なんのために生きているのだろうか
慎ましく生きていきたい。
ただ毎日を過ごしていければ、それでいいと思っていた。
けれど現実は残酷だ。
その日は普段よりも王宮が騒がしく、そしてその声はパンドラの元まで届いていた。
「……今日はなんだか騒がしいですね?」
ラルフからもらった本を読んでいたけれど、なんだか胸騒ぎがした。
本にしおりを差し込み、テーブルに置いた時だ。
部屋に突然見知らぬ人たちがやってきた。
「――あんたがパンドラ?」
「え? ……ええ。そうですけれど……あなたは?」
「引きこもりでも義妹の名前くらい知ってるでしょう?」
「それではあなたが妖精姫のアリーシャ……?」
「そうよ」
どうやら妹が会いにきてくれたらしい。
初めてのことになんだか嬉しくて笑っていると、そんなパンドラを見てアリーシャは眉間に皺を寄せる。
「なに笑ってんの? あんた今から死神に嫁ぐのよ?」
「――死神? えっと……一体なんのことでしょう? 嫁ぐとは? ……それに私にはラルフ様が」
「ラルフはあたしと結婚するの。だからあんたがあたしの代わりに、死神王子のところに行くのよ」
ラルフとアリーシャが結婚する?
アリーシャの代わりに死神の元へ行く?
いったいなにを言っているのだろうか?
小首を傾げ続けるパンドラにため息をついたアリーシャは、扉のところに隠れていたラルフを引っ張り出した。
「知らなかったでしょう? ラルフはあたしのことが好きなの。あんたと結婚するなんて生贄みたいでラルフはずーっといやだったのよねぇ?」
「……ずっと恐ろしかったんだ。いつ触られるかって気が気じゃなくて」
生贄。
そんなふうに思われていたなんて気づかなかった。
ラルフがパンドラを恐れていたことはわかっている。
だがそれでも、大切にしてくれてるのだと思っていた。
それなのに今パンドラを見るラルフの目は、まるで汚いものを見るかのように歪んでいる。
「親の命令じゃなければ……いくら王女だって呪われた女の婚約者になんてならない!」
「だから王女のあたしが変わってあげたわけ。よかったわね。これ以上愛しの人に嫌われないですんで」
「………………」
ラルフの本心を聞いて、パンドラは静かに瞳を伏せた。
心の中ではそうか、そうだったのかと悲しくとも納得してしまう。
世間知らずなパンドラは、外の情報を持ってきてくれるラルフの存在が嬉しかった。
自分に会いにきてくれる彼のことを、盲信的に愛していたのだろう。
けれどパンドラとは違い、ラルフには外の世界がある。
呪われた存在であるパンドラの婚約者だなんて、ラルフはどれだけつらい思いをしたのだろうか?
冷静に考えれば、ラルフこそつらい立場だったのだろう。
それでも我慢していたのは、きっと王女と結婚しなければならないという親からの圧だったのだ。
そんな中、人々から愛されるアリーシャへ心変わりしても、仕方のないことなのだろう。
だから不思議と悲しみはあまりなかった。
「……ラルフ様。アリーシャを……愛しているのですか?」
「――もちろんだ! アリーシャは素直で可愛らしく、なによりもみんなに愛されている。君とは違うんだ!」
「…………そうですね」
全くもってそのとおりだ。
妖精姫と呼ばれているアリーシャは、パンドラとは違いすぎる。
ラルフが彼女を選ぶのも納得できてしまった。
きっと二人は外で会うことができるのだろう。
ラルフからもらった本のように、手を繋いで外を歩くこともできるのだ。
可愛い髪飾りを買ってつけて、美味しいケーキを一緒に食べる。
そんな普通が、パンドラにはできない。
「――わかりました。私は、その死神王子様に嫁げばいいのですね?」
「――……やけに素直ね。なにを企んでるの?」
アリーシャの言葉に首を振って否定する。
なにも企んでいない。
強いていえば諦めているのだ。
アリーシャがやってきたということは、きっと父や義母も知っているのだろう。
彼らがここにいないということは、見送りすらしてくれないということだ。
「私にできることがあるのなら、喜んで」
「…………そう。でもね、相手は妖精姫をご所望なの。だからあなたはアリーシャとして嫁ぐのよ。いいわね?」
「それは、お相手様に失礼では……?」
「うるさいわね! 自分の身の心配でもしてれば? バレたら殺されるかもね」
どうやらパンドラとしてすら、いることは許されないらしい。
どこまでも、パンドラという存在は忌み嫌われるようだ。
それもまた仕方ないことだと諦めていると、アリーシャと共にやってきた人たちが動き出す。
彼らはみな顔に布をつけ、手には手袋をつけている。
パンドラの姿を直視することや、直接触れることのないようにしているのだ。
「この人たちは……?」
「なに言ってるの? 一応あたしとして隣国の王子に嫁ぐんだから、少しは着飾らないとでしょう」
「――今から……!?」
「なによ。別になんの不都合もないでしょう。あんたに別れを惜しむような人もいないでしょうし」
「………………そう、ですね」
確かにそのとおりだ。
パンドラが消えることを憂いてくれる人は、残念ながらこの世にいない。
当人の意思とは関係なく、ドレスを着替えさせられ髪を結われていく。
まさか夢にまで見た美しいドレスを着るのが、身代わりで嫁ぐ日だとは思わなかった。
「………………私、なんのために生きているのでしょうか……?」
そんなことを考えているうちに、あっという間に身支度が済んでしまった。
見送りらしい見送りはない。
さっさと行けとばかりに馬車に乗せられたパンドラは、頭につけたヴェール越しに初めて己の国を見ることができた。
妖精に愛された国というのは間違いないのだろう。
自然豊かで誰もが微笑んで生活している。
しあわせそうな姿に口端をあげて、しかしすぐに下ろした。
「……きっとこれで最後」
母国を己の目で見るのは、これが最初で最後だろう。




