、その妻をも殺した。……そしてその罪を全て、パンドラに背負わせたのか。――呪われてもいないものに、呪いを押し付けたのか!?」
ハデスの言葉に、パンドラはハッと息を呑んだ。
そうだ。
もしその言葉が本当なら、母が死んだのはパンドラのせいてはなくなる。
「――乳母は!? 乳母は……どうなったのですか」
乳母もパンドラに関わったせいで、亡くなったと聞いている。
だから己の身は不幸を撒き散らすのだと思っていたのに。
「あれは知りすぎていたからな。お前が成長するまでは娘を人質にして、必要なくなったらどちらも殺した」
「………………人の命を、なんだと思っているんですか」
「私は私の家族の未来を憂いただけだ。妻と娘にしあわせな未来をと望むのは、夫として、父として当たり前のことだろう」
うんうんと頷く義母とアリーシャに、パンドラはなにも言うことができなかった。
あまりのことに絶句してしまったのだ。
自らのしあわせのためなら、人の命を奪ってもいいのか?
そんなの――。
「気持ち悪い……っ」
「お前のような小娘にはわからないだろうな!」
「わかってたまるか。――しかしこれでわかったことはある」
ハデスはパンドラの肩を掴むと、優しく抱き寄せた。
「パンドラ。やはり君こそが、妖精に愛されていたんだ」
「え?」
「なに言ってんのよ! あたしが妖精姫だって言って――」
「ではなぜパンドラは生きている?」
アリーシャの言葉を、ハデスが遮った。
「そこまで殺しておいて、なぜパンドラを生かして、しかも自分の娘だと偽っていた? ……殺せない理由があったんだろう」
「――……」
先ほどまでのニヤけた顔は消え、王は苦虫を潰したような顔をした。
ハデスはそれを見て確証を得たようだ。
「パンドラを殺してしまえば、妖精たちの怒りを買いメイア国が滅ぶ可能性があった。だから彼女が呪われていると嘘をつき、閉じ込めたんだ。……自分の娘を妖精姫にしたいがために」
「違うわ! あたしが本当に妖精姫よ! その女は呪われた存在なのよ!」
「……パンドラは私に触れられる。妖精に呪われた私に。――しかし君はそうではなかった。それが答えだろう」
ハデスの目が、手袋をつけているアリーシャの手へと向けられた。
彼女の右手の指先は、ハデスの呪いによって壊死しているはずだ。
そんな視線に気づいたのか、アリーシャは慌てて手袋を脱ぎ捨て、傷一つない手を見せつけてきた。
「ほら! あんな呪い、もう綺麗になくなったわ! これこそあたしが妖精姫である証拠だわ!」
「そもそも妖精姫なら呪いがかからないだろうと言っているんだが……。わからない女だな」
ハデスは大きめなため息をつくと、形勢逆転と言わんばかりに片方の口端を上げた。
「あなたは知っていたんだ。自分の娘が私に嫁いだら死んでしまうことを。だから娘を守るためにパンドラを差し出した。しかしそれを知った妖精の怒りを買ってしまい、国が荒れてしまった。だから……パンドラを連れ戻すために娘に手紙を送らせたんだろう」
「……だからなんだ。妖精に心はない。その娘が国にいれば、それだけで妖精は満足なんだ。……生きていればそれでいいんじゃないかと送り出したが、まさかこんな面倒ごとを起こすとはな」
王の言葉に驚いたのは、パンドラよりもアリーシャであった。
「お父様!? なにを言っているの? 私がいれば妖精は絶対に手を貸して――」
「姿が見える程度では、奴らは手助けなんてしてくれない。……もういい加減、現実を見なさい」
どうやらアリーシャは本当に自分が妖精姫であると思い込んでいたらしい。
父親のその言葉に絶句したアリーシャは、じわじわと涙を瞳に溢れさせた。
「それじゃあ……本当にこの女が……?」
「……お前が妖精姫であると、誰もが信じている。それでじゅうぶんだろう」
「――っ!」
両手を握りしめたアリーシャは、顔を伏せて黙り込んだ。
ずっと妖精姫は己だと自信を持っていた彼女にとって、その真実は耐え難いものなのだろう。
だがもちろん、パンドラもまた耐え難い真実を告げられたばかりだ。
「…………旦那様。もう帰りましょう」
彼らの言いたいことはわかった。
もちろんパンドラとしても、メイア国の惨状は憂いている。
けれど。
「私はもう……この国にいたくありません」
今はとにかく、彼らから少しでも早く離れたい。
恨み言の一つでも言いたくなってしまう。
当たり前だ。
彼らはパンドラの両親を殺しているのだから。
「ふざけるな! せめて妖精たちをなだめてから行け!」
「そうよ! あなたのせいでこの国が――」
「もういい」
ハデスはするりと手袋を外すと、王の眼前に突き出した。
触れるか触れないかギリギリのところで止められたその手に、王は驚き尻餅をつく。
もちろんハデスの呪いを知っているのだろう。
王を支えるため膝を折った義母とともに、ハデスは見下した。
「お前たちの勝手に、これ以上私の妻を巻き込むな。――追ってくれば全力で相手をしてやる。……この意味がわかるな」
ハデスが足元に転がる花を手に取る。
王によって投げられた花瓶に飾られていたものだ。
みずみずしく咲き誇る百合の花は、一瞬で枯れて王の頭に降り注ぐ。
「私はお前たちを許さない。――そしてそれは、パンドラを愛する妖精たちもだろう。……覚悟するんだな」




